表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/32

14:妹が来た

 その少女は、真夏の超絶忙しい、真っ昼間に現れた。


 噴水広場から徒歩十分圏内に位置するマルツ亭は、その時間帯はいつも戦場となる。

 とにかく慌ただしいのだ。

 ようやくウェイトレスとして独り立ちしたクシェルも、踊るように店内を動き回りながら、びしばし客をさばいていく。


「あたふたしてたクシェルちゃんが、ここまで成長するなんてなぁ」

「ほんとよねぇ」

 常連客の若夫婦からは、こんなことを言われた。しばし立ち止まって、クシェルは胸を反らす。


「それ、何年前の話ですか。私は前からテキパキしてましたよ」

「よく言うぜ!」

「そうそう。お水こぼしたり、注文間違えたり、しょっちゅうしてたじゃない」


 なんだか親戚のおじさん・おばさんから、幼い頃の恥ずかしい過去を暴露されている気分である。

 しかし夫婦の眼差しは温かく、クシェルの成長を、我が事のように喜んでくれているようなので。すねたりせず、照れ笑いで受け流した。


 そんな時だった。店の入り口が騒がしくなったのは。

 最初は数人のざわめきだったのだが、すぐさま十数人単位のものに変わる。いや、数十人単位かもしれない。なにせ扉越しにも、はっきりと騒がしさが伝わるのだ。


「なんだ、喧嘩か?」

「やだ怖いわね」

 若夫婦が、喧噪の方向を見て顔を曇らせる。


「ちょっと見て来ますね」

 客を怖がらせたままではいけない。


 彼らに一言断って、クシェルは入口へ向かった。途中で厨房のラータにも目配せする。

 いつもよりほんのちょっぴり険しい顔になった彼女も、小さくうなずいてクシェルを見送った。そのうなずきに鼓舞されて、クシェルは景気良くドアを全開にした。


 マルツ亭の入り口には果たして、田舎町には不似合いな、黒光りする豪華な車が停車していた。その車の周りに、野次馬が群がっている。皆、興味津々と顔に書いてある。

 クシェルも似たり寄ったりの顔で、いかにもな高級車を眺めた。


 ひょっとして神殿長がお忍びで来たのか――とも一瞬思ったのだが、即座に思い直す。

 彼女は時と場所を選んだ装いが出来るし、何より本当に、群衆に溶け込むタイプなのだ。王族としての高貴さを消すのが、とにかく上手い。


 クシェルも神殿長と二人で、街に食べ歩きに出たことがあったが。街に違和感なく溶け込む彼女とはぐれてしまい、危うく迷子になりかけた過去があるほどだ。

 だから神殿長は、こんな目立つ車は使わないはずだ。


 では、どこの馬鹿子息あるいは馬鹿令嬢の仕業だろうか――そう思い、車体に印字された紋章を目に留めて、クシェルはぎくりと硬直した。


 この紋章に、見覚えがある……どころかつい先日まで、自分も使っていた紋章なのだ。

「まさか」

 ぼそりと呟かれた言葉を覆い隠すように、勢いよく車の後部座席が開いた。


 しゃなりと降りて来たのは、可憐な美少女だった。

 瞳の色に合わせたのだろう、エメラルドグリーンのドレスを着込んだ彼女は、この街では明らかに浮いている。真珠の髪飾りを付けた、見事な金の巻き髪もしかり。


 その彼女に、運転席から降りて来た、たれ目の青年が恐々と声をかける。

「お嬢様……こんなことして、旦那様にバレて怒られても知りませんよ。僕は忠告しましたからね、どうなっても知りませんからね」

「あら、エルロったら弱腰ね。愛しいお姉さまに会うためだもの。危険は承知でしてよ」

 つん、と高飛車に応えた彼女は、群衆を睥睨(へいげい)する。


 しかしその視線が、クシェルで止まった。彼女はますます、身を強張らせる。

 警戒するクシェルを気にするタマではなく、ご令嬢は大きな緑の瞳に、みるみるうちに涙をたたえる。


「お姉さま……お姉さま、お会いしとうございましたわー!」

 そして令嬢らしからぬ大声を上げ、両手を広げ、クシェルに突進して来た。


 避けようか、という思いが一瞬脳裏をよぎったものの、それではあまりに酷なので、クシェルは諦めの境地で彼女を受け止める。

 抱き合う二人に、野次馬たちがギョッとなった。


 それには気付かないふりをして、クシェルはぽんぽんと、妹の背中を叩いてなだめた。

「メイリーナ……なんでそんな目立つ格好で、目立つ車を使って来るんだい……」

「お姉さまにお会いするためですもの! 一番きれいなわたくしでいなければ、いけませんわ!」

「なんなんだ、その理論は」


 呆れる彼女であったが、周囲の住民はますますもってどよめいた。


「クシェルちゃん……いいとこのお嬢ちゃんだとは思ってたけど……まさか、本当にお貴族様なの?」

 客の一人が、裏返った声でそう尋ねる。クシェルはメイリーナの背中を叩きながら、小さく肩をすくめた。

「へへ、実は……」


 はぁー……と、感嘆の声があちこちから上がる。

「ざっくりした喋り方の割に、妙に世間慣れしてないと思ったら」

「そうそう。金勘定も下手だったし」

「おまけに車がビュンビュン通ってる道も、ふらふら渡ろうとするし」

「みんな、よく見てますね……いや、申し訳ない」

 つい、顔が熱くなる。


 それはともかく。

 さてこの騒動を、どうしたものか。

 自分たちを取り囲む住民たちと、そして未だ泣いて縋りつく妹のメイリーナを交互に見て、クシェルは小さく嘆息。


 そんな時だった。


「この騒ぎは、どうされたんですか?」

 普段なら頼り甲斐を感じるけれど、今は一番聞きたくなかった通りのよい声が、群衆の外側からした。再度、クシェルはぎくりとする。


 人混みをかき分けて、声の主であるスヴァルトが姿を見せた。しわ一つない青い制服を着こんだ彼は、小さく首をひねった。

「クシェル殿、どうしました? そちらのお嬢さんは?」

「いや、これはね……」


 クシェルの居場所を知っていたメイリーナのことだ。彼女が何故巫女を辞めたのかも、知っているはずだ。

 そしてその原因でもあるスヴァルトに会えば――血を見るかもしれない。メイリーナは、若干病的なまでに姉を愛しているのだ。


 なんと答えるべきか、とクシェルが迷っている内に、メイリーナがスヴァルトを見る。うさんくさそうな顔つきだ。

「この、馴れ馴れしい田舎騎士は何者ですの?」


 そうクシェルとスヴァルトに問いかけながら、徐々にメイリーナの小さな顔が強張って行った。

「騎士……眼鏡……まさか、この男が……」

 まずい。ごまかす暇もなく、妹は察したようだ。というか、眼鏡も判断材料なのか。

 恨みがましいその声に、スヴァルトの表情も曇る。彼もよからぬ空気を感じたらしい。


 メイリーナの従者であるエルロだけは、事態を把握していないらしい。困ったようにスヴァルトと、主のメイリーナをきょときょと見ている。

「え? え? お嬢様、この騎士様がどうかしたんです?」

「分からないの、エルロ? この田舎騎士がお姉さまを――」


「メイリーナ、その話はここでしないでくれ」

 硬質な声を、クシェルは強引にぶった切った。


 そして自分の背にある、マルツ亭の二階を指さす。

「とりあえず、私の部屋で待ってて。すぐに事情は話すから」


 激情家のメイリーナを放っておけば、皆の前で何を口走るか分かったものではない。

 自分が噂されるのは、一向に構わないとまでは言わないまでも、まだ耐えられる。

 だが、そこにスヴァルトを巻き込むことは嫌だった。これ以上、迷惑をかけたくない。


 ただ彼にも、事の次第を知ってもらった方がいいかもしれない。クシェルはスヴァルトを見上げた。

「スヴァルト君も、もしよければ付き合ってくれないかな」

 強張った表情の彼は、それでも小さくうなずいてくれた。

「かしこまりました」


 そして二人と、ついでにエルロを部屋に案内して、大慌てでクシェルは食堂に戻った。

 クソ忙しい時間帯に、厄介な妹の来襲――今日はあまりにも、やることが……やることが多すぎる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ