94 怖いものは怖い
「さあ、やっと上流まで来ました!」
私たちはジェーンを先頭に進軍し、ヴィノクール湖へ繋がっているナディア川の上流の辺りについた。ジェーンの明るい声は、緑豊かな沢に響いた。リンとエストリーのスナイパー隊、タール隊はまた別行動をしている。
ジェームス隊はブレイブホースに繋がれていた台車から、私の知らない何か、スコピオ博士の発明品が入っている箱を地面に下ろし始めた。その機械が何なのか、実はある程度、予測はついているものの、それが本当でない事を願ってやまない為、私は怖くて聞けなかったのだ。スコピオ博士が言った。
「よし!じゃあやろうか!カメラは切ってるよね?」
私は頷いた。
「そうですね。向こうに着くまでは切ってますよ。ね?ミラー夫人。」
ウォッフォンから独特なダミ声が聞こえた。
『ええ勿論よ!でも向こうに着いたらパブリックにするから!それまでは私だけ、誰にも邪魔させないわよ!』
「そうですね」ジェーンが冷静な声で言った。「もし今から行う事をパブリックにした際は、一生あなたを恨みます。」
『んダァ~~ん!ほほほ!ジェーンちゃんが私のことを一生覚えててくれるようになるなんて、ちょっとイタズラしちゃおうかしら、ンフ~ん。』
……さて、準備をしようか。私は手をパン、パンと合わせながら、あたりを見回した。すると笑顔になっているスコピオ博士が箱を指差して、みんなに話し掛けた。
「さあこれを使おうか!ね!俺が頑張ってヴィノクール製のボンベを、上手いことライダースーツにフィットするように改良しておいたんだ!ボンベの容量も増やしておいたし、更に泳ぎを補助してくれるジェットをつけたから、流される心配だって無い!だから何日間でも水の中に居られるぜ!こうやって付けるんだ、そうすれば水中でも、お魚ちゃんの如く快適に過ごせるからな!」
魚の真似をして、スイスイ泳ぐ仕草をしているスコピオ博士の前で、私は勢いよく立膝をついて、天に向かって合掌し始めた。周りの人間が笑っている中、ウォッフォンからアリスの声が聞こえた。
『キリー、もう仕方ないから腹括りなよ。』
「そんな簡単な問題じゃないんだ!」私は叫んだ。「私は、私は水の中に入ったら……正気でなくなる!いや、生きてはいけない!魂が死ぬんだ!」
ああ、だけど現実は残酷なことに、周りの皆がボンベを装備し始めている。待ってくれ、待って。私の願いなどトイレットペーパーのように、いとも簡単に流されていく。
そして自分にボンベを付け終えたジェーンが私の背後に回り、背中にボンベの装置を付け始めた。嫌だ、絶対に嫌だ!涙を流しそうな表情はきっとケイト先生の視点カメラから、ミラー夫人やソーライ研究所の皆に届いているだろう。ウォッフォンから笑い声が聞こえる。
水に入るくらいなら、私は笑い者になったっていい。作戦の時に何度も放った言葉だ。ジェーンが私にボンベを付け終えたようで、ケイト先生のように肩をポンと優しく叩いた。
「さあ、付け終えました!位置情報を見る限り……もう既に先鋒は、ヴィノクール湖に到着しています。任務を遂行した後の彼らだけを現場に残しておくことは危険です。さ、キルディア。」
ジェーンが私の背中を川に向かって押してきたので、私は避けた。
「待って、無理無理無理!こ、この中に入っても気絶して私は動けなくなるだろう。しかも見てよ、この川の流れ!動画で見た景色と全然違う!いくらジェットがあるからって、私は行かないよ……行っても足手まといになる!」
ウォッフォンから皆の『え~』という落胆の声が聞こえた。それでもいい。私は水に入らない為なら悪にでもなれる。クラースさんがフルフェイスメットの奥で、ため息をついて言った。
「何を言っているんだ、お前が抜けたら士気がガタ落ちだろうが!川の激流も、スコピオ博士がボンベに付けてくれたジェットで何とかなるとジェームス達が言っているんだ!お前は目を閉じて、誰かの手でも握って泳げばいいだろうが、とにかく絶対に抜けることは許さないぞ!」
その時、ジェーンが私の左手を優しく握ってくれた。ああ、きっと彼のことだ、何かいい策を思いついたに違いない。そうなのでしょ?頼りになるなぁ、これが親友。私は優しい声で聞いた。
「何?ジェーン。」
「本当に笑い者になってもよろしいのですか?ユークの皆が見ていますよ。」
……。
「……ぅぅううううあああああ!お助けあれ~!」
私は両手を挙げながら走って、川へ突入した。ウォッフォンから『おお~!』だの『ははは!』だの、歓声と笑いが混じった声が聞こえる。
ナディア川は、やはり流れが激しく、私の膝まですっぽり水に浸かると、すぐに私は足を掬われて水の中に入った。ジェットが補佐的に働いてくれて、泳いでも居ないのに私は川の真ん中辺りまで来れた。
ジェーンの身長でさえスッポリと水の中だ。私は水の冷たさで震えているのか、精神的に震えているのかもう分からなくなった。もう生きているのか、そうでないのかも分からない。
出来れば、生きているうちに一度くらい結婚したかった。モテないならモテないで、もう少し積極的に行動すれば良かった。呼吸はボンベのおかげで出来ているのに、酸欠のような目眩に襲われた私は、脱力して海藻のように川の流れに身を任せた。
すると、ジェーンがツールアームの腕を引っ張って、彼の方へと引き寄せて、私のことをお姫様抱っこしてくれたのだ。私は必死にジェーンにしがみ付いた。ボコボコと、フルフェイスヘルメットから漏れる彼の息が、私のメットのシールドに当たった。もう誰でもいい、私を連れて行ってくれ。私は彼の肩に頬を寄せて、目を閉じた。
『よし、それでは向かいましょうか……これは私が運んで行きます。』
『はっはっは!』
メットのスピーカーから、ジェーンの声と皆の笑い声が聞こえた。『キリちゃん!キリちゃん!』というミラー夫人のコールも聞こえる。
川底から我々は進軍を開始した。
*********
突然の爆発音だった。それから地響きがした。
「何だ!何があった!?」
慌てた様子の兵士が俺の元へと駆けて来た。水責めの情報は本当だったとでも言うのか!?いや、馬鹿な。そんな立派な爆弾を、連合は所持しているのか?
「ヴァルガ様、地下三階、南の水路近くの壁が、爆破で穴が開き、決壊して水が……!」
「まさか!」
叫んだのはトレバーだった。ウォッフォンで情報を確認するが、やはり連合は水責めをすると言うニュースがあった。俺は読み違えていたのか?騒ぎを聞いた民達が慌て始めた。ああ、面倒なことになった。
「きゃああ!やっぱりあれは本当だったのよ!」
先程の女の声がする。センリが彼女に叫んだ。
「女ぁ!あまりギャーギャー騒いでると、その首吹き飛ばすぞ!」
「あっ!この馬鹿!」
センリが女性に向かって戟を振り下ろしたのを、俺が剣で受け止めた。そうこうしている間にも、兵士達の間には水責めの件が、瞬く間に伝わっていき、混乱を生み出している。俺に睨みをきかすセンリに言った。
「センリ、余計なことはするな!水責めなら現場を修復し、地上の警備を強化すればいい!早くお前は上の階に行って、部下達の気持ちを落ち着かせてこい!俺はこの地下四階にいる住人をまとめて移動させる。連合だろうが何だろうが……。」
センリは今にも俺に唾を吐きかけそうな顔をしていた。思い通りにいかなかった時のセンリは、手が付けられない。
「……承知しました、ヴァルガ様。しかし進言させてくださいよ、あのトレバーはね、連合は水責めなどしないと戯言をほざいていた。でも俺はこうなると思っていた。トレバーの様子を見て、何も気付かなかったんですか?シードロヴァに感化されてたじゃないですか、あいつはそれでわざと水責めはないと言ったんだ。あいつは真の裏切り者だ。信用しない方がいい。」
「お前、考えすぎだ。誰にだって間違いはある。俺だって、間違えたんだ。いいから早く上の階に行ってこい!」
「はぁ……承知しましたよ、ヴァルガ様。」
チッチチッチ舌打ちをしながら、センリがテクテクと歩いて行った。
「走れ、センリ!」と怒鳴ると、やっと小走りで去って行った。ここに居るのが、シルヴァ様……いや、オーウェンだったら、と考えたが、今は仕方ない。俺がしっかりしないといけない。
しかし水責めは本当なのか?あの壁を破壊出来ることそのものが疑問だが、歴史のあるこの街を水没させてまで、彼らは俺たちを殺そうと言うのか?その前に、ここに居る民を巻き添えにしてもいいと言うのか?
「おいお前ら、勝手に動くな!ここはまだ水が来ない、大丈夫だ!」
慌てる民を黙らせて、俺は小隊に、市民をまとめて公園の方へ移動させることを伝えるように指示を出した。俺は急いで、そばにいた部隊長に声をかけた。
「その穴をどうにかして塞げるか?穴の大きさを見たか?」
「見ました、水はかなりの勢いで入ってきていますが、今のところ穴はその一箇所だけです。塞げるとは思います!」
「じゃあ頼む」
はっ、と部隊長が現場に向かった。
「よし、住人を安全な場所へと移動させる!付いてこい!」
俺たちは移動を開始した。この階には学校や商店街、それから病院や、大きな公園があった。その公園に向かって、俺たちはゾロゾロと歩いた。ざわざわと民達が不安げな声を漏らすのを、度々騎士が黙らせた。公園は芝生の生えた、ルミネラ平原を思い出させる真っ平らな場所だった。そこに民達を座らせ、周りに騎士を配置させた。
トレバーがびっこを引きながら、おばあさんの荷物を運んでいた。あのような彼が裏切る訳が無い。センリ、馬鹿げた考えで、兵達をさらに不安に陥れるなと、あとで伝えようと思った。
急に、俺のウォッフォンにヴォイスが入った。
『ヴァルガ騎士団長、こちらクロエです。我が師団長の姿が見えません!』
「何!?」
クロエはセンリの補佐だ。ああ、センリ、今度は何をする。
「穴は塞いでいるか!?」
『いえ、水の勢いが止まらない上に、その穴から連合の兵が……!現在戦闘中です!三階南通路は、もう膝上まで浸水しています!兵達が混乱しているのですが、師団長の姿がありません!それにもう一つ、兵隊が混乱している理由があります!ある兵がセンリ師団長に、トレバー補佐官が裏切ったと伝えられたとか!それは真でしょうか!?』
「んなもん、真実ではない!あいつの戯言だ!今からそちらに合流する、それまで耐えよ!」
『はっ!』
「おい、トレバー!」
「はい!」
トレバーは振り向いた。俺は奴の目をしっかり見て伝えた。
「ここの守備はお前に任せる。俺は侵入した連合兵を黙らせるから、お前はここにいて彼らを見張れ。」
「はい、承知致しました!」
俺は自分の兵をそこに残して、一つ上の住居の階へと急いで向かった。数ある連絡階段から一番近くのを選択して、その石で出来た階段を上っていく。
その時だった。パッと階段から漏れていた明かりが消えたのだ。一瞬で目の前は真っ暗になったが、俺はウォッフォンのライトを点けた。遠くから慌てる兵達の声が聞こえる。俺はウォッフォンを全員通知にして叫んだ。
「慌てるな!ライトを点けて、落ち着いて行動せよ!他に明かりのない場所はどこだ!?」
『こちら四階、陽の光が消えています!現在は電光のみです!』
トレバーの声が聞こえた。願わくばセンリの声を次に聞きたかったが、答えてくれたのはクロエだった。
『こちら三階、同様です!陽の光がない……地上はどうなっているの!?』
「センリ!地上にいるのか!?応答せよ!」
『こちら地上部隊、センリ師団長はおりませんが、現在湖畔への射撃を開始しています!しかし……押されて!、あっ』
銃声が聞こえ、通信が途絶えた。くそ。止まらない浸水、連合兵との合流、民の保護、地上も交戦中、人手が足りない。センリさえ、まともに動いてくれたら。するとまた先程の地上部隊から、交信が入った。
『すみません、負傷者が出て対応しました。ヴィノクール内部への光の吹き抜けですが、こちら異常はありません!地下階の何かが原因かと!』
光の吹き抜けは、ヴィノクールの地下深くまで太陽の光を通す、地上から繋がっている穴だった。それが塞がれてしまったので、深夜のように真っ暗になっている。今までは夜でも、ある程度の月の光があったのだと、その時になってわかった。俺は地下三階に着いた。
「わかった、原因は俺が後で調べる。お前達は持ち場を離れるな。それとトレバーは裏切っていない。俺が保証する。」
『はっ!』『えっ?』
トレバーが間抜けな声を漏らした。
だが、今の俺は笑えなかった。くそ、どいつもこいつも……!この状況、連合の、特にエリオットとシードロヴァの企てだろう。あの女め、何度も何度も、俺の顔に泥を塗るつもりか……いや、そうはさせない。俺がこの場で、奴をぶっ潰してやる!




