四十童貞メラ放つ。
「お前もいい加減結婚しろよ。明日でもう40だぜ?」
「やめなよゲンちゃん」
「いーや。今日こそは言わせてもらうね。俺もショウタも子供出来てさ、ヒイヒイ言いながら大人をやってんじゃん。でもこいつはいまだにセックスもしたことねえんだぜ。魔法使いでも目指してんのかって話だろ」
「エイタにはエイタの人生があるんだよ」
「うるせえショウタ!誰かがこいつにちゃんと言ってやらなきゃいけねえんだよ!」
「はぁ……」
「いいかエイタ!あの子の事はもう忘れろ」
「ゲンちゃんいい加減に……」
「バカヤロウ!俺たちが言ってやらねえと、こいつはずっとあの子のことを……そんなの……かわいそうじゃねえか……もう22年も経つんだぞ……こいつは悪くねえのに」
「まーた始まった。だからやめなよって言ったのに。一回泣き出したら止まらないんだから」
小さな居酒屋の一室に、ゲンちゃんの男泣きが響き渡った。
毎年三回、それぞれの誕生日の前日に集まって飲み明かす、幼なじみのおっさん達の誕生日会ではいつもの光景だ。
一人ワンワン大声を上げるゲンちゃんを尻目に、ショウタはエイタに告げた。
「エイタも気にし過ぎちゃダメだよ。その……ミクちゃんのこともさ……」
「分かってるって。俺だっていつまでも引きずってるわけじゃねえよ」
エイタとショウタは乾杯すると、小さなグラスに目一杯入った焼酎を一気に飲み干した。
切ない話には、辛めのお酒と濃いめのアテが一番合う。
少し頬を熱らせながら、二人は静かに思い出話に耽った。
幼稚園の時、”どれだけ鉄棒の上に立っていられるか選手権”で三人同時に転んだこと。
小学生の時、”負けたやつが学校で一番怖い体育の先生にカンチョーするジャンケン”をしていたら、バレてぶん殴られたこと。
中学生の時、”期末テストで赤点だったやつが裸で校内一周”で三人ともギリギリ赤点だったこと。
高校生の時……二人の会話はここで止まった。
エイタにとって、一番苦い記憶がそこにあるからだ。
高三の夏、ミクちゃんが死んだ。
ゲンちゃんとショウタの二人に背中を押され、思い切ってエイタが告白した次の日のことだ。
ミクちゃんは通り魔に刺された。
告白の返事は「明日返事するね」だった。
「……でもさ、明日っていつ来んだよ……くそぅ……」
エイタは、グラスに残った氷を指先でグルグルと回している。
「今日は朝まで付き合うからさ。いっぱい飲もうよ」
ショウタは袖に置いてあった一升瓶から、エイタのグラスになみなみ注ぐ。
「おいショウタ入れ過ぎだろ。こんなのすぐ四つん這いになっちまうよ」
「ハハハ。いいじゃん。なっちゃいなよ」
「ホント、相変わらずお前が一番悪いやつだわ」
「二人がお酒弱すぎるんだよ」
「そりゃ間違いねえや」
二人は少し笑った。
ゲンちゃんは既に泣き疲れて眠っている。
エイタはそんな姿に安心すると、得意気にライターを取り出した。
「いいかショウタ?見てろよ」
エイタはライターを両手に挟み込み「はぁぁぁぁああああ」と、力を込める。
「メラ!」
大声で叫ぶと、同時に焼酎に向ける。
だが、何も起こらない。
ショウタは呆れた表情を浮かべている。
「何やってんの?」
「メラだよメラ。ゲームの魔法。ってかさ、なんで火つかねえのこれ?」
「あのさー確かに焼酎ってアルコール入ってるけど、ライターぐらいじゃ燃えないよ?っていうか燃えても燃やすな」
「なんでだよー40まで童貞だったんだからさ、メラぐらい打てるようにしてくれたって良いだろー」
「50まで待てば出来るようになるんじゃない?」
「くそぅ……バカにしてんなー?あーあ……」
エイタは気が抜けたように仰向けに倒れた。
電球の明かりが軽くグルグル回っているように見える。
酔いが回り宙に浮いているような感覚が、エイタの瞳を緩ませ、潤わせる。
「……俺、大好きだったんだよ……ミクちゃんがさ。バカみてえなのは分かってんだけどさ……今でも……」
「バカじゃないよ。それにさ、結婚なんていいことばっかじゃないよー。まっ世間的にはやばいけどね」
「おい!庇うのか傷付けるのかどっちかにしてくれよ」
「ハハハ。まあさ、楽に行こうよ。ほら乾杯。ミクちゃんにもさ」
「あぁ……いつもありがとなショウタ。ゲンちゃんも」
二人は再び乾杯すると、飲み続けた。
しばらくして、ゲンちゃんの大きなゲップが聞こえてきた。
これは、三人にとって店を出るサインでもある。
なぜなら眠りから覚めたゲンちゃんは、吐くからだ。
「行くか」
「うん。ほら、ゲンちゃん行くよー」
「ん?んあぁぁ?」
エイタとショウタはゲンちゃんの左右に回り込むと、肩を持った。
会計を済ませ、近くの公衆便所に向かう。
そこにゲンちゃんを放り込むと、二人は電子タバコをつけた。
真っ暗な空に、点滅する蛍光灯。温い風は心地良いぐらいだ。
「あー俺、どうなっちまうんだろうなー」
エイタが呟いた。吸い込み過ぎた煙が、少し胸を痛くする。
二人は空を見上げていた。
何を探すでもなく、ただゆっくりと流れる時間に身を任せていた。
「オェェエエエエエエエエ!!!!」
公衆便所の奥から、ゲンちゃんの声が聞こえた。
この声が聞こえてきたということは、次に起こることも予想が出来た。
丁度30秒後、げっそりした顔でゲンちゃんは二人の前に姿を現した。
「スッキリした?ほら、これ」
ショウタはハンカチと水の入ったペットボトルを手渡す。
「おう。ありがと」
顔を拭いながら、水を一気に飲み干すと、ゲンちゃんの顔は見る見る正気を取り戻していく。
「よし治った!もう一軒行くぞー!」
ゲンちゃんは全身を大きく伸ばすと、意気揚々と歩き出した。
「相変わらずすげえな」
エイタとショウタは顔を見合わせると、それに続いた。
日が昇るまでまだまだ時間はある。三人の時間はこれからが長い。
そう覚悟を決めていた三人の前に、異変が起こったのはこの時だった。
「ん?あれなんだ?」
最初に気づいたのはゲンちゃん。
立ち止まり、不思議そうに前を見つめている。
「どうした?」
エイタはゲンちゃんの肩からひょっこりと顔を出すと、驚いた。
およそこんな時間に似つかわしくない女の子が息を切らし、こちらに向かって走っていたからだ。
驚いたのはそれだけではない。その女の子が三人に、特にエイタにとって見覚えのある女の子であったからだ。
ポニーテールの似合う黒髪に、平均よりも小さな体。一度見たら忘れられないほどに大きく綺麗な瞳。高校の制服もあの頃のままだ。
「ミクちゃんだ」
三人同時に呟いた。
「これ、ゆ……」
ゲンちゃんとショウタはそう言いかけて、止めた。
エイタが今にも泣き出しそうな表情をしていたからだ。
「なんで……なんでミクちゃんがいるんだ?」
分からないことだらけだった。
だがすぐ、エイタはミクちゃんの後ろに不穏な影がいることに気づいた。
ニュースで何度も見た顔。
ミクちゃんを殺した通り魔の犯人だ。
片手にはナイフを持っている。実際の凶器と完全に一致していた。
ゲンちゃんとショウタもそれに気づいた様子で「あれ、やべえんじゃね?」と口々に呟いている。
エイタは咄嗟に動いていた。
これから何が起こるのかを知っていたからだ。
エイタが動き出したと同時に、ミクちゃんは転んだ。
後ろを振り返り、恐怖の声を上げた。犯人はもう目の前だ。
ナイフを振り上げると、ミクちゃんの喉元目がけて真っ直ぐに振り下ろした。
「危ない!」
間一発のところで、エイタはミクちゃんを自らに抱き寄せた。
ギロリと向けられる殺意。
エイタは震える足を必死に押さえつけながら、ミクちゃんの手を引き走り出した。
「こっちだ!」
「あっ……ありがとうございます。でも、あなたは一体?」
ミクちゃんは明らかに戸惑っていた。
知らない人を見る目でエイタを見ている。
(俺に気づいてない。それもそうだ。22年も経ってるのに気づかれると思う方がおかしい)エイタは、自分の名前は告げず、こう言った。
「ただのモテないおっさんだよ。交番まで走れるかい?」
エイタにとって、精一杯にカッコつけた一言だった。
ミクちゃんは黙って何度も頷いた。
「ぶっ殺してやる」
犯人の声が聞こえた。
ナイフを握り直すと、エイタたちに向かって走り出した。
22年前も、ミクちゃんは一撃目で致命傷を避けたが、追いつかれてすぐの二撃目で命を落とした。
理由は一撃目で足を切られてしまったから。
今回は躱したから大丈夫なはず。エイタはミクちゃんの太ももをチラリと見た。
ミクちゃんの太ももからは、痛々しいほどの血が溢れ出ていた。
「ミ……いや、キミ。その足……」
「あぁ。さっき切られてしまったみたいで。でも大丈夫です。なんとか、頑張れますから」
(なんでだ?絶対に避けたはずだろ?いや今はそんなこと……それにもし躱せないんだとしたら、次の一撃でミクちゃんはまた……)
エイタは咄嗟に叫んだ。
「ゲンちゃん!ショウタ!ミクちゃんを頼む!」
エイタはミクちゃんの手を離した。
少しでも逃げる時間を稼ぐ。
そう思い、犯人に向き合った。
だがその瞬間、両脇からエイタを抜き去る二人の男。
ゲンちゃんとショウタは、エイタが叫ぶよりも先に、犯人に向かっていたのだ。
二人は犯人に向かってタックルをかますと、必死に押さえ込んだ。
「おいエイタ!何が起こってんのかよく分かんねえけど、ミクちゃん連れてとっとと逃げろ!」
ゲンちゃんが叫ぶ。ナイフを持つ手を必死に押さえている。
「ちょっと……酔っぱらいにはキツすぎない?」
ショウタは、三人の中で一番体力が無い。長く持たないことは明らかだ。
(どうする?どうしたら?このままミクちゃんを連れて逃げるべきか。でも二人を置いてなんて……)
思考を張り巡らせるエイタ。ふと視線をミクちゃんに向けると、ミクちゃんは不思議そうにエイタを見ていた。
「エイ……タ……?エイタなの?」
正体は完全にバレていた。ゲンちゃんが名前を呼んだからだ。
取り繕おうとするエイタであったが、言葉は何も浮かばなかった。
顔を覗き込もうとしてくるミクちゃんから目を背ける。
「なんで、なんで何も言ってくれないの?」
「そ……それは……それは俺が……俺があの時……ミクちゃんのことを……死なせてしまったから……」
22年前、エイタは見ていた。
通り魔にミクちゃんが殺される瞬間を。
告白の返事をもらおうと、この公園を訪れた時だった。
必死に逃げようとするミクちゃんに、犯人がトドメを刺した。
その瞬間が、今でもエイタの脳裏にこびり付いて離れることはない。
何より、恐怖に足がすくんでただただ動けなかったエイタ自身を、許せなかった。
あの時すぐに走り出していれば、大きな声を上げていれば、誰かに助けを求めていれば、あらゆる選択肢のどれも取れなかったエイタ自身が、前に進むことを許さなかったのだ。
「そろそろ限界だよー」
ショウタは犯人に蹴り飛ばされた。
片方の番つがいが外れたことで、ゲンちゃんも簡単に放り飛ばされた。
犯人は倒れた二人には目もくれず、エイタたちの方へと向かって来る。
狙いはあくまでミクちゃん。それだけははっきりしている。
あの時も犯人は、立ち尽くすエイタには一切の興味を示さず逃げて行ったから。
「ミクちゃん。許してくれなんて言わない。でも、これが現実じゃなかったとしても……ただの夢だとしても……俺はキミを守りたいんだ。もう二度とキミを、死なせてたまるか」
エイタは走り出した。
まるで過去の自分と共に走り出したかのように。
「おいてめえ!俺の大好きな女の子に手出してんじゃねえぞ!」
大きく拳を振りかぶった。
だが無情にも、その拳は犯人には届かなかった。
代わりにエイタの腹部には、ナイフが突き刺さっていた。
「はぁ……はぁ……マジで痛え。そうだよな。これが怖いから俺、動けなかったんだもんな……」
エイタは倒れた。膝が崩れ、全身の力が抜けていく中で、彼の視界に映ったのは、犯人のニヤついた顔だった。
それは22年前、ただ突っ立って見ているしかできなかった自分の前にいた、あの顔だった。
「ミクちゃん、逃げてくれ」
力無くエイタはそう叫んだ。
ミクちゃんに向かっていく犯人。
足を引き摺りながら逃げるミクちゃん。
動けないエイタ。
あの時とほぼ同じ状況だ。
だが、エイタは這いつくばりながらも足掻いていた。
「やらせねえぞ。絶対……絶対……やらせねえぞ」
コンクリートの地面に爪を突き刺し、折れようが血が出ようが前に進む。
体が熱い。
酒に酔っているからなのか、夏だからなのか、そんなのどうだっていい。
犯人はもうミクちゃんの目の前。
ナイフを振り上げ、今にもトドメを刺そうとしている。
エイタは必死に手を伸ばした。
「おい俺!これが夢なら……夢でぐらい……ミクちゃんのこと、救ってみろや!なんたって俺は、40歳で童貞の、大魔法使い様なんだぞ!」
その時、エイタは全身の体温が右手に集約されていくのを感じた。
それは徐々に形を成していき、やがて小さな火の玉となった。
「行けぇええええええ!!!!メラァァアアアアア!!!!」
エイタは犯人に向かって火の玉を投げつけた。
火の玉はまるで銃弾のような速さで、犯人の体にぶつかった。
「ぐわぁぁぁああああ!!!!」
断末魔の叫びを上げながら、犯人の体は一瞬で燃え尽き、完全に消滅した。
「やった……やったぞ……」
痛む体を捻り、仰向けに倒れるエイタ。
「でも……てことはやっぱりこれって……夢なのか……」
「ううん。夢じゃないよ」
「へえ?」
夜空とエイタの間に、ミクちゃんがひょっこりと顔を出す。
その表情は、今までにエイタが見たどんなものよりも輝いていて、美しく見えた。
「ミクちゃん。あの時は本当にごめん。俺……」
「もういいんだよ、エイタ」
その一言で、エイタの涙からは大粒の涙が溢れ出した。
「いいのかな?俺、前向いてもいいのかな?」
「当たり前じゃん。いつまで童貞でいる気なのよ。バーカ」
「……うるせえよ。てかなんで知ってんだよ。バーカ」
少しずつミクちゃんの体が透けていく。
光に包まれ、まるで上へと昇っていくように。
「ねえ、最後に聞いていい?」
「なんだよ?」
「私のこと、好き?」
「だいす……いや……愛してるよ。ミク」
「ふふふ、嬉しい」
「返事は?」
「んー……じゃあ来世で!」
「遠すぎんだろ。でも......分かった。絶対俺がミクちゃんのこと見つけるよ。どこにいても。いつ生まれ変わったとしても。だから……その時は返事、聞かせてくれよ」
「うん、待ってる。だから現世では、いい恋しなよ」
「ありがと、ミクちゃん」
ミクちゃんの姿は、ゆっくりと消えていった。
同時に、エイタの視界も光に包まれた。
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どこかの路地裏のゴミ捨て場。
エイタとショウタとゲンちゃんは、それはもう酷い有様で目が覚めた。
「なんか、飲みすぎたな」
「あー俺も」
「僕も僕も」
お互いを支え合いながら立ち上がると、三人は歩き出した。
「俺さ、彼女作るわ」
「無理だろ」
「無理だね」
「いや、応援しろよ」
太陽は既に登り、空は青く広がっている。
「まっそんなことよりひとまず……」
ゲンちゃんはショウタの顔を見る。
二人はエイタに微笑んだ。
「「誕生日、おめでとう」」