208 ならばデートだ!
定時になってから、私は帰りの支度をしていると、いつも以上にコロンの匂いのするジェーンが、調査部のオフィスにはいってきた。
肌寒い季節には、なってきているが、彼はスリムなラインの白いシャツと、光沢感のある黒いベストのままだった。どうやら彼にとってユークアイランドは全然寒くないらしい。
「キルディア、もう終わりますか?」
「うん。後少し、入力が終わったら、行けるよ。」
前の席にはクラースさんとロケインもいて、二人はニヤニヤしている。そしてクラースさんが私に言った。
「おい、早く切り上げてやれよ。ふっ、今日はデートなんだから。」
「うん……。」
すぐに私の仕事は終わった。クラースさん達にはお先に失礼、お疲れ様、などを言ってから、ジェーンと二人で研究所の外に出た。この季節、十七時でも、この世界ではまだ明るく、遠くの方で微かに夕焼け空が見える程度だった。
「明るいですね、少し、恥ずかしいです。」
何をウブな感じを出しているんだと、少し笑ってしまった。ジェーンの方を見ると、頬が赤かったので、私はどきっとした。そんなに緊張しないでよ、私まで緊張するじゃない。もう既に緊張してるけど。
二人で歩き始めると、ジェーンが私の手を握った。私の左側にいるので、生の手の方を握っている。
「キルディア、私は、あの後よく考えました。あの誓いの言葉、私の望む結果ではありませんでしたが、それでもあなたが私を好いてくれていることには変わりありません。ですから、やはり嬉しい。」
「ジェーン……うん。この世界にいる間は、騎士なりの愛を教えればいいと、リンに言われたし、私もそうする。あまり激しいことはできないけど。」
「それはどうでしょうね。ふふ。私は今のこの瞬間から、情熱的な紳士となりました。」
……この人、本気の様だ。よろしい、ならば私こそ、抗って見せよう。我々が、歩き続けて崖上から、通りの歩道に出た時に、ジェーンが私に言った。
「それに、私はどこにも行きません。ここが私の居場所でしょう?」
「そうです、とも。」その時、通りすがりの住人から会釈を受けた私は、帝都のことを思い出した。「そうそう、帝都のことを皆で話したでしょう?「今日、この夜は、私のことだけを考えてください。帝都のことは後で話しましょう。」
「あ、ああ。分かった。」
何だか長い夜になりそうだ……。それでもこの空の下、ジェーンと一緒に手を繋いで歩く私の胸の中は、今まで心に突っかかっていたものがスッキリした様な、それでいて恥ずかしい様な、変な気分だった。彼の手はいつになく、暖かった。
我々は、ポレポレ通りを歩いていき、途中で曲がった路地に入った。そこに回転寿司屋さんがあった。活きのいいマグロの看板には、お店の名前とユーク港直航便!と書かれていた。新鮮そうだ。
「ここなの?」
「ええ、予約済みです。回転寿司屋ですが、半個室の様で、ブースに流れてくる通常の皿以外にも、専用の機器から個別に注文可能です。」
「あ、ああそうなの……すごいね。初めて来たよ。でもどうして回転寿司?」
「あなたは生魚が好きですし、私は寿司が好きです。それに、クラースの話を聞きました。ケイトとデートした時に盛り上がったそうです。ここでデートをすれば、必ず盛り上がります。」
それは人によるんじゃなかろうか……。苦笑いしていると、店員さんが来て席に案内してくれた。確かに全てのブースには扉があるが、あまり高さのない木製の障子のような扉で、中を見ようと思えば上から覗けるので、普通に見える。
向かい合っての四人がけのテーブル席で、私が奥側の席に座ると、ジェーンも私の隣に座って来た。
「なんでよ。」
「……お隣が良いのです。対面なんて、討論するのでもあるまいし。」
仕方ないので座った。荷物は反対側の席においた。しかし、ここまでくると、じわじわと楽しくなって来た!さて何を取ろうかな、私はジェーンに聞いた。
「何食べたい?」
「そうですね……あ、それを取ってください。」
ジェーンがレーンを指差した。私は皿に乗ったマグロ寿司をとって、テーブルに置き、二人でいただきますをして、一貫づつ分けて食べた。かなりとろける旨さだった。
「うーん!これはこれは、予想以上においしいね、ジェーン!」
「ええ!おいしいですね。しかしマグロは結構大変なのです。高速遊泳種であり、生理的に泳ぎ続けないと死んでしまう。」
「え?どうして?」
「泳ぐことで呼吸をしているからです。止まれば窒息する。あなた、小学院で生物の授業を受けませんでしたか?」
「受けたけど、マグロについては知りませんよ……じゃあ次はサーモン!この子機で頼めば良いのね。」
私が子機を使ってサーモンを探していると、体を密着させて寄り添って来たジェーンが、ポンポンと押してサーモンをすぐに探し当てた。そして二人分頼んだ。
「サーモンと言えば、」なんか始まってしまった……。「一見赤身の魚ですが、実は白身魚です。マグロの持っているミオグロビンではなく、餌として摂取した甲殻類に含まれるアスタキサンチンによるもので、それはビタミンCの六千倍の抗酸化作用があります。抗酸化作用があると……我々人間にとって、どうなりますか?」
「早く来ないかな、サーモン。」
ジェーンがムッとした顔になった。それはちょっと可愛いのでやめてほしい。仕方ないので、私は笑いながら答えた。
「分かったって、ジェーンが話題を色々と考えてるんだもんね、答えますって……抗酸化でしょ?何?健康的になる?」
「ああ惜しい。抗酸化作用ですから、アンチエイジングに効果があります。」
その時に、通常のレーンの上方に設置されたレーンから、サーモン二皿が届いた。私はそれをとって、テーブルに置いた。すぐに食べたが、これもまた美味しかった。私は笑顔で、ジェーンに言った。
「おいしいね!これでアンチエイジングか、何だか得した気分だね!」
「そうですね、ふふ。私の知識で喜んで頂けて良かった。」
不覚なことに、今の言葉には少し、胸がグッと来てしまった……。次だ次!次は何を食べよう、子機を見ているとウナギ蒲焼というものがあったので、私はそれを二人分頼んだ。
「ウナギですか。」
「もしや、ウナギはあまり知らない?」
ジェーンがテーブルに両肘を置いて考えている。それから何か思いついた様で、説明し始めた。
「デンキウナギなら説明できます。彼らの起こす電気は最大860V、1Aです。勿論我々、人間にとっては致死的な数値です。それから、あなたの婚約者のアレックスは、どちらかと言えば、あのお皿の上に乗って、この店内をぐるぐる回る側だと思いますが……痛い。」
私はジェーンの足を踏んだ。
「アレックスは違うの!それにずっとお寿司見てるけど、亀は流れてこないもん。」
「物の例えです。あ、その卵焼きをとってください。」
私は卵焼きをとって、ジェーンに渡した。ジェーンは箸でそれを割り、私にアーンをして来た。
「どうぞ、キルディア。口を開けてください。」
「ええ、ここでそうするの?……わ、分かった。」恥ずかしいけど、意を決してパクッと食べた。美味しかったけど、恥ずかしかった。「うん、おいしい。」
「ふふ、それは良かった。卵ですか、卵。どれを話しましょうか……。」
「もう豆知識はいいってば。さっきから高確率で死が絡んでるしさ、ちょっと食べるのに集中しようよ。」
「ふふっ、そうですね。ああ、イワシです。」
我々はその後も、イワシやブリ、サーモン、アナゴ、サーモン、イカ、イクラ、サーモンとお寿司を食べていった。サーモンが多いのは、私がサーモンが好きだからだ。最後に頼んだのは炙りサーモンだった。
「あなた、サーモン好きですね。今日何回目でしょうか。」
「わかんないわかんない。でも炙りは初めてでしょ。ふふ、いいじゃん!食べようよ!」
しかし、ピンクの肌、美味しそうな物だ。じっと眺めているとジェーンが首を傾げた。
「どうしましたか?」
「いやあ、生の部分と、炙りの部分のコントラストが綺麗だなと思って。」
「芸術的ですね。」と、彼は自分のをパクッと食べた。「この炙りサーモンの様に、生の状態と炙りの状態は両立可能です。感じていると感じていないは両立可能。量子論の重複、物理系は複数の状態で共存し得る。」
「え?」
ジェーンと目が合った。ちょっと何言ってるか、難しかった。私は炙りサーモンを食べた。
「アイリーンさんの様に、話が合う人の方が良かった?」
「いえ、そう言った反応の方がいい。私は何れにせよ、あなたがいいのです。話の続きです。ですからその理論に基づき、私は過去の世界でも、この世界でも……。」
私は驚いて、テーブルを人差し指でトントン突きながら言った。
「両立可能だというの?私でも分かるよ、それは無理!人がここにいるのと、いないのとでは、両立不可だよ。だってもしそうなったら、ベースの物体が同一じゃない。」
「その通りです!あなたは素晴らしい!」
煩いよ……。ジェーンは何故か、満足げにニコニコしている。もうさっぱりわからん。分からんが、分かりやすい人よりかは、ジェーンみたいな複雑怪奇な人の方がいいと思ってしまうんだから、私は末期なのだ。ジェーンは子機でデザートを頼みながら言った。
「ですから思考を変えました。人生は行動と選択によって構成されています。今ここで我々が一緒に、それもデートとして、共に食事が出来ているのは、過去の、全ての選択の結果です。単純で明瞭です。あなたが私を選べば、未来には私がいます。」
「でもさ、ジェーンが過去に、カタリーナさんと結婚する、という選択を取ったから、私は一歩踏み出せない、という選択をしているよ?」
「ぐぬぬ……。」
ああ、面白くなって来た。笑いながらお茶を飲んでいると、今度はジェーンに足を踏まれた。
「痛い!その選択はおかしいでしょ!」
「あなただって、先程、私の足を踏んだくせに!」
「ジェーンは革靴、私はスニーカー、攻撃力のアドバンテージが違うんですけど!」
「ああそうでしたね、それはいいことを聞きました。」
まじでなんなの……いいけどさ。そして何故かこのタイミングで、ジェーンは私の肩に寄りかかって来た。本当に、霧のように掴めない男だ。意味がわからなかった。
「……あなたとの会話は楽しいです。刺激的で、素直になれて、癒される。毎日だって、毎晩だってしたい。」
「ぐぬぬ……わ、私も楽しいよ。とても勉強になるし、会話のテンポも似てる。」
「ふふ、そうですね。よく考えれば、私たちは同じ速度で話しますね。帰ったら、キスしますか?とても長く。」
「保証はしない。」
嫌です、って言っておけば良かった。つい、可能性があるっぽくなってしまった。デザートが到着するとジェーンは上機嫌でそれをパクパク食べて、私も彼をチラチラ見ながらケーキを食べた。デートか、生まれて初めてだった。




