乱入者
「オウヤ! 上!」
暗鳴が叫ぶ。
黒井は一瞬天を見上げ、咄嗟に玲を突き飛ばした。
廃ビルの壁に叩きつけられた玲は、その衝撃にうめき声を漏らした。
どうにか意識を保ちながら、何が起こったのかも分からず必死になってあたりを見回す。衝撃で剥がれたコンクリートが大量の埃をまき上げ、周囲は靄がかかったように霞んでいた。
直後、強烈な音とともに何かが落下。
「……っ!」
僅かな息使いと同時に響いたのは金属音。
刃物と刃物がキリキリと擦れ合う、独特の音が耳に痛い。
玲は身体を起こしながら、気管に入り込んだ異物を追い出すように咳き込んだ。
軋んだ骨が悲鳴をあげ、指先が異常に冷たくなる。
「動けるか」
誰かが言った。黒井とは違う男の声だ。
顔を上げれば、二つの影が刀を交えて立っている。
「動けるなら、早く逃げろ」
驚いた玲は、濁った目を見開いた。
擦れ合っていた金属音が消え、密接していた2つの影が距離を取る。
そうして玲のすぐ目の前に、1つ人影が着地する。
背を向けているのは分かる。だけど役に立たない眼球は、彼の外見的な情報を何も映してはくれなかった。
影は言う。
「逃げろ」
「逃げろって……」
無茶なことを、と玲は思った。しかしなおも影は続ける。
「こいつは俺が足止めする。……早く行け」
低い声。
おとなしそうな割に不思議とよく通る声だ。
でも、こんな声に聞き覚えはない。
玲は痛みを堪えながら思考を回した。
自分がこのゲーム内で話した男は数人いるが、まともに話しているのは火狩だけだ。
だが違う。火狩じゃない。
身長も声も、持っている武器も。
「あんた……、っ、誰だ」
「構うな……!」
まるで懇願するように、彼は言った。
「逃げてくれ。今はそれだけだ」
「っ、」
「お前は、自分が生きることだけ考えてくれ。そう願って、もらったんだろ」
その言葉に、ハッとした。
『どんなに辛くとも、生きなさい』
両親の遺言が脳裏をよぎる。
その瞬間、玲は足を動かし、どうにか壁づたいに身体を起こした。
生きろと言われた。
黒井と対峙して、もう死ぬってところまで追い詰められた。諦めもした。
けど、今は違う。
まだ生き残るチャンスがある。今すべき最善の行動は、考えなくてもわかるはずだ。
思った時には、玲は一目散に駆け出していた。
「待ちなさい!」
女が叫ぶ。
「追うなシオリ!」
しかし動き出そうとした暗鳴の足を止めたのは、他でもない黒井だった。
「お前がいなくなると、オレが戦えなくなるだろぅが」
若干苛立ちを含んだ声が聞こえ、玲はごくりと唾を飲む。
立ち止まることはできない。
みっともなく3人に背中を向け、玲は走った。
わずかな視界を頼りに、目に入った道をひたすら進む。
何度も躓きながら、壁で肩を擦りながら。不格好なのはいちいち気にしていられない。
首を流れる血液の温度が、ひたすらに煩わしかった。
どこに向かっているかも分からず、どこにいるのかも分からない。
呼吸が乱れ、黒井に痛めつけらた箇所がじわじわと痛みを訴えてくる。
そうして、次第に走ることもままならなくなり、ついに玲は足を止めた。
息を吐く。
肺が内側から焼けているようだった。深呼吸を繰り返し、極端に多くなった心拍数を無理やりにでも落ち着かせる。
乾いた口内が気持ち悪い。冷静になれとひたすら頭に繰り返し命じ、どうにかまた、重たい足を踏み出した。
外にいるよりは何処か建物の中に入った方がいいだろう。とにかく姿は隠したほうがいい。
玲は手探りで建物の入口を探した。ゆっくり壁に手を当てて進み、やっとの思いで扉らしい感触を見つけて中に入る。
ある程度足を進めた瞬間、張り詰めた糸が切れるように体からふつりと力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
地面を這って、なんとか壁際へ移動する。
硬い壁面に背中を預けしゃがみ込めば、程なくして視界の全てが黒で染まった。
もう何も、見えなかった。
*
玲が逃げた後、黒井オウヤは一人の男と対峙していた。
刀を構え、口に歪んだ笑みを貼り付ける。
視線の先に立つ男は一切表情を変えず、ただ己の武器を握って佇むのみだ。
昔から無口なのは変わらない。
オウヤは鋭く目を細めた。
「あーあ。せっかく良いとこだったのに。まさかここで、あんたが出て来るなんてねぇ」
「…………」
懐かしい顔だと思う。
分配フェーズの時に姿は見ていたし、ゲーム外で噂を聞いたこともあった。
だがこうして対峙するのは、もう何年ぶりになるのだろう。
まあ、大して仲がいい相手でもないが。
「知り合い、なの?」
声を発したシオリに、オウヤは僅かに口角を上げる。
男に視線を固定したまま、オウヤは言った。
「久しぶりの再会だよねェ? せっかくだし、感動のハグでもしてみようかァ?」
「…………」
男は口を開かず、表情のない顔で立っている。
真剣に、こちらの動きを伺っているようだった。
明らかに警戒している様子に、オウヤはくすくすと笑いを溢す。
「そんなピリピリするなよ。俺には何も話すつもりはないってか?」
さっきまでの饒舌はどこに行ってしまったのだろう。
いや、本当は無口なこいつが、あそこまで声を出すことの方がおかしかったのだ。
まあそれだけ、彼のことが気になって仕方がなかったということか。
そう思うと、オウヤは目の前の男に尋ねずにはいられない。
「お前、そんなにあの子が大事なわけね? 今更心配でもしてんのかよ。頼れるお兄ちゃんは優しいねェ」
「……………」
「この期に及んで、罪滅ぼしでもしようってのか?」
オウヤは冷え切った声で言った。
瞬間、男は刀を握る手に力を込める。
ああ、なんてわかりやすいのだろうとオウヤは笑った。
冷静に見えて直情的なところも、昔から変わってないらしい。
こう言う性格だからこそ、あの時も扱いやすかった。2人で暴れ回った時を思い返して、オウヤは酷薄に微笑む。
「多分、レイくんは何も覚えてないよ。あの時のことも、お前のことも」
「構わない」
「ああ、むしろ覚えていないほうがいいって?」
尋ねると、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。なるほど、本心は真逆といったところか。
相変わらずの意地っ張り。
「まあいいや」
オウヤはそう口にだして、刀を前に出しながら男に真っ直ぐ切っ先を向けた。
「俺の前に出てきたってことは、戦う意志、あるよな? まあはじめから、お前じゃ俺を倒せないだろうけど」
「…………」
こちらと違って、致命的な欠陥を抱えたモノが、欠陥なく同じ能力を得た存在に勝てるはずがない。
そんなことは、目の前の男も自覚しているはずだ。
今も昔も、自分と彼の間には決定的な溝がある。
「あの頃は殺しなしのルールだったけど、今回はそうはいかない。そういやお前、一回も俺に勝てたことなかったよなァ? あれから修行でも積んでみたか?」
年上を相手に、オウヤはまるで弟にでも語るように言葉を紡いだ。
「俺にボコボコにされて泣きべそかいてたこともあったなあ? 大の大人が情けなく泣き顔晒してた。
お前も覚えてんだろ? なぁ、お に い さ ん ?」
「……黙れ」
黒い峰の刀を握る手に、男はぐっと力を込めた。
オウヤも同じように、白銀の刀に力を込める。
少しおしゃべりが過ぎたかもしれない。懐かしさについ気持ちが乗ってしまった。
ああ、今日はとにかく気分が良い。
オウヤは笑う。
「格の違い、久々に見せてやるよ。ナァ……水無ジン」




