203 覚悟を決める
翌日は、ネビリス皇帝の仰っていた通りに、週末だった。研究所は勿論休みなので、私はこの午前中、晴れ空の下、家の前の道路で、日課のタイヤ叩きをしていた。この週末、ジェーンは研究室に籠るらしく、早朝からソーライに行っている。
その理由は、あの時空間歪曲機の制作を始めるからだ。早朝から家を出る彼を玄関まで見送った時に、本人がはっきりとそう言ったのだ。ゴミ捨て帰りのアリスとばったり出会い、訳を話すとアリスは「手伝いたい」と言ったが、ジェーンが「犯罪に巻き込みたくないのです」と言って、断っていた。
なので、ジェーン一人でそれをせっせと作っている。それでいいのだ。彼には彼の世界、彼の家族、友人がいる。それはもう決まっている事だし、私がアレックスと結婚することも決まっていることなのだ。今からでも、アレックスに会いたい。できれば私と同じぐらいの年齢のを探そう。
「うおおおおっ!」
もう一度、ハンマーで思いっきりタイヤを叩いた。左腕は筋肉が熱を持っていて、疲労しているが、右腕は絶好調に、例のスッとした光を放っていた。全くあの男は、どれだけこの世界にいた証を残していけば気が済むんだ……アームに関しては感謝してるけど。
あのグランドピアノだって、あの後、「私が過去の世界に帰ったら、学校にでも寄付してください」だって。アホか!
「そんなこと、出来るかい!」
私はまた思いっきりタイヤを叩いた。タイヤはバインと反動で跳ねた。あのピアノはジェーンが、初めて私にピアノを演奏してくれた初めてのピアノなのだ!手放すなんてそんなこと、出来るかい!
あれは残しておくことにしようよ……じゃあ、あのリビングの本はどうする?彼の研究室の備品はどうする?スプなんとかの彼の直筆のポスターだって、残したまま私のオフィスに戻す?はあ、もうこうなりゃ、全部残そう。いつか笑って、こんなこともあったよな、はははって思える日が来るさ。
誰だって、一緒に暮らしていたインコちゃんが、突然いなくなったら悲しいのだ。私の想いは、そういう類のものだと、思っておこうよ。
「そうだろうガァァァ!」
ドオオンとタイヤが鳴った。これじゃあダメだ。もっと強い訓練方法じゃないと、私の頭の中から、あのロン毛眼鏡が消えない。彼の高笑いが消えないのだ。これでは……と、ふと、サンセットビーチの海岸を見つめた。
「あれはいいかもしれないな……。」
そうだ、今なら平気さ。私は海とだって友達になれる。あのおかしな天才科学者とだって、親友になれたんだ。これから私の婿になる、アレックスだって、一緒に海で泳いで遊びたいはずだ。
顔を引きつらせながら、私はザッザッと浜辺を小走りで進んだ。他にも海辺を散歩している人達がいるが、近所の人ばかりなので、知っている人たちばかりだ。遠くから私を見ているのだろう、視線を感じる。そして私は、波打ち際で、しゃがんだ。
「おお……」
私は両手で海水を救った。潮の匂い、そして冷たい。まあね、冷たいよ、冷たいんだよ、この時季だからね……「キルディア、そんな薄着で、水を触っていると風邪をひきます」つい、頭に声が響いた。気が付けば、彼のことを考えていないか?それはいけない。
そんな状態に陥っていちゃダメなんだ、私はじっと目を閉じた。波の押し寄せる音、引く音、そのまま両手を広げて、風を感じた。涼しいようで、冷たい風だった。ダメだ、このままだと本当に、風を感じたまま風邪をひいてしまう……。
私はそれをやめて、ゆっくりと歩いて砂浜に戻って、そこに座った。ウォッフォンをつけた。これからはジェーンが居なくなる。しかしその後、戦闘が再発すれば、私が皆を導かなければならない。
私は帝国のニュースを調べた。チェイスを責めるような内容だったり、皇帝がいかに素晴らしいかという内容だったりする。
「これは、帝都民用のニュースかな?それを知ってもなぁ……。」
独り言を呟きながら、私は動画を開いた。するとリポーターが慌てた様子で、噴水広場で話している。
『執行まであと一週間、帝都の住人はそれまでになんとか、彼の刑罰を免除するように城に訴えていますが、城の反応はありません!果たしてネビリス皇帝に、この声は届いているのでしょうか!?住人の中には署名活動を行った者もいますが、彼らは侮辱罪で逮捕されています!今、帝都は大混乱を迎えていると言っても過言ではありません!陛下はどのようなお考えをお持ちなのでしょうか!?……。』
動画が急に終わった。生配信ではないが、もしかしたらこの後、撮影クルーが侮辱罪で捕らえられたのかもしれない。酷くなってきてしまった。本当に見せしめの刑なんて、あり得ないものが実行されるのか?
すると足音が、こちらに近付いて来ているのに気付き、振り返った。そこには小柄なおじいさんが、杖を片手に立っていた。
「あ、カーネルさん……こんにちは。」
「……こんにちは、キルディア。実は、大変なんじゃ。」
カーネルさんは私の隣に座った。ホームセンターの社長さんだ。そばには若い女性の秘書もいて、おじいさんの杖を受け取った。カーネルさんは私に言った。
「トラックがもう、帝都に入れなくなった。」
「え?そうなの?」
「ああ。LOZに来た騎士の家族を運んでいる事は、バレてはいなかったんだが、私の会社はユークに本社がある。それのせいで、帝都には入れなくなったんだ。だから、騎士達の家族はもう、運べないよ。」
私はLOZポータルを開いて、カーネルさんに言われたことを更新しながら、彼の話を聞いた。カーネルさんは続けた。
「実は、あの帝都の中に、トラックと従業員が取り残されてしまっている。彼らを出すようにお願いしたが、それは聞いてはもらえなかった。検問、いや、もう既に、帝都は鎖国状態だ。中にいる者たちが、心配でならない。」
「そうですね……連絡は?」
「通話は出来た。彼らは大丈夫だと言っとるが、私が心配なだけじゃ。強がっているのでは、とな。」
「そうでしたか……。」
LOZポータルの更新を終えた私は、考えた。近々、帝都を侵攻する必要がある。ビャッコの従業員もそうだが、帝都の民だって、見せしめ刑の対象者だって、救いたい。そしてその戦い、出来ればジェーンは、安全な場所から、参加してほしい。一緒に前線に出て、彼を守りながら戦う事は、帝都の地ではかなり難しいと考えているからだ。
「どしたかな?考え事か?」
「ああ!いや……」つい自分の世界に。「まあ、色々と帝都のことを考えていました。近々、あの地に行く必要があると……あとは雑念です。」
「ホッホッホ!」カーネルさんが笑った。「雑念か。まあ、その気持ちを、大事にしなさい。それはきっと、あなたの力になるから。」
「はい……ありがとうございます。」
彼に聞いていいだろうか。ちょっと迷ったが、朗らかな笑顔を向けて、私の言葉を待ってくれている彼に、私は甘えた。
「カーネルさんなら、どうしますか?世界で一番大切な人と、離れ離れになるのは、耐えられますか?」
カーネルさんは一瞬目を見開いたが、すぐに微笑んだ。そして私の左手を握ってくれた。温かかった。
「誰が一体、そんなに愛する者と別れることに、耐えられるんだね?絶対に、その人を離してはいけない。何があっても、離してはいけないよ。」
「……はい。ありがとうございます。」
私は泣きそうになるのをどうにか堪えた。私にとってのジェーンよりかは、寧ろ、カタリーナさんの視点で聞いたのだ。彼女からしたら、愛する夫と一生離れ離れになる事は、耐えられないだろうと。どんな形であれ、結婚は、幸せなこと。ルミネラ皇帝が教えてくれたこと。私には一生、わからないこと。
私はアレックスでいい。人生が、徳を積めば幸せになれるというシステムなのなら、私はカタリーナさんやジェーンほど徳を積んでいない。騎士団長の職から逃げた時に、その徳も、全て捨てて来てしまったと思ってる。結婚相手はカメさん、それがふさわしいに決まってる。
「ありがとうカーネルさん、なんだかスッキリしました。」
「いいや、いつでも話してくださいな……ああ、そうだ!」カーネルさんは、秘書の助けを借りて、立ち上がりながら言った。「クラース君に、新商品が完成したと伝えておいてくれ。量産はまだ出来なくて、これはお得意さんだけに教えたいから、あとは直接本店で確かめてくれと。」
「わ、分かりました、伝えておきます。」
我々は一度握手をした。カーネルさんは秘書さんと一緒に、ゆっくりと砂浜を歩いて行った。誰かに、背中を押してもらって、良かった気がした。最後の最後に、私は覚悟を決めることが出来たのだ。
「よし。」
海に向かって言った。同じことを想ってくれる人がいるだけで、幸せだ。幸せすぎて、それを手に入れようなどとは思えない。憧憬に近いこの想いを、私は一生忘れはしないだろう。それでいい、彼が元の世界に帰ることを応援する。これが私の、愛情なのである。
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それから数日間、僕はいつものようにPCで作業をしていると見せかけて、机の下でウォッフォンを使い、コード入力をすることを毎日続けた。最後の仕上げ、これで上手くいかなければ、僕は絶望の淵に立たされる。
作業に集中しすぎて、僕の髭は伸び放題だった。今日でこれも完成する。あとは少し、場所を変えたい。僕は立ち上がり、執務室のドアをノックした。すると城の通路に立っていた剣兵が、ドアから顔を覗かせた。
「何でしょうか、チェイス様。」
「トイレに行きたんだけど。」
「承知しました。」
もう、トイレぐらい一人で行きたいんだけどね。陛下から監禁宣言された、あの日からずっと、僕の執務室の前には彼がいて、どこへ行くにも彼に一言説明しないといけない。食事は彼が持って来てくれて、新しい服も彼が持って来てくれる。ゴミ捨ても彼だ。
しかしこのシステム、夜中のトイレの時だけは役に立つ。僕はこの歳になっても、暗闇の向こうにモンスターが潜んでいると思ってしまう傾向がある為、夜中のトイレに誰かがついて来てくれる事は、とても素晴らしく感謝しているのだ。
住めば都とはこの事か?違うか。そんなことを考えながら、トイレに着くと、いつもの剣兵がトイレの入り口で止まった。彼はいつも決まった動きしかしない。まるでゲームのNPCの動きのようだ。単純なんだから。
僕は個室に入って、制服の下でウォッフォンを操作した。このちょっとした作業で僕の策は完了した。これでいい。僕はついでに用を済ませて、何食わぬ顔で個室から出ると、手を洗って、待っててくれた剣兵とまた、歩き始めた。
今頃、キルディア達は何か、城下のために動いてくれているだろうか。ニュースを見ている限りだとLOZの動きはまだ無いが、見せしめ刑罰が行われるのは、僕は耐えられない。もし彼女が動かなくても、僕が何かをしなくては。
僕は執務室に着くと、ソファに横たわった。
「……でもあとは、信じるしかないよなぁ。」
僕はじっと天井の模様を眺めることにした。今までに無い充実感も、この胸にはあった。




