15:ド修羅場
ある程度客をさばけたところで、店をラータに任せることになった。
「書き入れ時にすみません」
頭を下げると、優しく金髪を撫でられた。
「大事な妹さんなんだろ? 店のことはいいから、気にせず話し合って来な」
ニヒルに笑って、ラータは店内へ視線を巡らせる。やっぱり、彼女はいい人だ。
「なんだったら、常連共にも手伝わせるからね」
「いえ、さすがにそれ、は――」
と言ったそばから、先程の常連夫婦が空いた皿を片付けてくれていた。なんと、手際も大変よろしい。
ありがたいやら、申し訳ないやら。
しかし夫婦とラータから、力いっぱいのサムズアップを受け取ったので、素直に店を任せることにする。クシェルは再び、頭を下げた。
そして人数分のお茶を用意して、二階へ向かった。
接客中も、上階から怒鳴り声や暴れる音が聞こえて来やしないか、とハラハラしていたのだが。
幸いにして今までも現在も、二階は静かなものだった。ちょっと見ぬ間に、妹にも自制心がついたらしい。密かに安堵する。
自室だが、一応ノックして扉を開ける。
「メイリーナ、入るよ」
そして中を開けて、先程感じた平穏がきれいさっぱり吹き飛んだ。
メイリーナは怒ってわめくことはしなかった。そこは褒めよう。
しかし部屋の壁際に立つスヴァルトの眼前で仁王立ちになり、下から思い切りガンを飛ばしていたので。おまけに歯ぎしり付きで。
令嬢どころか、いい年した人間のする所業ではない。
一方のスヴァルトは、遠くを見てそれに耐えている。よく、笑わないものだ。クシェルであれば、一発で噴き出す自信があった。
そしてメイリーナのお目付け役でもあるエルロは、茶色いボサボサ頭を更にかき回し、ウロウロと部屋を行ったり来たりしていた。彼は檻の中の熊か。
この惨状、かなりの修羅場である。クシェルは回れ右をして、見なかったことにしたかった。
「あ、クシェル様ぁ!」
しかしエルロがそうさせなかった。犬を思わせる顔を盛大に情けなく歪め、彼女に泣きついてくる。気の利かない従者め、と内心で舌打ちしつつ、クシェルは彼をなだめた。
「……大丈夫だから、エルロ。メイリーナも、お客様になんてことしてるんだい」
「客? この男が、客ですってっ?」
金の巻き髪を振り乱し、メイリーナが勢いよくこちらへ振り返った。それでも姉の手前、最低限の礼儀は思い出したらしい。メンチ切りを中断し、客用の椅子に楚々と座る。
座って、キャンキャンと甲高い声で続けた。
「なぜ、お姉さまを傷物にした男が、ここでのほほんと暮らしているのですか! それも、お姉さまのお友達として! 即刻、断頭台へ送られるべきでしてよ!」
彼女の前にティーカップを置いてやりながら、ため息交じりにクシェルは反論。
「斬首刑は、とっくの昔に廃止されたよ。今は終身刑が一番重い」
紅茶を一口飲み、メイリーナは姉に微笑みかける。
「それぐらい分かっていますわ。あくまで比喩ですわよ」
そして鮮やかな緑のドレスを一度、きつく握りしめて。メイリーナはスヴァルトを指差した。
「それでは田舎騎士! お姉さまを賭けて、勝負ですわ!」
令嬢の思い付きに、その場にいた三人がそれぞれギョッとなる。
「こら、何言いだすんだ」
「女性との勝負は出来かねます!」
クシェルとスヴァルトが、ほぼ同時に言った。メイリーナはクシェルの手を取り、陶然と姉を見つめながらささやく。
「大丈夫ですわ、お姉さま。勝算はありますもの」
次いでスヴァルトを、じっとりねめつける。
「そして田舎騎士よ。誰がお前のような脳筋クソ眼鏡野郎と、直接戦うものですか!」
「脳筋クソ眼鏡野郎……」
今年一番と評してもよいぐらい、スヴァルトは傷ついた顔になった。
彼の名誉のために断言するが、騎士としてスヴァルトは細身の部類に入る。そして聖騎士になれたのだ、決してお馬鹿さんでもない。
とんでもない誹謗中傷で彼の心を真っ二つに折りつつ、メイリーナはエルロのシャツを掴んだ。彼をスヴァルトの前まで、乱暴に引っ立てる。
「戦うのは、このエルロでしてよ!」
「えええええ、なんで僕なんです!」
エルロが悲鳴を上げた。
従者の悲鳴にも、メイリーナは華麗に微笑むばかり。
「あなたがわたくしの従者だからに、決まっているじゃありませんか。さあエルロ、得意の腕相撲でこてんぱんにしておしまい!」
「無理ですって! 騎士様なんかに、勝てっこないですって!」
「なんですって?」
「……やります」
もげそうなぐらい首を振ったエルロだったが、メイリーナの鬼の形相に押し負けた。彼は十分知っているのだ、彼女を怒らせると非常に面倒だと。
渋々、といった顔でスヴァルトに頭を下げる。
「すみません、騎士様。うちのお嬢様、言いだしたら聞かないもので……」
クシェルも姉として当然、妹の厄介な性格を熟知している。彼に並んで、頭を下げた。
「すまない、スヴァルト君。忙しいところ、本当に申し訳ないのだが……ちょっとだけ、付き合ってやってくれないか?」
「は、はぁ……構いませんが」
戸惑う彼に、再度深々とお辞儀。
「本当にありがとう」
頭を下げたままのクシェルの前で屈み、スヴァルトは彼女に耳打ちした。
「ところで、クシェル殿」
「ん? なんだい?」
つられて、クシェルも小声で問い返す。
「こちらの勝負はその、忖度した方がよろしいのでしょうか?」
「いや、本気でいいよ」
「かしこまりました」
静かにそう答えた時。
気のせいだろうか、彼の瞳に好戦的な光が灯った。
ひょっとしたら脳筋クソ眼鏡野郎と罵られたことを、根に持っているのかもしれない。