78 癒しの願い
クラースはその小柄な医師を、背に乗けて走ってきた。私はもう既に意識を失っていたキルディアを正面から抱く形で運んでいた。旧採掘道で合流すると、彼女を地面に下ろし、医師が「こりゃあいかん」と呟いたのが、耳に響いた。すぐに応急処置が行われた。
途中、医師が彼女の防弾チョッキを剥ぎ、Tシャツを捲り上げた。私は目を逸らすべきか迷ったが、クラースでさえ見ることを遠慮していなかったので、罪悪感を持ちながらも彼女の上半身を見た。見ない方が、良い選択だった。それは彼女を気遣う意味と、あまりにも酷い生傷がある意味の両方があった。
騒ぎを聞いたのか、タマラ採掘隊の作業員が、手押し車で我々のところまで駆けつけてくれた。手押し車は、旧採掘道を通るには、ギリギリの大きさだった。キルディアと医師を台車に乗せたものの、方向転換が出来ずに、それでも処置を続ける医師を運ぶ手立てがそれしか無く、作業員は後ろを向いたまま、台車を引き始めた。
中々、集中して彼女の治療出来ないことに、焦燥感ばかりが募った。私もその台車を、クラースと共に押した。リンはずっと泣いていた。
火山を出てすぐに、グレン研究所の医務室へと運ばれた。その部屋の前で、私はソファに座ることも無く、ウロウロと歩き続けていた。心電図の音が部屋の中からずっと聞こえている、それだけが心の支えだった。
『ついでに私のことも守ってください。』
『はいはい、約束しますとも。』
約束通りに、私は彼女に二度救われた。どうか、その彼女を奪わないで欲しい。私がもし、何か超常的な存在を信じているとしたら、その何かに、こんな時ばかり頼るのは烏滸がましいことだろうが、祈りたい。
「ジェーン、大丈夫だ。あいつはそんなに柔じゃない。少し、座ったらどうだ?お前も火山の中で、ずっと閉じ込められていたのだから。」
「結構です。しかし、ありがとうございますクラース。」
クラースの真剣な瞳と目が合った。私を心配してくれているようだ。
「そうか」
と、彼が何かを言いかけた時に、医務室の扉が開いた。中からヴィノクールの医師と、グレン研究所の産業医が出てきた。彼らがキルディアは無事だと話をしてくれた時に、私は安堵のため息をついた。
寮の、私とキルディアの部屋に彼女の体は運ばれ、私の指示で彼女には、私が使用していたベッドで横たわらせた。窓際だったからだ。毎朝、ソーライ研究所へ共に歩んでいく中で、彼女が陽の光が好きだと言っていたことを覚えていた。
血液循環の為の輸血が必要らしい。研究所ということもあり、余分な血液は限りがあった。確保の為、研究員達の中から、彼女と血液型が一致する人間を探すことになった。私も研究員に血液型を聞かれた。Bだと答えたが、彼女はOだった。適合したクラースは献血に応じた。
彼女の口元には酸素マスクが付けられていた。心電計をベッドの周辺に設置し、異変が起きれば、私が医師に連絡をすることにして、その日の夜は彼女と共に越すことになった。
だが、それからだった。翌朝になっても、その陽が山に沈んでも、彼女は一向に目を覚まさない。医師によれば、出血性のショックがまだ続いているようだ。
血の巡りが安定し、輸血は終了した。酸素マスクも翌日には外されたが、油断は出来ない状況だった。私はベッドのそばから、ずっと離れることが出来なかった。食事はクラースが私達の部屋まで運んでくれた。
キルディアに何度か、「食べますか?美味しいですよ。」と話しかけた。目を閉じたまま、静かに呼吸を繰り返す彼女は、その命の灯火が今にも消えそうで、私を涙させた。
私のせいだ。私のせいで、こんなにもボロボロの体になってしまい、更には彼女の右腕が、丸ごと無くなってしまった。目を覚ました時、きっと彼女は大いに傷付くだろう。私が代われるものなら、変わりたい。私が居たから、あなたはその身を盾にした。私が守ってくれと頼んだから、責任感の強い彼女は、それを遵守した。ごめんなさい、キルディア。ごめんなさい。
「……っ。」
また涙がこぼれてしまった。その時に、トントンと扉が叩かれた。私はベストのポケットからハンカチを取り出して、涙をさっと拭き、扉の方へと向かった。
「おお、ジェーン……どうだ、キリーは。」
やはりクラースだった。例の時間になった。
「彼女はまだ目を覚ましません……ヴィノクールの民達の様子は?」
「うーん。」クラースが唸った。「先程、タールから連絡があった。タマラの村に待機しているヴィノクールの民は、やはり気が気でない様子らしい。いいか、キリーが起きたとしても、このことは絶対に言うなよ。彼女のことだ、まだ癒えてない体で、何をしでかすか分からない。」
「それは百も承知です。今の状況、私が何かいい案を出せれば良いのですが。」
「ジェーンだって今はそんな器用に、あれもこれも考えられないだろう。お前だって、一見ロボットのようだが、実は人間なんだ。さて、キリーにキュアクリームを塗るぞ。付け足さないと意味が無いからな。」
「はい、そうですね。しかしヴィノクールの医師は?」
「今は医務室で休んでいる。クリームを塗るだけなら俺で十分だと思っているらしい。」
「そうですか。」
クラースが部屋に入ってきた。ベッドの所へ真っ直ぐに向かい、クラースは布団をめくった。私もベッドの反対側に行き、彼女の身体の包帯を撮るのを手伝った。
よく生きていたものだ、心臓の辺りから歪曲するように、左わき腹に向かって、ドラゴンの歯型の跡が点々と付いている。私はサイドテーブルに置いてある箱からガーゼを取り出して広げて、彼女の胸に置いた。クラースも私も、見るべきものではないからだ。
他にも兵士に切られたのか脇腹や、脚、肩にも切り傷があった。頬には殴られた跡、割れた腹筋も青黒く染まっている。何箇所も赤い糸で縫われている彼女の身体に対して、私の身体は綺麗さっぱりだった。私の大切な親友は、私が今まで見てきたどの兵士よりも、強い。それに対して私は、何とも称し難い、無力さを感じた。
「ジェーン手伝ってくれ。辛いだろうが。」
「いえ、私は平気です。」
クラースの芯も強い。兵士とは皆、こうなのだろうか。大切な誰かが瀕死であっても、それをすんなりと受け入れられるのだろうか。はあ、とクラースがため息をついた。彼女の傷に、キュアクリームを塗っていく。
元々医師は専用の傷薬を使用するよう勧めたが、クラースがこれを塗ると言って聞かなかった。しかし使用し始めると医師も驚く程に、彼女の傷の具合が良くなっていると、聞いた。治るなら何でもいい。私もクラースと共に、傷にクリームを塗った。クラースが心臓付近のドラゴンの噛み跡を指差した。
「医師から聞いたんだが、これはあと二ミリずれていたら致命傷になったらしい。運のいい奴だな。」
「……そうですか。」
「なあ、」クラースが私を見た。「俺が言いたかったのは、キリーは運もあるし、強いと言うことだ。こんな傷、こいつからしたら朝飯前だ。だから、あまり自分を責めるなよ?」
「はい。」
答えた私の声が、思わず震えてしまった。決して誰にも涙は見せたくはない。クラース、やってくれるものだ。私の心情を理解してくれたのか、クラースはそれからずっと無言で、彼女の傷にクリームを塗った後に、静かに部屋から出て行った。
目を閉じたままの彼女の頬が、窓から射す陽の光で輝いていた。クラースがカーテンを開けていったようだ。陽の光を当てることは確かに、身体にとっては必要だ。私はそのままにして、隣のベッドに座った。
その日の夜も、翌日の朝も、彼女は目を覚まさなかった。何度も点滴や包帯を交換しに、産業医とヴィノクールの医師が交代した。リンに指摘されて、私の髭が伸びていることに気付いた。部屋の洗面所で、さっと身だしなみを整えて、また部屋に戻ると、皆の姿は無かった。
窓の外の星々に、私は願った。どうか、彼女が戻ってきますように。そのためなら何でも差し出す。私のこのくだらない命でも何でも、喜んで差し出す。今一度、時空間歪曲機を作成して過去に帰り、彼女に守ってくれと頼もうとしている私を殺してもいい。寧ろ、私が彼女に会わなければ、彼女は無事だった。




