片割れ
ーー能力面で、他の被験者に勝る。
今更こんな死に損ないの状況で、そのことなの意味を知ってもどうしようも無いのはわかっていた。
だけど玲は、自身が被験者であるという事実を知っているだけ。あの実験自体の記憶は、今は殆ど残っていない。
どんな実験だったのか、研究所にどんな人がいたのか。
自分があの場所でどう過ごしてきたのか。
ほぼ全ての記憶について、至る所が欠落していた。
あるのはひたすら、苦しかった記憶だけだ。
黒井は玲の問いを無視して、身につけている衣服に手をつけた。ナイフを持った右手で胸元の布を引っ張り、左鎖骨あたりを露わにする。
玲は思わず身を震わせた。
その位置に刻まれているのは、数字のゼロを模した刺青。
忌々しい実験で刻まれた、個体としての識別番号。
「0番……。やっぱりお前だ。
被験体のラストナンバー。俺の後継」
黒井はその部分を恨めしそうな目で見つめる。
「レイくん。レイ」
「……っ、」
そうして慈しむように、そのタトゥーを指でなぞった。
思えば、黒井の顔面の刺青もそうなのかもしれない。
玲は思った。
彼の左頬に刻まれたそれは、よく見ると形の意味が何と無くわかる。
数字の8。
これが黒井に与えられた、被験者の証だったというわけだ。
「あの実験、被験者は結構多かったんだ。でも、成功したの10人だけ。しかもそのうちの半分は、実験成功後数週間の間に死んでいった」
黒井は淡々と言葉を紡ぐ。
「今生きてるのは5人だけ。
そのうち戦闘力に大きく関わる視覚、運動能力の強化が同時に付与されているのが3人。その中の1人は、実験の副作用のせいで結構致命的な欠落を抱えてる。
つまり最も強い能力者は、俺たち2人のどっちかってこと」
「…………」
「わかる? 俺もお前も、実は最高に特別なんだよ」
「とく、べつ……?」
「ああ。クソ喰らえって感じだよな」
黒井は苦虫を噛んだような顔で言った。忌々しいとでも言いたげに吐き捨てる様は、まるで自分そのものを憎んでいるように見える。
「俺はな、あの実験を受けた日に、人であることをやめたんだ。身体いじくりまわされて、強制的に、やめさせられた」
そう話す声はどこか、寂しそうだとすら感じられる。
玲は回らない頭を使いながら、必死に彼の声音を追いかけた。
「人でない奴なんて、誰も認めないだろ。自分と違う存在なんて誰も理解しようともしない。存在すらも初めから無かったことにするか、居ると分かっていても否定する。
あいつらからすれば、人殺しをしようがしまいが、俺はただの化け物だった」
「っ……」
化け物。人間じゃない。
それは玲も何度も言われたことのある言葉だ。脳裏に浮かんだ想像に、つい顔を歪めてしまう。
「誰も、俺たちと同じ場所には立てない」
苦しそうに奥歯を噛む黒井。その姿は、さっきまでの狂人とは別人の様にも思えてしまう。
戦闘時の黒井は、狂気的で、まるで人の恐怖を煽るために作られた人形だった。
だけど今の様子から感じられるのは、孤独と戦うどこか弱い人物像で。
肩落とす姿は力なく、人を殺して平気で笑っている人間には、到底見えない。
玲は、声も出せないまま戸惑った。
どっちが本物なのだろう。
ーーこの男は、一体……。
「でも、お前と俺は同じだ」
その言葉に、何を言っているのだと、玲は思った。
こいつと自分が、同じであるはずはない。
能力的には近いものを持っていたとしても、殺人鬼と同列なんてあり得ないとそう思う。
なのに、何故か妙に引っかかる。
「俺たちは人の枠を超えたものだ。お互いがお互いに、唯一認め合える立場にいる。孤独も、周りからの迫害も。
いうなれば……片割れ、か。
まあ、案外話せるようになるよ、俺たち」
黒井はふっと声を漏らして笑う。
「良い加減、独りは辛いだろ」
どこか縋るような声に、玲は思わず息を呑んだ。
「オウヤ……?」
驚いたような女性の声が聞こえる。暗鳴も近くに立っているのかとそう思った。
しかし頭を埋め尽くすのは、目の前で弱々しく笑う黒井のこと。
さみしそうで、辛そうで。
まるで両親に置いて行かれた迷子の子供のようだった。
夢の中で泣いていた自分とよく似ている。
「黒、井……」
玲は意味もなく、男の名前を口にした。
彼の表情の意味や、彼がした問いの意図。
わかる気がした。
理解することができると思った。
こいつの狂気。こいつの弱さ。
それは、俺自身の弱い部分と、きっとよく似ているから。
「俺、は…………」
応えなければと、玲は思った。逃げようとすることすら頭から抜け落ちて、口は無意識に、なんらかの言葉を紡ごうとしていた。
だが声は、空気を震わせる前に霧散する。
[半径100m以内に、あなたを攻撃対象とするプレイヤーが侵入しました]
連続した通知が三件。
自分、黒井、そして暗鳴のスマホから。
同時に鳴ったのは立会人ありの通知だった。
自分と、おそらく黒井のものからだ。また暗鳴が立会人として認知されたらしい。
玲は驚いて息を飲んだ。黒井も同じだった様で、わずかに肩が跳ねたのを感じる。
「誰か来た、か」
黒井は寂しそうに呟く。
次の瞬間には、彼の表情は酷薄なものに変わっていた。口が三日月型に裂け、狂気の混じった笑い声が聞こえてくる。
「ざぁんねん。でも、今日は楽しかったよ」
首筋に当てられていたナイフに力がこもったのがわかった。地面に落ちているナイフを手探りで探すが、黒井に気づかれ右手を抑え込まれる。
必死になって抵抗を試みるが、相手の方が単純な力では上だった。
ナイフが光り、薄い皮膚に傷をつける。
冷たい感覚。生ぬるい血が首筋を流れ始め、音もなく心臓が止まる恐怖に襲われる。
終わったと、脳が告げる。
玲はゆっくりと目を閉じた。閉じていても開いていても、視界はあまり変わらなかった。
黒井の息づかいを近くに感じる。
彼の吐息が耳にかかった。
「……またね」
囁かれた、その時だった。




