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私と彼女の平穏な日常、そして私の非日常

 私の名前はガゼルという。

 もちろん同名の動物ではなく人間という種族ではあるがこの世界の人間ではない。

 無数にある世界達のどこかで私は生まれ、長い年月を経てこの世界にたどりつき、平穏な日々と共にすごしている。たまにまったくそんな平穏からかけ離れたことも起こるがおおむね私は幸せだ。

 私の身体はこの世界ではもうすぐ成人を迎える体を形作っている。

 さて、最初の説明はこれぐらいにしておこうか、細かいことはその度に話すとして。

 まあ、聞きたいならば聞いてくれ、これは私のすごす平穏な日々と平穏ではない日々の話だ。

 ここまでの語りがこれからも続いていくと思ってくれていい。

 嫌ならばページを閉じ、忘れてしまえばいい。

 誰かが鳴らす音が脳を揺さぶるように響く、目を覚まそう、始まりの時間だ。

                     ・

 目を開けると部屋の中は暗かった。

 窓から外を見ると辺りも暗く街灯の光が私の部屋にさしている。

 椅子に座った私の足元には読みかけの文庫本が一冊落ちていて、傍らにある机に乗ったカップの中に入ったいい香りの、しかし苦く、黒い液体、つまりコーヒーはすっかり冷めている。

 どうやら私は座ったまま寝てしまったらしい。

 大きく身体を伸ばし、あくびをひとつ吐いた。

 私の目を覚ます原因となった音はどうやらピアノの音のようで、この家の別の部屋から聞こえてくる。

 冷めたコーヒーを飲みほし立ち上がると、私はその音の出どころの部屋まで移動した。

 ドアにノックを三つ、しかし返事はない。

 私は中にいる人の人となりを知っているので、おそらく熱中して気付いていないのだろうと推測し、ドアを開いて中に入った。

 部屋の中にはこちらに背を向けた女性が椅子に座っている。

 小柄な体、肩甲骨当たりで切りそろえられたつややかでまっすぐな黒髪にパジャマを着ている。

 彼女がピアノの音を出していることに間違いはなかったが、この部屋にピアノは存在していない。

 では何故音がしているのか。

 それはこの世界に「法術」と呼ばれる世界の理に干渉する術があり、彼女がその術の使い手で、その術で不可視のピアノを生み出しているからだ。

 部屋に入った私の気配を感じて彼女が振り返る。

 童顔で中学生といってもおそらく信じられるくらいには幼い顔つきだが、すれ違った人が振り返るくらいの可愛い顔をしている。いわゆる美少女だ。

 その人こそこの世界での私の彼女であり同棲相手である游島初希ゆうじまはつきだった。

「あっ、ごめん、防音術を張るの忘れちゃった、ごめんね、うるさかったよね?」

 私に気付いた初希は申し訳なさそうに手を胸の前に合わせて謝ってきた。

「いや、うるさくはなかったよ、むしろ心地よかった、それに座ったまま寝ると体がこるから起こしてくれてよかった、ありがとう」

「本当に?よかったぁ」

 私の言葉に初希は安心して笑った。

 その笑顔はまさに天使の笑顔、見る者の心を魅了する温かい笑顔だ。

 初希は椅子から立ち上がり、私に近づいてきた。

「こんな時間に会うのは久しぶりだね」

 彼女の仕事は夜勤が多く、また彼女自身が夜型である、それと対照的に私は早寝早起きの朝型。

 お互いに目が覚めている時間は相手の寝顔を見る時間だ。

 とすると二人の時間がこうやって偶然重なるのは、かなり珍しいことで滅多にない。

 彼女は私の顔を見上げる、身長差があるので自然とそうなってしまうのだ。

 そして私に抱きつき、

「ねぇ、ハグしていい?」

 と聞いてきた、久しぶりの対面に自分の衝動が抑えきれていない。

 一応彼女は私より三歳くらい年上なのだが、初希はたまにこうして子供みたいになる。

「もうしてるではないか、まあいいがな、いやはやまったく」

 私はそんな彼女の頭を優しくなでながら、自分の口元が緩んでいることを感じていた。

 その後、私は新しく温かいコーヒーと初希の飲む緑茶を淹れて、初希と夜のお茶会をした。

 どんな話をしたのか、それは私と彼女の秘密だ。

                        ・

「それじゃ、行ってくるね」

 仕事の始業が近づき、出かけるため、職場の制服のスーツに着替えた初希は玄関で出発の挨拶をした。

「行ってらっしゃい、今度どこかに遊びに行こう」

「えっ……うん、約束だからね!」

 彼女は笑顔で答えて職場へと出発した。

 嬉しそうに鼻歌を歌う後ろ姿を見送り私はドアを閉めた。

 その元気が職場で空回りしないといいが、と少し心配しながらも私はドアに背を向けて歩き出す。

 自分の部屋にではなく初希がピアノを弾いていた彼女の部屋へ。

 そして、中に入り、その天井を見上げた。

 そこには何もない。だが私は話しかける。

「人の家を覗き見るとは趣味が悪いな、コーポィアス」

 私は呼びかける、見えない何かに。

 名を呼ぶというのはその何かがこの部屋に入ることへの許可だ。

 私の呼びかけに答えて、見上げた天井に異変が起こる

 まず、何かが焦げる嫌な臭いが立ち込め、そして空間に黒いしみが現れる。そのしみは段々と広がっていき、直径一メートルくらいの歪んだ円くらいの大きさになった後、今度は円の真ん中が崩れて黒い炎が噴き出し、虚空に燃え上がる。

 その燃える炎の奥にある白い不定形の物、コーポィアスを私は見据えた。

 黒い炎の中でコーポィアスは赤く光る二つの目で私を見返し、脳に語りかけたきた。

「スマナイ、ダガソレドコロデハナイノダ、キンキュウジタイダ、タスケテクレ」

 脳内で翻訳するとおよそそのようなことを言っている。

 無言で次の言葉をうながす、そしてその次の言葉に私は驚いた。

「ワタシノスミカガウバワレタ、スベテ、セカイゴトヒトツノコラズ」

 コーポィアス、奴は下層世界のすべてを塵に還すまで燃え尽きぬ黒い炎のそこに住む炎獄の王だ。   

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