179 過去に帰れと仄めかす
いくらジェーンが一緒にいる事を望む発言をしても、結局は別れるんだ。お互い、寂しいからって、そうなる未来が来るのを誤魔化して、今だけいい気分になっているだけなのだ。それを君は分かっているのだろうか。
そうだ、直で言うと怒りそうだから、ほのめかしてみよう。
「キルディア?何を考えていますか?何か言いかけて、そのまま黙っています。」
「あ、いや……あ、あのさ、」
「どうしました?何でも私にお話しください。」
やだな、こんな時に限って、とても優しいのね。いや、彼は元々優しい人だったのだ。昔は論理の鎧でガチガチだったけれど。どう伝えようか、迷いながらも、私はさっきの返事を混ぜつつ、話し始めた。
「私は、いや、多分ジェーンのものではないけれど「何を」いや、あのさ!ジェーンが居た時代ってさ、地上との交流は、まだあったの?今、こうして一緒に居られるうちに、その時代のこと、色々なことを聞いておきたいと思った。ほら、今だともう遥か昔に地上との交流は無くなったから、地上がどう言うところだったのか、それは今となっては古い文献にしか載っていない事だし、ジェーンの時代ではどうだったのかなって、疑問に思って。」
ジェーンが頷いた。
「私が生まれた時、もう既に、地上との交流は途絶えていました。私の祖父や祖母、私の育て親が若い頃に、限られた人数だけですが、地上と行き来出来たようです。それには当時の中央研究所の許可が必要でした。私の祖父、それから義理の父は地上の出身でした。私自身は彼らからも、その世界を学び、話で聞くだけで、実際に見た経験はありません。確か、その地上へ行くことの出来る、時の架け橋があった場所は、現在でも名の変わらない、イスレ山の頂上でした。文献を見れば、私の時代の数百年後には、亡き時の架け橋を、人々が崇めるようになったようですが、今の世となっては、その崇拝も過去の話です。長くなりましたが、私も、地上がどう言った場所なのか、ネットで出てくる情報以上のことは知りません。」
そうか、何だか壮大な話になってきた。それにジェーンのおじいちゃんと義理のお父さんは地上の出身だったんだ。やっぱり、遥か昔の世界に、ジェーンは生きていたんだ。今はここに生きているけど、何だか、不思議だった。窓の外を見ると、キラキラと星が輝いていた。これは昔と変わらないのかな。
「ジェーンの時の星空と、今の星空は一緒?」
ジェーンも空を見て、こう言った。
「ええ、一緒です。世界は変わっても、あれだけは変わらない。空、時の流れ、それから……私も変わりません、いつの時代も。少し、趣旨がずれましたね、ふふ。」
「ふふ。中々面白い、ジェーン自体もあの星と同様、変わらないんだね。それを聞いて、ちょっと安心した。一体、この星空の向こうの世界は、今はどうなっているんだろう。それはきっと、昔と変わっているよね?」
ジェーンが夜空を眺めながら、私に寄りかかってきた。そんなロマンチックを求めているんじゃないのに。頑張れ私!もう一息なのだ。そして彼は言った。
「私もたまに、地上の世界が今はどうなっているのだろうと、思考します。地上世界のデータは、私の時代では既に、入手することは不可能になっていましたから。二千年経ったこの時代、この世界にしても、私の時代とは気温も、生態系も、違っていますから、地上は……具体的にどうなっている事でしょう。御所望なら私の考えを話しましょうか?早くて明日の朝に終わります。」
「いや、その話は遠慮しておくよ。また今度、戦いが終わったらじっくり聞かせてほしい。でも、そっかぁ……」
ここだ、キルディア。
「始まりがあるものには終わりがある。この世界だって無限じゃないんだ。だから我々はさ、我々の世界を大事に、生きていくことしか出来ないんだよね。その人その人の、時代をしっかり生き抜く事が、大切なんだ。」
ジェーンが私の肩から離れた。私は空を眺めるのをやめて、彼を見ると、彼は据わった目つきで私をじとりと睨んでいた。
「……キルディア、中々、面白い発言でした。」
「ん?何が?」
「遠回しに、過去の世界に帰るように、仰いましたね?私に釘を刺すおつもりか?」
「ん……まあ、バレちゃった?」
次の瞬間だった。ジェーンが、ぷうっと頬を膨らませる仕草をとったのだ。あまりにも可愛げのある怒った表情に、私は不覚にも顔がまた熱くなり、恥ずかしくなって、手で顔を覆った。
「な、何その変な仕草!」
「ふふ、オフホワイトですよ……ギャップのある表情、それもまた魅力の一つだと、習いました。どうやら効いたようですね、いやあ、あの本を選んで良かった。」
おのれホステスさん、彼に余計な知識を与えた事をどうしてくれる!そりゃあ、確かに可愛かった。指の隙間から覗いてみると、ジェーンがしてやったり顔でにやけていたので、もう彼の予想通りの反応をこちらがしてしまったんだと分かり、ちょっとムカついた。私はため息混じりに言った。
「おやすみなさい、じゃあまた明日ね。」
「ああ、その件ですが、今日は漸く、ここに宿泊許可を貰っています。この後何回でも、手を繋ぐこともハグすることも出来ますよ。そうでした、入院してからハグをしていませんでしたね、さあ私の方へ来てください。」
ジェーンが両手を広げて、私を迎え入れる姿勢を作った。
「……誰だよ、宿泊許可したの。」
「ケイトです。キルディアの怪我も回復してきましたし、そろそろここで夜を明かしたいと思い、今朝から何度か泊まりを要求したら、根負けしたと言って許可してくれました。さあ、こちらにいらっしゃい。私が優しくあなたを包みます。さあさあ。」
ああー……今からこの人とハグするハグしないの交渉をする気力は、ちょっと無い。もう眠いのだ。
「挨拶のやつね。」
「ええ、挨拶の、濃厚なやつです。」
私はジェーンの胸に飛び込んだ。ぎゅっとジェーンが抱きしめてくれた。その時に、久しぶりだったからか、不思議な気持ちになった。懐かしいような、安心するような、変な温かさだったのだ。私は彼をちょっと突き飛ばして離れた。
「どうしました、キルディア。まだこれからです。」
「……変だ、何だかジェーンの体温が、落ち着くなんて、嫌だよ。こんな、」私はジェーンからちょっと離れて座り直した。「人の旦那様なのに。私は騎士だったのに。嫌だ。これって、ちょっと危ない気がする。もう辞めたい、こんな気持ち捨てたいよ。だからもうハグしない。」
彼が静かに手を下ろした。どこかを見つめる顔は、少し切なそうだった。しかし彼は急に一点を見つめて、首を傾げながら言った。
「キルディア、あそこの部屋の端に、何か、黒いものが動いている。虫では?」
「え?」
私は刮目して、ジェーンの視線の先を見た。しかし虫は逃げてしまったのか、そこにはいなかった。と、思っていると、横から急に抱きつかれてしまった。
「ジェーン、虫いないよ?どっか行ったよ、こんな事してる場合じゃない。」
「虫など最初からいません。私の嘘です。」
何だろうこの人、本当にちょっと殴りたい。しかもこんな古典的な手法で騙されるなんて、私自身もちょっと殴りたい。彼を退かそうとしたが、ぎゅうぎゅうと力を入れられていく間に、お猿さんポーズで両手両足でしがみ付かれてしまい、私はとうとう諦めた。
「気が済んだら離れてよ。傷開く。」
「……暫くは無理でしょうね。私もまた、あなたの体温に平安を覚えているのです。どうかキルディア、私とハグすることで落ち着くという気持ちを捨てないでください。私も捨てません。そして、二人にとって、意味のある選択をしましょう。未来は、その先にあります。」
「う、うん……ちょっと!」
彼は私のこめかみにキスをした。くすぐったい。そして彼は、私の頭に頬擦りをした。ああ、これはこれでは大問題だ。意味のある選択の結果、頬擦りをしてきたのなら、その先にある未来って一体何?
まあそれも今のうちだ。ふと、窓の外に目を向けると、さっき見えた星々が、さっきよりも輝きを放っていた。美しい夜空、安心する感覚、病室にはエアコンの起動音と、シーツの擦れる音だけが響いていた。




