176 滲む紙くず
僕はリンとの通話を終えると、静かにPCのスリープボタンを押した。何と、ジェーンは妻帯者だったか。てっきり二人は一緒に旅行をしていたので、それ程の仲なのかと思っていた。同居もしているし。
しかしあの旅行は聞けば、ただジェーンの落とし物を一緒に拾いにいっただけのようで、同居も場所が無いから、と言うのもユークの事情を知っていれば納得出来る。なるほどね。僕は満足げにコーヒーを沸かした。
僕の思った通り、キルディアは自分の部下の用事にも付き合ってくれる、心優しい人なんだ。彼女が騎士団長の時も、反逆者との戦いがあった。その時も彼女は、当たり前のように部下を庇っていたのを、ニュースで聞いた。街の小さな犯罪にも耳を傾け、努力していた。勇敢で、親切だ。
彼女の相棒に選ばれたのは、あのロン毛の眼鏡男。僕と同じぐらい優秀で、ルックスは僕より下かもしれないが、身長はある。大体、あの緑の宝石は何だったんだろう?どうして七つの孤島なんかに落としたんだろう?僕は淹れたてのコーヒーをテーブルの上に置いたまま、机のPCでジェーンの情報を調べた。
出身は帝都か。帝都高を卒業後、暫くは民間の企業で経理として働いていたが、突然、帝都大学院に通い始めて首席で卒業。バイカル理論や魔工システムの再構築など、多数の著書を持ちつつ、マイクロバルブ、ホログラム、位置情報システムにおいて数々の特許も取得。
功績を知らしめ、帝国研究所の所長に大抜擢され、敏腕な人事で無駄を排除し、僕も参加したあのHRコア開発(それは今のウォッフォンでも大いなる力を発揮している)を成功。彼は一体、三十歳を手前に何があったんだ?雷にでも撃たれたのか?その後はソーライ研究所で所長秘書兼、研究開発部の部長か。意味が分からない。
彼には他には家族がいないようだ。親の死因は事故。兄弟はいない。彼の妻の情報は特に無いが、ということは事実婚なのか。僕はリンの言ったことを信じる。彼には妻がいるのだ!子どももいればいいのに。
そして彼のIDには赤いドクロマークが付いている。重罪者の証だ。そのマークを除けば、大体は僕のと似たような経歴なのになぁ。もう分からない、あの緑の宝石も何も、見当がつかない。あれは宇宙のしずくで、彼にパワーを与えている本体なのかも、なんて、どんなSFだよと僕はちょっと笑った。
席を立ち、テーブルに置いたコーヒーを飲んだ。自然に鼻歌が流れてくる。こんなになってしまった状況で、僕はキルディアとどうかなろうとまでは思わない。それに先日、僕が執行したとされるあの政策で、きっと彼女の僕への評価はガクッと下がっただろう。
でも、ジェーンとどうにかなってないことを知って、僕は純粋に嬉しかった。恋心ぐらい、胸に抱くぐらい、罪では無いでしょう。恋は休暇、恋は健康に良い、僕の心臓は今、彼女への愛に耐えるために脈打っているのだ。
「あ、そうだ~。」
自分でも気持ちの悪いぐらいに上機嫌な声が出てしまった。一人で良かった。僕はマグカップ片手に、机の席に座った。次の戦い、僕はLOZの皆のことを見習って挑むつもりだ。彼らにはいつも、高い技術力と統率力、それから諦めない気持ちがある。この帝都にだって、掘り起こせば、それはあるんだ。
僕は陛下への嘆願書を作成して、それを持って執務室を出た。廊下を歩いている時に、一人の兵士が僕に挨拶をし、そのついでに帝都の民が僕に会いたがっていることを知らせてくれた。
きっと役所の者だろう。貧困層から「税率案を改定してほしい」と言われたとでも、言いに来たのだろう。そういう民への仕事はシルヴァ様の管轄なのに、彼女は嫌がって僕に押し付ける。何のための大臣だ。僕は兵士に、後ほど時間を設けると伝えた。
足取りが軽いまま、僕は陛下の執務室に向かった。赤いカーペットの廊下、いつも綺麗にしてあって気持ちいい。ああ、城の中でこんな気持ちになるとは思わなかった。恋は刺激、恋は酸素だ。
ニヤニヤ顔になっていたような気がして、それを消してから僕は、陛下の執務室のドアをノックしようとしたが、丁度ドアが開いてしまった。
「おわっ」
「ん?」陛下にぶつかりそうになってしまった。陛下はギロリと僕を見下ろした。「チェイスか、お前で無かったらぶっ飛ばしていたところだ。どうした、入れ。」
驚いて声が漏れてしまったが、そのことについて言及されなくて良かった。あとぶっ飛ばされなくて良かった。僕は陛下と共に、執務室の中に入った。ソファに座るでもなく、陛下は僕の前に仁王立ちして、僕に聞いた。
「それで、何だ?手短に頼む。」
「実はご相談があります。」
僕は嘆願書を両手で差し出した。陛下は受け取り、それに目を通し始めたので、僕は説明をした。
「実は、帝国研究所と今まで以上に連携したいと考えております。LOZにはソーライ研究所とグレン研究所、そしてユークアイランドに存在している企業と連携した、高い技術力があります。我々も彼らの技術を超える必要があります。現段階では、帝国研究所が兵器に関して、クモ形の射撃型ボット、AI戦闘ボットなどの開発権がありますが、それ以外にも開発権を持ちたいのです。」
「ああ。」
「帝都内の自警システムも一新したい。新しい自警システムを作成するとなれば、従来の方法では、帝国研究所が我々に許可を貰うことが前提となります。そしてそれが原因で帝国研究所は……独創性を持つことが難しいのです。私も研究に携わってきた身、ソーライ研究所はユーク側の規定がさほど厳しく無いので、新たな研究に着手しやすい。ですから、帝国研究所には、報告の義務は欠かさないようにして、実質上、無許可で研究を進めてもらった方がいいかと、私は考えました。LOZのアイデア溢れた技術は「チェイス」
そんな、震えた声で名前を呼ばれたことの無かった僕は、一瞬で黙った。じっと、威厳のある目つきが僕を捉えて離さない。睨まれているんだね。陛下は、何とか怒りを堪えているような震えた声で、話し始めた。
「それ故に、ユークはどうなった?技術を持ち、力を持ち、我々帝国に敵対したのだ。あの小さな研究所、それに企業も、前のルミネラ皇帝が放って置いたが為に、今となっては我々に対抗しうる程の力を持ってしまった。」
だから今からでも遅く無い、なんてことは言えなかった。
「だからこそだ。あの島にある小さな研究所、それから新参ばかりの企業でさえ、あんなに粋がっている。それを天下の帝国研究所が、好き勝手に研究出来るようになれば、あいつらが力を持ち、城が、この俺が危険に晒されるとは思わなんだか!」
陛下の怒声が響いた。僕は何とか、小声で反論した。
「ですから、無許可は一部です。それに帝国の意志と反する研究に関しては我々に止めることが出来る。ユークの市長も条例で、そう決めているのです。それを参考に」
「チェイス!」僕はビクッとした。「これ以上、民を、好き勝手にさせるわけにはいかないんだ!何が研究だ、何が技術だ!民など、厳しく制約された世の中で生きれば良い!規律の中にある自由こそ美しいんだと幻想を抱かせておけば良いんだ!甘やかされて育った子どもは犯罪を起こし、厳しく育てられた子どもは自分に自信が無いまま自己を叱責し続ける。どちらが民として動かしやすいか分かるか!?」
「……。」もう何を言っても無駄のようだ、僕は諦めた。だが、陛下は怒鳴り続けた。
「分かったなチェイス!俺は、お前には一生手に入らない俺の立場を、どう理解してもらおうかなど面倒な真似はしない!元帥のくせに敵に心奪われてどうするんだ!こんなくだらないこと考えている暇があったら、黙ってコーヒーでも飲んでいた方がマシだ!クズがァァ!」
そう怒鳴った陛下は僕の目の前で嘆願書をビリビリに破り、床にパラパラと捨てると、机の上に置いてあったマグカップを僕のほうに向かって投げてきた。それは僕の胸にぶつかり、冷えたコーヒーが、僕の白い制服のコートにシミを付けた。胸から腹に、モロにかかってしまった。
陛下は前髪を掻き上げて、窓の外を見ていた。僕は震えた手で、床に落ちているカップを拾おうとした。
「放って置け!今すぐ出て行かないと、お前は処刑する。」
僕は慌てて、カップから離れた。
「申し訳ございませんでした、陛下……。私が、考え足らずなばかりに。」
「……自分の執務室で、次の戦の策でも考えていろ。俺が呼ぶまで、二度とここに来るな。」
「はい。」
一礼して、僕は陛下の執務室を後にした。床に溢れたコーヒーに、紙屑がどんどん染みていった光景が目に焼き付いている。あの紙屑、用意するのに結構時間かかったな。
場内ですれ違う兵や、メイド達が僕の姿を見て、一瞬驚く。僕はあの酷い政策が決まって以来、今まで笑顔で接してくれたメイド達は僕から目を逸らすし、城下を歩いていると、民から睨まれることもある。
そんな僕は今、コーヒまみれだ。一体どうしてこうなったんだろう。僕を見た兵やメイド達も、きっと心の中では、ほくそ笑んでいるに違いない。食堂かなんかで、僕の今日のこの姿を見たと、笑い合うに違いない。何だか、帝国研究所にいた頃が懐かしい。あの頃に帰りたいよ。
自分の執務室に戻った途端に、急いで走って、机の席に座った。突っ伏した姿勢のまま、独り言を呟いた。
「策を考えろって……考えているじゃないか。」
ポケットの中には、例の人形がある。それをポケットの中で握った。今すぐにでも、ジェーンとポジションを変更したい。ああ、こんな意識だから、いけないのだ。僕は彼らを破る。僕は彼らを、負かすしかない。そうでなければ、手に入らないものがある。それは僕の今後の人生だ。
すると、ドアがノックされた。




