16話 レオナルドの追憶③
時は過ぎて一年、母の遺体は見つかっていない。死はまだ浸透しておらず、家族と母の実家しか事実を知らない。
葬儀は行われず、寝室に置かれた控えめな位牌に母の名が刻まれている。部屋には母が好きだった花が使用人によって飾られていて、花の匂いで懐かしい匂いはもう残っていない。
「レオナルド君、明日は春化祭ね。ダンス、楽しみにしているわ。」
その女の人は産まれたばかりの赤ん坊を抱えて、僕に問いかける。
「そうだ、お相手はどうするの?」
この人はきっと僕の相手の事しか気になっていない。この家の長男である僕が、どんな女性を選ぶのか、それが腕に抱える赤ん坊の未来を大きく左右することを承知しているからだ。
「僕はまだ意中の相手がおりませんので、今年も1曲目は一人で踊る事にします。」
あのソフィアという少女にもう一度出会えるのなら、僕は彼女を誘いたい。でも、彼女のお眼鏡に僕は叶わなかったんだ。
「そうなの……早く意中のお相手が見つかるといいわね。家柄よりも、貴方の気持ちが大切だと思うわ。あ、今日は私もドレスを新調するんだった!それではね!」
長い栗色の髪を翻して、慌ただしく去っていく。彼女が僕の新しいお母さんだ。半年ほど前にお腹の大きなあの人がやってきて、父に弟が出来たと告げられた。
父はあの人の事を大切にしていると思う。仕事の合間を縫って家に良く帰ってくるようになった。それが何よりの証拠だろう。
「……僕も稽古しないとな。」
あの人が抱えた赤ん坊は、母親に似て栗色の髪に青い瞳だ。父にはあまり似てい、その特徴を見たあの人は大層残念そうだった。
やはり父親に似ていた方が子供は喜ばれる。僕は奥さんにそっくりな子供が生まれたら嬉しいと思うけどな。
剣技は相変わらず嫌いだが、今ではハルクも相手にならない。魔法も嫌いだが、祖母を凌駕するほどの実力だとお墨付きをもらっている。
いきなり真面目に稽古するようになった理由は、跡取りになりたいからではない。僕より幼い弟が向いているならば、この席は受け渡そうとさえ思っている。
ただいざという時に強く無ければ、目の前にある大切な物さえ護る事が出来ないのだ。弱くて困る事はあっても、強くて困る事は無い。
「精が出るな、レオンハルトよ。」
「……おじい様。」
僕が強くなってから一番対応が変ったのが祖父だった。以前は練習だ訓練だと騒ぎ立てていたのだが、実力をつけてからはとやかく言われる事は無い。
「今日は剣の練習では無いのか?」
僕の手に握られた弓を見て質問される。
「敵は遠くからやってきます。それに、魔物を狩るにも遠距離からの攻撃は有効なので。」
武器は剣だけではない。弓や槍、斧やボウガン、棍棒でさえ武器なのだ。扱える武器の種類は多い方が良い。
「そうか、お前は賢いな。一年前とは大違いだ、何か戦うべき理由でも見つけたのか?」
「……僕の手の届く範囲の大切な人は、何物にも傷つけさせません。余裕をもって護るには、敵よりも更に強く無ければいけない。だから僕はもっと強くなります。」
母を護れなかった弱い僕はもう居ない。1年経った今ならば、母の魔力放出が魔力の受け皿となる魔核を護るための防衛反応だという事が分かる。
そして、母を連れ去った悪魔が恐らく幻の存在と言われた上位精霊であろうことも。
「己の母を護る事が出来なかった悔いからか。良いだろう、後悔は強さのバネとなる。今年から王都へ行くのだ。恥の無い様に鍛錬しなさい。お前はヘイデン家の時期後継者なのだからな。」
僕は今年から王都へ移る、初等科へ入学するのだ。他の子よりも2年遅いが、母の状態が落ち着くまで入学は控えようと父が説得してくれたらしい。
今の僕なら王都に行っても恥じる事は無いと、祖父も感じてくれている様だ。
「ご期待に副えるように精進いたします。」
後継の話は正直どうでもいい。王様がどんな人なのかもイマイチ分かっていないし、父の仕事を憧れとしている訳でも無い。
ただ、祖父の言った通りに進めば取り合えず強くなれるはず。そう思ってからは祖父に従うことにしている。
2時間ほどの鍛錬を終え、習慣になった読書をする。最近読んでいる本は(妖精と魔法、精霊読本)というタイトルの物だ。
妖精や魔法の基礎的なことが書かれた本で、学者向けだから少々難しいが読みごたえがある。本来妖精とはどんなもので、魔法がどこから発現されるのか、著者の仮説も含めながら説明されている。
切りの良い所まで読み終わり休憩にしようと思った時、丁度良く扉が叩かれた。
「レオナルド様、軽食をお持ちしました。」
「入って良いよ」
入室を許可して軽食を受け取る。夕食まであと3時間ほど、今この量を食べたら少し多そうだ。メニューはキノコたっぷりのキッシュとマフィン、香りのいい紅茶。
「少し量が多いかも、キッシュだけ頂くよ。」
「奥様から育ち盛りだからと受けっとておりまして……。」
「奥様……?あぁ、あの人の。分かった、頂くことにするよ。」
奥様か……使用人からすれば僕の母も弟の母も等しく奥様だ。分かってはいたけど、残酷だな。
一口キッシュを食べれば、バターの風味とキノコの風味が合わさって美味だ。そういえば、母の手料理はどんな味だったろう。物心ついたころには病床に伏していたから、僕は食べたことが無いのかもしれない。
「母上の料理、食べてみたかったな。」
そう思ってしまえば、その後の軽食は味気ないものだった。
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いよいよ春華祭当日、弟の母が見繕った衣装に袖を通し馬車に乗る準備をする。
「レオナルド君!私も一緒に乗って良いかしら?」
小さな弟を抱えて駆け寄ってくるその人に、思わず溜息を吐きたくなった。
「まだパーシーは幼いです。連れて行っても大丈夫なのですか?」
橙と肌色のチュールが華やかなドレスに身を包み、それと合わせたようなスーツを着込む弟。どこからどう見てもこの2人は親子だろう。
「私が抱えていれば問題はありません。それに、レオンハルトも様子を見に来てくれると言ってくれているので大丈夫です。」
産まれたばかりの赤子をずっと抱えて祭りに参加するのか……。いや、早く自分が産んだヘイデン家の息子を見せたいのだろう。
本妻が祭りに出てきていないのに第二婦人(体裁的な物だが)が祭りに参加していたら周りの目もあるだろうに。
「そうですか、僕は一向に構いませんよ。僕の許可よりも、おじい様とおばあ様に伺った方がよろしいのでは?」
「それも杞憂です。実家に顔を見せたいと言ったら快く了承してくれました。孫の顔を早く見せたいものです。」
この人はシルフィセレフの貴族だ。実家も勿論シルフィセレフの貴族領にある。そこにパーシーの顔を見せに行くという名目な訳か。
「そうでしたか、出過ぎた心配をしてしまい申し訳ありません。僕は会場に少し早く向かいたいのでもう出ますが、それでも問題ありませんか?」
「私も会場が混む前に向かいたい思っていたので丁度いいです。それでは乗りましょうか。」
僕の前を通り過ぎて一番に馬車に乗り込む。当たり前の話だ、あの人は一応僕の母親で年上、従って僕より身分も上だ。
「お足元に気を付けてください。」
「あら、ありがとう。」
こんなやり取りだって、もう慣れっこなんだ。
移動中は特にぎくしゃくすることも無く、平和に過ぎて行った。話題はコロコロと移り変わり、僕の衣装の話になる。
「そのスーツ、気に入ってくれたかしら。」
「はい。弟のスーツや、ドレスとも相まって素敵だと思います。」
僕のスーツは、薄い水色に襟や袖口のみ紺色で、ボタンが金色に光るシンプルなものだ。去年の花柄に比べて地味だが、拘った彫刻の純金ボタンとヘイデン家の家紋ブローチが華やかでちょうどいい。
弟とあの人のドレスは、僕の色彩をひっくり返したような色味で橙と肌色、緋色を使って彩られていた。
「私たちは血こそ繋がっていないけれど、家族ですから。春華祭やイベントごとの衣服を決めるのが、代々嫁の役割と聞いて緊張していたの。気に入って貰えて嬉しいわ。」
例え自分たちの衣装を決めた後で、ついでに僕の衣装を考えたとしても満足できる服だと思う。
だって僕は知っているから。この胸に光る家紋のブローチが、祖母の言い付けによって飾られたものであることを。
本当は地味に仕立て上げたかったのだろう。水色も華やかではあるが、春らしい橙には敵わない。それを見越してのデザインだったはずだ。
「とても気に入っています。シンプルですがそれによって品があって、幼い僕に似合うか不安ですが、祖父母にも褒められたので胸を張って祭りに参加したいと思います。」
そんな他愛もない話をして20分、春華祭の会場に到着した。
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「まだダンスの時間には早いので、会場を見て回ろうかと思うのですがどうでしょうか。」
「私たちはまず実家へ顔を出そうを思っているから、レオナルド君はお友達と遊んで結構よ。ただ、迷子になったりしないようにね。」
迷子にはならないので安心してくださいと一言残して、弟たちと別れる。僕が一直線に向かうのは、彼女に会ったあの場所だ。
会場を少し離れた、森の中にある小さな泉に迷うことなくたどり着く。
「ソフィア。」
「お久しぶりです。レオナルド、少し背が大きくなりましたか?」
彼女は何も変わっていないように見えた。立ち振る舞いが少し落ち着いたか、それとも何か有ったのだろうか。
一歩前に踏み出そうとしたとき、泉の向こう側に居たソフィアが姿を消した。いや、今の僕には見える。移動したんだ。
「僕は警戒するに値しますか?サラさん。」
去年の今日、僕は弱かった。肉体的にも、精神的にも。誰にも警戒されることなく、この天使に近づくことが出来たんだ。
でも今の僕には少々力があるようだ、護衛の女性を表に出すくらいには。
「強くなったんですね、レオナルド様。お嬢様には近づかないようにお願い致します。」
「サラ、彼は大丈夫よ。なんとなくわかる。」
横抱きされた状態で、首に腕を回しながら耳元で囁くように話す彼女は何となく艶めかしい。
「私の仕事はお嬢様をお護りする事です。去年とは全く違う人の様ではありませんか。」
「そうね、でも何も変わっていないわ?強くなっただけよ。だから安心して。」
そう言って彼女は泉を半周しながら僕の元に歩いてきた。ゆらゆらと靡く白金の髪や、透けそうなほど白い肌は、彼女をこの世のものでは無いかのように引き立てる。
「私に用があって、また来てくれたの?」
「去年の約束を果たしに来た。隠してた事は、母が死んだなんて言う、珍しくもなんともない事だって伝えるためにね。」
去年の僕は意固地だったろう。隠さなければいけないと思っていた。いや、あの頃の僕は母の死を口に出す事も出来なかったろう。今でさえ、震えそうな唇を嘲笑を浮かべることで堪えているのだから。
「……お母様が亡くなったの。ごめんなさい、私ったら何も知らずにひどい事を言ってしまったわ。」
「いや、君の言ったことは間違っていなかったよ。僕は自分に嘘を吐いて、押し殺してたんだから。」
「悲しい気持ちに、蓋をしなければいけない理由が有ったのね。」
「でもその理由に従わなければいけない自分自身が一番嫌いだった。自分の事が大嫌いだけど、放置する事も出来ないから強くなった。」
「理由を付けて悲観するのは簡単よ。でも、そこから行動に移すことは簡単ではないし、誰にでもできる事じゃないわ。」
ふと顔を上げると、彼女は悲しそうな顔をしていた。彼女の人生は、どんなものなのだろう。護衛が居て、これほど見目麗しいという事は相当なお嬢様なはずだ。
僕のくだらない話を親身になって聞いてくれるソフィアに、僕は確かに惹かれて行った。
「ありがとう。簡単に話したけれど、約束通り僕と踊ってくれますか?」
「えぇ、勿論。ヘイデン様、私でよろしければ是非。」
膝を折ってわざとらしく手のひらを差し出した僕に、同じく演技臭く、けれど美しい所作で、ソフィアは手を重ねてくれた。
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会場までは僕の案内で行くことになった。ソフィアは何でここまで来たのと聞いたら、馬車で来たけど護衛が邪魔で巻いてきたと、お転婆な返事が返って来た。
「そういえばソフィアはこの街の子じゃないよね?どこから来てるの?」
「家は王都にあるの。数年前から、満開の花と良質な魔力を目当てに遊びに来てる。ここはとってもいい場所ね。王都と違って煩くないし、私を知ってる人も少ないわ。」
なんとソフィアは王都のご令嬢らしい。それはこの田舎町のお嬢様とはひと味違う訳だ。
それより気になる事が有る。
「……良質な魔力って?」
「私は治癒系の魔法が得意なんだけど、光の特性なのか生まれつきなのか、魔力に敏感なのよね。綺麗な魔力と、濁った魔力を見分けられるというか……表現が難しいんだけど。」
「……奇遇だね、僕の母も治癒魔法が得意だったよ。そうか、魔力に対して過敏という症状もあるのか。」
「何か覚えがあるの?」
「僕の母は魔力が過剰だったんだ。器に対して魔力が多すぎて、魔核に負担があったんだと思う。」
ソフィアの言い分だと魔力には種類がある、いや、個性があると言った方が正確か。属性によって魔力の色が変わるように、人によっても特徴があるのかもしれない。
「レオナルドって強いだけじゃなくて頭も良いのね。魔核なんて、魔法の専門家が使う専門用語じゃない。一般の人は心臓から魔力が生まれるという説が通ってるのに。」
「確かにそれは正しいと思う。魔核の場所は心臓の後ろって説が有力だけど、正確には解っていない。ほぼ確定でも、証明されていなければ教える事も出来ないだろうしね。」
まるで子供のする会話とは思えないが、ソフィアとの会話は周りの友達とは違って中身が深くて面白い。彼女も魔法の勉強をしているのか、色々な本を読んで知識を蓄えている僕と対等に話が出来ている。
お互い大人なら、実験という形にして試してみたいものだ。
「ここが子供の控えの会場、右側の席が女の子用で、反対側が男子、他の人から誘われても断ってくれよ?」
「大丈夫、レオナルドとしか踊る気なんて無いから。それにしても随分豪勢なステージなのね。」
「シルフィという精霊が子供好きらしい。だから春を祝う祭りに、子供のダンスという催しを組み込んだんだ。古い本に遺された言伝えだから、正しいかどうかは分からないけど。」
シルフィセレフの図書館に、厳重な鉄箱で保管された本がある。それはシルフィセレフの起源が書かれた本で、写本が大量に流通し各家庭に保管されている。
その中の一説、上位精霊シルフィがこの地を選んだ理由が、荒れ果てた開発される前の土地に捨てられた赤子を気に入ったからと説かれているのだ。
精霊がその子供を育て、この地を耕し豊かにしたと。だからシルフィは子供好きであると信じられている。
「そんな逸話があるのね。ロマンチックで素敵だわ。この地は確かに精霊に愛されていそうだもの。」
景色を楽しむ彼女に視えている世界は、僕とは違うのだろうか。
「おーい!レオナルド!」
「ハンク!」
親友が僕とソフィアの存在に気が付いて駆け寄ってくる。瞳を見開きながら進むハンクに冗談抜きで笑い出しそうになった。
「おいおいレオナルド、いつの間にこんな綺麗な子連れて来たんだよ。」
「初めましてハンク様、ソフィアと申します。」
「久しぶりだなハンク、挨拶より先にそんな事を言うのかよ。」
「言いたくもなるだろ!初めましてソフィアさん、レオナルドの友人のハンクと申します。」
僕に対する対応とは全く違う仕草でハンクがソフィアに挨拶する。彼女の視線がハンクに攫われるのが嫌で、思わず間に割って入った。
「彼女は僕のダンスの相手をしてくれると約束してくれたんだ。母上は相変わらず来れなかったけど、相手が出来ただけ進展しただろう?」
「……?母上は来ていないのか?ローナ夫人が来ていたから、てっきり今年は参加していると思っていたが早計だったか。」
「弟を顔見せするらしい。生まれたばかりだけど、実家に行くと言ってたからな。」
街の人が集まる祭りに、第一夫人を差し置いて第二夫人が来ているという事が考えられないのだろう。僕だってそう思う。だけどしょうがないのだ、母はもうこの世に居ないのだから。
「そうなのか……。まぁ弟君にとっても祖父母になる訳だし、会わせたい気持ちもわかるか。」
いつのまにか僕たちの周りには人だかりができていた。話しかけたいのかそわそわとこちらを伺いみている。
「父上も遅れて会場に来るらしいから大丈夫だろうって言ってたな。それより、ハンクと話したいんじゃないのか。集まってるご令嬢たちは。」
目線を人だかりに移すと、小さい悲鳴が上がる。風習として男から誘うようになっているが、ハンクに関しては話しかければ踊って貰える可能性がある。……許嫁がいるから非常に難しい事ではあるが。
「俺は相手が居るからなぁ。レオナルドだろ、毎年誰とも踊って無いんだから。」
「あら、レオナルドはモテモテなのね。」
僕たちの話に耳を傾けていたソフィアが話に混ざってくる。
「そんなんじゃないよ。皆僕の家に興味があるだけで、僕なんておまけみたいなものさ。」
「家柄がそんなに大切かしら。家柄が良くても、気の乗らない人とは関わりたくないわ。」
「嫌だったら申し訳ないけれど、ソフィアさんの苗字は……?」
「……私?あまり驚かないで欲しいんだけど……。フルネームはソフィア・フォン・レイムです。」
「……レイム?レイムってレイム教会教皇の一族の名前じゃないか。それにフォンって直系しか名乗る事の許されていないミドルネームじゃないか……?」
「教会のご令嬢?」
「ご令嬢なんてもんじゃない、教会のトップのご息女だ……。王族と大して身分も変わらないだろ。」
出会った天使が、聖女だと分かった瞬間だった。
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