33 夜の森
サウザンドリーフの森は、木漏れ日が光のカーテンのようになって、幻想的に木々を照らしていた。これを写真に収めるために、観光に来る人も居ると聞いたことがある。
しかし我々が到着した頃には、もう既に夜になっていた。残念なことに光のカーテンは見られなかったが、翌日晴れることを祈る。どのみち、この時間になってしまえば、夜の間にブローチを持つ娘さんと会って、それを頂くことは不可能だろう。
癒し系の昼間の風景とは正反対で、夜になると森は月明かりも落ちていない、真っ暗闇に包まれていた。ブレイブホースの頭部のライトだけを頼りに、木にぶつからないように、また木の根っこでつまづいて転ばないように、ホースを徐行させた。
『でもさ、ブローチを見せてもらうのは簡単そうだけど、それをくれるかなぁ。ジェーン、それってどうしても必要なの?』
『はい、あれが無いと時空間歪曲機が飛翔することが出来ませんし、私の時代でしか採掘出来なかった金属を使用しています。あれそのものを手に入れなければ、私は一生、あなたのお世話になることでしょう。どうにか頂く手を、今考えているところです。』
『そっか、それは絶対に入手しないとね、一生お世話はちょっと。』
ぬかるんでいる土道で、時々ブレイブホースのバランスが崩れるが、その度に上手くハンドルを微調整させた。因みにその度に、私のお腹に回された彼の腕がぎゅっと強くなる。奇妙なことに、そんなことで怯える彼のことが、鬱陶しい反面、守りたいと思えてしまう。私は自分の中に芽生えている変な感情を払拭するために話を続けた。
『私だったら、突然真夜中に現れた、怪しさ満点の奴らに自分のブローチをあげないよ。』
『そうですね、確かに夜に訪問することは失礼に値しますから、朝になるまで、村の近くで待機しましょうか。』
『でも、リーフの村の自警団に見つかりそう。あの村の自警団って知ってる?彼らは遠くの敵の頭も、的確に弓で射抜く凄腕のスナイパー集団だし、村の近くに潜んでいて誤解されたら、我々の命は無いよ。』
『ああ、リーフの村の自警団、聞いたことがあります。しかしバレても殺されはしないでしょう、彼らは温厚な性格だと聞きますし、むやみやたらに人命を奪うとも考えられない。この暗闇の中を狙われたら、あなたが大声で、我々はケイト先生の知り合いだとでも申せば、万事解決します。心配は無用ですよ。』
何も言う事が無くなったので黙ることにした。ブレイブホースが倒木の上を通った時に、ぱかっぱかっと音が森に響いたが、いとも簡単に暗闇に吸い込まれていった。その時に何故か、別にホースが揺れてもいないのに、ジェーンがぎゅうと私のことを締め付けてきた。背中いっぱいに、彼の温かい感触がある。おのれ。
『……ジェーン、奥さんいるんでしょう。この世界に居ないとはいえ、あまり私にくっついては、彼女が悲しむ。まあそれを言ったら昨日同じ部屋に泊まったのも、いけないことだろうけど……兎に角、ハーネスがちゃんとあるのだから、肩をつかむ程度にしてよ。ちょっと罪悪感あるから。』
『ああ、そのような気分にならずとも、宿泊もこの姿勢も、彼女は気にしないでしょう。宿屋は突然の大雨だったので、同じ部屋になるしかなかった、もしそこで部屋を取らなかったら、すぐに満室になってしまい、どの宿にも止まる事が出来ず、私達は大雨に打たれながら、路上で夜を超える事になっていたでしょう。それこそ、彼女は望みません。それにこの姿勢においても、何よりも安全が第一です。あなたが言うハーネスとは、この革製のベルトのことでしょうが、果たして私が落下した衝撃に、この素材、この細さのベルトが、私を支えきれるかと問われれば、はいとは言えません。この姿勢の方が安全だと思います、この姿勢の方が完璧に私を……魔工学の権威でもある私を、守ってくれるでしょう。』
私は再び何も言う事が無くなってしまった。そうまでして自分の命を守りたいと言うなら、もうこの姿勢も仕方ないかと思ってしまった。罪悪感は拭えないが、もう今起きていることは全て、魔工学の権威である彼の責任だと思う事にした。私はもう知らない、忠告をすることはしたんだ、もう私の責任では無いだろう……多分。
それから無言が続いた。ぬかるみの上を歩くブレイブホースの音と、虫の鳴く声、木々が風で揺れている音だけが聞こえている。それ以外は静寂だった。なんだか私達だけ、世界から切り離されているかのように、不思議な雰囲気に包まれた。暫く進んでいると、遠くの方で微かに松明のような暖色の灯りが見えた。
『あ、あれが村かな。』
ジェーンの返事が無い。私は独り言を放った訳では無い、スピーカに向かって話したのだ。こんな静かな場所で、私の声が聞こえなかった筈はないと思い、それでも彼が私のお腹に回した手が緩んでいないので、寝てることはないだろうと、もう一度話しかけた。
『ジェーン?』
返事が無い。ブレイブホースの歩みを止めて、後ろを振り返ってみようとするが、ジェーンに抱きつかれているために体が固定されていて、上手く後ろが向けない。両手を使って、やっとの事で彼の腕を自分の体から引き剥がして振り向くと、彼は目を閉じていて、眠っているようだった。
私と言う支えを失ったジェーンが、力無く崩れ落ちそうになったので、彼の腕を掴んで、引き止めた。私から離れてくれたのはいいが、寝ているのか。これはどうやって運んで行こうと、座ったまま眠っている、彼の寝顔を見ながら少し考えていると、薄眼を開けたジェーンが、また私のお腹へと手を回して、今度は私の肩に顎を乗せて、寝息を立ててしまった。
仕方あるまい、これが一番運べる姿勢か、と、その姿勢のままブレイブホースのアクセルを軽く踏んだ。なんだか子守をしているようだ。大きな子どもだこと。そう思うと少しだけ笑いが込み上げてきた。すやすやと耳元で聞こえる寝息が、何とも煩い。ああ、きっと奥方はジェーンのこの部分が好きなのだろう、慣れると、何処までも馴れ馴れしい彼が、きっと。
その時、前方に見えていた灯りが揺れた。気付いた私は、すぐにブレイブホースの歩みを止めた。すぐに大きな男の声が森に響いた。
「誰だ!誰か居るな!」
私はヘルメットを外し、ブレイブホースの耳の部分に引っ掛けて、灯りの方へと叫んだ。
「夜分遅くに申し訳ありません!ユークアイランドのソーライ研究所から来た、キルディアと申します!ケイト先生の友人です!」
「ケイトを知っているのか……」
そう聞こえた気がする。ボソボソと何人かの男の声が聞こえた。きっと我々が不審者でないか、話し合っているに違いない。念のため、私は情報を追加しておいた。
「ケイト先生は、ソーライ研究所の医務の先生で、ジャスミン茶を淹れるのが上手で、とっても電車を愛しています!」
これで通じただろうか、きっと彼らが考えているこの時間も、我々は他の自警団の人間によって、弓で狙われているに違いない。もう少し離れた場所で待機していれば良かったが、思ったよりも村が近くにあった。もっと村の灯りが出ていると予想していたが、今でさえ灯りがポツンと一つしか見えていない。そこに村があるのかも見えない状態だったが、いつの間にか村に接近していたらしい。
気が付けば、後ろのジェーンが起きているのか、私の肩から顎が浮いていた。しかし彼は無言で状況を悟ると、私の背後に自分の体が隠れるように、縮こまったのだ。私を盾にするとはやってくれると、一人また笑ってしまった。
「分かった!」先程の男性の声が響いた。「こちらに来てください!この灯りに向かってくれれば、村があります!」
先程とは態度が変わった。我々を迎えてくれたようだ。良かった、通じたんだ。
「それはそうと」
「わああ!」
ジェーンがいきなり私の耳元で話しかけてきたので、驚いてブレイブホースのバランスを崩しかけてしまった。ブレイブホースを一度止めて、彼の方を振り向くと、眠い目を擦りながら彼が言った。
「それはそうと、少し私は眠っていたのですが……その間に、新たなる光の騎士団には遭遇しましたか?」
「いや、会ってないけど。そう言えばそうだよね、この森へは通行規制が入るという情報があったから、どこかに居るかと思ってたけど、全然居ないね。」
と、私が首を振ると、ジェーンは首を傾げた。




