15話 レオナルドの追憶②
目が覚めたら、懐かしいベッドの上だった。
視線を移すと、ベットサイドに座った父が上半身をベットに預けた状態で寝ている。
大きく息を吸い込むと、さっきまで嗅いでいた匂いが鼻を掠める。
体を起こし父を起こそうと手を伸ばすと、父の指に不格好な指輪が填められていた。
「父上、父上、起きてください。」
ゆらゆらと体を揺らすと、僅かな呻き声を上げて怠そうに瞳を開いた。
「レオナルド、起きたのか。」
「父上、今は何時ですか?僕はどれほど寝てしまっていたのでしょう。」
辺りを見回すと、窓の外は真っ暗で夜であることは解る。春華祭の前夜にあんなことがあって、僕は参加を逃してしまっただろうか。
母はきっと、ここで僕が泣きじゃくってボロボロになっていくのは望んでいない。情けなく泣きたい気持ちは山々だ。今だって人目を憚らず泣きじゃくりたいし、母を助けようと動いてくれなかった父や祖父母を責めたい。
そして何より、何もできなかった自分が憎くて憎くてたまらないのだ。だけど母はそんな僕の姿を望んでいないだろう。
だからこそ、強く、正しく、逞しく振舞うんだ。
いつか母のもとへ行ったとき、恥じなくても済むように。
「まだその日の夜だから問題ない、今日何があったか覚えているか?」
父への懐疑心や憎しみは、これから永遠に消える事は無いだろう。だが僕は子供だ、母が何を言わんとしていたか、今の僕にはわからない。全てを理解して、それでも父や祖父母を許すことが出来なかったら、この気持ちに蓋をするのは止めよう。
「覚えています。母上が死にました。」
「……そうだ。クレアは天に昇ってしまったんだ。お前はずっとクレアの傍にいたわけだが、何があったか説明できるか?」
……お前らが来なかったから僕が行ったんだ。そう言ってやりたい気持ちは山々だったが、何とか押し殺して説明する。
「光輝いていた魔力は間違いなく母の物でした。僕がベットに近寄ったとき、母は眠っていたようでしたが、僕に気づいて名前を呼び精霊に助けを求めていました。」
「精霊に……?」
「母は、少しだけ時間を頂戴と言っていました。次第に母の体から出ていた光が収まり、顔色が戻ると背中に悪魔を携えて普通に話し始めました。」
「悪魔ってなんだ?」
「僕にもわかりません。母は精霊と言っていましたが、どう見ても悪魔でした。黒い肌に赤い目をした魔物の様な見た目で、僕の事を睨んでいました。」
「そうか……まぁ母親が亡くなったんだ。恐怖で無いものが見えていたとしても不思議はない。」
父は僕が見た悪魔の存在を信じていない様だ。悲しみのあまり幻覚を見たとでも思っているのだろう。
「ここからは大人の話だ。レオナルドが理解できなくてもしょうがないと思うが、聞いてくれるか?」
僕の記憶が途絶えた後、目を刺すような光が収まりまず父が部屋に入った。部屋の中には、ベットに項垂れている僕と、父が填めている指輪、そして母が着ていた服だけが残っており、肝心の肉体は無かった。
肉体が無いと母の死が証明できない為、家で一旦調査してから母の死を役所に届けるらしい。だから解決するまで母の死を内密にする事、明日の春華祭は何食わぬ顔で出ることを、父からお願いされた。
勿論自分勝手で保身しか考えていないんだなと思ったが、母の死に関して調査をしてくれるとの事だったので一応了承した。
肉体も供養してあげないと母が可哀想だ。
「分かってくれてありがとう。今日は疲れただろうからもう寝なさい。自室に戻れるかい?」
「……今日は母の部屋で眠りたいです。」
「……そうか、良いだろう。クレアの死は、春華祭の後に家族だけでとりあえず供養しよう。」
おやすみと言って父は部屋を出て行った。僕の体に異常が無い事を確認したかったのだろう。自分の妻が死んだというのに随分とあっさりとしているものだ。
もう二度と、母がこの家に戻ってくる事は無いのに。
母の匂いが残るベッドで毛布しがみつくようにして、幸せの記憶をたどりながら眠りについた。
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目覚めは無論、最悪だ。
母の一件があってから夜まで眠り、起きてから父と話してまだすぐ眠りについた訳だが、ゆっくり休めた気はしない。
昨日まで母が眠っていたベットに後ろ髪をひかれながらも、朝の支度をする為に自室に戻った。もうそろそろ使用人が洗顔用の水をもって部屋に来る頃だ。父や祖父母ならともかく、使用人にみっともない姿を見せる訳にはいかない。
「おはよう。」
僕の部屋の前で、自身の身だしなみを整える使用人に声をかける。
「れ、レオナルド様!お部屋から出ておられたのですか!」
使用人の言葉を無視して自分で扉を開け、中に入る。
「昨日は母上の部屋で眠ったんだ。そろそろ起きる時間だと思って、部屋に戻ろうとしていたところ。」
僕の後ろに続いて使用人が入ってくると、僕の前に水の入った桶を掲げる。
水をすくいあげ顔を洗い、腕にかかるタオルで拭く。
「着替えは?」
「お召し物を汚しては困りますので、朝食は部屋着のまま自室で摂るようにと仰せつかっております。」
母以外に僕の身の回りの世話をすると言えば、祖母しか有り得ない。
部屋のソファーで朝食を待っていると、目当ての物をもって、珍しい人が部屋へ入って来た。
「おばあ様……僕の部屋に来るなんて珍しいですね。あ、どうぞこちらへ。」
自分の座っていたソファーの前の席を勧め、奇妙な朝食会が始まった。
「レオナルド……昨日は私の制止を振り切って母の元へ向かいましたが、どうですか?体に異常は有りませんか?」
祖母は昨日の僕の行動を責めに来たのだろうか。
「父が様子を見に来てくれたのですが、体の不調はありません。なので安心してください。」
母を失った次の日に説教なんてうんざりだ。
「レオナルド……貴方はまだ、幼く、無知で、脆い。それに比べて私は、歳も重ねていて少しばかりの知識もあり、成長した体があります。
体に関しては、老体なので貴方より脆いかもしれませんが、それでも危険を察知する能力は長けているつもりです。」
祖母にしては珍しく、遠回りに話をしてくる。この不穏な空気が何とも言えず気まずい。
「あの部屋は、膨大な魔力に包まれていました。魔力に抵抗する術を知らない貴方が乗り込むには、とても危険な状況だったのです。」
言われたことは、概ね昨日と同じだ。聞いていましたとも、あの場が危険だってことぐらい。使用人が蹲っていたし、強いはずの祖父や父でさえその場で困り果てていたのだ。
余程イレギュラーな事態だったのだろう。
「私は貴方が大切です。これは今まで口を酸っぱくして言ってきましたよね?ですがそれは、ヘイデン家の跡取りだからだけでは無く、貴方が大切な孫だからというのが第一にあるのです。」
祖母の口から語られたのは、珍しく恨み言では無く僕への愛情だった。
僕みたいな出来の悪い子供は、好きでは無いと思っていた。母の元へ駆けつけ、抱きしめられると愛情とはこれだと確信した。
それが感じられない祖父母は、僕の事が好きでは無いのだと勝手に思っていたのだが……。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。あの時は僕も気が動転していたので、声に耳を傾けることが出来ませんでした。」
やはり僕は、余り家族の事を理解していないのかもしれない。
「貴方が無事ならそれでいいのです。それと、これは言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませんが……私は、クレアさんを助けなかったわけではありません。助けることが出来なかったのです。この意味を貴方はまだ知らないかもしれませんが、伝えておきたいと思ったので言っておきますね。
さぁ、早く朝食を頂きましょう。今日は私たちも春華祭を見に行きますから。」
祖母の言葉の意味を僕は理解できなかったが、その後の食事は少しだけ楽しいと思えた気がした。
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一張羅に着替えて、父と祖父母と馬車に乗り込む。銀色の馬車はこの家の誇りだ。現王様から代々賜って来たもので、この馬車に乗れるものは国でも限られているとか。
誇りがなんだ。大切な人1人も守れないくせに。
会場に着くと、あたりはお祭りムードに包まれていて、我が家の昨日の喧騒なんて嘘のようだ。楽しんで駆け回る子供たちを見ると、僕もこんな気持ちになるはずだったとひしひしと実感が湧いてくる。
母が死んだという最悪の実感が。
「レオナルド、具合でも悪いのか?」
僕の顔色を見かねた父が話しかけてくる。お祭りだというのに防具をスーツの下に着こんでいる父は、家で見るより一回り大きい。
「大丈夫です……早めに控えの席に行っておきますね!」
平然を装って控えの席に向かうと、時間が早いからか子供も疎らだった。一人になりたいと思っていたから丁度良い。
「母上はもう……」
思わずこみあげてくる涙を必死にこらえて、気持ちとは裏腹に飾られた花や装飾を眺めた。母とみるはずだった満開の花は、僕の気持ちを無視するように咲き誇っている。
「レオナルド……?どうかしたのか?」
話しかけてきたのは友人のハンクだった。所謂幼馴染、僕と違って勇猛果敢で剣技も得意だ。虚無で花畑を見つめていた僕を、心配してくれたのだろう。
「なんでもないさ、ただ……」
「わかった!今年も母上が観に来れなくなったのか?それならしょうがないだろう、体調の善し悪しなんて当日になってみなきゃ本人だって分かりっこないんだから。」
ハンクの的を得た指摘に思わず口を開けて驚いてしまう。肝心な部分は勘違いしているが、これなら全く関係の無い嘘を吐いて誤魔化すよりよっぽど良いだろう。
「その通りだよ……今年こそはって言ってくれていたら余計ショックだったんだ。」
「また来年、見に来てくれるかもしれないだろう?それより、誰をダンスに誘うか決めないと。」
5歳から春華祭に参加しているが、僕から女の子をダンスに誘ったことは1度もない。こういう色恋沙汰とは縁が無いし、興味もない。
周りの大人たちが僕に注目していると自覚すればするほど、誘いづらくもなってくる。
「今年も適当に誤魔化すよ。僕は好きな子も特にいないし……」
ハンクは家に決められた許嫁と毎年踊っているし、女子からの誘いは断らないから相手の心配は無い。それに比べて僕は、15歳までに意中の相手が居なければ許嫁を用意すると言われている。
それまではゆっくりと相手を探すつもりだ。
「そうやって言ってると、美人の子はどんどん売れて居なくなっちゃうぞ!」
「別に女の子は見た目だけじゃないだろう?ほら、司会の人が来たぞ。」
ハンクがそさくさと席に着くと、毎年恒例のアナウンスからダンスが始まった。
定番のクラシックが会場を彩ると、今日の為に着飾った少年少女がくるくると回る。僕は一曲目は相手が居ないので、1人でステップを踏んだ。これも毎年恒例の出来事だ。
2曲目に移ると自動的に相手が回ってくる、不自然なのは1曲目だけだ。気乗りしない相手を誘うよりよっぽど良い。
踊っている間は、母の訃報も忘れられる気がした。
ダンスステージが終り父の元へ戻ると、祖母が屋台で買ったと思われるジュースを僕にくれた。果物の堅い皮をそのままコップにして作られたジュースは濃厚で美味しい。
「ありがとうございます、おばあ様。」
「レオナルド……貴方ダンスするお相手も居ないのですか?」
眉を八の字にして困る祖母を見て、僕も困ったように眉を顰める。気の乗らない相手と踊る気はないし、10歳の子供に色恋沙汰など求めないで欲しい。
「初めてのダンスは、意中の方と踊りたいだけです。相手が出来れば、僕も1曲目から堂々と踊りますよ?」
事情を説明して屋台の間を潜り抜け、行きつけの飲食店で昼食を食べる。ヘイデン家が来たとの事で、2階のVIPルームに迎え入れられ大層目立って気分が悪かった。
「ここの料理はいつ食べても美味しいな。」
父が名物のシチューを焼き立てパンに潜らせながら呟いた。メニューを見れば庶民的な店と思われがちだが、これはお祭りのための特別メニューで普段はお堅いコース料理が主流のお店だ。
「お店の主が変わってもなお、味は変わらないという点でお店の拘りを感じますね。」
祖母が上品に味の感想を述べる。他愛もない話をしていて昼食を楽しんでいると、1人のウェイトレスが席に訪れた。
「レオナルド様へ、ハンク様から伝言を預かっております。迷路で待っているので、食事が終わったら来てくださいとの事でした。」
ハンクから遊びのお誘いだ。僕はもう自分の分を食べ終わっているし、この辺で大人とはお暇させて貰おう。
「ハンクの所へ行っても良いですか?」
父にゆだねると、余り遅くならないようにと制約付きで遊びを許された。
「わかりました。それでは失礼させて頂きます。」
席を立って店から出ると、自分の体が軽くなったように感じた。
家族と居ると思いだしてしまうのだ。母の凄惨な死を、僕の無力さを、家族の残酷さを。
とぼとぼとハンクの居る迷路まで足を勧めていたのだが、歩いている途中で遊んでいるような気分ではないと思いなおした。
「……いくら何でも、母が亡くなったばかりだというのに友達と遊び惚けるのは如何なものか。」
方向を変えて、賑やかな会場と少し離れた場所へ歩き出す。少し背の高い木々に囲まれた先に、小さな泉がある。その先に一本だけ孤独に立っている桜の木が、僕の秘密基地だ。
桜という花は、大昔におかしな研究をしていた変わり者が、違う世界の植物だと言いふらしていた物らしい。この国では定番の春の花だ。
いつも通りの獣道を抜け、突然切り取られたようにある空間にたどり着く。
普段は誰も居ない僕の秘密基地。そこには先客がいた。
「……天使か?」
「……?ごめんなさい。天使では無いの。」
そこに居た少女は、水辺に浮いた桜の花弁を、指でゆらゆらと触りながら僕に言った。
洋服や肌の色まで真っ白な彼女は、衣服のどこも汚れているようには見えない。
「君は一人で来たの?」
「まさか、私一人ではこんな奥地まで来られないわ。サラ、出てきて!」
少女が名前を呼ぶと、桜の木の後ろから女騎士と言った風貌の女性が顔を覗かせた。彼女の護衛だろう。
「ソフィア様、お呼びですか?」
「もう、いくら歩み寄ってきた人が少年だからって無視するのはどうかと思うわ!もし優秀な暗殺者で、私を殺しにかかったらどうするのかしら。」
「そのような腕利きな者ならば、近づいてきた時点で私に気づいているはずです。見てください、口をあんぐりと空けて、私に気づいていたとは思えません。」
ソフィアと呼ばれた少女が僕に向き直ると、顔を見てクスクスと笑い始めた。
「あら、そんなに驚いた?私はソフィア、貴方の名前は?」
「レオナルド……レオナルド・アーサー・ヘイデンです。」
少女が指先を、視線を動かす度、余りの美しさに息をのむ。人形みたいだ、いや、今まで見たどんなものよりも圧倒的に美しい。
「そう、レオナルドね。少し私とお話ししてくれる?」
手招きして隣を勧める少女に引き寄せられるようにして足を進める。
「貴方、何か悲しい事があったみたいね……誰かに話したら、感じている痛みも和らぐかも。もしよかったら聞かせてくれないかしら。」
全てを見透かすような澄んだ瞳、的確な言葉、この天使は人の心が読めるのだろうか。
「悲しい事なんて……ありませんよ?」
強がって嘘を吐く。普段はつかない嘘を、僕はこれからどれだけ吐けばいいのだろう。母の死が解明するまで?本当に原因なんて突き止められるのだろうか。
母の亡骸はきっと、あの悪魔に連れていかれてしまった。人間がいくら騒いだところで、悪魔にとっては滑稽だろう。
「……嘘は自分を濁らせる。最初は、透明な水にインクが一滴落ちる程度でも、重ねれば水は黒く濁ってしまうの。」
「……?」
僕が首を傾げると、ソフィアは悲しそうに囁いた。
「視た方が分かり易いわよね。精霊よ、我が意思に応えよ。」
僕の体からじんわりと魔力が吸い出される。その感覚は不思議なものだったが、悪意のない魔法に抵抗を止めた。
体から離れた魔力は、空中で球体となり、水晶のようになって実体となる。
「これが貴方の魔力、綺麗な翠……。でも見て、中心が少し黒く変色している。これは、貴方の魔力が濁っている証拠よ。……何がそんなに恨めしいの?」
「僕は……なにも恨めしいなんて思っていないよ!」
「どうして自分の気持ちを押し殺すの?言えない、ではなくて感情を押し殺して、否定してしまっている。それが魔力を濁らせている原因なのに。」
言っちゃだめだからだよ。そんな、母が死んだなんて初対面の相手に言えるわけないだろ。僕の家は立派な家系なんだ。お家騒動なんて、言いふらすもんじゃない。
わかってる、もう10歳なんだ。母が死んだくらいでめそめそしてはいけない。男で、跡取りなんだから。
寂しい、泣きたい、悲しい、悔しい。抱いた感情を認めてしまえばきっと耐えられない。だから知らないふりをするんだ。
「誰にも言えない悩みや辛さを抱えても、助けてなんてくれない。吐き出すから、相談するから助けの手が伸びるのよ。
そうやって、自己犠牲で何かを護ってる人を沢山見てきた。でも結果は同じ、水がコップから溢れるように、貴方の器が壊れるだけよ。」
素直じゃない人は嫌い。そう言って彼女は僕の隣から立ち上がり、護衛の方へ足を進める。
「君は!何も隠してる事なんて無いの?何も否定せずに、全てを受け止めて生きてるのか!」
まだはっきりと見える距離に居るソフィアに、必要以上に大声で叫んでしまった。
「私は、自分が傷つくようなことは抱えないし、受け止めるというより、赦してあげるわ。自分を押し殺して知らないふりをしても、心の底で殺した感情が渦巻いて自身を怪我してしまうもの。」
冷たい瞳で言い放った後、彼女は間違いなく言い放ったんだ。
「貴方が来年、素直にお話ししてくれたら私がはけ口になってあげる。」
そう言って彼女は姿を消した。
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