17 森の異変
研究開発部の部長がシードロヴァ博士になってから、数週間が経つ。彼が本格的に、この研究室での勤務を開始した時から、私の研究室の約半分が占拠されている。私は部で一番職歴が浅いし、一番年下だし、博士の立場からすれば、いくら新入りとは言え、帝国でもその名を知らないほどに優秀な自分が、どうして誰かと共同の研究室を使わなければならないんだと思うはず。
でも私だって、今まで一人の研究室だったのに、突然博士がやってきたのだ。騒音を気にしたり、伸び伸びとしたスペースがどんどん狭くなっていったり、我慢ならないことが沢山ある。
それにあの人自身にも、ちょっと苛々させられることが多い。同じ研究室なのをいいことに、設計途中の私の図案を勝手に覗いてきて、「ここはもう少しうまく改案出来るはず」とか、「私ならこうします」とか言いながら、メモに改良案を書いて、私の机に置いて行く。
それも時には、普段キリーのオフィスで作業している彼が、こちらへ資材を取りに来た時についでに私の設計図を覗き見て、ものの数秒で問題点を指摘してしまうのだ。ああ、思い出しただけで、ふつふつと怒りの感情が湧いてくる。それに彼の指摘した部分や理論が、殆ど正しいことにも苛々する。稀に、ごく稀に、私の案の方がいいかなって思うことはあるけど。
出来る人が部長になったのは嬉しいが、特に私は、人に何か指摘されることが嫌いだ。まだ若いせいからだと姉さんは言うけれど、だって私は小学院でも飛び級で入ったし、大学院でも皆から無視されて、妬まれて、指をさされながら、まっしろけっけなんて外見の悪口を言われて生活して、そんな中で友人なんてもの、まともに出来なかった代償に、私は勉学に励んで、魔工学の技術を手に入れたのだ。
誰よりも優れた論文を出して、誰よりも知識があった。魔工学において私に指図できる人間など、この世界のどこにも存在しているとは思わなかった。もしかしたら一人ぐらいは、いるかもしれない。でも彼らと出会う確率は殆どないと思っていた。
この研究所に来て、タージュ博士は専門外だし、ラブ博士は自分の研究室にこもっていて中々出て来ないから、どんな顔なのかも忘れてしまった。私の才能に嫉妬してああなったのか、元々そういうミステリアスな人なのか分からない。そして他の研究員達は、以前の所長の時に皆、辞めてしまった。だから、あの広い研究室を一人で使えるって知った時は、浮かれ気分で作業台の上に寝そべったりもした。
こんなに伸び伸び過ごしてきたのに、まさか……私と同じ研究室に、それも出会う確率が天文学的数字だと思っていた、私よりも優秀かもしれない人が来てしまった。驚きだし、とても残念で、動揺した。
タージュ博士やラブ博士は彼のことを歓迎しているらしいけど、私は正直……彼をどうすることが出来れば、この研究所から追い出すことが出来るんだろうと、仕事から帰った後、湯船に浸かる度に考えてしまう。彼がこの研究所に志望してきた理由は、帝国研究所での人間関係に疲れたからだってキリーからは聞いたけど、本当のところはどうなんだろう。
人間関係に疲れたからって、何もこの小さな研究所に来なくてもいいのに、その怪しさがあるのに、どうしてキリーはそれ以上追求しないんだろう。我々のボスは何でも話を聞いてくれるし、私は特別、小さい頃からお世話になってるから彼女は好きだけど……ジェーンに対して「本当、ジェーンが来てくれてよかった」と、毎日のように言っているのを聞くと、キリーまでムカついてくることがある。まあ、博士もいい人は、いい人なんだとは思う、普通だったら相手に興味なかったら問題点の指摘なんて、してこないもんね……。
一日の大半を、怒りの感情に費やすのも馬鹿馬鹿しい話だと姉さんから言われたし、自分でも確かにそう思うけど、博士の顔を見た途端に歯ぎしりをしてしまう。でも直さないと、大人にならないと。
その日の朝、私はいつものように研究室で、白衣を羽織ってからロビーのカウンターに向かった。毎朝カウンターではキハシ君とリンさんが勤務前の談笑をしていて、そこに私もいつも参加している。
「おはようございますー。」私の挨拶に、リンさんが「おっはよ」と答えて、冷たいお茶と新聞を渡してくれて、キハシ君は「はよー」と、いつもの気の抜けたような、まだ寝ぼけているような声で答えてくれた。
「ねえアリス、まだ信じられない。」
リンさんはいつも新聞の一面の記事の感想を一言くれる。何が信じられないのか、ちょっと想像つくなあ……貰ったお茶を一口飲んで、カウンターに置き、一面の記事を見た時に、やはりと思った。
『ネビリス皇帝 新なる光の騎士団を創設』
「何この、新たなる光の騎士団って、ださーい。」
私が嫌な顔をしてそう答えると、リンさんが口に人差し指を当てながら、辺りを見回して、誰も聞いていないことを確認してから言った。
「だよね~、あ。でも、あまり大きな声でそういう事を言わないほうがいいよ。この前なんかキリーとジェーンの、聞いた?」
「え?」私はリンさんの方を見た。「もしかして、あの件ですか?無茶しますよね、ボスも。」
キリーはたまに泊まりっこもして親しいけど、リンさんや他の皆の前では、ボスと呼ぶことにしている。そうしろと姉さんに言われたからだ。そしてあの件とは、ネビリスが皇帝になった日に、キリーが街の人をかばって、それを更にシードロヴァ博士がかばった件だろう。
最初姉さんから、シードロヴァ博士が手首を怪我した理由を聞いた時は、騎士相手になんて無茶なことをするんだろうと思った。まあ、キリーは昔から、そう言うとこあるけど。
「でもなんかさ、キリーって正義感強いところあるよね。いつか私が、ユークアイランドのポレポレ商店街で、変な男に絡まれている時も、助けてくれたもん。」
「え?そんなことが?」
私が驚いてリンさんを見た。彼女は口角をぎゅっとあげて、不自然に笑って、頷いた。
「そうそう。ちょっとムキムキで強面のお兄さんと肩がぶつかって、おいどこ見てんだって絡まれちゃって、もうダメかな人生終わりかなー、だったら朝食にステーキ食べればよかったって思っちゃった。でもそこに、ちょうど買い物袋を両手に抱えたキリーが通っていくのが見えたんだもん!すかさずキリーの名前を叫んだら、助けてくれたの。」
「なんか、その状態で名前を叫ばれたら、放っては置けないじゃん。きっとボスだって、巻き込むなよって思ってたよ。」
私たちの話を聞いていたキハシ君が、キーボードをカタカタとタイピングして、笑いながら言った。いつも彼は仕事に集中しているようで、実は私たちの話を聞いている。
いつも通りに、キハシ君の座っている椅子の足を、リンさんが軽く蹴飛ばした。お決まりの二人のその仕草は面白いけど、一瞬キハシ君が怪我してないか心配になってしまう。
「え~!?だって、こっちが危機的状況なのに、知ってる奴が視界に入ったら声かけるでしょ!こちとら絡まれて人生の最後を悟った時に、すぐそこに、うちの用心棒が通りかかったのを見たんだ!偶々そこを通ったのがキハシ君だったら、もう詰んだけど、歩いていたのはキリーだよ?元ギルドのゴールドランクだよ?その時ばかりは、天にも私を産んでくれた母にも感謝したよ。」
「何でついでにお母さんにも感謝してんだよ、まあいいことだけど。それに確かにキリーだもんな。そりゃ声かけるわ。俺でもかける。」
はは、と笑いながらキハシ君がそう言った。彼の意見には同意する。キリーは戦いのエキスパートだ。それがあるから彼女は精神的にもタフなのかもしれない。
次の研究所のボスを誰にするかって話で、キリーの名が上がった時は、正直、研究のことをよく理解しないでボスになるってどうなの?と思ったけれど、実際にキリーがボスをやり始めたら、それまで堰き止められていた水が、一気に流れ出すように研究所が機能し始めたし、働きやすくもなった。この件から、人の上に立つって、また違うものが求められるんだと言うことを学ばされた。
そりゃ前の所長みたいに肩書きや外見で人を差別する、ただのエリートより、専門的なことはよく知らなくても、適材適所の人事を遂行して、労働環境を変えることのできる人間のほうが、ボスとしていい。何かトラブルがあった時も、開発部が直接的な原因を対応したあとは「あとは私がやるから大丈夫」って、面倒な事後処理を行ってくれる。おかげで私たち研究開発部は、研究にだけ専念が出来る。これは本当にありがたいことだった。
皆の役割が明確になって、スムーズに動き始めていく研究所は、毎日毎日通うのが楽しみになった。私ももう少し大人になったら、キリーの良い所を吸収して、ゆくゆくは昇進したいと思っている。でもまだ若いからな、キリーだってボスにしては若いと思われているし。新聞をじっと見つめながら、つい考え事をしてしまった。記事を読もうかと思った時に、リンさんに肩をポンポンと叩かれた。
「ねえアリス、三面の記事見た?」
「三面?」




