157 元帥からのメール
彼女が訪れたのは、ナイトアームをお披露目した後、すぐだった。私はその時、調査部のオフィスで事務作業をしていると、リンが少し慌てた様子でやってきて、「アイリーンさんが至急話がしたいらしく、ロビーに来てる」と伝えてくれたのだ。
ああ、嫌だ、そのうち会えるとは思っていたけど、今日来てしまったのね……胃がキリキリと痛くなる。私は内心嫌々ながらも、リンと共にカウンターの方へ向かった。
カウンターにはジェーンも既に到着していて、既に科学者二人は、合ってる合ってないの激論を繰り広げていた。その様子を、何も知らないキハシ君は、あわあわと口を押さえながら見守っていたのだ。
リンがキハシ君に何事か聞いたが、キハシ君は「さあ、分からない」と戸惑った様子で答えた。一体誰が、二人が己らの遺伝子のことで討論していると想像付くだろうか。
ジェーンは「私は独自で不一致の結果を出しました。医学界でも優秀なアドラー医師のお墨付きです!」と力のこもった声で言い、アイリーンさんは「ですから、彼女は遺伝子学の専門ではないでしょう!?私は賞をもらったこともあるのです、私の結果が正しい!」と譲らない。遂にリンが、私に質問をした。
「ねえねえ、何の話なの?二人は何で言い争いしてるの?ってかジェーン、めっちゃ怒ってない?どうしたの?」
「ああ、はは……」私は苦笑いで答えた。「色々あるんだよ、本当に色々とね。でも私はジェーンが正しいと思うよ、ケイト先生もジェーンを支持しているし。」
私の声が聞こえたのか、アイリーンさんが私をギロリと睨んだ。つい防衛反応で身構えてしまった。アイリーンさんは震える声で言った。
「キルディア、あなたも私を信じないのですか?」
「それは……そうだと。私は、ジェーンを信じるよ。彼が過去に変えるのは当たり前の大前提だ。でもその後のことは、彼の自由だと、私は思う。ジェーンの出した結果も正しいと思う。それだって科学的な根拠だから。」
「……。」
アイリーンさんは暫く沈黙した。何かをじっくりを考えている様子で、徐々に眉間にシワが寄せられた。そして独り言のような小さな声で「見誤った」と呟いた。リンは聞こえなかったのか、えっ!?と聞き返したが、アイリーンさんは無理やり笑顔を作ると、我々に言った。
「そう、分かりました。例えどんな結果になろうと、私は言うべきことは言いました。もうこれ以上、私からお話しすることはございません。シードロヴァ博士、良き仲間がすぐそばに居て、とても羨ましいです。」
何だかそう言われると、もしアイリーンさんが正しかった場合、彼女は消えるわけだし、ちょっと不安になるじゃないか。だがジェーンは淡々と返事した。
「お分り頂けたようで何よりです。あなたは非凡の才の持ち主ですが、この件に関しては私も譲れないところがあります。受け入れられず、申し訳ございませんでした。」
アイリーンさんは「いえ」と無表情で答えて、一度頭を深く下げてからエントランスへ向かって歩き始めた。すらりとした細い足、色は白い。やはり何処と無くジェーンに似てることは似てる。私は小声でジェーンに聞いた。
「ほ、本当に、ジェーンの結果は正しいんだよね?」
ジェーンも私に顔を寄せて、小声で答えた。
「当然で御座います。彼女は私に似ておりますか?色白で細い人間など帝国中にごまんと居ます。何度調べても、どう考えても、彼女は科学的に私と何の繋がりもありません。」
「うん、でも見誤ったって言っていた。小声で。」
「ええ?」ジェーンが眉を顰めた。「そうですか。何の目論見を外したのか正確には理解出来ませんが、我々の仲違いを失敗したことに対して、ではないでしょうか?」
「そう言うことか……。」
何か声をかけるべきだっただろうか、そう思っているうちにアイリーンさんは研究所から去ってしまった。その後、リンに詳細を話せ、と脅されたので丁寧に詳細を話すと、爆笑されてしまった。そんな笑う事でもなかろうに……。
業務を続ける為に、私は調査部のオフィスに戻り、マイデスクに座って、一人で黙々とPCを使って作業をした。来月分の予算管理を、慣れない会計ソフトを使用して、亀さんのようなスピードで行なっていると、ポロンとPCが鳴った。左上のアイコンにメールの通知が表示されたが、見知らぬアドレスだった。
タイトルは『キルディアへ。』だった。それは私に届いたが、私個人のアドレス宛てではなく、研究所のアドレス宛てだった。ウェブサイトのお問い合わせ欄から問い合わせのメールが来たらしい。まあ、色々あって最近は様々なメールが届くけれど。私は突然届いたそれを開封した。
『久しぶり、チェイスです。』
「あっ。」
思わず声を出してしまった。そりゃそうでしょ、何問い合わせてんの。
『元気かい?君へ連絡を取りたかったんだけど、アドレスも何も知らないし、研究所のサイトの問い合わせ欄から送ることにしました。ニュースを見ているかい?あまり正直に書けないんだけど、僕はもうほとほと疲れてしまった。陛下が結構イタズラに民を困らせてしまうことが多くてね。それで城下の民も、僕も、お手上げ状態だよ。このままでは死んでしまうんじゃないかな。だから実は、助けてほしい。』
……。
『勿論君は、今となってはLOZと呼ばれるようになった組織のリーダーだから、僕と直接やり取りすれば、身内でゴタゴタするかもしれない。だからジェーンでもいいんだけど、とにかく了承してくれるのなら、このアドレスに返事をしてほしい。このアドレスは僕専用のものだから、盗み見られる心配もない。ジェーンに見せてくれ、彼なら一目でセキリュティ面がどうなってるか分かるはずだ。どうか、お願い申し上げます。僕にはもうこれしか、道がないんだ。チェイス・R・C』
私はチェイスのものと思われるメールを一旦閉じて、ニュースをチェックした。知ってはいたけれど、最近はネビリス皇帝の横暴にも似た政治のことばかり取り上げられている。
それもユーク側はそう報じているが、帝都側はネビリス皇帝の良い所しか報じていないと言ったところが、ちょっと信憑性がある。ニュースによれば、確かに帝都の住民も困り果てている様子だ。
しかし私だけでは判断出来ない。私はノート型のPCを担いで、事務室から出ると、ロビーのカウンターにPCを置いた。リンが何があったのかと疑問を顔に浮かべながら近寄ってきた。
私はPCを置きっ放しにして、すぐにジェーンのオフィスの扉をノックした。彼はソファでお茶を飲みながら、大きなホワイトボードに書かれた数式を眺めて思考している最中だったようで、私の来訪に少し目を見開いた。
「おや、どうしました?」
「ちょっと今いいかな、チェイスから連絡があった。」
私の言葉にジェーンが真剣な表情になると、ティーカップをテーブルに置いて、一緒にロビーに付いてきた。カウンターに置かれたPCを開いて、私はジェーンに先程のメールを見せた。そこに居たリンと、キハシ君、それからちょうどやってきたアリスもこちらに加わり、皆で画面をじっと見た。ジェーンは一瞬で思案顔になり、唸った。
「うむ……なるほど、彼は現状に困窮し、こちら側に寝返りたいと。確認したところ、確かにこのアドレス、特殊な通信を使用しているので、盗み見られることは無いようです。それで、キルディアはどうお考えですか?」
「うーん」私は首を傾げた。「もしこれが偽物だったら、彼は大した男だよ。それに、一国の軍師に選ばれる人間だから、すぐに信じることは出来ない。」
「でも、」と発言したのはリンだった。「最近はネビリス皇帝の政策が、横暴になってきてるって言うのは事実だよ。帝都に知り合いが何人もいるけど、また帝都だけ税率が上がったり、徴兵制が実施されるとかで困ってるって。」
「徴兵、本当に始まるのかな。一般の人を、戦場に立たせるのかな。」
最近ニュースでもよく見る言葉だった。そんな、市民を戦場に立たせることなんて、帝国ではあってはならないご法度だと、士官学校で厳しく教えられた。いくらネビリス皇帝であろうと、それを裏切ることはなかろうと思っていた。私はリンに聞いた。
「それは、もう確実なの?」
「うーん、まあニュースじゃ無くて、昨日電話で聞いた話。これは帝都で暮らす友人からなんだけど、一昨日の夕方ぐらいに突然騎士が直接家にやって来て、これから徴兵が始まるから準備しとけって感じで言われたらしい。女もですか?って聞いたら、男女も年も、持病を抱えてたって関係無い、今は人が足りないんだ。LOZが居る限り、帝国史上最大の危機なんだ、そんなこと言ってる場合じゃないって言われたらしいよ。だから、暑さ我慢してユークで暮らしていれば良かったって言ってた。」
それをもっと早く教えてくれよと、私はリンをじっと睨んだ。彼女は何か?と言わんばかりの顔で、わざと口を尖らせて首を傾げた。そんな、遺伝子が如何の斯うの言ってる場合じゃないじゃないか。
お年寄りも子どもも含まれるのだろう、それが現実になれば、無茶苦茶すぎる政策だ。チェイスが付いて行けないと言うのも、かなり頷ける。そしてジェーンがため息をついた。
「はあ、いくら兵数が稼げなくなって来たとはいえ、その徴兵とやらは明らかにやり過ぎの域に達しています。私は昔からチェイスを知っています。この政策は彼らしいやり方ではなく、ネビリス皇帝が執行したものでしょうが、帝都民の不満は民政担当のシルヴァ大臣ではなく、チェイスに向かうでしょうね。この件、民はネビリス皇帝も大臣にも言えない分、権力がある割にはおっとりしていて言いやすいチェイスに不満をぶつけるでしょう。彼の事情を考えれば道理に敵います。このメールを送って来たのも、頷けますが……キルディアはどうお考えですか?」
ジェーンの言うことも分かる。確かにあのチェイスだったら、色々な皺寄せを受けやすいかもしれない。私は少し考えてから、発言した。
「うーん……取り敢えず、話を聞くだけならいいと思うけど。」
私は皆が見守る中、チェイスに返事を書いた。
『久しぶりです。ご連絡ありがとうございます。その件ですが、一度詳しくお話を聞かせて頂ければと思います。何卒。』
「何卒って……。」
リンのツッコミを無視して、私は送信ボタンを押した。するとすぐに返事が返って来た。PCの前でずっと待っていたのか?
『お返事ありがとう、本当に救われた気持ちになったよ……でも助けてくれだけでは、僕のことをまだ信じられないだろうから、このことを話すよ。実は近々、新光騎士団がユークアイランドを襲撃する計画があるんだ。それはネビリス皇帝が計画していることなんだけれど、海底トンネルのアクロスブルーラインがあるよね?ユークから車で帝都に行く時に必ず使う道、そしてその先は帝都の南門と繋がっている、あの道だ。ちょっと待って、一回送ります。また。』
チェイスのメールは一度途切れた。そのメールを読んだ時に、我々から驚きの声が漏れた。ここを彼らは襲撃するのか……チェイスによれば。そしてジェーンが言った。
「彼は我々に信用される為に、情報をリークして来ましたね。」
「う、うん。」私は頷いた。「しかしこれが本当なら、彼らはアクロスブルーラインを通って、ユークアイランドを襲撃しようとしているのかな。」
私の言葉に、アリスが反応した。
「確かにキリーの言う通り、海からユークアイランドを襲うのは、海沿いに自警システムがズラッと並んでるから、死界が無くて難しいと思う。アクロスブルーにも自警システムはあるけれど、それは対ブレイブホース用だし、一般車も多く通れるから、ユークアイランドを攻撃しようとしたら、このアクロスブルーラインを、徒歩か車で渡るのが一番無難だよ。あーあ、今ちょうどアクロスブルーの自警システムを強化し始めたばかりだもん!幾ら何でも間に合わないよ~。」
そうだね、と答えようとしたが、私のPCがピロリとなった。




