3:再就職先のご提案
仕方がないことなのだが、巫女仲間がクシェルの部屋から逃げ出したことで、騒ぎは大きくなった。
騎士団長と神殿長だけに知らせるどころか、ほぼ全巫女にも事の次第が知れ渡ったのだ。
聖騎士にまで波及しなかったのが、不幸中の幸いというべきか。
いや、普段は品行方正かつ有能なスヴァルトが突如、田舎の騎士団へ左遷されたのだ。
聖騎士たちも、「巫女殿と一戦交えやがったな」と察しているだろう。
そう。スヴァルトはその日の内に左遷が言い渡され、本人も一切反論せずにそれを受け入れ、三日後には神殿を去ったのだ。
彼の処遇を甘すぎる、と憤る巫女仲間もいるのだが。
宗教国家であり、精霊信仰が生活に深く根付いているこの国において。
騎士団の最高峰である聖騎士団から、地方騎士団へ異動させられたのだ。屈辱以外の何物でもないだろう。
むしろ押し倒して申し訳なかった、とクシェルは考えていた。
そんな彼女も、退任までに一ヶ月の猶予を貰って、身の振り方を考えていた。
クシェルの実家は伯爵家だ。
つまり娘のふしだらなスキャンダルに、敏感な家柄と言える。
おまけに両親は国への忠誠心も高く、また古めかしいまでに貴族的な考えの持ち主であるため。
両親は娘からのやらかし報告を受けて即座に、
「以後、お前と我が家は無関係だ。家名を名乗らないように」
と書かれた、一枚の文書だけを送りつけて来たのだ。
そうなるな、と思っていたので、特に悲しみも怒りもなかった。
それよりも二歳下の妹が、自分を過剰に心配していないか、とそのことだけが気がかりだった。妹とは仲がよく、おまけに彼女はクシェルを慕い過ぎているきらいがあるのだ。
自室で妹に思いを馳せながら、住み込みで働けそうな職場を新聞で探していると。
控えめなノックと共に、神殿長が単身訪ねて来た。
王妹でもある彼女は、いつも凛として美しい。しかし今日は、平素より少しばかりやつれて見えた。
完全に、自分が悩みの種であろう。本当に申し訳ない。
クシェルは立ち上がり、すぐさま膝を折って彼女を出迎える。
そんな彼女に手を差し出して、神殿長はクシェルを立ち上がらせた。
「公式の訪問ではありませんから。どうぞ、楽になさってくださいな」
温和な声に、クシェルも笑顔で応じる。
「恐れ入ります。ところで、どうされました? 何かありましたか?」
まさか即刻出て行け、と言われるのだろうか、とかすかに身構えるが。拍子抜けするような、穏やかな笑顔が返された。
「実はあなたの今後のことが心配で、伺いました」
完全なる善意であった。クシェルの肩から力が抜ける。
「ありがとうございます」
「これから、行く当てはあるのですか?」
王族だが、神殿でほぼ育ったようなものである神殿長は、駆け引き等々とは無縁で生きて来た。そのため訊き方も、豪速ストレートである。
分かりやすいので、クシェルは彼女のそんな性格を好ましく思っていた。だから小さな鼻をかいて、へへ、と笑う。
「ありませんね」
そしてこちらも、ど真ん中ストレートに返答した。というよりも、それしか言うべき言葉が見つからなかったのだ。
「でも、巫女としてのお給金は、使わずに貯めてありますので。しばらくはどうにかなると思います」
世間知らずな巫女令嬢のあっけらかんとした展望に、同じく世間知らずだが、彼女よりはちょっぴりマシな神殿長が眉をひそめる。
「大事なお金なのだから、もう少し有効活用なさいな」
「はい、すみません」
おっしゃる通りである。素直にうなずく。
「そこでなのですが。私の古い友人で、食堂を経営している女性がいます」
「はあ」
突然の話題転換に、クシェルはぼんやりした相槌を打ちつつ、大きな丸い瞳をまたたいた。
神殿長は構わず続ける。
「その食堂で長く働かれていた従業員の方が、結婚を機に退職したそうです。そこで、代わりの方を探されているのですが……あなたさえよければ、どうでしょうか?」
なんと、結論は職業紹介であった。
貴族としての暮らしと、巫女としての暮らししか知らない自分が、食堂の従業員をやれるのだろうか。
そんな不安がもちろん、胸の奥にじんわり忍び寄る。
しかし、他に道などない。
それに神殿長御自らの紹介だ。新聞で求人を探すよりも、ずっと安心安全であろう。
「ぜひ、お願いします!」
だからクシェルは、素直に頭を下げた。
本当は不安だったのだ。世間知らずな自分が、たった一人で生きて行けるのだろうか、と。
せめて最初だけでも、手助けしてもらえるのはありがたかった。
しばらくして頭を持ち上げると、神殿長は彼女を見つめて微笑んでいた。どこか悲しそうな笑みだ。
「あなたは本当に向こう見ずなんですから……これからも、あなたに精霊様のご加護があることを祈っていますからね」
そっと、頬を撫でられる。
「食堂には、私から連絡を入れておきます。詳細はまた追って、お伝えいたしますが――街に出ても、元気に暮らすのですよ?」
神殿長はクシェルたち巫女にとって、尊敬すべき上司でもあり、そして親代わりでもあった。
そんな彼女を裏切ったことに、今更ながら心が痛む。クシェルは視線を、床に落とした。
「ありがとうございます。そして、すみませんでした。こんなことをやらかして」
「全くですよ。話を聞いた時、心臓が止まるかと思いました」
情けない表情になったクシェルへ、神殿長は先程よりも温かな笑顔を向ける。
次いで、年齢の割に幼い仕草で首をかしげた。
「スヴァルトさんは、責任を取るとおっしゃっていましたが」
「ですね」
「それに、そういった旨の手紙も、神殿に届いております」
「なんと。そこまでしてくれてたんですか」
律義な人だ、とクシェルはつい苦笑。
「ええ。手紙は私の方で預かっておりますが……結婚という選択肢も、あなたにはあるのですよ?」
躊躇なく、クシェルは首を真横に振る。
「いえ。なし崩しで関係を結んだ挙句、なし崩しで結婚するのは、さすがに嫌です。それにスヴァルト君だって、他にちゃんと、好きな人ぐらいいるでしょうし」
ひょっとしたら、恋人だっていたかもしれない。だとしたら、ますますもって申し訳ない。
クシェルとの一件のせいで、遠距離恋愛あるいは破局の憂き目に遭ったかもしれないのだ。
それにクシェルも、幸いにして妊娠はしていなかった。騒動の四日後に、月のものが来ていた。
ならば、彼に取ってもらう責任など、どこにもなかった。