23:来なくなった騎士
グラナスがお忍びでやって来た日を、境にして。
スヴァルトがぱたりと、店に来なくなった。
彼の相棒であるハザフは度々顔を見せるも、スヴァルトはやれ
「書類仕事が溜まっている」
「電話番をしなければならない」
「急な来客があった」
と、理由を付けては、同行を拒んでいるのだという。
「他にもっと暇してる連中がいるんだから、来客なんて任せときゃいいのにな」
とは、ハザフの意見だ。
スヴァルトとクシェルの、なんともじれったい関係性を見守ることが楽しみになっていた、マルツ亭の常連客たちは皆、一様に消沈した。
「二人を見てると、青春気分になるのに。寂しいぞ」
というのが、おおよその意見であった。
ラータもまた、
「あの慇懃坊やがいないと、なんだか物足りないね」
と、への字口でぼやいている。
そして寂しい、あるいは物足りないのは、メイリーナとエルロも同様で。
実家での怒涛のお茶会ラッシュを切り抜けた彼女は、焼き菓子の詰め合わせ持参で来店した。綺麗な包装紙に包まれたお菓子箱を、ウキウキとクシェルへ差し出す。
「はい、お姉さま。伯母さまからいただいたので、お裾分けですわ」
「貰っていいのかい? お母様に知られたら、大目玉じゃないのかい?」
気遣う姉に、メイリーナは微笑。
「そこはご心配なく。お母様も、この件は黙認していらっしゃいますから」
いわく、メイリーナが姉の元に通っていることも、薄々勘付いてるらしい。メイリーナがそう言うということは、母は全てお見通しということだろう。
厳しいだけだと思っていた母の、意外な一面にクシェルはそっと笑う。
「そっか……それじゃあ、ありがたく貰うね」
「ええ。ところでお姉さま――」
「なんだい?」
淡いピンクのドレスをもじもじとつまみ、メイリーナは姉を見る。
「あの田舎騎士が、最近来ないというのは本当ですの?」
「そうだね。最近全然、顔も見てないね」
隠しても仕方がないと思ったので、素直に答えた。途端、メイリーナは愛らしい顔を渋面に変える。
「まさか、喧嘩でもなさったのですか?」
その可能性は、クシェルも考えていたことだった。
口論をした覚えはない、が。
だが、何気なく投げつけた言葉が、スヴァルトの気分を害したのではないか、と。
しかしこれも、特に思い当たらなかった。
「うーん。喧嘩……するほど、喋ってもない気がする、からなぁ」
腕を組み、首を捻り、クシェルは珍しく歯切れの悪い回答。
困っている姉の姿に、メイリーナは両手を握りしめて憤慨した。
「もう、あの田舎騎士ったら! お姉さまを守れと言いつけましたのに!」
ぷんすかする主を、エルロが温和な笑顔でなだめる。
「まあまあ。お腹壊してるとか、風邪引いてるとか、そんなのかもしれませんよ。腹下してちゃ、ビーフシチューは荷が重いですし」
彼の推測に、メイリーナの緑の瞳が丸くなった。
「あら、エルロ。お馬鹿さんは、風邪を引かないものでしてよ」
「でもスヴァルトさん、賢そうですよ」
実際、聖騎士になったのだ。賢いはずである。
しかしメイリーナの意見は違った。
「それは眼鏡で判断しているのではなくって?」
「あ、分かります? お嬢様も、思ったより賢いですね」
屈託のない笑顔と言葉に、メイリーナもつられて笑おうとして――途中で豹変した。眉が吊り上がる。
「エルロ! あなた、わたくしのことを遠回しに、お馬鹿さんと言っているのではなくて?」
「あ、分かりました? だってお嬢様、風邪引きませんし」
「なっ……わたくしだって引きますわよ!」
「お屋敷で胃腸炎が流行って、旦那様たちまで寝込まれてた時も、一人ピンピンしてたじゃないですか」
「失礼よ、あなた! あれは自己管理の賜物でしてよ!」
淑女らしからぬ地団駄と共に、メイリーナはそう主張した。はいはい、と半笑いのエルロがそれを受け流す。
妹の頑丈ぶりには、クシェルも驚いた記憶があるので。こちらも、同じく半笑いである。
そんな彼女に、買い出し用のバスケットを持ったラータが声をかける。
「クシェル。ちょっと悪いんだけど、胡椒を切らしちまってね。買って来てくれるかい?」
「はい、いいですよ」
バスケットを受け取り、クシェルはすぐにうなずいた。
そんな彼女を、ラータのどこか楽しそうな目が見据える。
「せっかくだから、ついでに騎士団ものぞいて来な」
思いがけない提案に、クシェルはわずかに身じろぎした。しかしすぐに、両手を大きく振って遠慮する。
「いやいやいやいや。仕事中に、そんな」
「何言ってるんだい。あの朴念仁が心配だって、顔に書いてるよ」
ふん、と鼻を鳴らして、ラータはクシェルの遠慮を斬り伏せた。
この女主人は、従業員のことをよく見ているのだ。
だからクシェルも、やせ我慢を止める。
「……ありがとうございます。本当は、なにか気に障ることをしたのかな、とか心配でした」
「あんたらは本当に、じれったいねぇ」
にやりと笑って、ラータはクシェルを回れ右させる。扉の方向へ彼女を向かせて、その小さな背中を軽く押した。
「ほら、行ってきな」
自分もついて行く、と駄々をこねるかと思いきや。メイリーナも椅子に座って、優雅に手を振り姉を見送る。
「お姉さま、行ってらっしゃいませ。お姉さまと、ついでに田舎騎士に、精霊様のご加護があるようお祈りいたしますわ」
「クシェル様、行ってらっしゃい。男って意地っ張りだから、適当に丸めこんじゃってくださいね。きっと精霊様も応援してくれてますよ」
エルロもテーブルの上で頬杖をつき、呑気に激励した。
「……うん、ありがとう」
嬉しさと気恥ずかしさで、クシェルはふやけた顔になる。
三人に見送られ、クシェルはマルツ亭を出た。日傘を差し、胡椒の売っている食料品店へ向かう。
その帰り道にちょっと寄り道をして、騎士団へ向かう心づもりだった。
しかし一度決めるともう、騎士団に出向くことが主目的になっており。
食料品店でも、気がそぞろになってしまっていた。ぼんやりと考え事をしたままなので、店主に
「また車道に出ないよう、気を付けなさいよ」
などと心配されつつ、買い物を済ませて店を出る。
そしてとぼとぼと、騎士団詰所へ向かった。
夏本番の日差しは強く、地面に落ちる影も濃い。
道の両側に走る水路の水面にも、陽光が反射してキラキラしている。クシェルはどんぐり眼を細めて、小魚の泳ぐ水路を眺めた。
自分は何か、スヴァルトに嫌われることをしたのだろうか――もう何度も自問した内容を、さらにもう一度反芻した。
しかし自分でも申告した通り、彼とは嫌われるほど喋ってもいないのだ。
もちろん神殿時代より、会話の密度は高い。
だがスヴァルトが店に来てくれる時はあくまで、店員と客の立場にあるから。そう長々と、世間話も出来ないのだ。
また、あのデート以来、二人の休みも合っていなかった。だから私的に、二人で出かけたこともない。
ひょっとするとこの、あまりにも友達然としていなかった状態に、彼が嫌気を覚えたのではないか。
だとすれば、騎士団へ遊びに行ったらなおのこと、迷惑がられるのではないか。
珍しくも弱気が顔をのぞかせて、そんな暗い予想を打ち立てた頃。
騎士団の詰所へ到着した。
と、同時に中から一人の、背の高い騎士が姿を見せる。
幸か不幸か、それはスヴァルトだった。
二人の驚きの視線が、かち合った。




