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海軍モノ

サボ島沖海戦(エスペランス岬沖海戦)

作者: 仲村千夏

 十月十一日、夕刻。


 ガダルカナル島を包む空は、昼の熱をまだ残したまま、ゆっくりと暗さを増していた。ヘンダーソン飛行場では、日没を境に発着が止まり、島の周囲の海は、再び艦隊の時間へと戻っていく。


 今夜、海は静かではない。


 日本海軍は、すでに理解していた。

 この戦域では、夜を制した者だけが補給を制する。


 第三戦隊は、静かに前進していた。


 筑波、雲仙――筑波型高速戦艦二隻は、輸送船団の前方を占め、針路を南へ取っている。主砲は沈黙したまま、だが艦内では戦闘配置が敷かれていた。


 彼らの第一目的は明確だ。


 輸送路の確保。


 この世界では、夜間輸送は即席ではない。夜専用に編成された輸送艦隊が存在し、訓練を積んだ乗員と、護衛戦力を伴って動く。駆逐艦が物資を積んで突っ込む必要はない。


 だが、それを成立させるには、海を押さえる艦隊が要る。


 その役割を担うのが、第三戦隊だった。


「敵艦隊は、必ず夜に出てくる」


 旗艦筑波の艦橋で、司令官が言う。


「昼は互角。夜は……向こうも警戒している」


 副官は、地図盤に視線を落とした。


「前回、敵輸送船団を補足したものの、撃破には至らず。上陸を許しました」


「だから今夜は、探すだけでは終わらせない」


 第三戦隊は、待つための艦隊ではない。

 押さえるための艦隊だ。


 その後方、さらに外れた位置に、瑞雲型軽空母がいた。


 彼女の任務は、第三目的――

 敵輸送集積地点の把握。


 飛行甲板では、夜間偵察機が準備を整えている。低空、低速、長時間。攻撃ではなく、見続けるための機体だ。


 索敵は、すでに艦隊戦の一部だった。


 一方、さらに南方――。


 第一戦隊、金剛・榛名は、別の航路を取っていた。


 彼らの任務は、第二目的。

 ヘンダーソン飛行場砲撃。


 上陸部隊と輸送艦隊を守るためには、敵航空戦力を抑えなければならない。そのための砲撃は、今夜も必要だった。


 だが、両戦隊は一体で動いているわけではない。


 作戦は、分かれている。

 目的も、役割も、違う。


 それでも、全体としては一つの夜だ。


 午後二十三時、瑞雲型から最初の報告が入る。


「敵艦、北方海域に複数集結。巡洋艦主体。進路南」


 第三戦隊の艦橋で、空気が引き締まる。


「夜間防衛だな」


「ええ。恐る恐る、という感じです」


 敵も、夜を警戒している。

 だが、夜を使い切れてはいない。


 第三戦隊は、速力を上げない。


 敵が動くのを、待つ。


 この夜、海には複数の艦隊が動いている。

 それぞれが、それぞれの不安を抱えながら。


 だが、日本側には、ひとつだけ確信があった。


 夜は、もう偶然ではない。


 夜は、作戦であり、

 管理され、分業され、

 そして――奪い合われるものになっていた。


 エスペランス岬沖。

 再び、夜が動き始める。


 十月十一日、二十三時半。


 エスペランス岬沖の海は、月を雲に隠し、完全な闇に包まれていた。島影は輪郭を失い、距離感は感覚に頼るしかない。夜戦に慣れぬ者にとって、この海は不安そのものだった。


 アメリカ艦隊は、慎重に動いていた。


 彼らの任務は、防衛。

 輸送船団を守り、日本艦隊の夜間行動を阻止すること。


 だが、慎重さは同時に、迷いでもあった。


「レーダーに断続反応。距離、二〇キロ」


「波か、島影か?」


 艦橋では、判断が揺れる。夜戦レーダーはある。だが、まだ万能ではない。反応が出ても、敵かどうかの確証がない。


 前回の夜戦――サボ島沖での敗北は、彼らの記憶に新しかった。


 日本艦隊は、夜を見ている。


 その印象が、艦隊全体に影を落としていた。


 一方、第三戦隊は、違った。


 筑波、雲仙は、敵よりも先に状況を掴んでいた。


「索敵機より更新。敵主力、針路南東。速力低」


「輸送船団は?」


「さらに後方。護衛薄し」


 司令官は、短くうなずいた。


「――やはりだな」


 第三戦隊の目的は、敵艦隊そのものの殲滅ではない。

 輸送路を通さないこと。


 だから、敵の動きを縛る。


 軽巡と駆逐艦が、外周で静かに展開する。敵に見せるためではない。逃げ道を塞ぐためだ。


 筑波型高速戦艦は、主砲を使わない。


 使う必要がないからだ。


「敵、こちらを警戒しています」


「構わん。夜を恐れている限り、攻めてはこない」


 第三戦隊は、距離を保つ。

 近づきすぎず、離れすぎず。


 敵にとって、最も嫌な距離を維持する。


 瑞雲型軽空母からは、さらに詳細な報告が届く。


「敵輸送集積、島北岸に確認。揚陸準備中」


 それは、今夜の作戦が正しかったことを示していた。


 敵は、夜を使って補給を行おうとしている。

 そして、日本側は、それを見ている。


「第一目的は達成しつつある」


 司令官は、地図盤を見つめながら言う。


「だが、まだだ。輸送船団が引き返すか、進むか――それを決めさせる」


 米艦隊では、緊張が高まっていた。


「日本艦がいるのは確実だ」


「だが、位置が掴めない」


 夜を支配するつもりで出てきた海が、逆に彼らを縛っている。


 恐る恐る、という感覚が、艦隊全体に広がる。


 撃てば位置を晒す。

 動けば、何かに引っかかる。


 その間にも、日本の輸送船団は、第三戦隊の背後で、安全に進んでいた。


 筑波、雲仙は、戦わずして役割を果たしつつあった。


 だが、夜はまだ終わらない。


 敵が動かない限り、こちらも動かない。

 だが、敵が動けば――夜は一気に裂ける。


 その瞬間を、第三戦隊は待っていた。


 均衡は、音もなく崩れた。


 それは砲声でも、爆発でもなかった。

 ただ一つの、短い報告だった。


「敵駆逐艦群、速力上昇。南へ進路変更」


 第三戦隊の艦橋で、空気が変わる。


 敵が動いた。

 恐る恐るだった夜間防衛が、行動に転じた瞬間だった。


「輸送船団を前に出すつもりだな」


 司令官は即座に理解した。護衛艦が先行し、海域の安全を確認した上で、輸送艦を引き込む――慎重だが、消極的でもある動き。


 だが、その慎重さは、第三戦隊にとっては好都合だった。


「前衛、軽巡戦隊。進路を抑えろ。雷撃準備」


「筑波、雲仙は?」


「主砲はまだ使うな。圧をかける」


 命令は簡潔だった。


 軽巡と駆逐艦が、わずかに速力を上げる。敵に見せるための動きではない。敵の想定進路を削るための移動だ。


 米艦隊の艦橋では、緊張が高まっていた。


「日本艦、近いぞ」

「だが、撃ってこない……?」


 それが、最大の不安だった。


 前回のサボ島沖で、彼らは学んだ。

 撃たれた時には、すでに遅い。


 レーダーには、複数の反応が映っている。だが、それが主力なのか、護衛なのか、判断がつかない。


「距離、縮まっています」

「……こちらから撃つか?」


 判断は、数秒遅れた。


 その間に、第三戦隊は、さらに一手進めていた。


「敵駆逐艦、こちらの動きに合わせて減速」


「よし。迷っている」


 司令官は、そこで初めて、筑波型に命じる。


「主砲、第一目標。敵先頭巡洋艦。威嚇射、短斉射」


 威嚇――だが、それは口実に過ぎない。


 夜を押し返すための、一撃だった。


 筑波の主砲が、低く吼える。


 九門の三〇・五センチ砲が放たれることはない。連装砲塔の一斉射だけ。だが、それで十分だった。


 夜空が白く裂け、着弾が海面を叩く。


 外れた。だが、近い。


 それだけで、敵艦隊は理解する。


「戦艦だ……!」

「距離が読まれている!」


 米艦隊は、完全に動揺した。


 この距離、この暗闇で、正確な砲撃が来る――

 それは、夜間防衛という前提を根底から崩すものだった。


「反転! 距離を取れ!」


 命令は、防衛としては正しい。


 だが、それは同時に、輸送路を放棄する決断でもあった。


 その瞬間を、第三戦隊は逃さない。


「雷撃、開始」


 軽巡以下の水雷戦隊から、魚雷が放たれる。敵を沈めるためではない。退路を縛るための雷撃だった。


 爆発は起きるが、大破は少ない。

 それでいい。


 敵は、完全に足を止めた。


 瑞雲型から、最後の報告が入る。


「敵輸送艦隊、集結地で停滞。進出断念の模様」


 司令官は、静かに息を吐いた。


「……目的は果たした」


 第三戦隊は、敵を殲滅していない。

 だが、夜を押し返した。


 輸送路は守られ、

 敵の輸送は止まり、

 そして、夜は再び――日本側の管理下に戻った。


 だが、戦いはまだ終わらない。


 この夜のもう一つの刃――

 ヘンダーソン飛行場砲撃が、まさに始まろうとしていた。


 夜明けは、静かに訪れた。


 エスペランス岬沖の海は、いつもと変わらぬ色を取り戻しつつあったが、その下で何が起きていたかを知る者は少ない。


 第三戦隊は、夜明けまで警戒を解かなかった。


「敵艦、追撃の動きなし」


「輸送路、安全確認」


 報告は淡々と続く。撃沈数を誇る声はない。艦橋にあるのは、任務が遂行されたという事実だけだった。


 筑波と雲仙は、主砲を沈黙させたまま、なおも輸送路を押さえ続ける。背後では、日本側の輸送船団が、規定通りの速度と間隔で、着実に前進していた。


 夜専用艦隊による輸送は、初めて実戦で完全に機能した。


 誰もが、それを当然の結果として受け止めていた。


 一方、南方。


 第一戦隊、金剛・榛名によるヘンダーソン飛行場砲撃は、短時間で終わっていた。


 砲撃は執拗ではない。施設を破壊し、運用を乱すための、計画通りの斉射だけ。夜明け前には、すでに反転している。


 第三戦隊の艦橋に、その報告が届く。


「第二目的、達成。敵航空活動、少なくとも本日は制限される見込み」


 司令官は、わずかに目を閉じた。


「……よし」


 それだけで十分だった。


 瑞雲型軽空母からは、最終索敵報告が送られてくる。


「敵輸送集積地、夜間活動停止。艦艇の再配置を確認」


 第三目的も、果たされていた。


 この夜の作戦は、三つの目的を、三つの戦力が分担し、互いに干渉せず、支え合うことで成立していた。


 夜は、もう一つの戦場ではない。

 計画された時間帯だった。


 アメリカ艦隊側では、重苦しい空気が漂っていた。


 夜間防衛は成功したとは言い難い。

 輸送は止まり、主導権は握れず、

 そして何より――


「日本艦隊は、何をどこまで見ている?」


 その問いに、誰も答えられなかった。


 砲撃されたわけではない。

 壊滅させられたわけでもない。


 だが、夜に踏み出すたび、何かに見られている。


 それが、最も厄介だった。


 第三戦隊は、日中の海へ戻っていく。


 夜に果たすべき役割を終え、昼の均衡へと戻る。その切り替えは、すでに訓練された動きだった。


 筑波の艦橋で、司令官は静かに言った。


「夜戦ではないな、これは」


 副官が、少し考えてから答える。


「……夜間作戦、ですね」


 その言葉に、司令官は小さくうなずいた。


 撃沈数は、歴史に残らないかもしれない。

 だが、この夜が示したものは、確かだった。


 夜を、

 分業し、

 管理し、

 計画通りに使い切る。


 それができる艦隊が、ここにあった。


 そしてこの夜以降、ガダルカナルの海では、

 夜はもはや、誰の味方でもなくなった。

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