後日談2:二人の朝
二人で迎える二度目の朝は、焦りや後悔とは無縁だった。
あるのは、あの朝と同じ甘い気だるさと、そしてあの時には味わえなかった幸福感。
それだけだった。
自室のベッドで目覚めたスヴァルトは、ボサボサになった黒髪をかき回しながらもそり、と身を起こす。隣のクシェルはまだ、夢の中のようだ。寝息も穏やかである。
夏も終わりに近づいており、朝晩は涼しくなっている。むき出しの、彼女の細い首や白い肩が冷えぬよう、ブランケットを上までたくし上げる。
小さくあくびを噛み殺し、彼は考えた。さて、何をしようか、と。
本日は、クシェルも自分も休みを貰っている。
恋人という関係になってから、堂々と休みを合わせられるようになったのだ。
そもそも所帯持ちが多い騎士団であるため、平日に休みを欲しがるスヴァルトの存在は、たいそう有難がられている。
そのため、両者納得ずくでの休日である。
休日であるため、このままベッドで寝転びながら、クシェルが起きるのを待っているのも一興だ。
スヴァルトが借りているアパートは、手狭だ。下手に起きて、室内をウロウロしようものなら、彼女の安眠を妨害しかねない。
とはいえ昨夜の名残が燻る肌に、朝の清廉な空気は心地良いので、二度寝するのもどこか惜しい気がした。
結果スヴァルトは、サイドテーブルに置きっぱなしになっていた本を読むことに決めた。
これなら、クシェルも起こさず、ついでに合間合間に彼女の寝顔も堪能できる。
そして、それからしばらくして。
クシェルが小さく、身じろぎをして、ゆるゆると目を開けた。
「おはよようございます」
声を掛けると、とろりとした目が隣を見上げる。
「うん……おはよ」
あくび混じりの眠たげな声に、つい笑う。
「お疲れですね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
じろり、と半眼になった大きな瞳に見据えられる。
たしかに彼女の疲労の理由は、だいたい昨晩の自分にある。気恥ずかしさも手伝って、つい、うなだれた。
「……すみません」
「分かればよろしい」
にんまり、といつものあっけらかんとした笑顔に戻る。クシェルも身を起こして、スヴァルトが読んでいる本のタイトルをのぞき見た。さりげなく、ブランケットで胸元を隠す仕草に、ついどぎまぎしたのは秘密だ。
「何を読んでいるんだい?」
「あ、『悪魔の棲むホテル』という小説です」
「ひょっとして、前に勧めてくれた……」
何故だろう。クシェルが若干青ざめている。寒いのだろうか。
「ええ、あの騎士コンビのシリーズ作品ですよ」
彼女が青ざめた理由をいぶかしつつも、素直に答えれば、思い切りのしかめっ面が返された。
「……あれ、面白いけど、怖いんだよ。夜眠れなくなっちゃったんだからなっ」
これは予想外の反応である。クシェルにも怖いものがあったことに、実は驚いたのだが、言えば藪蛇であろう。
「そうでしたか。すみません、おすすめしてしまって」
「いやいや、面白いのは面白かったんだ。全部読んじゃったし。ただ……『黒いドレス』のラストに出て来る、あのミイラの山なんて怖すぎるだろう。考えた作者の頭は、どうなってるんだ」
「あ、本当に全部読まれたんですね」
「当たり前じゃないか。スヴァルト君が勧めてくれたからな」
恋人は、想定よりもずっと律義な性格のようだ。
「恐縮です」
そう言って照れ笑いを浮かべると、ヘッドボードに背を預ける彼女は、スヴァルトへそっともたれた。素肌で触れ合う、柔らかな感触にも幸せを覚える。
「今度読む時は、絶対一緒だからな」
「かしこまりました」
「お、お風呂も……一緒に入ってくれないと、嫌だからな」
「え」
思わずギョッとなって彼女を見ると、真っ赤な顔で何か――羞恥心であろう、きっと――に耐えるクシェルがいた。正直言って、かなり愛らしい。
「トイレは一人で行くから、それぐらい付き合ってくれよ!」
「は、はい! かしこまりました!」
スヴァルトにとっては、ご褒美以外の何物でもないのだが。
おそらくは、言わぬが花であろう。殊勝な態度を心掛けることにした。




