17:噂話と電話
何をどう間違えたのか。
それまでも
「二人とも、仲いいね」
「お似合いだね」
などと茶化されていたクシェルとスヴァルトだったが、メイリーナの襲来によってとんでもない噂が広まっていた。
「朴念仁のスヴァルトが、何をトチ狂ったのか、婚約者のいた伯爵令嬢のクシェルちゃんに横恋慕した。おかげでクシェルちゃんは婚約破棄になった。そして二人でここに駆け落ち。それを妹が恨んで、この前やって来たらしい」
というのが、だいたいの噂の内容であった。
どこから訂正を入れればいいのか、と頭が痛くなる代物である。しかもタチが悪いことに、メイリーナに関してはだいたい当たりなのだ。
だが悪いことは重なるもので、スヴァルトと和解したメイリーナはその後も頻繁に、この街へ足を運んでいた。片道三時間もかかるというのに、とんでもない暇人もいたものである。
そしてその暇人のおかげで、噂は更に加速して、
「どうやら妹も、二人の恋路を応援しているようだ。俺らも応援しようぜ」
という内容へ変貌したらしい。噂に尾びれや背びれが、無数に生えている。どこのキメラであろうか。
だからクシェルは今日も、常連客から生暖かい声援を受けていた。
「恋なのね、クシェルちゃん。若いって、いいわね」
食後のコーヒーを飲みながら、ホホッと笑う老婦人に、クシェルは渋い顔を返す。
「違いますからね。スヴァルト君とは、単なる昔馴染みなだけですから」
またまた、と男性客も会話に乱入する。
「貴族のお嬢様が、どこで庶民出の騎士と出会うんだい」
「やっぱりあれでしょう、運命の恋というものでしょ」
嬉々とした女性も、そう言って参加。彼女の幼い娘も、瞳をきらきらさせてクシェルを見つめた。
「おねえちゃん、おとぎ話のお姫さまみたいね! 騎士さまと結婚するの?」
「し、しないってば」
クシェルはうろたえた。
巫女であった時分は、当然ながらこういった恋愛話とは縁遠かったのだ。この手の話題への耐性が皆無のため、どう返せばいいのかが分からない。
不必要に首をあちこちに向け、ひどく狼狽する彼女を助ける人物が、一人だけいた。ラータだ。
クシェルの後ろからぬっと現れた彼女は、クシェルをからかう一堂をぎろりと見渡す。
「こら、あんたら。うちの看板娘を困らすんじゃないよ」
はーい、と存外素直に常連客たちは返事。さすがはマルツ亭の主人である。
そしてそんな姉の苦労を、もちろん知る由もなく。
今日もメイリーナは、ぴかぴかの車に乗って、店へやって来た。
もはや恒例行事となっているので、マルツ亭に横付けされた高級車を見ても、誰も驚かない。もちろん、中からきらきらドレスをまとったメイリーナが出て来ても、だ。
「お姉さまー、遊びに参りましたわー!」
純白のドレスの裾を華麗にひるがえして、メイリーナはクシェルに駆け寄る。
それでも、ピークの時間からずれて来る辺り、彼女なりに気は使っているようだ。だからなかなか、邪険にも出来ない。
諦めたように、クシェルも笑って出迎える。
「君もなかなか暇人だね」
「あら、わたくしだってお稽古ごとで、日々多忙を極めてましてよ」
「それをサボって、ここに来てるんだろう? ほどほどにしないと、お父様とお母様に叱られるよ」
「大丈夫ですわ。叱られないギリギリのラインを攻めることに、定評がありますもの」
ほほほ、と優雅に笑う妹に、クシェルは肩から脱力。
全く、いい性格に育ったものである。
親の叱責などものともしない主と違い、エルロはいつも、おっかなびっくりである。
「旦那様にバレて、お屋敷に軟禁されても僕は知りませんからね!」
本日も裏返った声でそう言い、大量の汗をかいている。暑さによる汗なのか、緊張から来る汗なのか、はたまた両方なのか。
彼が倒れては大変だ、とクシェルはビール用のジョッキに水を入れてやる。
「来ちゃったもんはしょうがないよ、エルロ。ほら、飲んで」
「ああ、やっぱクシェル様は優しいなぁ……ありがとうございます」
輝かんばかりの笑顔で、エルロはそれを受け取り、一気に水をあおった。見事な飲みっぷりである。
「お腹は空いてないかい? 何か頼む?」
「それじゃあ、ビーフシチューをお願いします。あ、パンもセットで!」
神殿長をも虜にした、ラータのビーフシチューはここでも健在だった。
元気いっぱいになった彼に、クシェルもつい笑う。
「がっつり食べる気、満々じゃないか」
窓際のテーブルに座りながら、メイリーナも優雅に微笑。そして細い指でびしり、と彼の顔を指差した。
「エルロ。これであなたも同罪でしてよ」
エルロがその場で飛び上がる。
「きゃー! やめてください! お給金がー!」
男性にしては甲高い絶叫に、周囲の客がどっと笑った。
二人のこの、間の抜けたやり取りも、最近では店の名物になっていた。もちろん、クシェルとラータも笑う。
笑いながら、クシェルは伝票へペンを走らせた。
「それで、メイリーナはどうするんだい?」
「わたくしも、ビーフシチューをお願いいたします。チーズはもちろん、たっぷりで」
「はいはい」
いつものメニューを注文した妹にうなずき、クシェルは厨房へ向かう。
彼女がラータへ注文を告げようとした時、厨房の壁にかかっている電話が鳴った。普段は全くと言っていいほど鳴らないので、クシェルは少し驚いた。
ラータも意外そうに眉を持ち上げつつ、受話器を取る。
「はい、マルツ亭――ああ、なんだ団長かね」
電話の主は、サイジェント騎士団の団長らしい。