27 誰かのいいところ
どれ程の時間が経っただろうか。藁にもすがる気持ちで、ジェーンにハグをしてしまったことが、今となっては恥ずかしすぎて、逆に、この状況を打破したくなくなってしまった。
まだ私は、座りながらジェーンに抱きついていて、彼は無言で、じっと私を抱きしめ続けてくれている。何を言えば良いのか分からない。どう切り出せば良いのか分からない。それにジェーンは怖いくらいに静かにしている。彼もまた、何を私に言えば良いのか分からないのかもしれない。私は取り敢えず、この状況が長引いていることに関して、謝罪をしようと思った。
「ごめんなさい。」
「何がです?」
それくらい察して欲しかった。仕事では設計図を一目通しただけで、私のやろうとしていることや、考えていることを察して、改良案だったり、先を見通したリスクだったり、色々言ってくるのに。どうして頭が良いはずなのに、それぐらい分からないんだ。
「はあ……なんていうか、その、こうなってしまったから。」
「構いません。」
そう呟いた彼は、また私のことを、ぎゅうと抱きしめてくれた。何だか、妙な気持ちになる。知りすぎている人に、こうやって改めて抱きしめられるのは、こそばゆくて、頭の中が少々混乱する。
こうまでしてくれる彼に、本当のことを言うべきだろうか。そうすれば私は、姉さんを裏切ることになるだろうか。ジェーンは、元は帝国研究所の人間、しかも所長だったし、もしかしたら、ネビリスと通じている可能性もある。そんな彼に、もし真実を言ったら、どうなるだろうか。姉さんがそれを知った時、どうなるか考えた時に、彼女が私を非難するのが、容易く想像出来た。私は姉さんに嫌われたくない。
やはり何も言えない。研究室は静かなままで、たまに廊下から、足音が聞こえた。
「アリス、どうしたの?」
するとジェーンが一回、私から離れてしまった。しかし今度は、私の両肩を優しく掴んで、私の目を、まっすぐ見つめながら聞いた。
「どうしたの?」
ヴァイオレットの、ビー玉のような透き通った瞳と、目が合っている。他に反らそうともせず、私を真っ直ぐに見つめて、そう聞いてくれた。こんなにも真っ直ぐに、私のことを受け止めてくれようとしている。その力強い眼差しを、私は頼りたくなった。
ジェーンの優しさを信じてみよう、そう思った瞬間に、胸の中で安堵と希望が、ブワッと爆発して、ここは安全なんだと、脳が理解した時に、涙がボロボロとこぼれてしまった。
「うぁ、に、逃げなければ、ならないから。うああっ」
私はまたジェーンに抱きついた。姉さんとも、ジェーンとも、キリーとも、この研究所とも、離れたくない。ここが私の居場所なんだ、ここが私の、安心出来る場所なんだ。力を尽くして、頑張りたいと思う場所なんだ。
「アリス」と、彼が私の背中を撫でてくれた。「それは何故ですか?」
「ね、ネビリスがアルビノ嫌いだから。私たちはその内、迫害される。」
「……。」ジェーンが鼻で、ため息をついたのが聞こえた。「そうでしたか……全く、あの手の人間は、くだらない価値観に縛られて、固執しがちです。権力者というのは、どうしていつの世も、そうなのか。確かに、これから彼の政治が本格的に始まる上で、彼個人の感情が、政治に反映されることは、考えられる話です。この帝国はどうも、皇帝の力が強すぎる。それが前のルミネラ皇帝のように、人徳のある人間が玉座についているならば、我々国民は安寧の中で、個人の生業に邁進出来ますが、今の誰かさんのように、差別的思考を持ち、欲深い人間がその権力を手に入れれば、民にとってこの世は、ただの地獄になります。しかしアリス、何も、逃げる必要はありません。」
「え?どうして?だって……他に方法は無いもん。」
「ちなみにその案は、あなたの考えですか?それとも、あなたのお姉様の計画ですか?」
「ね、姉さんの考えだけど。」
「今日、これから少し時間を頂きたい。キルディアを交えて、四人で話をしたい。」
ジェーンはいつもの冷静な表情のまま、そう言った。何をするのか全く分からないけど、私は彼の提案に、ゆっくりと頷いた。実は彼は、いい人だった。
私達は共に、研究室を出た。ジェーンはロビーへと歩き始めたので、私も付いていく。途中、廊下の壁に、コルクボードがかけられていて、そこに真新しい紙が貼ってあったのが見えた。赤いマーカーで、『この廊下で、ハードコンタクト見つけた人、タージュまでよろしくね☆』と、書いてあった。そんなの見つかる訳ないのに、と普段なら鼻で笑うのが妥当なことでも、今の私にはとても微笑ましく思えた。
次の瞬間、靴の下で何かがパリッと音を立てた。ジェーンがロビーに出て言った時に、素早く靴の裏を見ると、レンズが粉々になって、靴の裏にくっついていた。どうしよう、見つかったは見つかったが、その状態が悲惨だ。報告したって、逆に怒られそう。これが原因で、タージュ博士に「これだからアルビノは」と言われてしまうだろうか。ああ、気持ちに余裕のない私は、一気に怖くなって、ぶるっと震えた。
「……彼女のオフィスに行きましたが、いませんでした。全く、こんな時に、どこに行ってしまったのでしょう。ん?アリス、どうしましたか?」
「あ、えっと……。」私は張り紙を指差した。「レンズ踏んじゃって。どうしよう……!」
張り紙の前に、ジェーンが向かって行った。じっとタージュ博士の文字を読んだ後に、彼はあろうことか、その張り紙をコルクボードから剥がし、紙を丸めて、それをまた画鋲で、コルクボードに刺した。予想外の行動に、私は目を丸くして、驚いてしまった。
「案ずることはありません。こんな不毛な依頼をしている暇があるのなら、それこそ研究に時間を費やして頂きたいものです。ただでさえこの研究所は、人手不足なのですから。それにコンタクトを無くして前が見えないのなら、大人しく、あのくだらない丸眼鏡でも、付けていれば良いのです。さあ、キルディアを探しましょう。」
ジェーンがそこまで誰かについて、ボロクソに言うとは思わなかった。でも、私を庇ってくれたのは嬉しかった。彼の存在が、私の中で大きな支えになっているのを感じた。
そしてジェーンが、カウンターの方へと向かった所で、気づいたリンさんが、声を掛けてきた。
「あ!そうそう、そうだった!ジェーン、ボスが早上がりしたよ。」
「そうでしたか……今はどちらに?帰宅したのでしょうか?」
「サンセット通りで、モンスター退治しているんだって。」
でた。私は肩をがっくし落としながら言った。
「またぁ?キリーも人が良すぎるよ、いつも無料で引き受けちゃって。ギルドに正式に依頼すれば、海上モンスターだから、一頭につき十万カペラぐらいの報奨金になるのに。それぐらい近所の人に貰っても良いのに~。」
「そうでしたか。」と、ジェーンがカウンターに寄りかかりながら、リンさんに聞いた。「それで、彼女は今、サンセット通りに居るのですね?」
「そうそう。さっき伝えといてって言われたから、今、伝えま・し・た。」
こんな時に、キリーは早上がりしちゃったんだ。じゃあこの件は、また明日と言うことになりそうだ。出来れば……今日、話したかったけど。このままの心持ちで帰宅して、姉さんに今日のことを話したら、きっと姉さんのことだ、今日の夜にでも、未知の旅へ出発するかも。私はジェーンに聞いた。
「ぶちょ……ジェーン、どうする?」
「方法は一つしかありません。リン、これから私とアリス、それにケイト先生は、早上がりします。今日は皆、特別重要な仕事は残っていないはずです。構いませんか?」
リンさんは、ぽかんとしながらも、カウンターのPCで、我々の勤務状態を変更しているのか、操作をした。それもそうだ、私ばかりでなく、姉さんまでどうして?リンさんが応えた。
「わ、分かった。まあ確かに、今の所、急ぎの依頼は無いから、大丈夫だけど。はいはい。」
リンさんをそのままにして、今度はジェーンが研究開発部の通路へと戻って行き、私は彼に着いて歩いた。先が見えない事態に、私は彼の背中に質問をした。
「ちょっと、どこに行くの?」
「あなたのお姉さんを迎えに行きます。これから美味しい夕飯を食べに行きましょう。」
「え?」




