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酔った勢いで一線越えちゃった、巫女と聖騎士の話  作者: 依馬 亜連
本編

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20/32

20:第七王子再び

 その日は珍しく、メイリーナが不在だった。


 昼過ぎ――いつもメイリーナが出没する時間帯に、マルツ亭を訪れた客が皆、キョロキョロと店内を見渡して彼女を探す。

 そして一様に、クシェルへ尋ねた。


「なんだ、なんだ。今日は妹ちゃん、いないのかい?」

「はい。用事があるみたいで」

 水の入ったグラスとメニューを渡して、クシェルは肩をすくめる。


「あの子がいないと静かだなぁ」

 呟いた常連客に、他の客もうんうんと同意。

「なぁ。嵐みたいだもんな」

 嵐――言い得て妙である。


「すみません。いつもうるさくしちゃって」

 身内として、妹の代わりに深々と頭を下げる。


 しかし客たちは怒った様子も、迷惑がる様子もなく、カラカラと陽気に笑った。

「いや、そんなことはないよ」

「そうそう。見てて楽しいからな」

「そうね。クシェルちゃんが大好きなんだなぁって、見てて思うもの」


 にこやかな面々の内、一人が首をかしげた。

「ところで……貴族のお嬢さんは、実のところみんな、あんな感じなの?」

 まさか、とクシェルは大きく首を振った。その拍子に、金色の三つ編みが左右に跳ねる。

 メイリーナを基準にされたら、世界中の全貴族がたまらず憤死するだろう。


「いえいえいえ。あれは非常に特異な存在なので」

「だよなぁ」

 今度はクシェルも混じって、皆で笑う。


 それから少し経って、十四時過ぎにスヴァルトが来店した。この時間帯に来るということは、今日は電話当番だったようだ。

 事務員も最低限しかいない地方騎士団であるため、騎士たちも電話番や来客対応といった、庶務業務を行うのだ。


 スヴァルトも他の客と同じく、三白眼を意外そうに見開いて店内を見渡す。そしてどこか戸惑うように、銀ぶち眼鏡をいじりながら尋ねた。

「今日は、メイリーナ殿がいらっしゃらないんですね」

「うん。母のお友達のお屋敷で、お茶会なんだってさ」

 その旨を電話で伝えて来た時の、メイリーナの恨みがましい声を思い出して、クシェルは含み笑い。


 お茶会、とオウム返しに呟いて、スヴァルトは目をぱちくりさせた。

「なんだか、貴族のご令嬢のようですね」

「そうなんだよ。ああ見えて、実はあの子、令嬢なんだよ」

 ニヤリ、とそう言うと、スヴァルトの口角も持ち上がった。


「それは初耳でした」

「私も最近まで、山賊の娘か何かかと思っていたんだけどね」

 そう言って二人、にまにまと笑う。


 と、眼鏡を触って、スヴァルトがうかがうようにクシェルを見つめた。

「やはり妹さんがいらっしゃらないと、寂しいですか?」

 うーん。クシェルは腰に手を添えて、しばし天井をにらむ。

「……まぁ、ちょっとはね」

 物足りなさを感じているのは、事実だ。これは寂しいということだろう、きっと。あまり認めたくないものだが。


「仲がよろしいですよね」

 先ほどよりも、スヴァルトの笑みが柔らかなものになる。鋭い瞳も、細められた。

 クシェルはそれを見つめ、くすぐったそうに肩を狭めた。


「うちは、親が厳しかったからさ。だから自然と姉妹で協力し合って、悪さするようになったんだよ」

 スヴァルトは腕を組んで、ほう、と相槌。

「悪さを」

「そう。子供なんてそんなもんさ」

「なるほど……自分も兄と、よく近所の庭から果物を盗んでおりました」

「スヴァルト君も、なかなかのワルだな」

「恐縮です」

 神妙な顔で、お互いしみじみうなずき合う。


 彼のお気に入りのメニューである、ビーフシチューとサンドイッチのセットを伝票に書き込んで、クシェルはどんぐり眼をまたたいた。小さな口も丸くなる。

「というか、お兄さんがいたんだね。初めて知ったよ」

「ええ。二人兄弟です」

「そっか。うちと一緒だな」

 そう言うと、スヴァルトはほんのりと微笑んだ。


 彼のこういう優しい笑顔を見ると、何故だか最近、とても嬉しくなる。

 だから後ろ手になって、クシェルも笑った。

 この微笑ましい光景を、周囲の客もほっこりと見守っていた。厨房のラータも、にやにや見つめている。

 二人のなんてことないやりとりを、こうして密かに眺めるのが、サイジェントの住民の楽しみなのだ。


 そんな時だった。

 新たな客が、店のドアを開けて入って来た。一人の男性客だ。

 スヴァルトの伝票をラータに渡しつつ、クシェルはそちらを向いた。

「はい、いらっしゃ――」

 もはや言い慣れた挨拶が、途中でかき消えてしまった。


 緑がかった茶色の瞳を大きく見開き、口をあんぐりと開け、クシェルは固まっていた。

 彼女の異変に気付き、いぶかしげに男性客を眺めたスヴァルトも、似たり寄ったりの顔になっている。


 男性客は、第七王子のグラナスだった。

 お忍びらしく、質素な服を着こんでいる。

 仰天する二人の様子を楽しそうに眺め、グラナスは微笑する。相変わらずの、身長だけが残念な、完全無敵の美形ぶりだ。


「一人だが、空いているかな?」

「あ、はい……どう、ぞ」

 へどもどするクシェルが、いつになくぎこちない仕草で、窓際の席へと案内した。


 彼が自分の近くを通る際、スヴァルトは思わず席から立ち上がる。そのまま、騎士の礼を取りそうな勢いだ。


 スヴァルトがひざまずくよりも早く、彼の肩をぽん、とグラナスは叩いた。背の低い彼は、わざわざ背伸びをしてスヴァルトに耳打ちする。

「今はお忍びだ、かしこまらずとも結構。それに――」

 真っ赤な瞳に、剣呑な光が宿る。しかしそれでも、口元には微笑みをたたえたまま、彼は続けた。

「俺の大事な女性を奪った、君の礼は受け取りたくないものだな」


 告げられた瞬間。

 スヴァルトの全身が強張った。

 言葉と表情を見失った彼の肩をもう一度叩いて、いっそ朗らかにグラナスが笑った。


「おい、そう怖い顔をするなよ。元々お前は、人相が悪いのだからな」

 快活な声は、店内に響き渡った。

 その声に、店にいた客たちは顔を見合わせ、不思議そうにスヴァルトとグラナスを見る。

 グラナスのささやき声が聞こえなかったクシェルも、似たり寄ったりの表情で二人をうかがっていた。

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