理由と信頼
この国では珍しいはずの自動ドアが開く音がする。エアコンが効いているのか、外とは違った涼しさが音と同時に玲を襲った。
「部屋は6階。エレベーターで上がるから」
ロウはフロントで鍵を受け取り、宣言通りエレベーターに乗りこんだ。
つかの間の浮遊間。指定の階層に着いたことをベルが知らせると、次に鳴ったのは玲の腹の虫だった。
「……お腹すいた?」
「いや……、気にしな、……しないで、ください」
言いながら、朝適当な物を食べてから、その後何も口にしていないことを思い出す。
若干の気まずさを覚える会話の後、ロウは玲を連れ立って部屋に入った。
「よいしょっと」
フカフカとしたベッドに玲を座らせると、ロウは一度ふーっと息を吐いたようだった。どかっ、という音がしたので、多分彼自身も近くに腰を下ろしたのだろう。
「重くはなかったけど、流石に疲れたかな」
「……すみません」
「気にしないで。僕が必要だからやったことだ」
何かゴソゴソと音がする。玲が首を傾げていると、右手になにかひんやりとした物が乗せられた。
「空いてるから気をつけてね」
「……?」
「ゼリー飲料だよ。それくらいしか、見えてない状態で食べられそうな物がないから」
食べなよ、と言われ、恐る恐る右手に持った物を口に近づける。硬い飲み口が一瞬当たって、ぎこちなく咥えた。少しだけ吸うと、どろっとした食感ととともに口に甘さが広がる。食べ物だと認識した時には、腹に収めようと喉が動いた。
すぐに飲料のボトルは空っぽになる。
なくなって口から離した直後に、ロウは玲は手からそれを取り去った。ポイっと音がしたので、ゴミ箱か何かに捨てたのだろう。
「気持ちは落ち着いた?」
「……はい」
「良かった。じゃあ早速で悪いけど、質問させてくれるかな」
「はい」
頷いた玲に、ロウは苦笑して声を漏らした。玲は無意識に首を傾げる。
「どうかしました?」
「いや、反抗心と警戒心むき出しだったのに、すごい素直になったから。いきなり敬語になられて驚いた」
その言葉を気まずく思い、玲はつい口ごもってしまう。それでも答えないのはダメだと思い、自分の思考をどうにか声にして絞り出した。
「今は警戒しなくてもいいと、思っただけです」
中立地帯での戦闘は禁止だ。破れば死ぬのがこのゲームのルール。
「そりゃあ、閉じこめられたりしたら流石にヤバイと思いますけど……、運んでくれて、食事までくれた人のことを警戒し続けるのは、流石に失礼かと。年上、ですし」
「……そっか」
ぎこちなく伝えると、ロウが息を吐いたのがわかった。
「少しでも信じてくれたなら良かった。でも、わざわざ敬語にしなくていいよ。僕のこともロウって呼んでくれればいい」
「わかった」
「よろしい」
ロウは柔和な声で言った。
直後、頭に大きな手がのせられて、ワシャワシャとかき混ぜられる。玲は突然のとこに驚いたが、何故かその行為に懐かしさすら覚えてしまった。
「あと、これは仕事に関係ない質問。その目、見えなくなってるのは一時的なもの? 分配の時には見えてたよね? 傷があるようにも見えないけど……」
「これは明日には、治ってると思う。わけは……」
そこまで言って、玲はその先を詰まらせた。
先程の黒井の言動が思い出され、つい言葉を失ってしまう。そもそも自分の身体のことをどう説明していいものか疑問だった。
口をつぐんだ玲をどう思ったのか、ロウは話題を切り替えるように「また機会があれば教えてね」と口にする。
追求されないのが意外で、玲は見えない瞳を俯かせた。
「今のはあくまでもついでだから」
ロウはまた、真剣な声で訊ねてくる。ここからがきっと本題だろう。
「君、親はいる?」
わりとデリケートなところをズバり聞いてくる。玲は困ったように頬を緩めた。
「……いないよ。もう死んだ」
普通なら、こんな聞き方されたら無視するか無言で殴り飛ばしてるところだ。でも助けられたことへの恩義もあってか、今は躊躇いなく答えられる。
「死んだんだ。捨てられて、直後に死んだって、聞かされた」
「……ごめん。デリカシーなかったね」
それでも声色には不快な感情がだだ漏れだったようで、ロウはすぐに謝罪の言葉を口にしてくる。玲が気にするなと首を振ると、彼はホッと息を吐いた。
「目の色は昔から赤いの?」
「ああ……いや。昔はもう少し、黒かったと思う」
「変わったの? カラコンとか入れてるわけじゃないよね?」
「入れてないよ。色々あって、いつの間にかこうなってた」
「そう……」
ロウはしばらく黙り込んだ。
それ以上のことを詳しく話すべきかと玲は思った。しかしロウはまた別なことを聞いてくる。
「髪は地毛?」
「そうだな。でも、これも昔は違ったよ」
「そっちも変わったの? 何色だった?」
「普通に黒」
「……そっか」
ロウは考え込むように息を詰める。静寂が小さな部屋を支配していた。
「うん、終わりだよ」
「はっ?」
だが突然そう言われ、玲はつい変な声を出してしまった。
「聞きたいことはこれで終わり。協力してくれてありがとう。今日はもうここで休んで行っていいよ」
「ちょっ、ちょっと待て!」
余りに簡単に終わってしまったので、玲の方が慌ててしまった。
こいつは、他人を中立地帯まで運んで、自分のホテルの部屋に入れた挙句、食事まで提供したんだ。
こんな簡単なことを聞くためだけに?
そんなこと、信じられるわけがない。
「……なんでだって、顔してるね」
玲の混乱を悟ったのか、ロウはどこか苦笑い気味に口にする。玲は思わず額を抑えた。
「この程度なら、あそこで聞いたって、別に問題なかっただろう」
戦闘で他人を守って戦えないだの、埃が嫌だのと適当なことまで言っていたが、こんな質問なら短時間で済んだはずだ。実際10分もかかっていない。
なのにここまでした理由はなんだ。玲にはそれが、まるで理解できなかった。
「……協力してくれる人間には、できる限りの礼節を尽せ」
ゆっくりと言葉を紡ぐロウに、玲はつい目を見開く。
「僕の家の家訓でね。生まれた時から親父に口を酸っぱくして言われてるんだ」
「それだけのために?」
「そうだよ」
ロウは笑った。
「もし僕が聞きたいことだけ聞いて、あの場所に君を放置したとする。それで翌日、君があそこで死んでたらどう? すごく夢見が悪いじゃない。
まあ、情けは人の為ならず、ってことかな」
「……わかんないな。俺には」
玲は呆れたように呟いた。
ロウの話す理由には、明確な目的が定まっていないように感じられる。ちゃんとした理由があるから、欲しい物があるから、そのために他人を利用する。
無条件に誰かを信じるべきじゃない。
玲は、独りになって以降、そう考えることが多くなったという自覚があった。自分以外は自分が生き残るための踏み台で、協力するのは利害が一致するからだと、ずっとそう考えていた。
でもふと思う。
昔はきっと、そんなことなかったんだろうと。
少なくとも、両親の優しさに疑いを持ったことはなかったはずだ。周りの人間が言うことだって、全部が全部嘘なわけがない。
ーーでも、信じても、いつかは必ず……。
裏切られる。
あの時、あの人だって、そうだったじゃないか。
一瞬、ぐらりと意識が揺らいだ気がした。
気づいた玲は、自分の現状に混乱してしまう。
どうしてこんなにも、ネガティブに考えているのだろう。そもそもいつから自分は、ここまで他人を信じられなくなっていたのだろうか。
あの実験以降にしても、それにしたって、何か変な気がしてしまう。
ーーいや、まずはそこじゃない。
玲は雑念を払うように首を振った。
「ロウ」
「うん?」
暗闇の中で彼の声を探し、なるべくそちらに顔を向ける。
「その……。ごめん」
「急にどうしたの」
ロウは驚いたような声でそう言った。見えていれば今頃、彼の目は見開れていたことだろう。
玲は無意識に肩を落とした。
「お前のこと、信じられなくて、ごめん。少なくとも、お前に悪意なんてなかったのに、俺はずっと疑ってる。正直、いまだに」
「なんだ、そんなこと」
ロウはクスリと笑いを零した。
「気にしなくていいよ。こんなゲームの最中だし。それに、人の感情や考えなんて、簡単にわかったもんじゃない」
「でも……」
「あの状況の君にとって、僕の存在はそこそこ渡りに船だったけど、君は僕を簡単に信じなかった。
僕たちがやってるゲームは、他人の甘言をやすやすと信じて、生き残れるようなものじゃない。そもそも今の社会自体、そんなに甘いわけでもない」
「それは……わかってる」
「うん。なら良いよ。
君の判断は、間違いなく正しかった。むしろ非常識だったのは僕の方だから。だから……君は何も、気にしなくていい」
そう言われても、玲の心中は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「謝らないでよ。僕はやりたいようにやっただけだ」
ロウは言う。
玲自身、ロウの言葉には納得していた。自分でも正しかったと思えている。
だけど何故か、モヤモヤした違和感が拭えない。
気持ちの整理がつかないのだ。それでも、何か言わなければならないと思ってしまう。
「……助けてくれて、ありがとう」
でもどれだけ考えたって、結局こんな言葉しか出てこなかった。
「どういたしまして」
それでもロウは、玲のことを責めるでも見返りを求めるわけでもなく、穏やかな声でそう言った。




