14:妹が来た
その少女は、真夏の超絶忙しい、真っ昼間に現れた。
噴水広場から徒歩十分圏内に位置するマルツ亭は、その時間帯はいつも戦場となる。
とにかく慌ただしいのだ。
ようやくウェイトレスとして独り立ちしたクシェルも、踊るように店内を動き回りながら、びしばし客をさばいていく。
「あたふたしてたクシェルちゃんが、ここまで成長するなんてなぁ」
「ほんとよねぇ」
常連客の若夫婦からは、こんなことを言われた。しばし立ち止まって、クシェルは胸を反らす。
「それ、何年前の話ですか。私は前からテキパキしてましたよ」
「よく言うぜ!」
「そうそう。お水こぼしたり、注文間違えたり、しょっちゅうしてたじゃない」
なんだか親戚のおじさん・おばさんから、幼い頃の恥ずかしい過去を暴露されている気分である。
しかし夫婦の眼差しは温かく、クシェルの成長を、我が事のように喜んでくれているようなので。すねたりせず、照れ笑いで受け流した。
そんな時だった。店の入り口が騒がしくなったのは。
最初は数人のざわめきだったのだが、すぐさま十数人単位のものに変わる。いや、数十人単位かもしれない。なにせ扉越しにも、はっきりと騒がしさが伝わるのだ。
「なんだ、喧嘩か?」
「やだ怖いわね」
若夫婦が、喧噪の方向を見て顔を曇らせる。
「ちょっと見て来ますね」
客を怖がらせたままではいけない。
彼らに一言断って、クシェルは入口へ向かった。途中で厨房のラータにも目配せする。
いつもよりほんのちょっぴり険しい顔になった彼女も、小さくうなずいてクシェルを見送った。そのうなずきに鼓舞されて、クシェルは景気良くドアを全開にした。
マルツ亭の入り口には果たして、田舎町には不似合いな、黒光りする豪華な車が停車していた。その車の周りに、野次馬が群がっている。皆、興味津々と顔に書いてある。
クシェルも似たり寄ったりの顔で、いかにもな高級車を眺めた。
ひょっとして神殿長がお忍びで来たのか――とも一瞬思ったのだが、即座に思い直す。
彼女は時と場所を選んだ装いが出来るし、何より本当に、群衆に溶け込むタイプなのだ。王族としての高貴さを消すのが、とにかく上手い。
クシェルも神殿長と二人で、街に食べ歩きに出たことがあったが。街に違和感なく溶け込む彼女とはぐれてしまい、危うく迷子になりかけた過去があるほどだ。
だから神殿長は、こんな目立つ車は使わないはずだ。
では、どこの馬鹿子息あるいは馬鹿令嬢の仕業だろうか――そう思い、車体に印字された紋章を目に留めて、クシェルはぎくりと硬直した。
この紋章に、見覚えがある……どころかつい先日まで、自分も使っていた紋章なのだ。
「まさか」
ぼそりと呟かれた言葉を覆い隠すように、勢いよく車の後部座席が開いた。
しゃなりと降りて来たのは、可憐な美少女だった。
瞳の色に合わせたのだろう、エメラルドグリーンのドレスを着込んだ彼女は、この街では明らかに浮いている。真珠の髪飾りを付けた、見事な金の巻き髪もしかり。
その彼女に、運転席から降りて来た、たれ目の青年が恐々と声をかける。
「お嬢様……こんなことして、旦那様にバレて怒られても知りませんよ。僕は忠告しましたからね、どうなっても知りませんからね」
「あら、エルロったら弱腰ね。愛しいお姉さまに会うためだもの。危険は承知でしてよ」
つん、と高飛車に応えた彼女は、群衆を睥睨する。
しかしその視線が、クシェルで止まった。彼女はますます、身を強張らせる。
警戒するクシェルを気にするタマではなく、ご令嬢は大きな緑の瞳に、みるみるうちに涙をたたえる。
「お姉さま……お姉さま、お会いしとうございましたわー!」
そして令嬢らしからぬ大声を上げ、両手を広げ、クシェルに突進して来た。
避けようか、という思いが一瞬脳裏をよぎったものの、それではあまりに酷なので、クシェルは諦めの境地で彼女を受け止める。
抱き合う二人に、野次馬たちがギョッとなった。
それには気付かないふりをして、クシェルはぽんぽんと、妹の背中を叩いてなだめた。
「メイリーナ……なんでそんな目立つ格好で、目立つ車を使って来るんだい……」
「お姉さまにお会いするためですもの! 一番きれいなわたくしでいなければ、いけませんわ!」
「なんなんだ、その理論は」
呆れる彼女であったが、周囲の住民はますますもってどよめいた。
「クシェルちゃん……いいとこのお嬢ちゃんだとは思ってたけど……まさか、本当にお貴族様なの?」
客の一人が、裏返った声でそう尋ねる。クシェルはメイリーナの背中を叩きながら、小さく肩をすくめた。
「へへ、実は……」
はぁー……と、感嘆の声があちこちから上がる。
「ざっくりした喋り方の割に、妙に世間慣れしてないと思ったら」
「そうそう。金勘定も下手だったし」
「おまけに車がビュンビュン通ってる道も、ふらふら渡ろうとするし」
「みんな、よく見てますね……いや、申し訳ない」
つい、顔が熱くなる。
それはともかく。
さてこの騒動を、どうしたものか。
自分たちを取り囲む住民たちと、そして未だ泣いて縋りつく妹のメイリーナを交互に見て、クシェルは小さく嘆息。
そんな時だった。
「この騒ぎは、どうされたんですか?」
普段なら頼り甲斐を感じるけれど、今は一番聞きたくなかった通りのよい声が、群衆の外側からした。再度、クシェルはぎくりとする。
人混みをかき分けて、声の主であるスヴァルトが姿を見せた。しわ一つない青い制服を着こんだ彼は、小さく首をひねった。
「クシェル殿、どうしました? そちらのお嬢さんは?」
「いや、これはね……」
クシェルの居場所を知っていたメイリーナのことだ。彼女が何故巫女を辞めたのかも、知っているはずだ。
そしてその原因でもあるスヴァルトに会えば――血を見るかもしれない。メイリーナは、若干病的なまでに姉を愛しているのだ。
なんと答えるべきか、とクシェルが迷っている内に、メイリーナがスヴァルトを見る。うさんくさそうな顔つきだ。
「この、馴れ馴れしい田舎騎士は何者ですの?」
そうクシェルとスヴァルトに問いかけながら、徐々にメイリーナの小さな顔が強張って行った。
「騎士……眼鏡……まさか、この男が……」
まずい。ごまかす暇もなく、妹は察したようだ。というか、眼鏡も判断材料なのか。
恨みがましいその声に、スヴァルトの表情も曇る。彼もよからぬ空気を感じたらしい。
メイリーナの従者であるエルロだけは、事態を把握していないらしい。困ったようにスヴァルトと、主のメイリーナをきょときょと見ている。
「え? え? お嬢様、この騎士様がどうかしたんです?」
「分からないの、エルロ? この田舎騎士がお姉さまを――」
「メイリーナ、その話はここでしないでくれ」
硬質な声を、クシェルは強引にぶった切った。
そして自分の背にある、マルツ亭の二階を指さす。
「とりあえず、私の部屋で待ってて。すぐに事情は話すから」
激情家のメイリーナを放っておけば、皆の前で何を口走るか分かったものではない。
自分が噂されるのは、一向に構わないとまでは言わないまでも、まだ耐えられる。
だが、そこにスヴァルトを巻き込むことは嫌だった。これ以上、迷惑をかけたくない。
ただ彼にも、事の次第を知ってもらった方がいいかもしれない。クシェルはスヴァルトを見上げた。
「スヴァルト君も、もしよければ付き合ってくれないかな」
強張った表情の彼は、それでも小さくうなずいてくれた。
「かしこまりました」
そして二人と、ついでにエルロを部屋に案内して、大慌てでクシェルは食堂に戻った。
クソ忙しい時間帯に、厄介な妹の来襲――今日はあまりにも、やることが……やることが多すぎる。