7:思わぬ再会
マルツ亭はラータの自宅兼店舗であった。
店の二階が住居部分である。
ちなみに彼女の夫は数年前に他界。一人息子は遠方で暮らしているという。また、屋号はラータの姓から取っている。
クシェルには二階の、小さいが日当たりのよい部屋が与えられた。
そこで暮らし始めて、早一週間。
顔に似合わず……と言うと失礼かもしれないが。とにかくラータは、教え上手で気配り上手だった。
接客業未経験のクシェルでも分かるよう、些細なことも噛み砕いて説明してくれる。
またクシェルも素直な性格をしているので、それを全て、余すところなく吸収していく。
おかげでこの一週間で、彼女もどうにか様になって来た。
そんな時だった。
お昼休憩中の騎士二人が、店を訪れたのは。
クシェルの知っている聖騎士たちは規律も厳しく、また責任も重かった。
そのため全員がいつも、それはそれは険しい表情で任務に当たっていたのだ。私語も最低限しか行わない。
しかしサイジェントの騎士たちは、それとは真逆であった。
街で出会っても、恐ろしく愛想よく挨拶をしてくれるのだ。おまけに向こうから、新参者であるクシェルにも、なんだかんだと話しかけてくれる。
やれ、どこどこの店は品揃えがいいだの、あそこの夫婦は現在喧嘩中だの、と。さすがのクシェルも、最初は面食らったものである。
しかし、それにつられてクシェルもつい、私情をぽつりぽつりと話したものだから、彼女が割といいとこの出のお嬢ちゃんであることもまた、街中に広まっていた。
もちろん、元巫女であることは伏せた。
だがそれが、仇となっていた。世間知らずな彼女とマルツ亭を結びつけるため、住人はクシェルを「温室育ちで屋敷から出たことがなかった、没落貴族の令嬢」だと認識しているようである。
何度か客から、
「お家が大変なんだってね、頑張ってね」
と励まされ、その噂を知ったのだった。
クシェルのやらかしで、実家は確かに大変な思いをしているかもしれない――と考え、これについては特に否定も肯定もしていない。
なお、その憶測が広まった原因である騎士について、
「あいつら、暇人なんだよ。だから井戸端会議が、仕事の一環になっちまってんだよ」
とはラータの持論だ。
だが、今現在重要なのは、その井戸端会議騎士の片割れが、スヴァルトだったということだ。
一ヶ月以上会わなかった間に、スヴァルトはどこかくたびれていた。聖騎士とは違う、青い制服もよれている。
しかし眼鏡の奥の、眼光の鋭さは変わらずであり。
その青い三白眼が、驚きで見開かれてクシェルを見つめていた。
もちろん、クシェルの緑交じりの茶色いどんぐり眼も、いつも以上に大きくなっていた。
――神殿長は、スヴァルトの左遷先を把握していなかったのだろうか。
――だが、手紙を受け取っていたはずだ。
――いや、ああ見えて彼女は案外そそっかしい、おっちょこちょいなのだ。単なるうっかりの可能性も高い。というかそうだろう、きっと――
一瞬の間に、クシェルはこれだけを考えて、察した。
スヴァルトはというと、落ち着きなく黒髪を撫で、眼鏡をいじりながら、視線をさ迷わせている。
「どうした、スヴァルト?」
先輩らしき騎士が、彼の狼狽に気付いて顔をのぞきこむ。スヴァルトは背が高いので、下から顔を眺めやすい。
次いで先輩騎士は、同じくびっくり顔のクシェルにも気付く。
「ひょっとして、お嬢ちゃんと……知り合い?」
我に返ったクシェルは、いつもの笑顔でうなずいた。その拍子に、みつあみにした金髪が弾んだ。
「はい。昔馴染みです」
そしてスヴァルトに駆け寄り、背伸びして肩を叩く。
「久しぶりだね、スヴァルト君」
呼びかけで我に返ったスヴァルトが、必死こいて生真面目の仮面を被る。
「ええ……どうして、貴女がここに」
「しんで――ネリエさんに、紹介してもらったんだ」
「そう、でしたか」
スヴァルトの眉間のしわが、ますます深くなった。苦悶の表情である。
さり気なく、先輩騎士から距離を取って、辛そうな彼に耳打ちする。
「大丈夫だよ、変なことは言いふらしたりしないから」
「そんなことは、疑っておりません!」
思わず声を荒げたスヴァルトに、先輩騎士がギョッとなる。
それに気付いて、彼も声を潜めた。
「疑ってはいません……ただ、その、もう二度と、お会いできないと思っていたので……」
「えっ」
視線を右往左往させながら、彼は日に焼けた肌をほんのり赤く染めていた。
何故照れるのか、と思いながらも、クシェルもつられて赤くなる。
つい、お互い視線を足元に落とした。
二人の様子に、先輩騎士がたちまちにやける。
「なんだよ。昔馴染みってか、恋人なんじゃねぇの? あれか、元カノか?」
「ハザフ先輩! 失礼ですよ!」
ハザフと呼ばれた先輩騎士を、ギロリとスヴァルトがにらみつけた。相変わらず、眼光の圧がすさまじい。ハザフも顔をひくつかせて、たじろいだ。
「悪かったよ……でも、そんな怒んなくてもいいだろ?」
「スヴァルト君、たぶん困ってるだけですよ」
つい、クシェルは助け舟を出す。
「そうなの?」
「怒るともっとおっかないので」
神殿に不審者が侵入した時に、一度怒った姿を見たことがある。これの比ではなかった。泣き出した巫女見習いもいたほどだ。
「お嬢ちゃん、詳しいな」
「古い顔馴染みですから」
未だ気恥ずかしさで渋面のスヴァルトをなだめつつ、クシェルは二人を席に案内。
そして、メニューを差し出した。
「ご注文はお決まりですか?」
ハザフはメニューを開かず、即答。
「俺はビーフシチュー。パン付きでな」
「はい。スヴァルト君は?」
「あ……自分も、それでお願いします」
「うん。分かった。それじゃあ、ごゆっくり」
ニッと笑顔を向けて、クシェルは厨房へ向かった。
中ではラータが気難しい表情を浮かべ、騎士コンビ──特にスヴァルトを睥睨している。
険しい顔のまま、彼女はクシェルにこっそり問う。
「ひょっとして、あの朴念仁っぽい兄ちゃんが?」
ラータには、神殿を出た経緯を包み隠さず話していた。こくり、とクシェルは首肯。
「はい、やらかしたお相手です」
クシェルが答えるや否や、ラータが一振りの肉切り包丁を手に取った。
「追い払おうか?」
行動が極端すぎる。
慌てて、まあまあ、とクシェルはなだめにかかる。
「どっちかと言うと、私が襲っちゃったようなもんなんで。大丈夫ですよ」
あっけらかんと言うと、ラータは薄っすら笑った。
「そうだったのかい。あんた、やっぱり大胆だね」
「へへ、恐れ入ります」
それに。
きっとスヴァルトはもう、この店に来ないだろう。
彼は真面目だから。
クシェルが不快感を覚えたと勘違いして、気を遣うはずだ。