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16:腕相撲一本勝負

 窓際の机を部屋の中央まで動かして、即席のリングにする。

 そこへ、スヴァルトとエルロが肘をついて向かい合い、手を組んだ。


 スヴァルトはいつもの険しい顔だが、表面上はとても落ち着いている。

 対するエルロは、メイリーナが怖いからだろう、腕まくりもして準備万端だ。若干呼吸も荒いのは、はりきり過ぎている故か。

 審判役は、クシェルが務める。二人の斜め前に立って、組み合った手の上に、自分の手も重ねた。


「いいかい、メイリーナ。一回勝負だからね? 負けてもゴネないように」

「もちろんですわ」

 メイリーナは、淑やかに微笑んだ。エルロが勝つ、と自信を持っているのだろう。


 たしかに使用人たちの間では、エルロは力持ちとして有名だ、と聞き及んでいる。

 だがそれも、素人同士の話だ。


 どうなっても知らないからな、と内心で思いつつ、クシェルは男二人を見た。

「それじゃあ、用意――始め」

と、彼女が言い終わるや否や、であった。


 部屋中を震わせる勢いで、ダン!と一度、轟音が上がった。

 瞬く間に、エルロが横倒しになっていた。抵抗する暇もなかったようだ。


 彼が負けるとは思っていたが、それにしても……瞬殺である。これは予想外だ。クシェルだけでなく、メイリーナもエルロも、呆然としていた。


「あの、自分の勝ちでよろしい、でしょうか?」

 恐る恐るといった様子で、エルロを横倒しにしたままのスヴァルトが声を上げた。まず、クシェルが我を取り戻す。


「う、うん。スヴァルト君の勝ちだね、さすがだよ」

 その声でメイリーナとエルロも、ハッとなった。続いてわがまま妹は、猛然と怒りだす。怒りの矛先は、瞬殺された従者である。


「どうして負けるのですか! 手を抜いたでしょう、エルロ!」

「そんなわけないでしょー!」

 エルロが猛然と首を振る。


「そうだよ、メイリーナ。あのね、スヴァルト君は現役の騎士なんだよ? 素人が勝てるわけないじゃないか」

 呆れつつも、クシェルがエルロとスヴァルトを擁護すると、たちまちメイリーナは涙目になった。


「だって……エルロはうちで一番の力持ちですのに……」

「いやいや。僕、別に、体鍛えてるわけじゃないですし。騎士様に勝てるわけないですよ」

 いっそあっけらかんと言ったエルロは、スヴァルトへ尊敬のまなざしを向ける。


「いやー、騎士様は違うなー。さすがです」

 従者まで憎い仇をべた褒めしたことで、とうとうメイリーナは本格的に泣き出した。


「どうして田舎騎士の味方をするのですか! あなたはわたくしの従者じゃない! エルロの馬鹿ぁ!」

「痛い、痛い! お嬢様、痛いですって!」

 ぽかぽかぽか、と彼女の小さな両手で打たれ、エルロは悲鳴を上げる。


「こら、子供じゃないんだから。やめなさい」

 彼からメイリーナを引き剥がしつつ、クシェルは一つため息。


 そして、妹の頭をゆっくり撫でた。

「あのね。お父様とお母様から、なんと聞いたかは知らないけどね。スヴァルト君に落ち度はないんだよ。それに私は、今の暮らしも気に入ってるから」

「でも、ドレスも着られず、お仕事もしなければならず、素敵な舞踏会もない暮らしですのよ……」


 緑と茶が入り混じったクシェルの瞳とは違う、エメラルドグリーンの瞳から透明な雫をぽろぽろこぼして、メイリーナはうわずった声で呟く。


 しかし姉妹の顔立ちは、よく似ていた。クシェルは自分によく似た、しかしどこか甘ったれた空気も持つ妹の顔を、じっと見る。


「仕事は、巫女をしている間だってあった。それにドレスも舞踏会も、私の人生において優先順位は高くないんだ。というか、そもそも好きじゃない」

 くしゃり、とメイリーナの泣き顔が歪む。

「そんな……全然、ですか?」

「うん、全然。今までだって無縁だったしね。それよりも、美味しいご飯があって、優しい常連さんや店長、そして友達に囲まれている今の方が、私にとっては大事なんだ」


 友達、の言葉にぴくり、とスヴァルトの口元が動いた。彼の方を見て、クシェルはにんまり笑う。

 眼鏡を押し上げながら、スヴァルトも控えめに笑った。


 無言で通じ合う二人を目の当たりにして、メイリーナはわななく。

「そんな……だってわたくし、お姉さまと一緒に、舞踏会に出たかったんですもの! お姉さまが巫女のお役目を終えたら、一緒にお茶会をするのが……それだけが楽しみで、ずっと、ずっと待ってたのに……一人で待っていたのに……」


 泣きじゃくりながらの言葉に、クシェルはやや引きつつ、それでも嬉しくもあった。

「ごめんね、メイリーナ?」

 涙を指で拭ってやりながら、クシェルはタオルを取ろうと振り返った。


 しかしそれより早く、スヴァルトが真っ白なハンカチを差し出してくれた。

「あの……よろしければ、お使い下さい」

「……」

 敵からのその提案を、たちまちふくれっ面になったメイリーナが、じぃっとにらむ。

 しかし、ハンカチは受け取られた。


 可愛げのないふくれっ面のまま、彼女はそれを目尻に当てる。

「……田舎騎士にしては、ずいぶんと如才(じょさい)ないのですね」

「これでも以前は、聖騎士を務めておりましたから」

 険しい顔を精一杯緩め、声も優しいものにして、スヴァルトは答えた。


 借りたハンカチでぐい、と目元を拭い、メイリーナは背筋を伸ばした。

「ふん……聖騎士になるぐらいですから、腕は本当に確かですのね?」

「はい。覚えはございます」

「でしたら。これからは全力で、お姉さまを守りなさい。何かあったら、わたくしが承知しませんから」


「メイリーナ?」

 その不器用過ぎる休戦協定に、クシェルが驚いた。妹がすんなり折れたところなど、今まで見たことがなかったのだ。


 仰天する姉に、ちょっとすねた表情を浮かべつつ、メイリーナは言った。

「だってお姉さまは、一度言ったら聞かないんですもの。それでしたら、近くに護衛がいた方が、わたくしも安心できますわ」


 まさか頑固者の妹から、「お前は頑固だ」と言われる日が来ようとは。

 しかし離れている間に、彼女も成長していたらしい。ほっと、クシェルは笑う。

「うん。ありがとうね、メイリーナ」

 スヴァルトは一度彼女の前で背筋を正し、そして深々と一礼した。


「命を懸けて、姉君をお守りすると誓います」

「……よろしくってよ」

 泣いて赤くなった目を細め、メイリーナは少し満足げに微笑んだ。

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