180 ラブリームード
またジェーンが駄々を捏ね始めたのは、看護師さんが病室のクローゼットから、彼の為の簡易ベッドを出して、それを組み立ててくれた後だった。
看護師さんが居なくなるや、彼は簡易ベッドに置いてあった枕を掴んで、私の枕の隣に置いたのだ。私はすぐにその枕を掴み、簡易ベッドのほうへと放り投げた。するとジェーンが呆れた様子で言った。
「キルディア、枕投げでもしたいのですか?」
「あのね、一緒に寝るわけないでしょうが!ここは病院だよ!?これは私が休養するためのベッドなの!ジェーンは簡易ベッドがあるのだから、そこで寝なさいよ。やっぱりまだちょっと怪我したところは痛むし、寝返りも大袈裟にうちたいから、ベッドは別がいいよ。」
「……仕方ありませんねぇ。」
ジェーンはサイドテーブルに置いてあった本を、簡易ベッドの上に放り投げた。それから横になった私の足のところに座って、私のことをじっと見てきたので、私はサイドテーブルに置いてあった、痛み止めを飲んでから、彼に聞いた。
「なんか不満そうな顔をしているけれど、どうしたの?」
「あー……そうですね、少し、疑問があるのですが、」
と、言ったところで、私は病室の電気を消した。こうすればぐだぐだ言っていないで寝るだろうと思ったのだ。まだ二十一時だけど。でも今日はいろいろ考えることが多かったから眠い。よって、部屋の電気を消した。
窓から漏れる月明かりだけの部屋の中、ジェーンがこちらを見ている。ちょっと笑いそうになってしまった。暗くなったのに、何の反応もしないんだもん。私は布団に潜った。
すると彼は、先程の続きを話し始めた。
「疑問、です。ええ、疑問。そうです。キルディア、私は、いえ、私がどれほど天才的な科学者なのか、あなたはご存知ですか?」
自分で天才的って言う?でも確かに、彼は普通に凄いとは思う。時を超えちゃうんだから、そりゃ凄いよ。それにあの光の大剣も、プレーンをコピーするなんてこと、前代未聞だし、あと火山のマイクロバルブもよく分からないけど、あれだって凄いらしいし。スコピオ博士によると。
「うーん、凄いのは分かるけれど、多分、具体的には理解していないと思う。ごめん。でも、天才なんでしょうね、きっと。スコピオ博士が崇拝するほどなんだから。あの人はジェーン教の信者だ。」
「ああ、彼には困惑しております。しかしまあ、あなたの回答は私の予想通りです。それでは質問を変えます。あなたは私の才能が好きですか?」
「よく分からないのに好きになるのは、ちょっと違うのかな。才能がってよりも、ジェーンの性格は、いいと思うよ。おやすみ。」
「ふふ、なるほど。性格を好まれたのは生まれて初めての経験です。あなたは私と共にいてくれる。あなたは私の能力ではなく、私の真実を見ようとする。あなたのそう言うところが、私はとても好きなのです。もっと全てを、私の全てを知って頂きたい。ねえ、キルディア。」
「な、な、な!?」
足を掴まれてしまった。布団の中に、彼は手を入れてきたのだ。月の明かりに照らされ、彼は妖しげな微笑みで、じりじりと私に近づいてきている。しかし何か思い出したのか、彼は急に全ての動きをやめて、ベッドに座り、ウォッフォンで操作をし始めた。私は今だと思った。
「お、おやすみだからね、ジェーン。私もう本当に寝るからね。だ、だからベッドに戻りなよ。戦いも近いんだから、寝て、体力をつけて、おやすみ!」
私は布団に潜った。すると、その時だった。バーで流れるような、ムードのある曲が流れてきたのだ。音質や方向からして、多分彼のウォッフォンから流れていることは間違いない。落ち着くけど、ちょっと官能的な音楽なので、私は笑ってしまった。
「んふっ……ちょっとジェーン、それ消してよ。寝るってば。」
「まだ寝ないで。私がそちらに行きます。」
宣言通り、彼は一度ベッドから降りたと思ったら、すぐに私の枕の隣に彼の枕を置いた。驚いていると、彼は布団をめくり、中に入ってきてしまった。そして彼は横になったまま眼鏡を取って、サイドテーブルに置き、手櫛で髪を解かしながら、私の方に身体を向けた。私は仰向けだったので、彼に横から抱きつかれる姿勢になった。
ゆったりとしたリズムの、さらさらと流れる風のような曲が、妙に私の気分を高揚させて、雰囲気を出してしまっている。これはちょっと、笑ってしまった。
「あのさ、その音楽は何なの?それも、その、オフホワイトの?」
「ええ、その通りです。どうもあの本は素晴らしい、効果的な手法ばかり私に教えてくれます。良いムードの音楽は、我々を更に、深い領域へと誘うでしょう。」
「なるほどねえ、それってなんて曲なの?」
「……ラブリームードのスムースセンセーションです。」
絶妙なタイトルだった。それをジェーンが検索したのかと思うと、私は変な声の笑い声が出てしまった。
「ヒェッ、ふふ。」
「不気味な笑い方ですね。さて、続きを話します。ゆっくり話しますから、眠ってもいいので聞いてください。」
まだ続きがあったのか。私は目を閉じて、眠ったふりをした。ジェーンは優しく、甘く囁くように、話し始めた。
「私の全てを知って頂きたい、もっと、私を求めてください。そうです、ほら、あなたの手が疼いてきたでしょう?きっとあなたは、私のことを優しく撫でたいかもしれない。私のお腹を、すーっとゆっくり撫でたくなってきたかもしれませんね。ゆっくりと、肌の感覚を指先に覚え」
「……あのさ、私に催眠かけてる?私が眠りそうになってるからって、リラックスしてトランス状態だからって、催眠かけてるよね?確かにちょっと触りた……いやいやいや、だめだ!」私は目を開眼した。危ねえ危ねえ!「催眠にかかるところだった!」
だがジェーンは、私の耳に口を寄せて、囁いた。
「抑えなくていいのです。あなたはしたいようにしていい、私の前では。」
何とも言えないが、なんか新しいやり口だし、ちょっとだけ先が気になるので、私は黙って聞くことにした。こうやって受容出来たのも、もしやこのラブリーなムードの音楽のせいなのでは。今回はちょっと、彼の本気度が違う気がする。
ジェーンはまた私に囁いた。
「ねえ、私の全てを知りたいでしょう?キルディア。」
「……まあ、興味はあるよね。」
「ふふ、嬉しいです。私もこの欲望を抑えられない。これが男なのでしょうか?」
「お願いだから今、男の欲望を私にぶつけないでね……それに、帰ったらカタリーナさんと」
「話を聞いていましたか?今、私はあなたに、全てを知って頂きたいと言いました。全て……誰も知らない、ここには私の、秘密の箱があるのです。鍵を手にしているのはあなたです。あなたがまだ見ていない、私の素顔も、そこに眠っていることでしょう。時に公爵のように、時に下僕のように、あなたを誘惑したい。」
ブーっ
ラッキーなことに、私のウォッフォンに着信があった。




