痴話
「トマトのヘタもトマトとして思ってほしいのです」
「脳味噌おかしくなったのか?」
猛暑も猛暑な夏。窓から漏れ聞こえる蝉時雨の苛立ちもあって、反射的に俺はツッコんだ。いや、姉ちゃんは常時こうだから夏でも冬でもムカつき具合は同じなんだけど。ソファにへこたれてる俺をあざ笑うかの如く彼女は言った。
「むしろ発酵してるくらい」
「?ふーん」
ハッコウってなんだ…あ、発酵か。
「完熟新鮮な脳味噌」
「発酵さえしてなきゃなあ」
「完熟新鮮はトマトでしょ」
あ、やばい
ペースに飲み込まれまいと寝返りを打ち、姉ちゃんのけたけたとした笑い声を背中で聞いて、もう一度寝返った。
「てか姉ちゃんなんでここで突っ立ってんの?」
スンっと元に戻り俺にん?と答えて来た。
いまこいつが佇んでいるところは丁度ソファに扇風機が当たるオアシス。自分的に普通に邪魔なのもあるけど、第一目的が分からないから聞いてみた。
「涼しいからだけど?」
堪忍袋の緒がどこにあるかは知らないが取り敢えずどこかの繊維がプチっと切れた気がした。
「扇風機よこせーぃ」
「扇風機渡しませーん」
ギターのようにそれを搔っ攫って、…その場に座り込んだ。
姉が壁際で扇風機を束縛し、風を独り占めし始めた。ソファから動きたくなかったけど、もとはと言えばこのソファに風が良く当たるからくつろいでたんだ。闘志は燃やしたら熱くなるのでぬるいくらいに滾らせて、臨戦態勢をとる。
「!」
姉は絶望に満ちた顔でこちらを見ている。恐ろしいだろう。そう、コードはこちら側にあるのだよ!俺はコードを掴み、扇風機を手繰り寄せようとした。勿論そうは問屋が卸さない。相手もコードを掴み返してきた。でその後は俺はできる限り頑張ってみたんだけど、何故かプラグに至るまで彼女の手の中にいってしまった。切れた繊維は運動神経だったということか。しかしこうなってはマジで暑い。やばい。今年七月暑すぎて七夕に赴きなかったもん。そんくらい暑い。汗がぽつぽつとフローリングに落ちていく。
「あークーラー買いたい…」
「ああああああああああああ」
あついは、違う、あいつはなんも考えずのうのうと扇風機に声を当てている。俺はおこぼれを少しでも貰おうと姉の方に這い寄っていく。
「姉ちゃんは七夕何願った?」
「あーそっか忘れてた…なにその態勢」
「臨戦態勢」
「ああああああああああああ臨戦態勢か」
「その扇風機に声当てるやつ煽ってるみたいに聞こえるから止めて」
「臨戦しちゃう?」
「ううぅ」
最早なにも理解したくない。考えたくない。猛暑はここ迄人間性を融かしてしまうのか。
「てか七月は七月五日があったから七夕忘れたんじゃない?」
「うぅ…」
意識がだんだん遠くなっていく、肉体迄綻んでいき、フローリングと一体化した。
「あれ?透哉?透哉?」
誰もいなくなってしまった部屋で静香はかつての残像に問いかけた。しかし彼はフローリングになってしまったので返答は待っても来ない。取り返しのつかないことを自分はしてしまったというのに自覚するのは一秒も必要としなかった。
「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
号哭か扇風機に声を当てるためか、しかしそれは確実に彼の消滅の影を落としていたのは間違いない。
熱中症は危険である。悲劇は日常の皮を被って近づいてくるのだ。だからのどか乾いたと思ったらすぐ水を飲もう。暑さ対策をしよう。些細な心掛けが、あなたの命をを守る。(AC~)
そしてトマトのへたのように遺った彼の遺品を、彼女は大人になった今でも大切に持っているそうです。