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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

静止世界

作者: паранойя

 僕はランタンの薄ぼんやりとした明かりの下、ショットシェルを並べた。

 12ゲージ、00バックショットが十一発。


 古びたダブルバレルショットガンを折り、二発のショットシェルを装填する。

 僕は毎日こうやって残弾を確認し、その度にこう思う――自分の頭を撃ち抜くべきか、否か。


  ◇


 世界がこうなったのは凡そ六十年前、突如『ポータル』と呼ばれる空間に開いた風穴を通じて異世界と繋がってから……らしい。

 ポータルは約一ヵ月に渡って口を開き、その間異世界から魔物と瘴気を吐き出し続けた。魔物は大して問題にはならなかった。当時の軍隊、それも最先端の兵器の敵にはならなかったのだ。事実、軍は瞬く間に魔物を掃討した。


 厄介なのは瘴気だった。それは黒い靄のような姿で、あらゆる生物――魔物以外――を即座に殺す力を持っていた。

 内臓が溶けるのだ。運悪く吸い込んでしまった生き物は、体中の穴という穴からタールのようにドス黒い粘液、元内臓を垂れ流して壮絶に苦しみぬいて死ぬ。


 人類を、文明を、世界を滅ぼしたのは魔物ではなく瘴気だった。ガスマスクで防ぐ事は可能だったけど、全人類に行き渡る数がある訳でもなく、悠長に配って回る余裕が残されていた訳でもない。

 しかも、更に悪い事に瘴気はあらゆる物に浸透し、瞬く間に世界を覆った。まず雲に浸透し、地上を永遠の雨に閉ざした。そこから降る雨は瘴気を含み、川や海を徹底的に汚染し尽くして海藻の一片に至るまでを根絶やしにした。


 多分、瘴気で直接的に死んだ人類より飢えや争いで死んだ人の方が多いんじゃないだろうか。


 世界の終焉を描いた物語は多く存在したが、そのどれもが今を予測する事は叶わなかった。そりゃそうだ。突然異世界から毒ガスが飛んできて全てが終わるだなんて、誰も思い付きやしないだろう。


 でも、それが現実なんだ。

 生きる理由も分からずに、明日が来るかもはっきりしないまま、今日も僕は生きている。


  ◇


 階段が崩壊してできた斜面を這い上がると、鬱陶しい小雨が僕を迎えてくれた。鈍色の厚い雲は空一面を覆い、その向こうにある青空を長い事隠し続けている。僕は、産まれてこの方青空を見た事がない。

 雨の一粒が見上げていた僕の顔に当たり、ガスマスクの透明なバイザーに灰色の汚れを残す。


 腹が減っていた。バックパックにはトウモロコシと豆の缶詰がそれぞれ入っているけど、食べるべき時は今じゃない。もう少し我慢して、何か食べられる物が残っていないか探してからだ。

 こんな調子なので、朝食や夕食といった概念はほぼ消滅しつつある。食事は食事、食べられる時に食べるのだ。


 僕は少し歩いて、適当に見かけた廃墟を探索すると決めた。どうやらスーパーマーケットだったようで、ここなら何か残されているかもしれない。

 だだっ広い駐車場には数台の自動車が放置されていた。一番近い一台に近づいて、ガラスの嵌っていない窓から助手席を覗く。座席に散らばる白骨を無視してダッシュボードを開いた――保険関連の書類、車検証明書、チョコバーの包み紙。残念だな。中身があれば今日を良い日と呼べたのに。


 僕の足元のアスファルトはひび割れていて、その隙間をびっしりと埋めるように真っ赤な草が生えている。それは鮮血を思わせる色合いで、遠くから見ると肌に深く刻まれた裂傷にも見えるだろう。

 これは異世界の植物だ。瘴気を吸って、それ以上に吐く。こいつらのお蔭で瘴気は永遠になくならない。かつて地球が母たる水を循環させて命を賄っていたように、今では瘴気が地球を循環している。

 抜いてしまえばいいと思うだろう。しかし残念ながらこいつらの生命力は半端じゃなく、抜いた端からまた生えてくる。一時は草抜きをライフワークとしていたが、余りにも不毛だったのでやめてしまった。


 スリングで肩に掛けていたショットガンを手に、廃墟の中へと一歩を踏み出した。一応、護身の為に。もう長い事、魔物も人間も目にしていない――いや、鳥も魚も、僕以外の生き物を。

 全滅はしていないと思う。人間も魔物も、どこかで生き残ってる。多分、きっと、そうあって欲しい。海の向こうの大陸では集団生活が営まれているかもしれない。僕に海を渡る手段なんてありはしないけど。


 最後に見た魔物は皮を剥がれた四つん這いの人間のような姿をしていた。敵意むき出しで襲い掛かってきたものだから撃ち殺してしまったけど、時折それを後悔する事がある。馬鹿げているけど、とにかく……何かしら生き物と会いたい。


 何かが潜んでいる事を期待して、僕は暗闇に懐中電灯を向けた。

 何もいない。外からの穏やかな風で埃が舞っていて、それが僕を除いて唯一の“動き”だった。いつもの事ではあるけれど。


 かつて食料品を陳列していた棚は空っぽで、ドミノ倒しのように全て倒されていた。一応下の空間を覗いてみるが、缶詰一つ落ちていない。まぁ、最初から期待はしていなかったけど。こんなに目立つ廃墟、先人たちが目をつけない筈がない。


 こういう光景を見る度に、僕がどれだけ恵まれていたか実感する。

 僕が生まれ育ったのは民家の地下核シェルターだった。そこには食料、水、マトモな空気と生存に必要な物が揃っていて、優しい両親まで備わっていた。プレッパーって言うらしいな、ああいう手合いの事を。

 

 母が風邪を拗らせて死んだのは、僕が十五の頃だった。それからすぐ、後を追うように父が死んだ。

 食料も水も、有限の物は必ずいつかは尽きる。僕がこうして彷徨っているのも、そういう事だ。今の状況を考えると、両親が物資が尽きるより先に死んだのは幸運だったかもしれない。この世界に三人が生きられるだけの物資は残っていないだろうし。


 バックヤードの搬入口まで見たが、やはり何もなかった。略奪の形跡か、派手に破られた段ボールが無数に転がっていて、当然中身は空だ。

 何よりもまずは水が欲しい。雨水が瘴気に汚染されて飲めないので、残された飲料か汚染されていない水源から喉を潤すしかない。バックパックには約二リットルのペットボトルが二つ、計四リットルある。これが僕の命のリミットだ。


 搬入口の扉には鍵がかかっていなかったので、そこから出る事にした。計画性はなく、拠点もない。歩けるだけ歩き、生きられるだけ生きるんだ。

 

  ◇

 

 雨が勢いを増してきたので、適当に見つけた建物に避難した。どうやら元コンビニだったようで、案の定からっぽの食品棚と静寂だけがあった。

 唯一、雑誌と文庫本だけが幾つか残されている。生きるか死ぬかの瀬戸際では誰も見向きもしなかったのだろうか。暇をつぶすには、これ以上なく向いているのだけど。


 カウンター、レジの隣に腰掛けて適当に手にした雑誌を読む。売れっ子アイドルへのインタビュー、映画レビュー、タレントのスキャンダル――当時の人は読んでどう思ったんだろう。今となっては数少ない娯楽の一つだけど、昔は娯楽で溢れていたと聞く。


 雨が地を打つ環境音。風がこれ以上ないくらい開放的になった窓から吹き込んで風切り音を立てた。外は白みがかって蜃気楼のようで、それが全てだ。虫の音も小鳥のさえずりも聞こえない。僕はこの世界で完全に迷子になっている。

 多少なら雨に濡れても問題はないが、絶対にガスマスクは外せない。目に見えない程薄まってはいるが、ここには確かに瘴気が漂っている。

 

 瘴気は比較的重く、下に溜まる傾向がある。ガスマスクを外して食事をし、ぐっすり眠りたいなら汚染の弱い場所を探すしかない。可能な限り地下に潜るか、高所を目指すか。そうすれば自然な呼吸ができる――それでも希薄ながら瘴気はあって、少しずつ確実に体は毒に冒されるけど。

 

 ガスマスクにはチューブの挿入口が設けられているので水は飲めるけど、食事はできない。このまま雨が止まなかったら、僕は空腹を抱えてガスマスク姿のまま眠る羽目になる。

 死ぬ方法は幾らでもあるのに、生きるのは余りにも過酷だ。


 雨がいつ止むのか、それは神のみぞ知る。でも、もし僕が神だったら、永遠に雨を降らせると思う。もう人のいない世界なんて見ても面白くないし、それなら厚い雲で覆ってしまえば見ずに済む。

 あるいは、神も泣いているのかもしれない。雨は神の涙だと、幼い頃母から聞いた。まったく迷惑な話だ。泣いている暇があればこの世界をどうにかして欲しい。肋骨をもう一本取って僕の傍にもう一人産み落とすとか。肋骨は二十四本もあるんだし、片一方が減ったままだと神も気分が悪いだろう。両方減らせばバランスが取れて僕も孤独じゃなくなる。Win-Winだ。


 そうだ、傘はないだろうか。昔持ってたけど、最近壊れてしまった。

 コンビニの中を探して……一本もない。いや、あるにはある。金属の芯と持ち手だけだけど。これじゃ喉を突くくらいにしか使えない。そんな苦しい事しなくても、僕にはショットガンがある。


 退屈で退屈で、雑誌を一ページ千切って紙飛行機にして飛ばした。デルタ翼紙製飛行機は窓の外へ飛び、猛烈な雨の対空砲火を浴びて墜落した。優雅だった。


  ◇


 運よく雨が弱まった隙を見計らって外に出て、どうにか今日の宿を確保した。今にもバラバラに崩れそうなビルを十二階までロッククライミングのように登り、奇跡的なバランスで水平が保たれている一室を確保した。ここなら瘴気も希薄で、多分ガスマスク無しで眠れる。


 ガスマスクを外して、ほんの少しだけ息を吸った……。


 内臓は溶けださなかった。安全だ。少なくとも、今のところは。


 また雨は本降りになったけど、ここは雨が防げて見晴らしも良い。とは言え、目につくのは瓦礫の山と化した高層ビル群か崩壊寸前のジェンガみたいな建物ばかりだけど。

 有機物はまぁ、あるっちゃある。高層ビルを巨大な茨で締め上げ、毒々しい鮮血の花弁を広げる異世界バラだ。途方もなく大きく、時折瘴気を花粉のように撒き散らす。おまけに夜になると光る。

 昔は異世界バラの花粉を広めるこれまた巨大な蝶も飛んでいたらしいけど、今はもう姿を見せない。僕と同じようにバラも孤独で、ずっと蝶を待っているのかもしれない。


 もうすぐ日が沈む。僕はショットガンから弾を抜いて、ランタンの準備をした。暗くなったら寝る、明るくなったら起きる。それが一番良い。

 きっと明日になれば古びたダブルバレルショットガンを折り、二発のショットシェルを装填するだろう。そして考える――自分の頭を撃ち抜くべきか、否か。


 でもやっぱり僕は彷徨うだろう。今日のように。

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