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ふぼくるり

大切なものを箱舟に乗せて、過去との袂を断絶する。とある国には、そんな習わしがありました。

振興してたところでしたから、きっと後ろを振り向くのは怖かったんでしょう。

因果を断ち切ろうと、民衆は祈ったのです。

祈りのかけらが、また過去の産物へとなり替わるまで。


木魚の音と坊さんがぼつぼつ呟く声だけが、寂寥の波風とひしめいている。今宵箱舟が出港するのだ。

私はおじさんの誘いがあって一応相応しいものを拵えて来たけど、なんだか盛り上がりに欠けるイベントで正直なぜこんな習わしがあるんだろうと奇妙に感じた。まったく、旅立ちを見送るんだからどうせなら華やかにしてほしいものだ。それが敬意じゃないか。

「くぁっ…」

一定のリズムの読経を聞いていると自然と瞼が重くなっていき、意識は波風に攫われた。

ーーーほら、イプレ。終わりだぞ

ぽんと肩を叩かれて私は目を覚ました。急いで目を擦って前を見たが、闇が濃くて何も分からない。しかしおじさんがまだその場に立って闇の先を見ていたから、私も闇を見つめ続けた。

「行こうか」

数秒くらいたっておじさんはぼつりと呟いた。うん、と頷いて手をつなぐ。離れないように。

帰りの畦道にも灯篭なんてなくて、月光だけを頼りにドブに落ちないよう注視しなければならない。

「ところで、何を運んだんだ?」

「この前おひるごはんの時間で食べれなかったピーマン。ずっとポッケの中閉まってたらなんか臭くなってきたから入れてやった。」

おじさんはそうかそうかとくすくす夜の空を向いて笑っていながら私にこう語ってきた。

「おじさんくらいの年齢になるとな、過去の物がだんだんなくなってくるんだ」

「年を重ねたらそれだけ経験が増えるものじゃないの?」

おじさんのつかみどころのないその現実に、単純な好奇心が刺して聞いてみると、畦道をじーっと俯いて少し黙り込んで後私の方を向いた。

「…過去に対する考え方がより尊びを増してくるから減るのかもしれない」

「おじさんの過去は尊いの?」

しかしまた帰ってきた答えは更に霧の様につかめないものになっていてよくわからなさが加速して私は単純に言葉の意味を追いかけるようにおじさんの言葉を聞き返した。

おじさんは一瞬黒目をあ右上に移動させて、思い出すように語ってくれた。

「昔の僕もイプレと同じに嫌いな物だったり消したい記憶だったり『過去とは別れるもの』って思っていたんだ。でも、大人になっていって段々と過去が送っていくものと思えるよう、そう受容出来るくらいには考え方というのかな。 過去の自分を、自分の全てを肯定できるようになってきたんだ。」

「ほぁ?」

それはただたんに遺物を送っている後ろめたさから逃れたいだけなのではないの?という風な考え方をイプレはしたのだが、しかしそれを追求してしまうとなんだか自分がとても卑屈な人間に見えてしまうのではないかと忌避して何も言わないでいた。黙り込んでいるのだけを見ておじさんはさらに付け加える。

「感謝をもって過去を見送るんだ。」

感謝を持っても持たなくても過去から今の自分を引きはがしていることには変わらなくないだろうか。感謝は最小限度の罪滅ぼしてきな行いであり、それはかえって傲慢で図太いものだとも思う。加えて過去を振り返りだからこそ自分があるのだという考え方に未だに納得が出来ていない。まるですべての行動が意味をなしているという甘い考え方がイプレは好めなかった。彼女がピーマンを彼岸へ流したのは自分の全ての行動を肯定しようと逃避しているこの風習や雰囲気、つまりおじさんへの反抗心もあったのかもしれない。

「感謝って、大事?」

何気なく出てきた言葉は反抗心をそのまま写し取ったように直接的であり、イプレは口に出して直ぐそう言ってしまったことを後悔した。

「大事さ、この世の何よりもね」

おじさんはイプレの頭をわしゃわしゃと着物の襟から出てくる毛深い手で撫でてやった。分厚く温かい彼の手はイプレの哲学を否定するには十分な優しさがあった。イプレは少し否定されてもいいやと言う衝動に駆られるままにおじさんの哲学についての追求を心んでみることにした。

「誰が大事にしてるの」

言われたおじさんは顔をイナゴやらがぽつぽついる麦畑をぼんやり眺めながらこう言った。

「感謝してる人かな」

冬の閑居で冷たい風がの道を走っていく。取り留めもないことをぽやぽやと話していたらいつの間にかイプレの家についていた。ここでおじさんとはお別れだ。おじさんとの関係はイプレのお母さんが彼を家に連れてきたことから始まった。イプレの住む地区は狭い所なのでお母さんとおじさんの関係性の歪さはすぐ人づて人づてと波及していき自分のもとまで一周してきた頃に分かった。しかし妙なことにお母さんはお父さんと離婚することはなくと言う具合だった。この頃のイプレの感情としてはワクワクしている感情がなかったわけでもない。だからこそおじさんのことをお母さんに追求してみると彼女曰くあの人は村でも有数の財力を持った偉い人だから多くの女性をめとったところで誰も気にしないのだそう。気にしているじゃんと子供ながらにイプレは不思議に思ったが世界とはそういうもんなのだと易々と受け入れて今日父親もいなく箱舟を見送ったのだった。

過去は見送るもんだと彼は言ったが彼女はそうとは考えられない。つまりおじさんは偉い人のもとに生まれて来たという過去に縋って横柄な振る舞いをしているというわけなのだから。過去が尊ぶべきものだと考えられるのはそれがおじさんにとって都合のいいものだからこそなのだ。心の中では僧反抗していてもイプレの中には幼い反抗心と同様におじさんに対しての惹起する感情が湧いていなかったわけでもない。その感情こそ箱舟に持って行ってやりたかったのだがおじさんを悪く見る感性だけ残した自分を自分は好きになれるの課とも彼女は葛藤している。ませた乙女には突破しがたい難所に付き合ったっている最中なのだった。

なんてことを彼女はご飯を食べながらぼーっと考え込んでは自分のめんどくささに辟易するのだった。

しかしこのめんどくさい逡巡すらも一瞬のうちに過去になって箱舟に連れ去られてしまうというのは本当にいい事なのだろうか。彼女は因習を見返してそう考えていた。しかし制度や文化というものは「そういうもの」でしかなくて一人の少女が何か立ち上がったところで好転することもないだろうし別に今の現状で精神を保っている人間もいるのだろうだからこそ文化とは国において必要不可欠なのだとか上から目線の高尚な考え方に持って行った。

浴槽で出来るさざ波がヘリで跳ね返って逆方向からくる波を打ち消していく。

イプレはそのさまがやけに今の自分に似ているようでとても愛おしく思った。

彼女の相容れないはずの心は二つの対抗し合う波となってやがてどちらも攪拌したような普遍的で適当な結論に至っていく。

おじさんへの思いとその反抗心からくる思いがなんとなく軽くなっていくようなイプレは湯の中に沈んで鼻息をフーっと吐いた。思ったよりも鼻腔に痛さが走ってきたのですぐに顔を上げてバシャバシャと顔を振ってため息をついた。

どうなったってなにやったって私はそれも結果もありがたがるしかない。

約二十分、彼女が浴槽で出した結論とはそういうわけであった。

湯に沈んだ過去が原因の鼻の痛みを静かに感じながら。

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