202 午後休の真相
ネビリス皇帝の緊急放送があったその日、放送された内容について、訓練施設にてLOZの皆と少し、ビデオ会談をした後に、私は帰路についた。
もう辺りはすっかり真っ暗だった。サンセット通りは特に街灯が少ないので、人通りもあまりない。ケイト先生やアリスだったら一人で歩くのはちょっと危険な匂いがする。クラースさんが見張っていて正解なのだ。
気付いたら年の瀬で、この世界にも冬があり、この時期はユークであっても、夜になれば肌寒い風が吹く。それでも二十度は下回らないが、今夜は特に風が冷たかった。カーディガンの袖に手を隠して、私は歩みを早めた。
午後休みのジェーン、今日という今日は、その理由を教えてくれるのだろうか。それともまだ帰っていないとか?そう思いながらも歩いていくと、家の一階の窓から、明かりが漏れていて、カーテンの影を作っていたのが見えた。
こうやって家に誰かがいるってことが当たり前になってしまった。今思えばそれが、帰るのが楽しみと思わせてくれていた。ああ、それでは後で苦労するのだキルディアよ。彼がいなくなったらどうする?わんちゃんでも飼うのか?それもいいかもしれない。
しかし、わんちゃんが居なくなった時、また同じ目に遭うだろう。そしたらどうする?今度は猫を買えばいい。次はインコ、次はウサギ、次はハムスター、そして次は……カメを買えばいい。今までとは類を見ない、その寿命の長さに打ちひしがれて、そのカメに、私は最期を見取ってもらうのだ。
カメの名前はアレックスにしよう。ジェーンからもじっているわけではない。カメのフルネームはアレックス・シェーン・シードにしよう。私はアレックスと共に、生涯を終えるのだ。私が戦いで死ななければ、だが。
ちょっとだけ希望が持てた私は、にやけながら玄関の認証パッドにウォッフォンをかざした。ピーと音を立てて、開いたドアの向こうは何故か、真っ暗だった。
「あれ?さっきは電気、ついてたのに……。」
呟きながら部屋の中に入った。真っ暗な部屋、スイッチを使わなくても、ウォッフォンで電気を付けられるって、ジェーンに教えられた。電気をつけると、目の前には玄関の扉があった。いつの間にか回転していたらしい。暗闇だと、方向感覚が分からなくなるものだ。私は振り返った。
「今日の放送……。」を見た?信じられないよね、そのことで少し話し合ったんだけど、それについてちょっと話したくて、という言葉は途切れてしまった。
何故なら、目の前のジェーンが、いつものシャツにジレでは無く、燕尾のタキシードを召しており、髪型も、ワックスでオールバックになっていて、後ろが結ばれている。ちょっと垂れた前髪の束が、フチなし眼鏡に寄り添っている。凄く、素敵だが……何でだろうか?
「お帰りなさい、キルディア。」
「ただいま……って、その格好は、どうしたの?凄く、素敵だけど。」
「ふふ、」彼は微笑んだ。「そう思って頂けて、嬉しい限りです。こちらです。」
ジェーンが手でリビングの曲がった先、私の部屋の方を指した。彼に導かれてその方へ行くと、そこには……。
「こ、これは……!?」
「し、知らないのですか?これはピアノです。」
「それは流石に知っているよ!」私はジェーンを軽く叩いた。「しかもグランドピアノでしょ。な、なんで、ここにピアノがあるの?その事に驚いたんだけど。」
ここで私は、あることに気付いて、ジェーンに聞いた。
「あれ!?ねえ!私の部屋はどこに行った!?ヤシの木カーテンもマットも、全部無くなってる!」
「ああ、あれですか。」彼は眼鏡をちょいといじった。「もう寝室を一緒にして仕舞えばいいということに気づき、マットはクローゼットに無理やり入れました。その他のあなたの物は、ソファの収納スペースに整理整頓して入れてあります。出し入れする際は、私をお呼びください。あなたでは元通りに戻せないはずです。」
「あ、ええ、あ……そ、そうなんだ。」寝室一緒かぁ、辛い。幸せだけど、辛い。「でも、このピアノはどうしたの?それと、その格好。」
するとジェーンはキッチンからカウンターチェアを持って来て、ピアノの近くに置き、私を座らせた。そしてジェーンが私に背を向けて、ピアノの椅子に座った。
これはもしや……彼が演奏するの?確かに彼はピアノが出来ると履歴書に書いてあったっけ。私は驚いたが、ジェーンの演奏を待った。するとジェーンが軽く振り返りながら、私に聞いた。
「……今日じゃない方が、いいでしょうか。チェイスのことを、話したいでしょう?」
「いいからいいから、後で話すから……是非、お願いします。」
「かしこまりました。」
指をほぐしているのか、ワキワキと動かしている。私は背筋をピンとさせた。
「……では、いきます。」
ジェーンは優しく、手を動かして、ピアノを弾き始めた。とても上手だった。音が綺麗だった。私はクラシックには疎くて、この曲名を知らないが、ゆったりとして、繊細なメロディは、恋とか愛を表現しているようだった。彼が弾く姿、音色に、私は虜になった。
時に情熱的に跳ねて、ポロポロと揺れる時もあった。ジェーンはこの曲を、どういう気持ちで私に弾いてくれているんだろうか。そう思うと、胸が熱くなった。私と同じ気持ちが、あの胸の中にあるのか、それとも私が理解出来ないくらいに、彼の想いは強いのだろうか。
そう思わせられるぐらいに、この曲はとても幻想的で、熱くて、魅了された。急に、細かな音の揺れが、大きな粒になった。切なくて、愛おしくなるようなメロディが、心に染みる。音が着地した後は、彼の右手と左手が同時に動いて、音同士が寄り添いながら、曲は終了した。
あっという間だった。私は涙を堪えながら、立ち上がって拍手をした。ジェーンはゆっくりと振り返った。頬は紅く、目はたくさん瞬いていた。
「ど、どうでしたか?」
「うん、とても綺麗で、感動した。クラシック音楽には疎いけど、素敵な曲だった。」
「それは良かった。勿論、私が作曲した物ではありませんが、彼の曲をあなたにプレゼントしたいと思っておりました。ピアノの技術は、義理の母に教わりました。感情に乏しい私を気遣って、彼女が教えてくれたのです。その通り、私が、感情を表現出来る方法は限られています。いつものようにあなたを困らせて、私の手中で愛でるのも楽しいのですが、折角教わったこの技術を使って、素直に表現するのも、いいと思いました。ふふ。」
色々と突っ込みたいところはあるが、ジェーンの演奏はとても素敵だった。私を想って、この曲を弾いてくれた事は、とても嬉しかった。
「う、うん。気持ち、とても嬉しいよ、ありがとう。だから午後休みを取っていたの?このピアノ、レンタル?」
ジェーンはピアノを優しく撫でながら答えた。
「いえ、購入した物です……午後休みを取ったのは、その通りです。私は昨日、この正装を購入した後に帰宅して、曲を選び、イメージで練習をしました。今日はピアノを購入し、実際に弾いて練習して、あなたの帰りを待っておりました。」
私はピアノに近付いた。誰もが知っている有名楽器ブランドのロゴが、入っていた。
「このプレゼントの為に……こんなにいいピアノを?」
「このピアノ、私の気持ちを表現するにあたっては、全くグレードが足りていない。しかし私の腕が不足していることも、貯金に見合った額も考え、このピアノが妥当だと判断しました。こういう風に、あなたに贈り物が出来るのは、今だけです。もう貯金は殆どありませんが、この時代のお金を持っていても、仕方ない。」
もう一度、私の方を向いたその表情は、もう覚悟を決めたようだった。なるほど、私もついていかなければならない。元々、彼は帰る予定だったんだ。微笑んでみたが、彼のように、うまくはいかなかった。
「そっか、ありがとうジェーン。帰るまでに、また何か、聴かせてね。」
「ええ、あなたが望むのなら、また弾きます、ふふ……さて!夕飯はもう済ませましたか?テーブルで、チェイスのことについて、話しましょうか。」
ジェーンがパンと手を叩いて、立ち上がった。私もパンパン手を叩いて、鼻をすすりながら、言った。
「いや、まだ夕飯は食べてないけど……あ、そうだ!」私も彼がいるうちに出来ることをしよう。「今日は久しぶりに、冷凍じゃなくて本格的なヤモリの唐揚げを作ろうか?食べたい?」
「おや、そうですか!是非、頂きたい。」
ジェーンが微笑んだ。私も笑顔で、頷いた。
「はい、ヤモリね~!じゃあ、適当に待ってて。」
そうだ。料理集中して、この胸の中にある、ラブ博士の研究室みたいな、ごちゃごちゃしたものを忘れよう。はあ、ジェーン。この後に及んで、なんてことをしてくれたんだ。帰るならしれっと帰ってくれ……これではずっと、あなたのことが忘れられなくなる。
いや、私にはアレックスがいるんだ。私はアレックスと結婚する。この戦いが終わったら、私はアレックスと共に暮らし、共に笑い、共に泣くのだ。アレックスは私のそばに居てくれる。この世界の住人だし、結婚だってしていない。そうだ、アレックスと結婚しよう。
皆から白い目で見られてもいい。私はアレックスと結婚するが、アレックスという名をつけた事は、皆には秘密にする。人生とはそういうものなのだ。何の種類のカメにするかは、後で決める。でもおかげで、ちょっとこの悲しみを麻痺させることに成功している。
私はキッチンで手を洗ってから、冷蔵庫から材料を取り出した。




