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悪人の定義  作者: 黒兎
2日目 酔狂
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狂人の裏


 玲は目を凝らしながら考える。


 じゃあどうするのが正解だ。あの女を振り切るのか。

 立会人の効力は彼女が見えている範囲までだ。

 死ぬ気で走れば、黒井はともかく、彼女だけは振り切れるかもしれない。


 玲は深く息を吐いた。


 相手は職業殺し屋だ。しかもあの実験の被験者。


 さっき遭遇した時、黒井の足元に転がっていたのは間違いなく死体だった。

 昨日だって、すでに人を殺してる。  


「…………はぁ、」


 しかし逃げることも、不可能に等しいとわかっていた。今の状態で走っても、黒井なら確実についてくる。

 さっきだってそうだったから。

 結局追いつかれて、殺されるのが落ちだろう。


 ここにきて初めて、自分の命を賭けることの実感が湧いた気がした。


 今まで戦った参加者は、みな殺すことを躊躇い、このフィールドの外と同じように、一線を引いた戦い方をしていたように思う。


 だが、目の前にいるこいつは違う。


「さぁ、続きをやろう! サァ!!」


 躊躇いがない。

 逃げてもきっとすぐに終わる。

 戦っても、それは何も変わらないかもしれない。 


 どっちを選んでも、奈落の底へ一直線。


ーー……なら、せめて。


 玲は着ていたパーカーの内側から、新たに2本のナイフを取り出した。


 全て細いシースナイフ。最初のと合わせて、右手に2本、左手に1本。右手の片方は指の間に挟んで鉤爪のような形で持ち、残りの愛刀は普通に握る。


「へぇ、まだ持ってたんだ」


 黒井はふっと笑みを浮かべる。 


 実際はこれ以上に持っている。

 でも今使えるのは、多く見積もってこれが限界だ。


 玲は静かに前を見据える。

 視界は真ん中の半分除いて暗い。

 どうにか中心に黒井の姿を置き、ナイフを構える。


「んじゃまァ? レイくんもやる気になったみたいだし、始めますか、ねっ!」


 声を合図に、一瞬で距離を詰められた。


 振るわれる刃。

 剣筋は見えないほどに速い。

 よけられるものは最小限の動きでかわし、無理なものはナイフで防ぐ。  

 

 何度かそれが続いたところで、玲は左手のナイフを突き出し、黒井の腹部を狙った。

 しかしすぐに刀で防がれ、逆にこちらのバランスが崩れる。


 その瞬間、玲は右手のナイフを1本、思い切り空中に放り投げた。

 そのままの流れで不格好に体当たりをして距離を取る。


 タイミングよく落下してくるナイフ。玲はその持ち手部分を身体を回転させて蹴りつけ、刃を黒井の方へ飛ばした。


 まっすぐに飛んだそれは、彼の頬に傷をつけて闇に消える。


「ありゃ、当たった」


 当然、大したダメージにはなっていない。

 それどころか、黒井は満足そうに笑って見せる。    


「あはァ、久しぶり! オレに傷くれた奴、マーじで久しぶり!!」


 表情から読み取れるのは、歓喜だけだった。

 次の瞬間には黒井はさらに刀を振るうスピードを早め、その身体は壁や空中を跳び回る。

 玲はそれに対抗し、また使うナイフも補充しながら、どうにか攻撃を防ぎ続けた。


 ただ、展開自体は一方的だった。


 手数だけは黒井より多いが、どうしても攻めあぐねてしまう。


 玲は意識を、黒井の刀の動きにだけ集中させる。


 刃の輝き、風を切る音。

 どんな些細なものも見落とさぬように。


 しかし防ぐので精一杯なのは変わらない。

 攻撃に転じることもできない。


 防戦一方。


 そしてどうしようもない限界も訪れる。


 視界の狭まりが一瞬急激に酷くなった。

 玲が反射的に目を細めた瞬間に、黒井の刀が頬をかすめる。


 チリっとした痛みが頬に走った。

 血が流れて飛んでいく。

 右手のナイフを黒井に向け、空中に上げたナイフに左手を伸ばす。


 だが掴もうとしたその時、さっきよりも酷く視界が歪んだ。

 


 遅れて玲の目に入ってきたのは、ナイフの刃の部分を握ろうとする、自分自身の手。


「っ!!」


 反射的に手を引いた。

 ナイフが落ちる金属音が無情に響く。


 その時だった。


「ここまで、か、なっ!」

「っ! がっ……ぁっあ゛!」 


 容赦ない蹴りがみぞおちを直撃する。


 そのまま背中を壁に叩きつけられ、右手のナイフも手から離れた。

 立っていられず、そのままズルズルとへたり込む。 


 光が視界を覆い、やがて戻る。

 その時見えたのは、落ちた刀を片手にニヤニヤと笑う"死"そのもの。


「なかなか、楽しかった、よっ!」


 今度は頭を蹴飛ばされる。


 脳が揺れた。

 鈍い音が重く響き、玲は地面に倒れ伏す。

 意識が飛んでいないのが不思議だった。  


 必死に立とうとする玲を見ながら、黒井は刀を鞘に収める。拾ったナイフを興味深そうに見つめると、それをクルクルと回し、感触を確かめるように握った。 


「あーあ、案外あっけなかったね」


 玲は濁った瞳を揺らした。身体に力が入らず、手も足も、まともに動きそうにない。


 黒井は玲の目の前でしゃがみ込むと、どこか懐かしそうに目を細めた。


「というか、キミ本調子じゃないでしょ。

 たまにあるよねーそういうこと。あ、ついでだし、さっきのレイくんの質問に答えようか」


 首筋にナイフの切っ先が添えられるのを感じる。


 独特のひんやりとした感覚。愛刀に牙を剥かれて、指先が震えた。心臓を、死神が弄んでいる。


 腕を上げようとしても全く上がらず、すぐそばにいる男を殴りつけることもできない。

 自分のことが情けなかった。


「俺も同じだよ」


 黒井は静かに口にする。


「お前と同じ、目の強化と、運動能力の強化。

 だからお前に今何が起こってるのかも、俺は大体はわかってる」


ーー…………?


 その時、玲は一瞬、言い表せないほどの強烈な違和感に苛まれた。


 黒井の話し方が、さっきまでと違う。

 話す声も、あの独特の間延びしたものじゃない。


 彼の口の端は三日月型から真一文字になり、ニヤニヤとした笑いは、いつの間にか消えていた。

 表情もなんだか、真剣なものに変化している。

 それももう、薄っすらとしか見えないが。


「眼球、だいぶ濁ったな。つーかそもそも知ってるか? 副作用の時は瞳の色が濁るってこと」

「……っ、ぁ」


 黒井は玲の前髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「赤いの、綺麗だったのに。もう光もなくなったな。

 見えてないだろ、お前。こんな近くにある俺の顔も」 


 玲は痛みに耐えながら目を凝らした。

 黒井の息遣いは本当に近い場所にある。

 しかしすぐ間近にある黒井の姿も、その目はぼんやりとしか映さない。

 わかるのは、黒井は何故か、憐れむように笑っていること。


「ついでに教えてやるよ。

 視力の喪失は、眼の能力と運動能力の強化、その両方の実験が成功した奴にしか起こらない」

「っ、……?」

「能力面で他の被験者に勝る俺たちの唯一の弱点だ。

 最も、他の奴らはもっと酷い副作用が出てるからな。感覚不全が常態化していないだけ、俺たちはまだ、マシな方だよ」


 能力面で、他の被験者に勝る……?


「どういう、こと……だ」


 玲はどうにか喉を震わせる。

 黒井はふっと笑みを浮かべた。

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