8:まずはお友達から
スヴァルトは真面目だから、もう店には来ないだろう――そう思っていた時期が、クシェルにもあった。
彼女は一つ、思い違いをしていたのだ。彼の真面目具合を。
クシェルが予想するよりもはるかに、スヴァルトは生真面目、いや、馬鹿真面目であった。
なんと彼は翌日から、毎日店に通うようになったのだ。
ある時はハザフ付き――彼とペアで行動しているようだ――で。またある時は単独で。
当初クシェルは、彼は自分を監視しているのだろうか、と疑っていた。
クシェルがスヴァルトのよろしくない噂を流すのでは、と恐れられているのだ、と。たしかにクシェルも、自分が地雷や腫れ物である自覚はある。
あるいは、彼の人生の汚点そのものだとも。
しかしどうやら、そうでもないようだ。
彼から何か、探りを入れられることもなかったのだ。むしろ、ほとんど話しかけられない有様だ。
ただ代わりに、どこか気遣うように見つめられることが度々あった。
次いでクシェルは、心配されているのだろうか、と推測した。
責任感が強く、そして馬鹿真面目と分かった彼のことだ。自分の責任だと考えて、慣れない接客業にヒーヒー言う彼女を見守っているのではなかろうか、と。
こちらはいい線を行っていた。
ただし、彼はやっぱり馬鹿真面目、いや、クソ真面目であり。
彼女の想定の、斜め上を飛んでいた。
「クシェル殿、結婚しましょう」
ある日の客が捌けた瞬間を見計らって、こんなことを言いだしたのだ。
クシェルは頭が真っ白になった。大きな目を剥き、口を半開きにして、固まる。
「……そんな、急に宇宙の話をされたような顔を、しないで下さい」
よほどの間抜け面だったのだろう。スヴァルトは思わず、といった様子で笑っている。久しぶりに見る笑顔である。
それにしても上手いたとえだ。
「いやいや、宇宙顔になるよ。急にそんなこと言われたらさ」
細い指で頬をかくと、スヴァルトはしかめっ面で銀ぶち眼鏡を押し上げた。
「自分としては、熟考の末の提案なのですが」
「そっか。うん、気持ちはありがたいけど、お断りするよ。そこまで気にしなくていいからさ」
励ますようにぽん、と彼の胸板を軽く叩く。
しかしスヴァルトは、すぐに首を振った。首を振っても、彼のオールバックは崩れない。
「自分が気にします。どうか、責任を取らせて下さい」
「取らんでいいって。私は今の生活を気に入ってるし、何も不満なんてないからさ」
ようやく馴染んで来たエプロンを摘み上げ、クシェルは彼を見上げる。ついでに、歯を見せて笑った。
その笑顔を見下ろして、スヴァルトは眉間に深いしわを作っている。
「それは、そうなのかもしれませんが……」
平行線を進む若者二人を、見てられないと思ったのだろう。
厨房から、ラータがぬっと姿を見せた。幸いにして、包丁の類は握っていない。そして威風堂々たる足取りで、こちらへやって来る。
「常連が増えてくれるのは嬉しいがね。うちの看板娘を困らせる客は、お断りだよ」
ふん、と荒々しい鼻息と共に、ぶっきらぼうな言葉が投げつけられる。
途端にスヴァルトが青ざめた、ような気がした。
「すみません! つい、どうしても……クシェル殿のことが心配で!」
「気持ちは分かるがね。この子はもういいと言ってるんだ。しつこい男は、嫌われるよ」
そう言って、スヴァルトをねめつけるラータの背中を、クシェルは優しく撫でた。
「まあまあ、ラータさん。スヴァルト君も、悪気はないから」
次いで、スヴァルトに向き直って彼の顔をのぞきこむ。
「本当に、謝罪も責任もいらないんだよ。私は何にも気にしてないから」
「クシェル殿……」
一瞬、傷ついたように弱々しい顔が、スヴァルトに浮かんだ。
しかしすぐ、いつもの険しい表情に戻る。そして視線も、足元に落とされた。
「……自分が浅はかでした、すみません」
目に見えて落ち込んだ彼に、クシェルはつい苦笑。やはり、彼はクソ真面目である。
「いやいや、気にしないで。それにさ、もしここのご飯を気に入ってくれてるならね。それ目当てで通ってくれるのは、ほんとに大歓迎だからさ」
スヴァルトの顔が持ち上げられる。どこか不安げな青い瞳が、まっすぐクシェルを見る。
三白眼ごときで怯むクシェルではないので、彼女もじっと見つめ返した。
「スヴァルト君、どうしたんだい?」
少し身をかがめ、スヴァルトは目線を合わせた。そのまま、クシェルに尋ねる。
「それなら……ここの常連になることと、貴女の友人になることを、願ってもよろしいでしょうか?」
「え? 友達?」
男の友人など、二十年生きて来て持ったことがない。思わず、クシェルは素っ頓狂な声で問い返した。
ラータも、真意を掴みかねているようで、顔をわずかにしかめている。
二人の鈍い反応にもへこたれず、スヴァルトは続けた。
「自分は庶民の出です」
「え、それで聖騎士になったんだ。すごいな」
「恐れ入ります。とにかく自分は、街での暮らしにも慣れております」
眉間のしわをますます深くして、彼は力説した。
「ですから貴女がここに馴染めるよう、微力ながらお手伝いを出来れば、と思った次第です」
「真面目だなぁ、君は」
へへ、とクシェルは笑った。
プロポーズは正直重たいが、今の彼の心遣いはありがたかった。
「スヴァルト君さえよければ、それじゃあ友達になってくれるかな?」
「はい! もちろんです!」
喜色満面でうなずいたスヴァルトは、すぐさまその場でひざまずいた。
「何してるんだ、スヴァルト君?」
金のおさげを揺らして、クシェルは尋ねる。
「騎士の礼です」
「はい?」
思わず声が裏返った。
仰天するクシェルを、いつになく凛々しい表情を浮かべるスヴァルトが見上げた。
「自分の忠誠などご不快でしょうが、貴女への誠意を表す方法を、自分は他に知らないもので」
「いや、友達なんだから! 忠誠心とかいらないよ!」
クシェルは叫び、ラータもやれやれ、と首を振っている。
やはりスヴァルトは、クソ真面目だ。世俗には慣れているのかもしれないが、彼の方こそ友達がいないのではないだろうか、と不安を覚えるクシェルであった。