第16話「世界は間違ってゆく」
暗闇の中で混濁とした意識が、次第に明るさを取り戻す。
ようやく気付いたユアンは、自分が薄暗がりの中に座らされていることに気付いた。腰を下ろした床は、周囲に無数の資材やコンテナが置かれている。
どうやらどこかの倉庫のようだ。
だが、すぐに耳はジェットの轟音を聞き分けた。
軍用機が緊急離陸訓練をする音が、コンクリートの滑走路に反射している。もう少し意識が鮮明に慣れば、きっと機種も特定できるかもしれない。とりあえず、ここが空軍の軍事基地らしいとわかったところで、ハッと顔をあげた。
奥にドアがあり、その前に人影が立っている。
こちらを刺すような視線で見詰める女性は、冷たい声を尖らせていた。
「お目覚めかしら? ユアン・マルグス。随分と腑抜けたものね」
声の主が誰か、直ぐにわかった。
僅かに窓から差し込む光の中へ、彼女は歩み寄ってくる。
豪奢な金髪の輝きが、ぼんやりと美貌を浮かび上がらせた。まるで地の底に舞い降りた天使だ。しかし、その実態は自ら地獄へ落ちた堕天使である。
「……エルベリーデ・ドゥリンダナ。そこを……動くなっ! 殺してやる……お前だけは絶対に! 俺の手で、殺してやるっ!」
「そう、まだ私の命を狙ってるのね。どうしてかしら」
「どうして、だと? お前は仲間の……部隊の皆の仇だ! 何故殺した……どうして皆の未来を、明日を奪った!」
立ち上がって飛びかかろうとして、ユアンは自分が後ろ手に縛られていることに気付いた。手首に食い込むロープの痛みは、繋がれた柱をギシギシと小さく震わせる。
硬く結ばれたロープは、自力では解けそうもない。
エルベリーデは昔からそつがなく、万事徹底した女だ。
そういう女に育てたのは、ユアンである。
身動きできぬまま、ユアンは奥歯を噛み締めながら仇敵を睨んだ。
「なにが目的だ……言えっ! エルベリーデ! 何故こんなことをするっ!」
「なにから話しましょうか、ユアン。そうね……まず、誤解があるようだから言っておくわ。第666戦技教導団副隊長、ユアン・マルグス中尉。大戦中の影のトップエース。上層部は貴方に価値なんか見出していないの。わかるかしら、どこにでもいるただのエースさん?」
彼女が言う上層部とは、秘密結社フェンリルのことだろう。
世界を再び戦争に巻き込み、戦争が常態化した中で利益を追求する死の商人……あらゆる戦場を演出する、劇場型の戦争屋である。生真面目で公明正大、潔癖とさえ思えたエルベリーデが、その尖兵として目の前にいる。
改めてユアンは、嘗ての教え子にして恋人が豹変してしまった現実を受け入れた。
だが、現実を突き付けてきたエルベリーデはユアンを前に身を屈める。
見上げるユアンの耳元に囁くように近付けば、甘い香りがほのかに鼻孔をくすぐった。
「勘違いしないで頂戴、ユアン。あくまで上層部はという話だわ。私は貴方に価値を感じてる……ううん、私だけが貴方を必要としているの。……お願い、私ともう一度飛んで」
「……断る。お前を倒すためだけに俺は飛ぶ。そのあとは……お前を狂わせたフェンリルとやらも潰す。だから、俺を殺るなら今のうちだ」
憤怒の形相で睨むユアンに対し、不思議とエルベリーデは恍惚の笑みを浮かべた。そして、甘やかな吐息に言の葉を乗せてくる。鼓膜をくすぐるような呟きは、二人きりの時だけ甘えてみせるあの日の少女のままだ。
だが、エルベリーデは平然と恐ろしいことを言い放つ。
「ユアン、ターゲットではなく貴方を捕らえてしまったことは組織にとって誤算だったわ」
「ターゲット? そうか、ムツミ艦長を!」
「そうよ。あれこそが組織にとって最大の障害……そして、最高の商品。でも、私にはどうでもいいの。知って、そして感じて……私はね、ユアン。貴方に狂わされたの」
「俺が……?」
「貧しい戦災孤児で、義勇兵になるしかなかった私を……貴方は屈強なエースパイロットに育てたわ。私、嬉しかった……無力な自分が、あらゆる破壊と殺戮の術を身に着け洗練されてゆくのが。研ぎ澄まされてゆく中で、多くを得たわ。地位、名誉、富、名声……そして、愛」
うっそりと酔ったようにエルベリーデは笑った。
そして、ユアンの耳へと舌を這わせてくる。
だが、睦言を囁き合ったあの日の興奮は戻ってこない。囚われのユアンを弄ぶエルベリーデは、既に昔の面影が微塵も感じられなかった。
自分が愛した女はもう、この世のどこにもいない。
いるのは、長い戦争の歪みが生んだ、高度に洗練された美貌の鏖殺装置だ。
そして、エルベリーデの言葉でその意味が明らかになる。
「ユアン、私を見て。貴方が私をこんな女にしたの。戦争しか能のない、戦いの中でしか生きれない女にしたんだわ。だから……ずっと、私を見てて。敵でも味方でもいいわ、できれば後者がいいけど。私が貴方の最高の作品だってことを、感じ続けて」
「狂ってる……なにがお前を――ッ! ……そうか、俺が?」
「そうよ。今の私はユアン、貴方が作ったの。手取り足取り、肌も心も重ねて導いてくれた。お陰で私は、生まれ変われた……戦争の大空という居場所を得た。でもっ!」
不意にエルベリーデは、ユアンの耳を噛んだ。
歯を突き立てて痛みを走らせ、そのあとでまた優しく舐めてくる。
その息遣いを間近に感じながらも、戦慄にユアンは動けない。
初めて合ったあの日、エルベリーデは垢抜けない貧相な少女だった。ただ、生きるためならなんでもやると言い、それを体現するだけの決意と覚悟を瞳に宿らせていた。厳しい訓練で周囲が脱落する中、最後までユアンに喰らいついてきた。ユアンの持つ力と技とを、貪欲に盗もうと追いかけてきたのだ。
そんな彼女だから振り向いたし、安らぎが必要だとも思えた。
なにより、ユアンもまた彼女が自分を求めてくることが嬉しかった。
「上層部は貴方の生死になんて興味ないの……でも、私は違うわ。ユアン、私を見て、見続けなさい。貴方のお陰で、私がどれだけの力を得たかを」
「何故、その力をもっと上手く使えないっ! ……どうして仲間を殺す必要があった」
「……私は戦うしかできないわ。戦争が終われば居場所なんてないの。でも、あの連中は違った……戦後の平和に希望が持てるなんて、ちょっとずるいと思わないかしら?」
「俺が! 俺がお前の希望になると言った! お前となら……翼を捨てても、二本の脚で歩いていける……そう思っていた。なのに、お前は!」
「駄目よ、ユアン……翼をもがれたら、また私は惨めなただの女になってしまう。貴方が育てて貴方が愛した女は、そうじゃないでしょう? ねえ、"吸血騎士"……私の、"白亜の復讐姫"の騎士」
大戦末期、劣勢だった協約軍から生まれた偶像、偽りのエース……それはいつしか、ユアンという最強の守り手に導かれるまま、数々の戦いで成長を遂げていた。そして今、戦後の空に真の力で羽撃こうとしている。
エルベリーデは、自分の力をユアンに見せつけたいのだ。
ユアンに叩き込まれた力でしか、生きていけないと思い込んでいる。
そして、そういう女へと追い込んだのもまた、ユアンなのだ。
「一度は殺すと諦めたから、今は幸運に感謝してるわ。興奮してるの、ユアン」
「俺はお前を殺すことを諦めてはいない。力と強さを勘違いした女の愛玩物になどならない!」
「それは私が決めることよ、ユアン……私の愛しいユアン。再び私と飛ぶなら、まだまだ私は強くなれるわ。貴方が作り替えた私が、私自身を生まれ変わらせるの」
「力は力でしかない。強さの意味も知らん小娘が、笑わせてくれ、グッ!」
不意に顔を離したエルベリーデが、ユアンの髪を乱暴に掴んだ。そのまま吊るすように持ち上げ、額へ額を押し当ててくる。
目の前に、炯と輝く濁った光の双眸が見開かれていた。
「貴方に選択肢はないの、ユアン。私に殺されるか、私の殺戮劇を見続けるか……それと、もう一つ教えてあげる。何故、あのターゲットを私たちフェンリルが執拗に狙うか。それを知れば……夢も覚めるわ。私しか考えられない日々がまた始まる筈」
「艦長は……部隊の指揮官で、普通の女の子だ。彼女は、俺ごときのために行動しない。テロリストとは交渉を持たないのが鉄則だ」
「テロリスト、ね……元を正せば貴方たちエインヘリアル旅団が悪いのよ? 私たちの大事な商品、世界で4体しかない希少な兵器を奪ったのだから。だから、返してもらうの。場合によっては死体ででも」
ユアンにはエルベリーデの言ってる意味がわからない。
ただ、虚無の深淵のような瞳を睨んで、目を逸らさず反抗の意思を伝え続ける。
そんな彼に、残酷な真実が叩き付けられた。
「強化被験体No.623……ターゲットは、計画種と呼ばれる人造兵士。遺伝子調律によって人工子宮で造られた優良人類よ」
「な、なにを……No.623?」
「そう。ムツミ・サカキは通常の人間を遥かに凌駕する精神と肉体を持った、生まれながらの兵士……計画種なの。戦うために造られた、究極の生体マシーンね」
ユアンは頭部を鈍器で痛打されたような衝撃に俯く。
脳裏でムツミの笑顔が無数に花咲いて、その眩しさがひび割れ砕ける音を聴いた。
ムツミは兵士として造られた存在……番号で選別されるフェンリルの商品だったのだ。
ユアンが言葉を失う中で、不意にエルベリーデの携帯端末が鳴った。直ぐに身を起こして立ち上がると、エルベリーデは通話に応じて金髪を掻き上げる。
だが、彼女の狂える美貌は突然歪んで眉間にしわを寄せた。
「なんですって? ターゲットが自ら基地に潜入してきた? 報告は正確にしなさい。……まさか。ふふ、飛んで火に入る夏の虫ね。そうよ、対象は白いワンピース姿で……ええ、帽子を被ってたわ。なるべく生け捕りにしなさい。手足の一本二本くらいなら構わないわ」
茫然自失のユアンにも、エルベリーデと話す兵士の声が聴こえてくる。焦りと驚きで要領を得ない言葉は、この基地に堂々とムツミが侵入してきたことを告げていた。入り口のゲート前で銃撃戦、そして多数の負傷者を出しながら今も基地内を逃走中。
だが、落ちた帽子の先で憲兵たちが発見したのは、血塗れのワンピースだ。
おびただしい流血の赤い跡は、点々と滑走路へ続いているらしい。
だが、ムツミの危機にもユアンは頭が働かなかった。
そして、こんなことでショックを受ける自分が情けなく、それをエルベリーデが愉悦の笑みで見下ろしているのが悔しかった。
戦争のために造られた少女、その秘密を語る少女もまた……ユアンが戦争のために育てた兵士なのだから。
「どうやらターゲットの確保も時間の問題ね。……あら? ふふ、お迎えが来たみたい。ユアン、返事はゆっくりでいいの。拒むなら、貴方が最後に見る私の殺しが、貴方自身になるだけ。そうでないのなら……素敵な死を、見渡す限りの死を捧げてあげる。貴方が如何に優れた芸術品を生み出したか、永遠に心身に刻んであげるわ」
エルベリーデの笑みは、狂奔の中で一層美貌を際立たせていた。
そして彼女は、ノックされたドアへと振り返って歩み寄る。
ユアンは今、廻る因果の全てが自分を縛り上げてくるような錯覚を覚えた。




