27:お灸をすえる
剣を突き出したまま、スヴァルトは彼を威嚇し続ける。
「殿下。御戯れも、ほどほどになさってください」
言葉だけなら、やんわりとグラナスをたしなめているようだが。
しかしその声は冷え冷えとしており、おまけに強く苛立っていた。
かすかに震えながら、それでもグラナスは鼻で笑う。
「ふん。騎士風情が、俺に剣を向けるというのか? ずいぶんと思い上がったものだな」
思い上がりは彼の専売特許だというのに、何を言っているのか。
精一杯嘲る彼へ、スヴァルトに代わってクシェルが反論する。
「今のあなたも、ただの庶民じゃないですか。そんな格好して、普通は気付きませんよ。なあ?」
最後の問いは、青ざめるグラナス越しにスヴァルトへ投げかける。
油断なくバカ王子をにらみながら、彼も一つ首肯した。
「ええ。気付きませんね」
「だろう? だから、私に乱暴しようとしたところを、警ら中のスヴァルト君に見つかったとしてだね――」
視線をグラナスに戻す。眼力を強める。
「そこで斬られても、仕方がないんですよ。だって悪質な、性犯罪者ですからね」
そう断言して、クシェルは冷笑を浮かべる。
彼女の言葉に、スヴァルトもにやり、と悪辣に笑った。
「住民を守ることが、我々騎士の務めですからね」
暗に、斬り捨てやむなしと同意する。
剣の刃先も、更にぴったりと、グラナスの首へ密着させた。
グラナスの震えが、ますます強くなった。膝など大いに笑っている。
「ふ、ふん……」
それでも彼は、虚勢を張り続けた。裏返った声で叫ぶ。
「ば、馬鹿ばかしい! こんな中古の女など、こちらから願い下げだ!」
上に伸ばしていた腕を素早く動かし、眼前のクシェルを思い切り押した。
不意打ちのその一打に、クシェルは何の抵抗もなく後方へよろめき、そして背中から水路へとゆっくり倒れ込んだ。
「クシェル殿!」
剣を放り出し、グラナスを突き飛ばし、スヴァルトがそれを追う。
彼女が落ちる寸前で腕を掴むも、勢いを殺しきることは出来ず、そのまま絡まるようにして二人で落ちる。
スヴァルトはクシェルの下敷きになり、水面に叩きつけられた。
クシェルは大慌てで身を起こして立ち上がり、水路に沈んだ彼を引っ張り起こす。
「ごめんよ、スヴァルト君! 大丈夫かい? 怪我はない?」
「はい……水深がありましたので、お陰様で」
綺麗に撫でつけられた黒髪が崩れ、びしょ濡れになった彼も、少しよたつきながらも立ち上がる。眼鏡もずれていた。
そんな二人の様子を、グラナスは上から嘲笑していた。ざまあみろ、と言いたげに鼻を鳴らして、彼らへ背を向ける。
そして歩き出そうとしたが、失敗した。
いつの間にか、ラータを始めとするサイジェントの住人が、彼を取り囲んでいたのだ。皆、手には鍬や包丁や麺棒、あるいはお玉を握りしめ、剣呑な空気を発している。
使い込まれた包丁を、両手で握りしめるラータが、口火を切った。
「わたしらはね、あの二人のじれったいやりとりを見守るが、楽しみなんだよ」
そうだそうだ、と賛同の声が上がる。
「なのに、何、いらねぇちょっかい出してやがるんだよ!」
「おまけに二人を突き落として、ふてぇ野郎だ!」
言っている内容は若干とぼけているが、その怒りは本物だ。
絶体絶命だと察したグラナスは、ここで切り札を突き出した。
「おっ……俺は王子だぞ! お前たちなど、俺の一声で社会的に抹殺されるんだぞ!」
「嘘ついてんじゃねぇよ!」
「そうよ! こんな小汚い王子がいてたまるかい!」
怒声はますます強くなった。あのグラナスが、たまらず怯む。
しかしここで、甘ったるい声が乱入した。
「いいえ。こちらは間違いなく、第七王子のグラナス殿下ですわ」
声の主は、ラータのフライパンを握りしめるメイリーナだった。エルロを従え、ドレスをひるがえして進み出た彼女を中心に、群衆が二つに分かれる。
思いがけぬ援護射撃に、グラナスの表情が分かりやすく明るくなった。
「お前は、クシェルの……よく言った。この愚かな連中の、誤解を解いてやれ!」
「あら、誤解はなくってよ」
「は?」
メイリーナはにっこりと、愛らしさたっぷりに一刀両断。グラナスは表情を見失い、固まる。
メイリーナは、援護は援護でも、住民側の援護射撃であったのだ。
「だってここは、法治国家ですもの。王族とはいえ、罪を犯した事実は変わりませんことよ」
あのメイリーナが理路整然と物申して、王族の鼻を明かした。
スヴァルトの助けを借りながら、水路から這い出たクシェルは、感心していいのかどうか分からず、微妙な表情で事の成り行きを見守る。
メイリーナの的確すぎる指摘に、住民たちは我が意を得たりと大きくうなずいた。
「そうそう。たとえ王子様でもなぁ」
「ねえ。突き飛ばしたのは、どう見ても犯罪よね」
「決まりだな」
メイリーナと並んで先頭に立つ、ラータが包丁をかざしてニヤリ。
「騎士団のとこに連れて行きな。この王子サマには、お灸をすえてやらないといけないからね」
彼女の鶴の一声で、グラナスを囲う群衆の輪が更に縮まった。
再び涙目になったグラナスは、無様に腕を振り回しながら周囲を意味なく見渡し――いやらしいことに、クシェルたちを見つけた。
すがるように、二人を見る。
その情けない視線を受けて、クシェルは晴れ晴れと笑った。
「女性を侮るから、こうなるんですよ」
隣のスヴァルトも、いっそ爽やかに笑う。
「どうぞ、騎士風情に性根を叩き直されてください」
騎士からのゴーサインも出たことで、グラナスへワッと、住民たちが殺到する。
「アッー!」
もみくちゃにされて、かっこよさゼロの悲鳴だけを残して、グラナスは騎士団詰所へと連行されて行った。
濡れ鼠になったクシェルとスヴァルトは、肩をすくめてその光景を見守る。
その場には、何人かの住民が残っていた。中にはラータもいた。
「あれ、行かないんですか?」
額にへばりつく前髪をかき上げながら、クシェルが尋ねる。ラータはふん、と鼻を鳴らした。
「あんたたちを、風呂に入れてやらないといかんだろ」
マルツ亭の隣家に住む女性も残っており、スヴァルトへ手招き。
「騎士さんも、うちで体、綺麗にして行きなさいよ」
濡れて視界不良になった眼鏡を外しつつ、スヴァルトはちょっと躊躇う。
「しかし、自分には仕事がありますので……」
「そんなびしょ濡れで警らなんてされても、こっちも困るよ」
しかめっ面で言い切るラータに、隣家の女性もうんうん。
「余計心配になっちゃうよ。ほら、いいからこっち来なさい」
年齢を重ねた者特有の、有無を言わさぬ強引さでもって。
女性は困惑するスヴァルトの腕を取って、ぐいぐいと家へ連れて行った。
さて、とラータは腕を組んでクシェルを見やる。
「クシェル。あんたもさっさと風呂入って来な。真夏でも、そんな格好でいたら風邪引くかもしれないよ」
「はい。ありがとうございます」
下着までぐしょぐしょで、正直気持ちが悪かったので。素直に好意を受け取った。そして小走りで、マルツ亭の二階へ向かう。
なお、その後のグラナスであるが。
詰所へ連れて行かれた彼は、住民に加えて騎士団からも
「こんな奴が国の象徴なんて、信じられない。信じたくない」
と落胆または激怒され、こんこんとお説教を受ける羽目になった。
しかしそれで終わるわけもなく。
この騒動は国王夫妻の耳にももちろん入り、彼は罰金刑に併せて、資産も凍結されるのであった。
なおこの情報はネリエから、かなり嬉しそうにもたらされることになる。




