80 お目覚め
ここはどこだろう、見たことのある場所だけど、私はここに立ったことがない。目の前にはたくさんの観客席があるけど、何故か誰もいない。
私はステージに立っていて、スポットライトで照らされていた。ここは……ユークアイランドにある、有名な音楽ホールだった。私も何度か、仕事関係の人に頂いたチケットで、ここのコンサートを観に来たものだ。
何故一人で、こんなところにいるのだろうか。そもそもステージ上は関係者以外立ち入り禁止なのでは?するとすぐに背後からピアノの音が聞こえてきた。振り向くとそこには、白く大きなグランドピアノがあって、いつもの紳士的な姿をしたジェーンが、慣れた手つきで曲を弾いていたのだ。
へえ、ピアノ弾けるんだ……ああ、確かに、彼の履歴書の欄に、特技はピアノと書いてあったことを、頭の片隅から引っ張り出して、思い出した。意外だな、とその時は思っただけだったが、こうして目の前で聴いていると何だか、凄い。魅力的だ。しかしすぐに、今度は横からドラムを優しく叩く音が聞こえてきた。
ドラムを叩いていたのはクラースさんだった。え?彼は楽器を演奏出来ただろうか?赤いドラムを叩くクラースさんは、得意気な表情で私を見た。そして気がつくと、私はギターを肩からかけていたのだ。
黒いアコースティックギター。弾いたことが一回も無いのに、触ってみると意外と上手く音が出た。訳がわからないが、みんなでセッション出来るなんて、想像もつかなかった。
楽しい。これならもし研究所が潰れても、食っていけるじゃないか。すごいな。みんなすごい。これならいける。これなら……。
「いける……お金、大丈夫。」
私はゆっくりと目を開けた。ぼやける視界に、灰色の天井が映る。ここはどこだろうか?心電図の音が聞こえるし、ベッドの中にいる感触だ。匂いが、とにかく臭い。なるほど、どこかの病院に来たに違いない。
私は起き上がろうとしたが、上手くいかなくて、また頭が枕に埋もれた。どうしてだ?右手がつけない。私は右手を見た。それは存在していなかった。
「そうか……。」
あの時、ドラゴンに食べられちゃったのを思い出した。夢の世界で巧みにギターのピックを操っていた手は、もうあのお腹……マグマの中だった。
左手だけで半身を起こした。身体に鈍い痛みが走る。はっきりとし始めた視界で、部屋の机の上に何冊も積まれている、ジェーンの本を発見した。勘違いしていたようだけど、どうやらここはグレン研究所の寮の、私とジェーンの部屋だった。
何故なのか、ジェーンがいつも使用していた窓際の方のベッドに、私は寝かされていたみたいだ。そばには心電図を測る機械と、点滴が置かれている。他には誰もいない。隣のベッドは綺麗に布団が整えられている。ジェーンがやったに違いない。
「もしも~し。誰か、どこかにいる~?」
声を出してみるが、まだ起きたばかりで喉が慣れておらず、蚊が飛んでいるような、かすれ声になってしまった。ああ、どうしよう。それに、物凄く強烈な薬の匂いがする。包帯だらけの私の体から、俺のホスピタルちゃんキュアクリームの匂いが、プンプン漂っているのだ。クラースさんが付けてくれたのかもしれない。
とにかく、起きたことを誰かに知らせたほうがいいんだろうか。それともこれもまだ夢の中の出来事なんだろうか。この研究所にも世界にも誰も居なくなっていて、私一人なのかも……ちょっと怖くなった。
私はベッドから降りて、立ち上がった。すると左手に繋がれているチューブが、点滴が吊るされているポールに引っかかって、ポールが倒れてしまったのだ。さらにポールに何本ものコードが引っ掛かったせいで、私の体から心電図のパッドが取れてしまった。
ガシャン、と音を立てて、全てが床に散らばってしまった。
「あ」
ピピピピーピピピピー
「やばい」
私がやばい状態みたいになってしまった。どうにか左手で床に落ちたパッドを拾って、胸にくっつけようとするが、点滴とポールが変に絡まっていて上手くいかない。廊下からバタバタとすごい足音が聞こえてきた。やばい。
すぐにガラッと扉が開いた。
「キルディア!」
「やばい」
「どうした!?……って、何だ、起きたのか。」
部屋にジェーンとリンとクラースさん、それからヴィノクールのローブ姿のおじいさんが勢いよく入ってきた。皆驚いた顔で、包帯まみれの私を見ている。そろり、そろりと私に近づいて来たのはジェーンだった。
「な、何?」
「……。」
……何か言えばいいのに、ジェーンは無言で私のことを、吸い付くようにじっと見つめている。そうしている間に、リンがさっと現れて、私のことを抱きしめてくれた。ひくひくとリンの肩が震えている。どれくらい私が寝ていたのか分からないけど、心配させたに違いない。私はリンの背中をさすった。
床に落ちた点滴や心電図のパッドを、おじいさんが拾ってくれて、ピーピー言っている装置を止めてくれた。そしてリンが私から離れて、涙目で話し始めた。
「キリー、本当に起きて良かった……もう本当に、すっごく心配したんだよ?私だけじゃない、クラースさんだって、ジェーンだって、ずっと心配してた。特にジェーンなんかは「リン、余計なことは」はいはい、兎に角、キリーが目を覚ましますようにって、毎日星に願ってた。昨日の夜に、星がね、ロブスター座の星が、一際輝いていたの。それで」
「ひとつ聞いていい?ロブスター座なんてあったっけ?」
「正式には発表されてないけど、私が発見したよ?ユーク大にも伝えたんだけど、まだ受理されてないみたい。なんで?」
「ああそう……何でもない。」
いつも通りのリンに、私は少し笑った。リンは真面目な表情で続けた。
「ロブスター座の星が輝いている時は、いっつもね、極端に良いことか悪いことの、どちらかが起こるの。昔っからそうだった。だからさっき、キリーの心電計がまたピーピー言ったから、悪い方を想像しちゃったの……でも良かった!パットが取れちゃっただけなのね。」
「うん、取れちゃった。」
そうか、またってことは、きっと私の心臓は止まったことがあるんだ。思ったよりも重傷を負っていたらしい。無茶は出来なくなってきたもんだ、と苦笑いした。リンは笑った。
「まあ~起きたならさ、あとは回復するだけだよね!もう本当に良かった~。もう五日間も目が覚めなかったんだもん。諦めかけた「え!?そんなに経ったの!?」
やばい。五日も鍛錬していなかったら、体が鈍るどころの話じゃない。片腕が無い事など理由にならない。そういう風に、教官に刷り込まれてきたのだ。今からでも筋トレをしたい私は、またパットを胸に付けようとしてくる、おじいさんに遠慮した。
「それもう大丈夫です、ありがとうございました。」
おじいさんはぼーっとしたような目で、私を見た。
「しかし、まだ横にはなっていた方がいい……傷が治るまでな……。」
何故か元気がなさそうだ。元々こう言う人なんだろうか?リンが私を手を繋いで立っていたが、それを聞いたからなのか、ジェーンが私とリンを引き離すと、私をベッドに軽く押し倒した。
右手で身体を支えようとしたけど、それが無く、バランスを崩しそうになったが、ジェーンが背中を両手で持って、支えてくれた。心なしか、そんな彼もいつもより元気が無い。心配だったのかな。そんな人を心配するような人には見えないけど。
私は取り敢えず、聞いた。
「皆さん、心配かけてごめん。あと、私にキュアクリームを塗ったのは誰?」
無言でクラースさんが挙手をした。分かっていたから、ちょっと笑ってしまった。おじいさんが言った。
「そのキュアクリームとやら、彼が塗りたいとしつこくてな。そんな市販のクリームよりも医療用のポーションクリームの方が効くと思っとったんじゃが、それは間違いだった。わしはキュアクリームのファンになったよ。君の右腕の付け根にも、縫合した後にキュアクリームを塗ってみたんだが、驚異的な治癒力じゃ……わしは、ヴィノに戻ってからも、仲間とこのことを共有するつもりじゃよ……。」
塗ってみたって、私で試したんかい。それにしてもやはり、おじいさんは元気が無い。大人しいと言うよりかは、ため息交じりで喋るので、本当に元気が無いように思えるのだ。気のせいかな。そう思いながらも答えた。
「だからすごい匂いがするんだ……もうシャワーを浴びたいくらいなんだけど。ベトベトだし。」
リンが首を振った。
「ダメだよキリー、寧ろ、もうそろそろキュアクリーム塗る時間だよ。」
「えっ、何それ。何でまた塗るの?」
私の質問に、クラースさんがキュアクリームのチューブを見せてくれて、それを指差しながら説明した。
「ほらここに書いてあるだろう?キュアクリームは傷が完全に治るまで塗り足してねって。」
「キュアクリーム……。」
私の鼻をひんまげる気なのか。そうなのか。
「今回は私がクリームを塗ります。少し二人にして頂けますか?」
突然ジェーンがそう言った。静かな声だった。他の三人は頷いた。部屋を出て行こうとした時に、クラースさんが持っていたクリームのチューブをジェーンに渡した。皆が居なくなると、ジェーンは私が座っているベッドに腰を下ろして、私の背後に移動した。すると私の上半身の包帯を外し始めたのだ。
「ちょっと、ちょっと……これはリンじゃダメなの?幾ら何でも私にだって恥じらいがある……。」
「ああ、別にこれが初回ではありませんよ。大事な部分は視界に入れぬ様努めますから、恥じることはありません。ほら、じっとしてください。それでは塗れない。」
私は暴れるのをやめた。し、仕方ないか……。覚悟を決めてじっとしていると、ジェーンが包帯を外し始めた。私は自分で塗れないのだから仕方ない。すぐに私の上半身が露わになった。
しかし、ドラゴンの噛み跡と引っ掻き傷の縫い目、騎士からやられた打撲痕、更に元から存在している古傷達のお蔭で、色気もへったくれもない。もう確実にお嫁には行けないだろう……ボロボロくまちゃん、その言葉を思い出した。背後からニュッとクリームを絞り出した音が聞こえた。
「……この傷は、あと二ミリずれていた場合、致命傷になっていた様です。」
ジェーンが私の肩甲骨の真ん中辺りにある傷に、クリームを塗りながら言った。
「そうだったんだ。」
「私のせいです。」
ジェーンの言葉を聞いた私は、体ごと振り向いた。彼がしんみりしていた理由が分かった。いつもの無表情だけど、少しだけやはり、辛そうに見えた。私はジェーンに余計な罪悪など持って欲しくなく、言った。
「ジェーン、それは違うよ。」
「どうしてそう言えますか?私があの時、油断をしたからです。私がもっと、周りを見ていれば良かった。それだけでは足りない、私にもっと身体能力があれば、私に戦闘能力があれば……あなたはこの様な目に遭わずに済んだのです。」
彼は歯を食いしばって俯いている。そんなに悔しそうなジェーンは、初めて見た。何だか最近は、彼の初めて見る色々な表情を見れるな。人って、色々な表情があるのだな、それはずっと一緒に居ることで分かっていくんだ、とそう感じた。私は残った左手で、ジェーンの肩を撫でた。
「ジェーン、私はこの様な状態になったが、別に構わない。」
「何故です」彼の声が震えた。「あなたの利き腕は右手です。それにあなたは近接戦闘を好みます。私の責任ではありますが、事実、戦闘能力は著しく低下したでしょう。それに日々の生活にも支障が……私に出来ることなら何でもしたい。私があなたを支えたい。」
かなり、彼は責任を感じている様だ。その想いが彼に存在し続ければ、彼は自分の世界に帰れなくなるかもしれない。それはいけないと思った私は、説得するべく、血とクリームが彼につかないように、彼を軽く抱きしめた。そしてまた座り直して、微笑んだ。
「ジェーン、私は幼き頃から剣術学校に通い、小学院を出たらすぐに士官学校に入り、常に戦う訓練をしてきた。前にも話しただろうけど、お父さんが将来私に何があっても、一人で食べていけるように、そうであることを望んだ。だから幼い頃から、こういう事態になることは覚悟していたし、それよりも、ジェーン。私はドラゴンが我々に向かって飛んで来たのが分かった時に、一瞬の中でジェーンを守ることが出来た。それをとっても嬉しく思っている。私はジェーンを守ると決めた。だからジェーンが無事で嬉しいという気持ちと、自分の決意を守り抜けたこと、両方が嬉しいんだ。それが果たせなかったことに比べたら、こんな傷、なんてことない……だい、大丈夫なんだけど……はっはっは!」
私は笑ってしまった。何故ならジェーンが、ほんの少し涙目になっているからだった。真っ赤でうるうるした瞳、鼻すすり、こんな彼を見るのも初めてだった。指で涙を拭った彼も、私と同様に微笑んだ。
「ふふ……見られましたね。参りました、私の想像以上に、あなたはお強いようです。しかし、私にもこれ以上は考えなければならない。状況が状況です。これ以上、あなたの足枷になる訳にはいきません。」
そう言った彼が、クリームを指に乗せて、私の体に付けようと、私の体に視線を落とした。しかし何故か勢いよく顔を逸らしたのだ。
「何で、どうしたの?あ。」
私が上半身裸の状態で、彼と向かい合わせに座っていたので、大事なところが丸見えだったのだ。それで顔を逸らしたらしい。
「べ、別にもう気にしないけど。」
「……いえ、私は気にします。」
「そっか、そうだよね。ジェーンには奥さんがいる。でも私は親友だから、もう見られてもいいけど。性別の差はあるけど、私は気にしない。」
「例え我々が水魚の交わりであれど……私は気にします。見ることは出来ません。」
そう構えられると、何だか落ち着かない。ジェーンは顔を背けたまま、クリームを塗り続けた。手探りで動いているジェーンの手を掴んで、自分の傷に次々と案内した。




