29 ケイトの歩いてきた道
久々のモンスターとの戦闘だったが、やはりここ最近は毎日、オフィスワークへと変わってしまったからか、昔に比べて体が鈍っていた。モンスターからの攻撃を察知しても、それを避ける力が残っておらず、攻撃を受けてしまった。
昔だったら自然と軽く避けられたのにと、昔の自分を取り戻したい気持ちに駆られて、お風呂場で、シャワーのお湯を出したまま、床で腕立て伏せをした。何度か繰り返していくうちに、私の背中に当たって流れているお湯に混ざって、薄く赤い液体が流れ出した。せっかくケイト先生に縫合してもらった腕の傷が、また開いてしまったようだ。
怒られるかなと思いながらも体を拭いて、腕をタオルで押さえながら、リビングへと戻った。部屋着姿のジェーンと、私の貸した部屋着姿のアリスが、仲良く一緒にソファに座って、本を読んでいて、これまた私の貸した部屋着姿のケイト先生が、テーブルのところの椅子に座っていて、私の足音で気付いたのか振り返って、私に聞いた。
「ねえキリー、今日だけどちょっと疲れたわ。このまま泊まってもいいかしら?……って、何よその真っ赤なタオル!?何してるのよあなた!この馬鹿!」
べしっと頭を叩かれてしまった。強くため息をついたケイト先生は、私に椅子に座るように顎で指示を出して、私が椅子に座ると、ソファに置いてあった彼女のバッグをテーブルに置き、その中から携帯用の救急キットを取り出して、また私の傷の縫合をしてくれた。
「泊まってもいいよ先生……でも明日なんだけど、クラースさんにお手合わせ願ってもいい?体が鈍っていて、気になる「何言ってるのよ。傷が完全に塞がるまで、駄目に決まっているでしょう。」
これ以上は、彼女に逆らえなかった。ケイト先生の縫合は、どのお医者さんと比較しても痛くなく、縫い目も綺麗だ。何かあっても、彼女がそばに居てくれると思えることは、結構、心の支えになるものだ。優秀なお医者さんが、どうして大きな病院ではなく、こんな小さな研究所の産業医として、居続けてくれるんだろうと、何度も疑問に思ってきた。
そして、さっきから寝室前のソファで、一緒に座って読書している二人を見て、微笑ましく思った。いつの間に、あんなに仲良くなったのだろう。何があったのかは分からないけど、二人が仲良くなれて、本当に良かった。こんな気持ちで、ご近所さんから貰った、あの豪華絢爛なオードブルをいただくことが出来るなんて、この上ない幸せだ。
一つ疑問があるとしたら、それはジェーンだ。連日、私の夕飯をたかりに来る彼だが、今夜もまた例に#倣__なら__#って、オードブルを頂くのだろうか。最近毎日のように、私の夕飯を食べに来ている彼が、今夜も当たり前のように、私のご馳走の一部を取っていくのだろうか。
ケイト先生の縫合が終わってから、じっとジェーンのことを見て、そう考えていると、ふと彼と目が合った。
「あ、そろそろ食べますか?」
ジェーンの一言を聞いたアリスとケイト先生が、同時に立ち上がって、キッチンに置いてあった、ご近所様特製のオードブルの大きなお皿を、テーブルへと持ってきて、食事の準備を始めてしまった。アリスとケイト先生はいいんだけど、問題の人物は現在、何食わぬ様子で、お茶をグラスに注いでいた。
私もキッチンへ行き、引き出しから、人数分のフォークやスプーンを取った。アリスたちの前で言うのは流石に可哀想だから、ジェーンを寝室に呼び出して、ちょっとここ最近、食事をうちで食べすぎではないか?と訪ねてみよう。そうしようと決意して振り返ると、彼はキラキラした目でオードブルのお皿から、エビチリを自分の皿に盛っていたのが、私の目に入った。
……これはもう何も言えなかった。折角頂いたご馳走を、礼も言わないで食べようとする人にあげたくはないが、今日は、理由は不明でもジェーンはアリスとの距離を縮めてくれたことだし、大目に見てもいいとも思えた。暫し考え事をしていた私に、ジェーンが何種類かの料理が乗ったお皿を、渡してくれた。私は礼を言って受け取り、近くの椅子に座った。
リビングには二脚しか椅子がない。私とジェーンがそれに座り、アリスとケイト先生はソファに座った。
「いただきます。」
その言葉を合図に、皆は一斉に食べ始めた。私が最初に口に放り込んだのは、卵焼きだったが、そのシンプルな料理でさえ、深みのある香りを放っていて、一筋縄では終わらない味だった。ダシが効いているのと、何かのスパイスが入っていて、とても美味しい。
ふと最近の癖で、ジェーンにも取っておこうと考えてしまったが、当の本人はエビチリも、唐揚げも、パスタも、遠慮なく目の前で、ばくばく食べている。そんなにも美味しそうに食べている様子を見てしまっては、もう何も言えなかった。もう既に、一皿目の料理を平らげた彼は、おかわりするついでに、アリスやケイト先生の分のおかずも盛っている。
まあ、料理は皆で食べたほうが楽しいか。今日はそう思うことにして、私も続きを食べ始めた。と、その時にジェーンが唐揚げを頬張りながら言った。
「そこでですが、今からケイトとアリスを匿う作戦を立てます。」
突然の議題に私は目を丸くし、アリスは「んー!」とパスタを口に入れたまま叫び、ケイト先生はスープを吹き出しそうになっている。
「な、何言ってんの!ジェーン!」
「何って、当然の事をしたまでです。」
アリスがジェーンのことを呼び捨てにしている。先程は一緒に読書をしていたし、いつの間に何があって、そんなにも仲が急接近しているのか不思議だった。
「それより!」と、叫んだのはケイト先生だった。「何で、私たちのことを知っているのよ!ジェーン!」
「な、何?匿うって何の話?二人は、誰かに追われているの?」
私は事情を全く知らないことに申し訳ない気持ちになりながら聞いた。三人が一体、何を話しているのか、話の流れから、きっとケイト先生たちは窮地に陥っているようで、それなのに私は、彼らのボスだということにも関わらず、何も分からない。じんわりと胸に罪悪感がこみ上げた。
そんな私の気持ちを知らずに、ジェーンは平気な様子で、白米を頬張りながら答えた。
「実は、ネビリスがアルビノに対して、差別的な思想を持っているようです。今後アリスたちが迫害を受ける可能性を加味し、早い段階から、ケイトとアリスを匿う必要があります。ケイトは誰にも悟られずに、逃亡計画を立てていたようですが、その必要はないと、私がアリスに申し上げました。キルディアはどう思いますか?」
「そうだったのか……そんな事情があったとは知らなかった。それで、匿うには、どうすればいいの?何か案はあるの?ジェーン。」
私の問いに、アリスとケイト先生が目を丸くして、私を見た。
「キリー、協力してくれるの?」
アリスの問いに私は頷いた。
「当たり前だよ。そんな偏見で、人の人生を壊していいのか。私はそうは思えない。ケイト先生とアリスをどうにかしたいというなら、どうにかしてみろ。その前に私と戦え。」
「何言ってるのよ……。」
いつものような冷静なケイト先生の声ではなく、それが震えていたので、彼女の方を見ると、少し泣いていた。その姿を見て、胸の奥から、ぐっと熱いものが込み上げてきた私は、拳を胸に当てて堪えながら言った。
「きっと、二人のことだから、二人だけで背負いこんで来たのでしょう。ジェーンがアリスに聞いてくれたから、こうして私も理解できたけれど。でも、もっとみんな、辛い事があれば、共有していきたいし、研究所の皆で、力を合わせて乗り越えて行きたいと、私は思ってる。」
ソファに座っているアリスも、涙を流していた。二人の涙を見た時に、もうこれ以上、悲しい思いをさせたくないと思った。私が二人を守る、研究所のみんなと。
ぐっと拳に力を入れていると、ケイト先生が口を開いた。
「……今まで誰も信用出来なかった。表面では仲良く振る舞ってきたけれど、誰にも気を許すことはしなかった。この世は残酷で、私が……いえ、私達が安息して眠れる場所は存在しないと思っていた。先日のニュースでネビリスが皇帝になったと聞いた時、私はすぐに、私とアリスの将来のことを考えた。それも悪い方向に。でもそれには理由があった。それはアリスがまだ小さい頃、帝都に住んでいた時のこと。白い肌、白い髪、眼、全てが他の人と違うという事が理由で、差別をされた経験があった。と言っても、このルミネラ帝国には、差別を禁止する条例が整っているから、表立っては皆は何もして来なかった。だけど人の目は感じたわ、好奇の目、それだったらまだ、よかったけれど、ある者は唾を吐くような表情で、私たちを見ていた。」
初めて知る、ケイト先生の生きてきた日々に、私は胸が苦しくなった。
「皆が変な目で私達を見てるなんて、気のせいかもしれない。でも、それだけではなかった。帝国医学院を首席で卒業した私が、中々医師としての仕事にありつけなかったのも、ある診療所では、まだ幼いアリスが熱を出した時、治療も、点滴も、すぐに必要なのに、アリスよりも症状の軽い他の子を優先されたのも、やはり薄々として、感じる理由がそこにあった。幸いその時、私に医学の知識があったから、どうにかなったけれど、その思想が町中に蔓延している事実を認めることは、とても恐ろしいことだった。もう帝都にはいられないと思った。親もいない、職もない私が、どうやってアリスを一人で育てていこうか考えた時に、ふと求人案内所で、サウザンドリーフの駐在医の仕事を見つけた。その後はサウザンドリーフの村に越して、その地で生活を始めた。幸い、あの地の人間は、私達に優しく接してはくれた。でも私の中に芽生えてしまった、人を信じることの出来ない癖は、消えることは無かった。過去の私は人間不信で、挨拶のハグも出来ないような人間で、笑うことなんて滅多に無かったけれど、それでも村の人は優しく接してくれた。彼らには本当にお世話になった、あの地は、私やアリスにとって故郷そのもの。」
ケイト先生が少し笑った。
「でもあの村は、自給自足が主な生活のスタイル。街の収入は、木工物品や、木花の実を、売るしかなかった。村としての収入は、とても少なかった。あの地に少しでも、恩返しがしたくて、安らぎの場所を得た私は、他の地でまた医師に挑戦しようという意欲が湧いた。そして見つかったのが、ソーライ研究所の専属医師だった。採用が決まった時は、これで村に仕送りが出来るようになったと喜んだわ。今もそうしてる。それにユークアイランドの人間は、帝都に比べて陽気で、私達の事を気にする人も、ちらほらいたけれど、受け入れてくれる人の方が圧倒的に多かった。」
「そうか、じゃあ少しだけ、安心出来た?」
私の問いに、ケイト先生は首を振った。
「いいえ。確かに皆は優しい。でも人は突然、考えを変える生き物だから、どうしても油断は出来なかった。私の心の弱さかもしれない。だから今回の出来事のように、何かあった時はアリスと、リーフの村でもない、何もないところに……と思っていたの。」
嫌だ。一瞬でそう思った私は、ケイト先生の細くて、白い手を握った。冷たくて、震えていた。
「何処にも行かないで。ケイト先生、アリス。研究所は何があっても大丈夫だから。」
「迷惑をかける訳にはいかないわ。私達を匿う事が騎士の耳に入れば、研究所だって危ういことになる。」
「出て行く方が迷惑だ。」
「キリー……。」
手を握る強さが増してしまう。それに気付いた私は、先生が痛くないように、手に力を少しだけ緩め、先生の綺麗な白銀の瞳を見つめた。
「ケイト先生は研究所に欠かせない、たった一人のお医者さんです。私やクラースさんの怪我を、すぐに治してくれて、タージュ博士の腰痛や、キハシ君の偏頭痛の具合をよく知っているのは、ケイト先生だけです。それに、何かあった時には、ケイト先生に相談して、アドバイスを貰うことが、皆の中で決まりになってる。実は電車が好きで、よくアクロスブルーラインの写真を見せてきては、動力がどうだとか、旧式のフォルムがどうだとか、説明してくる。そんな所だって私は好きなんです。アリスだって、私が研究の報告受けて、分からないところがあれば、すっと優しくフォローしてくれて、いつもロビーのところでリン達と盛り上がっていて、そういう雰囲気がみんな好きで、アリス達がいなくなったら皆だって寂しがる。私だって寂しい。だから私は、二人にずっと居て欲しい。お願い。何があっても、全力で守るから。」
言い終わった時に、テーブルにお皿を置いたアリスが、私に抱きついてきてくれた。ぎゅうと力を入れられて、それ程に、怖かったのだろうと伝わってきた気がして、私の目にも涙が溜まった。
「キルディア、」ケイト先生が、涙をこぼしながら言った。「迷惑を……かけるのよ?」
「迷惑じゃないよ。」
大丈夫だ、そう伝えたくて、頑張って微笑んだ時に、ぽろっとこぼれてしまった。
「キルディア」今度はジェーンが、いつもの無表情のまま、私を見た。「ところで、私のいいところは、何処ですか?」
「ジェーンの良いところ?そうだねぇ……少し空気が読めないところ。」
私の答えに、ジェーンは上の方を見て、考え始めた。




