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悪人の定義  作者: 黒兎
2日目 酔狂
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 夢を見ている。 


 柔らかな陽だまりの匂い。偽物とはいえど、鮮やかな緑で作られた木漏れ日は暖かかった。白い壁に囲まれた狭い庭は人工的だが、穏やかな時間が流れている。


 そんな空間に置かれたベンチで、子供が1人で泣いていた。


「……お父様、お母様」


 ボロボロと涙が溢れていく。膝上に水滴が落ちて、ズボンの布にいくつものシミができていく。


「なんで……? おいて、行ったの」


 昔の記憶だとすぐにわかった。

 両親の死を告げられた直後のものだろう。研究所の庭でああやって何日も泣いて過ごしたのは、今でも覚えていることだった。


 思えば自分は、恵まれた子供だった。

 玲は溢れる涙を他人事のように思いながらそうぼんやりと考える。


 そもそも玲の実家は、この国では有数の裕福な家だった。御堂グループには及ばなくても、それなりに名の知れた富裕層の財閥だ。


 優しい両親と、大勢の使用人と。

 考えてみれば、幼い頃はペンや箸よりも重い物を持ったことすらなかった気がする。

 それは自分が元々身体の弱い子供だったせいもあるだろうが、何よりも、両親がとても大切にしてくれていたからに違いない。


 とても幸せな場所にいた。ずっと。

 世の中の汚い部分なんて、何も知らなかったのだ。


 でもある日突然、そんな時間は終わってしまった。


 

 両親から捨てられるようにして預けられたのは、とある新鋭の研究所だった。


 預けられた理由自体はわかっている。両親には昔から折り合いの悪い親戚がいて、そいつらがずっと、氷上家の財産を狙っていたから。

 両親の死を玲が知ったのは、研究所に預けられてから僅か1週間後のことだった。聞いた瞬間には、両親は親戚どもに殺されたのだろうと考えたように思う。

 それだけ彼らの関係が危ういことは、幼いながらに理解していた。


 両親が自分を研究所に預けたのは、おそらく死期を悟ったからだろう。同時に、息子の命を守るためだったのだろうとも、頭のなかでは理解している。


 一緒に逃げるという選択肢は、あの人たちにはなかったはずだ。両親は自分達が"氷上家"の当主であることを、ずっと誇りに思っていたから。


 当主なら、逃げるなんてみっともない真似はできない。

 あの優しくて強情な父ならきっとそう考える。

 そして母も、そんな父に連れ添うことを選択した。


 だがあの人たちは、当時9歳だった1人息子を巻き添えにすることは躊躇った。だから自分だけを、親戚の手の届かないところへ逃がしたのだ。


 両親の考えに対する確証はない。だがそうであってほしいと、少なくとも玲は願っている。


 研究所の入り口で、別れ際に両親は言った。


『どんなに辛くとも生きなさい。例え貴方だけになったとしても、貴方は私達の息子です』

『俺たちはお前を生かすために、お前をこれから地獄に落とす。どうか、力を得て、生きなさい』


ーー……ごめんね。苦しい思いをさせて


 そう言った母は泣きそうな顔をしていた気がする。

 父は苦しげな顔だったが、どうにか笑顔を向けてくれた。

 

 それが玲にとって、彼らを見た最後の記憶だ。


 彼らはきっと、この研究所で行われる実験がどんな痛みを孕むものか、把握していたのだろう。

 痛みの果てに、どういう能力が得られるものであるのかも。


 実際、研究所に入ったその日から、玲は地獄の底に立った。


 家族と離れ、数々のよくわからない身体検査が行われた1週間。そんななか唐突に告げられた両親の死は、幼かった心を絶望の中に叩き落とした。


 それ以後研究所で行われていたことについては、記憶が飛んでいて覚えていない部分が多い。

 ただ、痛くて、辛くて。それだけの感情が延々と続く時間のことは、しっかりと頭に残っている。


 毎日のように泣いてわめいて耐え続ける日々だった。そうした痛みと引き換えに得た力は、玲を人間という枠から外すものだった。


 いっそ一緒に死なせてくれていれば。

 そう両親を恨めしく思ったことは、一度や二度では収まらない。



 研究所が何者かに襲撃されたのに便乗して脱出し、とにかく痛みから解放されることに安心したのもつかの間。

 施設の外に出たところで、そこはさらにひどい環境だった。


 この国は少数の富裕層と多数の貧困層に分かれている。

 当然、行き場を失った玲は単身貧困層に落ちる他なかった。


 ただそういった貧困層の生活は、当時の玲からすれば最低としかいいようがないもので。


 食料や物資の奪い合いで多少のいざこざは日常茶飯事。

 玲自身、食べ物を得るために何度か盗みをやったが、その度に殴られたり怒鳴られたりの連続だった。

 時には泥水を啜ったこともある。


 そういうストレスのせいなのかどうなのかはわからないが、元々黒かった髪は気づけば次第に色が落ち、ついには白くなっていた。


 そんな状況でがむしゃらに生きるようになって、玲は今まで、自分がどれだけ恵まれていたかを実感した。

 そうして、両親がなぜ自分をあんな施設に預けたのかも身をもって理解した。


 守られて育ってきた自分は、あまりにも非力で、何もできなかった。今まで両親から教えられ続けていたのは、個人で戦うための武力ではなく、人の上に立って、自分を信じてついてきてくれる人達を導くための知力だった。


 そんな子供がどうして、個々の力がすべてを決める貧困層で生きられるだろう。

 ましてたった1人、頼るものもない世界で。


 だから両親は、息子が貧困層で生き抜けるようにわざと捨てる様な真似をした。地獄に立たせて、その先を生き抜くために必要な、単純で明確な"戦うための力"を与えようとした。


 彼らのおかげで、自分はここまで生きてこられたのだと。

 それに気づいて以降、玲はどれだけ苦しくても、空虚な感覚を覚えても、退屈しても、死のうと考えることだけはしなくなった。


 ただ生きることだけを遂行した。

 その上で考えた。

 どうすれば、彼らに報いることができるだろうと。


 ただ玲が思いつけたのは唯一、両親の墓を立てることくらいだった。

 今はもう、氷上の家がどうなっているのかはわからない。住んでいた家のことも、そこで雇われていた使用人達のことも、何も。


 ただ、確執の大きかった親戚の家が、父と母の墓など立てるわけがないのはわかる。それほど仲は悪かったのだ。


 両親の遺体がどうなったかも、玲は知らない。

 もしかしたら何処かに捨てられたかもしれないし、ちゃんと供養されなかったかもしれない。最悪、海に投げ捨てられた可能性だってある。


 でもだからこそ、父や母が氷上の当主であったことを示せるような墓を作りたいと思った。


 玲がゲームに参加したのは、そもそも生活苦を抜け出すためで、その先は両親の墓を建てる金を集めるためだった。

 そうしてできることなら、生まれ育ったあの屋敷を、この手に取り返したいと思っている。

 


 意識が覚醒し、玲はまどろみながら目を開けた。


「……久しぶりだな、こんな夢」


 普段熟睡することがないから、夢を見るのが珍しいわけじゃない。でも、いつもは物を盗んで殴られたり、逆に殴られて物を取られたりする夢ばかりだったのだ。

 あの研究所にいた頃の夢は、ちょっと珍しい気がする。


 身体を起こすと、硬い床で寝たせいなのか節々が痛む。

 寝落ちするまで見ていたスマホの画面は、勝手に暗くなっていた。

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