後日談1:お勉強
聖騎士になるために、貴い身分など必要ない。
代わりに求められるのは、鍛え抜かれた知力と武力、そして忍耐力――それだけだ。
とはいえ、その三点を兼ね備えている人間など、そうそういない。
いないからこそ、聖騎士は憧れの職業たりえるのだ。
そしてスヴァルトは、そんな選ばれし者の一人だった。
もっとも酔った勢いで、クシェルに手を出したのだから。忍耐力は、少々足りていなかったのかもしれない。
ただスヴァルト本人も、
「今の職場を気に入っておりますし、両親も『お前が元気ならそれでいい』と言ってくれておりますので」
と語っているので、さほど聖騎士という身分に未練はないようだ。
「スヴァルト君のご両親は、元気に過ごされているのかい?」
スヴァルトの部屋でのんびりと過ごしていたクシェルは、ふと気になった疑問を口にした。
二人分の紅茶と焼き菓子――クシェルの手土産だ――を用意していたスヴァルトが、小さく笑う。
「二人とも、病知らずで頑丈ですよ。教師をしておりますので、子供たちと一緒になって、よく走り回っていましたし」
居間のラグに座る彼女の前に、トレイに載せたカップとお皿を置いて。黄色い花模様のカップを彼女に手渡す。
「ありがとう――ご両親どちらも、先生をしているのかい?」
「ええ。母は歴史の、父は化学の教師です」
「そっか。どうりでスヴァルト君も賢いわけだ」
クシェルと揃いの、青い花模様のカップを持って、スヴァルトは小さく首を振った。
「いえ。大学で教鞭を執っている兄に比べれば、自分など全くです。体を動かす方が性に合っていたので、騎士を目指しましたし」
大学教授の兄――比較対象が大きすぎる。
「それは、お兄さんが規格外にお利口なだけだろう。私なんてお粗末な頭だから、羨ましいよ」
そもそも巫女だったので、教育など二の次だ。恐らく、中等教育程度の知識しか備わっていないはずだ。
巫女にとって大事なのは、知識や学歴ではない。清貧の中で過ごし、精霊への感謝を忘れない無垢なる心なのである。
あとは、儀式の基本的な流れを覚えられるだけの、そこそこの記憶力ぐらいのものだ。
クシェルがもしも、スヴァルトと関係を持たなければ。
再来年の二十二歳の誕生日に巫女を円満退任して、親の決めた貴族や実業家の類と結婚する手はずになっていた。
政略結婚なので、恐らく無垢なる心も記憶力も、求められないだろう。
必要なのはきっと、かつて巫女だったという希少な肩書きぐらいである。
それと、ほどほどの従順さと健康を兼ね備えていれば、跡継ぎも産めるわけであるから。万事問題なしに違いない。
顔も知らぬ相手と結婚して、ただ子供を産むために生きる――
よくよく考えれば、ぞっとするような未来予想図である。少なくとも、クシェルにとっては。
思わず身震いした彼女を、眼鏡を押し上げながらスヴァルトが不思議そうに見つめる。
「クシェル殿? どうされました?」
恋人とはいえ、先程の胸の内を明かすのは、少々気恥ずかしかった。だから、違うことを口にする。
「いや――私も、勉強したいな、と思ってね」
それもまた、折に触れて考えていたことだった。恋人への、小さな劣等感でもある。
今さら何を、と笑われるかと思いきや。
きりりと表情を引き締めたスヴァルトは、クシェルへ身を乗り出した。
「向学心を持つことは、素晴らしいことです。よければ、自分がお手伝いいたしますよ」
まさか、こんなにも賛成されるとは思わなかった。ためにクシェルは、一瞬面食らう。
「……でもスヴァルト君も、忙しいんじゃないのかい?」
「安心してください。田舎の騎士団はきっと、貴女が想像されているより暇ですから」
スヴァルトの、片方の口角が持ち上がる。
彼の自信満々な笑みを見ていると、勉強をするという発想が、とてもよい思い付きのように見えた。しかし――
「でも、私はたぶん、君が思ってる以上に頭が悪いよ?」
「頭が悪いのではなく、ただ学問と縁遠かっただけだと思います。覚えが早い、とラータ殿も仰っておりましたから」
笑みを優しいものに変えて、スヴァルトが請け負ってくれた。
それだけで、心が温かになる。
柄にもなくもじもじと、クシェルはスヴァルトを見上げる。
「それじゃあ……教えてもらっても、いいだろうか?」
「ええ、もちろんです。両親からも、お勧めの教本を訊いておきますね」
相変わらずのクソ真面目すぎる提案に、クシェルは目をむく。
「何もそこまでっ」
「いえ、せっかくですから。そこまで気合を入れるべきです」
「君は本当に真面目だなぁ」
「恐縮です」
居住まいを正し、スヴァルトが誇らしげにそう言った。
ぞっとする未来の代わりに手に入れたのは、不透明な未来と、理解ある恋人。
――なんだ。自分はただの幸せ者じゃないか。
改めてそのことに気付いたクシェルは、彼にそっと微笑んだ。




