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悪人の定義  作者: 黒兎
2日目 酔狂
18/39

乱入者


「オウヤ! 上!」


 暗鳴が叫ぶ。

 

 黒井は一瞬天を見上げ、咄嗟に玲を突き飛ばした。


 廃ビルの壁に叩きつけられた玲は、その衝撃にうめき声を漏らした。

 どうにか意識を保ちながら、何が起こったのかも分からず必死になってあたりを見回す。衝撃で剥がれたコンクリートが大量の埃をまき上げ、周囲は靄がかかったように霞んでいた。


 直後、強烈な音とともに何かが落下。


「……っ!」


 僅かな息使いと同時に響いたのは金属音。

 刃物と刃物がキリキリと擦れ合う、独特の音が耳に痛い。


 玲は身体を起こしながら、気管に入り込んだ異物を追い出すように咳き込んだ。

 軋んだ骨が悲鳴をあげ、指先が異常に冷たくなる。


「動けるか」


 誰かが言った。黒井とは違う男の声だ。


 顔を上げれば、二つの影が刀を交えて立っている。


「動けるなら、早く逃げろ」


 驚いた玲は、濁った目を見開いた。


 擦れ合っていた金属音が消え、密接していた2つの影が距離を取る。

 そうして玲のすぐ目の前に、1つ人影が着地する。


 背を向けているのは分かる。だけど役に立たない眼球は、彼の外見的な情報を何も映してはくれなかった。

 影は言う。 


「逃げろ」

「逃げろって……」


 無茶なことを、と玲は思った。しかしなおも影は続ける。


「こいつは俺が足止めする。……早く行け」 


 低い声。

 おとなしそうな割に不思議とよく通る声だ。

 

 でも、こんな声に聞き覚えはない。


 玲は痛みを堪えながら思考を回した。


 自分がこのゲーム内で話した男は数人いるが、まともに話しているのは火狩だけだ。


 だが違う。火狩じゃない。

 身長も声も、持っている武器も。


「あんた……、っ、誰だ」

「構うな……!」


 まるで懇願するように、彼は言った。


「逃げてくれ。今はそれだけだ」

「っ、」

「お前は、自分が生きることだけ考えてくれ。そう願って、もらったんだろ」


 その言葉に、ハッとした。


『どんなに辛くとも、生きなさい』


 両親の遺言が脳裏をよぎる。


 その瞬間、玲は足を動かし、どうにか壁づたいに身体を起こした。


 生きろと言われた。

 黒井と対峙して、もう死ぬってところまで追い詰められた。諦めもした。

 

 けど、今は違う。

 まだ生き残るチャンスがある。今すべき最善の行動は、考えなくてもわかるはずだ。


 思った時には、玲は一目散に駆け出していた。


「待ちなさい!」


 女が叫ぶ。


「追うなシオリ!」


 しかし動き出そうとした暗鳴の足を止めたのは、他でもない黒井だった。


「お前がいなくなると、オレが戦えなくなるだろぅが」


 若干苛立ちを含んだ声が聞こえ、玲はごくりと唾を飲む。

 立ち止まることはできない。


 みっともなく3人に背中を向け、玲は走った。

 わずかな視界を頼りに、目に入った道をひたすら進む。


 何度も躓きながら、壁で肩を擦りながら。不格好なのはいちいち気にしていられない。

 首を流れる血液の温度が、ひたすらに煩わしかった。


 どこに向かっているかも分からず、どこにいるのかも分からない。

 呼吸が乱れ、黒井に痛めつけらた箇所がじわじわと痛みを訴えてくる。


 そうして、次第に走ることもままならなくなり、ついに玲は足を止めた。


 息を吐く。

 肺が内側から焼けているようだった。深呼吸を繰り返し、極端に多くなった心拍数を無理やりにでも落ち着かせる。


 乾いた口内が気持ち悪い。冷静になれとひたすら頭に繰り返し命じ、どうにかまた、重たい足を踏み出した。


 外にいるよりは何処か建物の中に入った方がいいだろう。とにかく姿は隠したほうがいい。


 玲は手探りで建物の入口を探した。ゆっくり壁に手を当てて進み、やっとの思いで扉らしい感触を見つけて中に入る。

 ある程度足を進めた瞬間、張り詰めた糸が切れるように体からふつりと力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。 


 地面を這って、なんとか壁際へ移動する。

 硬い壁面に背中を預けしゃがみ込めば、程なくして視界の全てが黒で染まった。


 もう何も、見えなかった。





 玲が逃げた後、黒井オウヤは一人の男と対峙していた。


 刀を構え、口に歪んだ笑みを貼り付ける。

 視線の先に立つ男は一切表情を変えず、ただ己の武器を握って佇むのみだ。


 昔から無口なのは変わらない。

 オウヤは鋭く目を細めた。


「あーあ。せっかく良いとこだったのに。まさかここで、あんたが出て来るなんてねぇ」

「…………」


 懐かしい顔だと思う。


 分配フェーズの時に姿は見ていたし、ゲーム外で噂を聞いたこともあった。

 だがこうして対峙するのは、もう何年ぶりになるのだろう。


 まあ、大して仲がいい相手でもないが。


「知り合い、なの?」


 声を発したシオリに、オウヤは僅かに口角を上げる。

 男に視線を固定したまま、オウヤは言った。


「久しぶりの再会だよねェ? せっかくだし、感動のハグでもしてみようかァ?」

「…………」


 男は口を開かず、表情のない顔で立っている。

 真剣に、こちらの動きを伺っているようだった。

 

 明らかに警戒している様子に、オウヤはくすくすと笑いを溢す。


「そんなピリピリするなよ。俺には何も話すつもりはないってか?」


 さっきまでの饒舌はどこに行ってしまったのだろう。


 いや、本当は無口なこいつが、あそこまで声を出すことの方がおかしかったのだ。


 まあそれだけ、彼のことが気になって仕方がなかったということか。


 そう思うと、オウヤは目の前の男に尋ねずにはいられない。


「お前、そんなにあの子が大事なわけね? 今更心配でもしてんのかよ。頼れるお兄ちゃんは優しいねェ」

「……………」


「この期に及んで、罪滅ぼしでもしようってのか?」


 オウヤは冷え切った声で言った。

 瞬間、男は刀を握る手に力を込める。


 ああ、なんてわかりやすいのだろうとオウヤは笑った。

 冷静に見えて直情的なところも、昔から変わってないらしい。


 こう言う性格だからこそ、あの時も扱いやすかった。2人で暴れ回った時を思い返して、オウヤは酷薄に微笑む。


「多分、レイくんは何も覚えてないよ。あの時のことも、お前のことも」

「構わない」

「ああ、むしろ覚えていないほうがいいって?」


 尋ねると、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。なるほど、本心は真逆といったところか。

 相変わらずの意地っ張り。


「まあいいや」


 オウヤはそう口にだして、刀を前に出しながら男に真っ直ぐ切っ先を向けた。


「俺の前に出てきたってことは、戦う意志、あるよな? まあはじめから、お前じゃ俺を倒せないだろうけど」

「…………」

 

 こちらと違って、致命的な欠陥を抱えたモノが、欠陥なく同じ能力を得た存在に勝てるはずがない。

 そんなことは、目の前の男も自覚しているはずだ。


 今も昔も、自分と彼の間には決定的な溝がある。


「あの頃は殺しなしのルールだったけど、今回はそうはいかない。そういやお前、一回も俺に勝てたことなかったよなァ? あれから修行でも積んでみたか?」


 年上を相手に、オウヤはまるで弟にでも語るように言葉を紡いだ。


「俺にボコボコにされて泣きべそかいてたこともあったなあ? 大の大人が情けなく泣き顔晒してた。

 お前も覚えてんだろ? なぁ、お に い さ ん ?」

「……黙れ」


 黒い峰の刀を握る手に、男はぐっと力を込めた。

 オウヤも同じように、白銀の刀に力を込める。


 少しおしゃべりが過ぎたかもしれない。懐かしさについ気持ちが乗ってしまった。


 ああ、今日はとにかく気分が良い。


 オウヤは笑う。


「格の違い、久々に見せてやるよ。ナァ……水無(みずなし)ジン」

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