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5、もう一回、もう一回と

 けたたましく電話が鳴る。

 固定電話にかけてくるのはフリーダイヤルと相場が決まっているから、すかざず留守電ボタンを押した。

 お決まりの「ただ今留守にしております」のアナウンスが流れる。


 これが流れると電話の相手は何も告げずに受話器を置くのだ。マニュアルか何かで決められているのだろうけど、どうにも腹が立つ対応だと思う。ひとことでも残してあれば、掛け直すかもしれないのに。……私以外の人が、だけど。

 つまらない冗談、と鼻で笑い飛ばして、テレビをつけた。

 アナウンサーの声に混じって、女の人が何か言っている。


 うちの外か、テレビカメラのフレームの外にいる人か、どちらかだろう。初めはそう思っていたけれど、どうにも違うようだ。なんだか機械を通したような声だ。

 しかも、声はこの部屋の中から聞こえている。たとえば電話とか。

 ――電話?


 テレビのボリュームを下げて、電話に意識を向けた。


「……太一君のお母さん、早く迎えに来てください」


 懇願するような、若い女性の声。私は思わず受話器に耳を押し付けて、怒鳴るように問いかけた。


「太一が、たっくんがどうかしたんですか!?」


 私の剣幕に押されて、受話器の向こうが沈黙した。


 ――なに? 誘拐?

 私の頭を物騒な想像がよぎる。えええ、と漏らした私に、落ち着きを取り戻したらしい相手方が順を追って説明してくれた。


「太一君のお姉さんですか? こちら、『ひだまり保育園』の加藤と申します。いつもお母さんが五時ごろにお迎えに来てくださるんですが、今日はあまりにも遅かったもので、お電話しました」

「あ、ああ、そうだったんですね。ありがとうございます」


 ――たっくん、保育園に行ってたんだ。どうりで日中見かけないわけだ。


 横目に時計を確認すると、あと十分もすれば七時になるところだった。確かに、いつも五時に帰る子が残されているのには遅い時間かもしれない。


「すぐに迎えに行きます」


 そう告げて、受話器を置く。電話を切ってから『ひだまり保育園』とやらの場所を知らないことに気付いた。

 まあ、ここは文明の利器、スマートフォンの地図アプリに頼ることにしよう。鍵と財布をカバンに押し込むと、地図アプリを起動しながら玄関を出る。


「おい、危ないぞ」

「すいませんっ」


 反射的に頭を下げると、笑い声が降ってきた。ぼろぼろのジャージに、擦り切れそうなサンダルが目に入る。

 どうにも見覚えのあるこの格好。うちのお父様のお帰りだった。


「……なんだ。お父さんか」


 なんだとはなんだ、というお父さんの文句を聞き流して、その場を立ち去ろうとした。


「どこ行くんだ」

「たっくんのお迎え。香織さんが行ってないみたいだから」


 私が母親を「香織さん」と呼ぶことをよく思わないお父さんは、いつも苦い顔をする。でも、今日だけは違った。

 細い目を見開いて、口を小さく開けた。咥えていた煙草が、足の上に落ちる。

 お父さんは熱いとも言わずに、走り出した。


「あいつ、太一をどこに置いていきやがった」

「『ひだまり保育園』だって。どこ?」


 私の言葉を聞き終える前に、お父さんがタクシーに乗り込んだ。私がドタドタと階段を下る間に、お父さんを乗せたタクシーは発車してしまった。

 遠ざかるタクシーのテールランプを見送った私は、家に戻ることにした。




 間もなくしてお父さんとたっくんが帰宅した。タクシー代が足りなくて私が立て替えたのは、今回だけは見逃すことにしてあげる。


「たっくん、香織さ……お母さんは?」

「ママねー、おでかけって」


 眠そうに目をこするたっくんは、お弁当の入っているだろうバッグを肩から掛けたまま床に寝転んだ。

「おでかけ」という単語に、あわててタンスを開けた。


 ――ない。香織さんの荷物だけが、きれいに消え去っている。


「お父さんっ!」

「わかってる」


 いつになく不機嫌なお父さんは、近づきがたい気配を放っていた。咥えていた煙草が、根元から折れ曲がる。


 ――煙草の葉っぱって、食べたら危ないんじゃなかったけ。ま、早死にしてくれたら保険金なり何なりが入るだろうから私はいいんですけどねー。

 どうでもいいことが頭をよぎった。これをどうでもいいなんて言ったら、親不孝だろうか。


 どうして怒ってるんだろう、なんて不思議な気分にもなった。この状況で怒るなって言う方が無茶か。

 私と、お父さんと、たっくん。三人もいるのに、耳が痛くなるくらい部屋が静かだった。

 煙草を噛み千切る寸前のお父さんは、口の端をわずかに上下させて物言いたげにしている。寝転がったたっくんは、両手を上げたばんざいのポーズで寝息を立てている。私は、何もできずにその状況を眺めている。


「やっぱりかー」


 ようやく出た言葉がそれだった。

 お父さんの鋭い視線がこちらを向く。


「薄々わかってたよ。香織さん、パートしてお金貯めてたし」


 お父さんは、火もつけていない煙草を灰皿に押し付けた。ぐりぐりと押し潰し、興味をなくしたように手を放した。

 ――このタバコは、きっと私だ。

 根拠はないけど、確信できた。


 たっくんの寝顔と、怒りに歪むお父さんの顔を見比べる。

 綺麗な二重のたっくん。小さな鼻が可愛らしいたっくん。――どのパーツもお父さんに似ていない、たっくん。


「……たっくんて誰の子なの」


 ――いてっ……。


 反射的に身を引いた。お父さんが、痛覚に直接訴えかけてくるような殺気を放っている。


「あいつは、おれの子だと言ってた」


 あいつ、とは香織さんのことだろう。たっくんが五歳で、香織さんが出て行ったのも五年前だから計算が合わないこともない。――たっくんの誕生日しだいでは、だけれど。


「でも、似てないよ」

「母さんに似たんだろ」


 投げやりなセリフを、苦笑いで受け止める。

 香織さんとは、また違う気がするんだけどなぁ。


「じゃあ、たっくんはうちで暮らすの」

「犬猫じゃあるまいし、外に捨てるわけにいかんだろ」

「まさか。捨てなくても、施設とかあるじゃん」


 お父さんのぶっとい眉が、吊り上った。

 そういえば、眉毛の感じとか、神経質そうな指とか、似てなくはないのか。


「いいよ、私が面倒見る」


 怒鳴り散らすために開いたお父さんの口が、ゆっくり閉じた。


「その代り、お父さんはちゃんと働くこと。あと、私が蛍を見る時間をちゃんと作ること。これだけ守って」


 有無を言わせず、私はたっくんを抱いて部屋に向かった。

 たっくんが提げていたカバンを下してやって、私のベッドに押し込む。私はいつも通り、窓から蛍を探した。


「あ、そうそう」


 大事なことを思い出して、首だけリビングへ向けた。


「なんだ」

「今日からカップ麺禁止ね。たっくんの体に良くないから」


 舌打ちでも聞こえてきそうだなとヒヤリとしたが、お父さんは「ん」と不機嫌そうな声を漏らしただけだった。

 すやすやと穏やかな寝息を立てるたっくんのおでこに、そっと手を当てる。思ったよりも広いおでこは、私の手よりも少しだけ熱かった。


 ――たっくんはどっちに行くんだろう。私? 蛍?


 こっちへ来てほしい気もするけれど、蛍の仲間になれればきっと幸せになれる。引きずり込んじゃおうかな、と顔を覗き込んで、ため息が漏れた。




 見た目も味も最悪な夕飯を終えて、私はそそくさと部屋にこもった。


「お父さんだって料理下手くそじゃん」


 声に出すと、胸の突っかかりが取れたような気がした。

 携帯で時間を確認する。

 時刻は八時半。もうまばらにしか蛍が現れない時間帯になっていた。


「なに見てるの?」


 たっくんが足元にまとわりつく。小さい頃のコロのようだ。


「蛍だよ」

「ほたる? なぁに、それ」


 ……蛍も知らないのか。説明が面倒になった私は、文明の利器スマートフォン様で蛍の動画を探した。


「これ」


 動画を再生しながら、スマートフォンをたっくんに渡す。たっくんの顔が下から照らされて、滑稽な表情に見えた。

 わぁ~、とたっくんが歓声を上げた。

 瞳が宝石のように輝いて見えたのは、画面の明かりのせいだろうか。


「たっくんも見たい!」


 目いっぱい背伸びしても、窓枠より上に顔がいかない。あまりにも見たいとねだるので、私はたっくんを抱っこした。


 ――これじゃまるで、私たち姉弟みたいだ。


 たっくんはしばらく外を見つめていたけれど、段々と不機嫌になりってきた。


「どうしたの」

「ほたる、いない」

「あー……」


 まずい。非常にまずい。私の説明が悪かった。


「蛍ってのはね、自転車のライトのことなの。ほら、あれとか蛍みたいでしょ?」


 難しい説明や比喩っぽいことというのは、子供には通用しないらしい。たっくんは私の腕の中でいやいやと体をくねらせはじめた。

 手に負えなくなって、思わずベッドに放り投げてしまった。もちろん、全力ではなくふわりと浮かせるように。


 すると、不機嫌はどこへやら、たっくんが嬌声を上げた。そして、もう一回! と私のところへ駆け寄ってくる。もう一度投げてやると、またきゃっきゃとはしゃぐ。

 もう一回、もう一回とねだるその様子はやはり、どこかコロを彷彿とさせるものだった。

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