九話 錯乱
「はー・・・・・・・・・はー・・・・・・・・・」
「リルチャン?」
私は今、とてつもない状況に置かれていることに、改めて気づいた。
救国の英雄、そして憧れの人の下着を手にできる機会なんて、そうそうあるだろうか? 否。断じて否。お金をいくら積んだとしても手に入れられる機会ではない。
私のようにアッシュ様に憧れている人は、数多くいるだろう。そんな人達からすれば、アッシュ様の下着なんて、喉から手が出るほど欲しいもの……。いわば高価な美術品にも相当するのでは?
いや、相当する。少なくとも、私にとっては。
そう認識すると、息が荒くなる。私が今握っている物、ふんどしを手放しがたくなる。
「リルチャン!」
「あう!」
後頭部にメヌエットの手刀が炸裂した。おもわずアッシュ様の下着を落としそうになっちゃった。
「ちょ、おいどうしてくれるんだ! もうちょっとで川に流されるところだったぞ!」
「そのまま流されればいいよ。リルチャンが」
こわい! なに!? 唐突な謀反!? 協力してくれるんじゃなかったの!?
「な、なんだよ! 早く洗濯しろってか!?」
「興奮しきった様子で荒い息で下着を顔に近づけるなってことだよ」
「自業自得だった!?」
主の錯乱を止めようとしてくれていたのか! というか私、そんなことしようとしてたの!? 完全に無意識だった! こわい!
「おそるべし勇者様……!」
「勇者は関係ないよ。ひとえに獣人族の性と本人の癖ゆえだよ」
「失礼な!」
それって獣人族、もといウェアウルフが匂いフェチみたいに誤解されるだろ! ウェアウルフをなんだとおもってるんだ!
仮にも四天王である私がそんな変態じみたことするわけないだろ!
まぁ私達獣人族、特に人狼は嗅覚が優れているから匂いで危険や物を確かめる習性がある。でも、だからといって匂いを嗅ぐのが好きというわけではない。
若干・・・・・・・・・若干どんな匂いがするんだろうって気にはなるけど。
あ、違うよ!? メヌエットに言われたからそれに引き摺られただけだから! それでアッシュ様の下着の匂いがどんななのか気になっちゃっただけだから!
本当だから! ちょっとだけだから!
「もうそれは私が洗うよ。リルチャンに任せていたら日が暮れても終わらなそうだし」
「ちょ、おいやめろよ! そんなこと言ってお前が嗅ぎたいんじゃないのか!?」
「なに騒いでるんだ?」
「ぎゃあああああああ!!」
心臓が口から出るかとおもった。背後から急に呼びかけたのは、アッシュ様だった。あー、びっくりした。おもわず川から落ちそうになったよ。でもアッシュ様の下着は死守したからセーフ。
「なんだ? 大丈夫か?」
「あ、はい、そにょ……」
い、言えない……! 下着を巡って争いを繰り広げていたなんて……!
「そ、それよりもアッシュ様。どうされたのですか? ゆっくり寛いでくださっていてもよいんですよ?」
「きちんとできているか、気になってな。それに、この森には動物や魔物もチラホラいるし」
「っ、」
し、心配してくださったんだ……嬉しい……。
「?」
「あ。お気になさらず。この子、時折こうなるんです」
「……魅了の呪いがかかってるみたいになってるが?」
「私達にかけてもらっている魔法の副作用です」
「大丈夫なのかそれ!?」
「大丈夫です」
「そ、そうか・・・・・・ならいいが」
「へ?」
「あんまり無理は、するなよ?」
なで、なで。
「・・・・・・・・・」
撫でられている。
アッシュ様が………。わたひのあたまを………。
「ぶへぇ!!」
「おい!?」
そこからは記憶が定かではない。
ただ直前に、全身を襲うとてつもない快感、生まれてきて良かったという実感。そしてとぅんく♡ という心臓の高鳴り。口と鼻から噴き出した鮮血が、視界に広がっていた。
「あへ、あへ、あへへへへへへ、あへへへへへ……」
「おい! 大丈夫なのか妹!?」
「大丈夫、だとおもいます」
「なんで急に歯切れが悪い!? 雷魔法と麻痺魔法を同時に喰らった奴みたいになってるぞ! 幸せそうな顔で!」
「魔法の副作用です」
「危険な魔法だろ絶対!」
うわぁ、頭の中がふわふわしゅるよお………。
「もっと頭とかお腹とか撫でてあげると大丈夫だとおもいます」
「……本当か?」
「はいっ。私がいつもやってあげているので」
「わ、わかった……!」
「お、いたいた。こんなところにいたのか。元気か? アッシュ」
「ゴッツ……?」
「久しぶりだな~。きちんと食べて………る?」
草を掻き分ける音に次いで、新たに現れた人物によって、微妙にこの場の空気が変化した。なにかヤバイ光景を目撃したとき独特の、とてつもなく気まずい空気だ。
「あ。アッシュだ~~。探したよ~~~、も? う?」
「まったく。君は相変わらずだ……な?」
「お、お前ら……」
「まさか、あなた方は?」
声が震えるメヌエット。更に変化した、緊迫した空気。彼、もしくは彼女達の視線はアッシュ様、そして私へ交互に注がれる。
そのときの視線は、まるで犯罪者! 変態! に向けられるそれと同じだったと、メヌエットは後に教えてくれた。
「……なにやってんの? お前」
「……色々だ」
「くううううん♪」
渦中にありながら、私はただ悶えていた。
アッシュ様の看病、もといご褒美に、歓喜することしかできなかったのだ。