20. 再会の夜
夏休み中、美術サークルの活動もあった。今日は美術館で作品を鑑賞する。
「ここはあの時の……」
前に松永先生と一緒に来た美術館だった。展示内容は別のものになっている。
透き通るようなガラス扉。そこに映る自分の隣に、先生がいなくて何となく寂しい。
「奈々美ちゃん、行こう」
友だちに呼ばれて我に返り、中に入る。
ひんやりとした室内が少し肌寒く感じるのは、先生がいないせいかもしれない。
前と違う作品が展示されていて、ひとつずつ鑑賞していく。サークルのメンバーと話はするものの、先生と話した時のような新鮮な気持ちがあまり感じられなかった。比べるものじゃないけれど。
というか、私ったら先生のことばかり考えて……。
そう思いながら歩いていると、目の前に1枚の大きな絵画が展示されていた。
男の人と女の人が手を繋いだ後ろ姿のほか、親子や友人のような2人組がたくさんいる。空には虹がかかっているけれど、左側が晴れていて右側は暗い雰囲気。
「これ……どういうことなんだろう」
テーマは『明るい時も暗い時も』と書いてある。晴れている時も雨模様の時も、大切な人と同じ景色を見るということだろうか。
私は手を繋ぐなら――はるくんだ。
これまでも楽しいことや辛いこと、色々あったけれど2人で一緒にいた。私はこれからも彼と共にいられるのかな。
この作品を見ると、彼と手を繋ぎたくなってきた。そして2人で虹のようなものを見て笑っていたい。
「やっぱり私には……」
「奈々美ちゃん、何考えてるの?」
「あ……いや、この絵いいなって思って」
「わかる。明るい時も暗い時も、同じ虹を見ようってことだよね」
どんなことがあってもはるくんと一緒なら――乗り越えられるはず。
その絵は私の背中を押してくれるようだった。
――そうだな、奈々美さん。
隣から、確かに声が聞こえた気がした。
でも振り向いても、そこにはもう誰もいなかった。
※※※
サークルのメンバーで晩ごはんを食べてたくさん話したので、帰りが随分遅くなってしまった。
ぬるい夜風が吹き、マンションの外灯がぼんやりとして見えた。
自分の部屋の前で鍵を出そうとしていたら、隣のはるくんの部屋のドアが開く音――。
顔を上げると、そこに笹谷さんがいた。
髪が少し乱れていて、服の裾を直しながら出てくる。
そして――笑った。
「……今日はありがとう。一緒にいられて嬉しかった」
その言葉が、夜の空気に吸い込まれていく。
私の心臓が、一瞬で冷たくなった。
言葉も出せず、ただその場に立ち尽くす。
――一緒にいられて嬉しかった。
その一言が、何度も何度も頭の中でこだました。
部屋の中からはるくんが出てくる。
笹谷さんが振り返り、私の姿に気づいたように目を見開いた。
そして次の瞬間――笹谷さんがはるくんに抱きついた。
一瞬の沈黙。
私は思わず走り出していた。
「奈々ちゃん! 待って!」
彼の声が聞こえた。けれど、もう立ち止まれなかった。
涙がにじんで前が見えない。
靴音と鼓動だけが夜の静けさに響く。
少し遅れて、笹谷さんの声がかすかに聞こえた。
「――やだ、行かないで」
その声がはるくんを止めたのが、わかった。
追いかけてこない。
それが余計に、胸をえぐった。
どうして信じた人ほど、こんなに遠くに行ってしまうんだろう。
足が止まらなくて、どこを走っているのかも分からない。
涙が頬を伝うたび、突き刺すような胸の痛み。
こんなに遅くまで、何をしていたの?
一緒にいたってことは……あんな風に抱きつくってことは……。
やっぱり男の人って、部屋でそういうことをしたいの?
私が彼を拒んだ……せい?
――今度こそ手を繋ぎたかったのに。
その言葉だけが、心の奥で何度もあふれた。
「ハァ……ハァ……」
どこまで来たのかわからない。
夜の街はもう静かで、コンビニの明かりが見えてくる。
信号が赤に変わる前に渡り切ったところで足が止まって、ようやくちゃんと呼吸できた。
胸が痛い……苦しいよ。
その時……ポツン、と頭を刺すような冷たさ。
徐々にそれは強まり、ザーザーと雨が降り出した。
「うぅっ……」
涙なのか雨なのかわからないまま身体を濡らしていると、スッと音が止まったように感じた。
「……奈々美さん?」
ふいに名前を呼ばれて、顔を上げる。
そこにいたのは――傘を持った松永先生。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「先生? どうしてここに……」
「ちょうど君のアルバイト先のカフェに行ってきたんだ」
その声を聞いた瞬間、我慢していたものが一気にあふれた。
「うぅっ……」
嗚咽がこみあげて、言葉にならない。
先生は驚いたように目を瞬かせて「帰れるか?」と聞いた。
やだ……あの2人がいた場所に戻りたくない。
「ひとりでいるのが……怖いよぉ……」
「……」
もう大学生なのに、こんな姿……情けないよ。
でも今だけは……誰かにそばにいてほしいの。
「先生……」
「……っ」
私が先生の顔を見た瞬間だった。
ふわっと大きな腕で抱き寄せられる。
体温が伝わってくるのに、胸の奥はまだ冷たさが残る。
「……風邪引いたらいけないな」
「……」
先生は傘の中でそっと囁いた。
「……今日はもう遅い。うちに来るか?」
私はゆっくりと頷いた。
滲んだ街灯の光へ向かって――2人で静かに歩き出した。




