154 熱いグラタン
つい、先日見た男女の動画を思い出した。あれの冒頭も、このような雰囲気だった。う、うーむ。
「そうだ、キルディアさん。」
「何ですか?」と、私は首を傾げた。
「部長ですが、彼は優秀な人物です。私も実は帝国大を目指していた身でしたから、彼がこの世界に来て、すんなりとやり遂げたことの凄さ、大変よく分かります。彼は、非常に優秀ではありませんか?」
「確かにそうですね。どうして私に協力してくれるのか、今でもたまに不思議に思います。」
「僕には部長の気持ちも分かりますよ。あなたも、部長以上に優秀だ。」
いやいやそれはないと言おうとしたが、唇に人差し指を当てられて、発言を阻止された。そしてタージュ博士は私を見つめて言った。
「あなたは素敵な人です。」
「そ、そうかな……おべんちゃら」
博士は驚いた顔をした。
「お世辞ではない、本心です。」
その時だった。私のウォッフォンが鳴ってしまった。通話はどうしてもウォッフォンの性能上、相手方の声が聞こえがちなので、その着信は出ずに切った。因みにジェーンからだった。
「ごめんなさい、バイブモードにし忘れました。」
「いえ、出ても構いませんよ?」
「いや、いいんです。どうせくだらないことだろうから。」
段々とクリームソースが焦げたような、いい匂いがキッチンから漂ってきた。隣に座るタージュ博士は、じっと私を見つめている。何だか目を合わせられない私は、何処かを見つめた。そしてまたウォッフォンが鳴った。今度はメールのようだ。
「部長からでは?本日残業をなさっているようですね。ご確認を。」
「そ、そうだね。」
博士の言う通りに、私はウォッフォンでメール画面を開いた。タージュ博士は目の前のモニターにウォッフォンを向けて操作して、何か動画を見ようとしている。メールの差出人はジェーンだった。
『お疲れ様です。キルディア、突然腹痛に襲われました。研究所の御手洗から出ることもままなりません。どうかご助力を、ここまで来てください。A・Jane・S』
嘘でしょ、何してんの……。私は返事をした。
『お疲れ様です。ええ?じゃあケイト先生呼べばいいじゃない。多分論文があるとかで、まだそこに居ると思うよ。ポータルで居場所を確認して。 Kildia・G・K』
最後の署名は果たして要るのか不明だが、一応彼に合わせて、つけておいた。それを終えてタージュ博士にジェーンがお腹痛いことを話すと、笑ってくれた。
「はっはっは、それは大変ですね。しかしあとの事はケイトに任せましょう。さて折角ですから、私の取っておきの恋愛映画でも流しながら、食事を」
と、ここでキッチンからチーンと可愛い音が響いた。できた、できた、と言いながらタージュ博士が慌てて取りに行った。その隙に、私は帰ってきた返信を読んだ。
『腹が痛いのは、あなたから確実に返信を得るための嘘です。しかし、タージュが危険な男であることは事実です。あなたの隣にいるその男は、猫の皮を被った怪物、人面獣心の男です。二人きりで酒を飲み、弱ったところで何をしでかすか!あの動画のようなことになってもいいのでしょうか?いえ、いけません。私が許さない。卵焼きを作ってあげますから、一緒に帰りましょう? a.j.s』
署名の簡略化がちょっと急いでる感があって面白い。でも、いやいやいや、タージュ博士がそんなことしでかすわけないよジェーン。しかも何でお前が許さないんだ。そんなことまで縛るのか、親友は。私は『うるさい kgk』とだけ書いて返した。
「お口に合うかどうか、ボナペティ」
タージュ博士がそう言って、テーブルに熱々のグラタンと、私の差し入れのワインが入ったワイングラス、サラダの小皿と、ナッツやサラミの乗ったお皿を置いてくれた。なんとまあご馳走だ!グラタンの表面の焦げたチーズがポコポコと動いている!
「うわあ、とっても美味しそうです!こんなに豪華な手料理は、初めてです!」
「それは良かった!ふふ、さあ熱いうちに。」
いただきますと二人で同時に言い、そしてグラタンにスプーンを優しく刺した。熱そうだったので、ハフハフしてから口に含むと、チーズとクリームのコクが濃厚で、かなり美味しかった。私は何度も頷いた。
「とっ……ても美味しいです!タージュ博士、料理上手すぎる。」
「嬉しいです。また食べに来てください。」
何度も頷いて、今度はサラダを食べようと手を伸ばした、その時だった。部屋がふっと暗くなったのだ。目の前が見えない。
「あれ?どうしたんだ?停電か?」
タージュ博士の慌てた声が聞こえ、私はウォッフォンのライトを付けた。するとタージュ博士もウォッフォンでライトをつけて、廊下の方へパタパタと走っていった。私は街の情報を調べたが、特に停電世帯は報告されていなかった。パタパタと足音が戻ってきた。
「ブレーカーを調べましたが、正常でした。おかしい、どうしてだ?冷蔵庫は電気通っているのですが、建物の不調かもしれません。ごめんなさい。」
「いえいえ!冷蔵庫通っているなら、きっとすぐに戻りますよ。暗いですが食べましょう。冷めちゃいます。」
「そうですね、あ、キャンドルならあります。それを使いましょう。」
テーブルの真ん中に、キャンドルと皿が置かれた。博士が火をつけると部屋全体がほんのりと照らされた。何だかオシャレなレストランみたいだ。私はグラタンをもう一口食べた。手首のウォッフォンが震えた気がした。
「冷蔵庫も空調も動くのに、照明やモニターは点かないとは。ブレーカーも落ちていないのに、何が一体起きているのか見当が付きません。」
「そうですね」私は博士に同調した。「建物の故障なのかな?ちょっとジェーンに聞いてみますか?」
「それは結構です。」博士は即答した。「今はこの雰囲気で僕は十分だ。」
隣に座るタージュ博士と目が合った。何だかいつもと違う、優しい笑みだったので、私は見ていられなくなってグラタンに視線を落とした。この料理はうまい。
だけど何故か、この雰囲気に少し耐えられなくなっていた私は、ジェーンと一緒に、ドナルドおじさんバーガー店のビックバーガーを食べたくなった。たまにテイクアウトして、いつものリビングで何気ない会話をして二人で食べるのが、実は楽しみだったんだと気付いた。タージュ博士は優しいが、少し緊張する。
「キルディア、もし部長が過去の世界に帰ったら、あなたはどう思いますか?」
……私はワインを一気飲みした。博士は私の行為にちょっと驚いて、彼もワインに口をつけた。体の奥が熱い。
「帰ったら、ですか。きっと寂しいよ。ほら、飼ってたインコが、窓を開けた隙に飛んでいっちゃったら物凄く寂しいし、心配でしょ?それと同じ。」
「はっはっは、インコに例えるとは、これは部長には内密にしておきます。それでは、特別な想いは無いのですね。」
「無いよ、無い。」
タージュ博士が注いでくれたワインを、私はまた一気飲みした。博士は少し笑って、またちょこっと注いでくれた。一気飲みのおかげで、ぼんやりとしてきた。だがグラタンがより上手く感じるゾーンに入った。儲け物だ。
「このグラタン、気に入ってくれたようで僕も作った甲斐があります。」
「だって美味しいもの。タージュ博士と結ばれる人は幸せだ。」
「……。」
ちょっと後悔してきた。ワインだからやっぱりアルコール度数は高いし、フラフラ視界が揺れる。完全に調子に乗りすぎた。一度、御手洗に行こう。私は立ち上がって博士に聞いた。
「御手洗はどこですか?」
「僕が案内します。さあ、っと!?」
タージュ博士とテーブルの間を通ろうとしたが、思ったよりも横にふらついてしまい、バランスを崩して、博士の膝にドスンと尻餅をついてしまった。
「ご、ごめんなさい!痛かった?」
立ち上がろうとしたが、何故かタージュ博士が私の腰に手を回したのだ。と思った次の瞬間に、私は博士に抱きつかれてしまった。うおお、うおお!?私は両手を広げて驚き、奇妙な博士の感触に戸惑った。
「僕の方こそごめんなさい。」
「いや、ま、ええ?何でハグしてるの?」
「……それはキルディア、僕は、あなたのこと」
急に、青白い光がモニターから漏れた。私は驚いてモニターを見た。
すると、信じられないことに、モニターには男女が激しく交わっている映像が流れ始めたのだ。それも大音量なので、女性の声がすごい。私は絶句して、ただただその映像を見つめてしまった。
「えっ!?」
タージュ博士が叫んだ。こ、これがもしや、これが……!?
「こ、ここ、これが、タージュ博士の言っていた、恋愛映画ですか?それにしてはちょっと、なんと生々しい……。」
「いえいえ!違います!何故だ!?」
慌てたタージュ博士は、モニターに向けてウォッフォンを連打しているが、卑猥な映像は止まらない。何だかその慌てっぷりも怪しい。妙な停電、それも博士が故意でしたとなると、ちょっと……おかしい人だ。私はそっと博士から離れて座った。
そして博士がテンパっている間に、素早く残りの食事をすませて、食器を重ねた。まだ映像は止まらない。博士は青白い顔を私に向けた。
「違います。こんな、僕が見るわけが無い。」
「別に……」どうしよう、いいフォローが思いつかない。私の目は泳いだ。「私もたまにみますよ、こういうの。だから大丈夫です。」
「えっ。」
彼は目が点になっている。たまに見るのは事実だ。この前初めて見たばかりだけど。博士は驚いた顔のまま固まってしまった。何だか、帰った方がいいのかな。ジェーンの言う通り、もしかしたら私は狙われていたのかもしれない。
「博士、美味しいご飯ありがとうございました。でも、おうちの具合悪いみたいだし、気を遣わせたくないので、また今度、お邪魔しますね。うちにも来てください、大したおもてなし出来ないけれど。たまには。」
「ああ、はい……その時は是非。それでは玄関まで送ります……。」
タージュ博士は元気ない様子で、玄関どころか、マンションのエントランスまで送ってくれた。また今度、と手を振って、私はまだお酒でフラフラするけれど家路へついた。
ココ通りからユークタワービルのある大通りに出た。夜だけどサングラスをしているのは私ぐらいだ。あとはこの通り沿いに歩いていき、海沿いのサンセット通りに出て、ちょっと歩けば自宅だ。ジェーンはまだ研究所なのかな、と考えながら歩いていると、道路の段差につまづいて、転びそうになった。
ああ、やはり飲みすぎたことを後悔したが、私の顔面はコンクリートに激突することは無かった。右の義手が何かに引っかかっていて、私は助かった。
振り返ると、私の右手を、サングラスをかけたジェーンが掴んでいた。こんなところに彼がいてびっくりしてしまい、余計にどきっとしてしまった。
「ああ、ジェーンか……助かった。何してるの、こんな所で?」
「全く、」ジェーンは私の右手をしっかりと抱き、私の体を支えてくれた。「相当飲みましたね、顔も紅潮して、お酒の匂いがしますよ。それに私が迎えに行くと言っていたのに、何故連絡をしてくれなかったのです?途中からメッセージの返信だって「ああごめんね、ごめん。」
嫌だなぁ、悔しいことに、彼の声を聞くと変に安心した。ジェーンに右手を抱かれながら、我々は歩き始めた。私は隣を歩く彼に聞いた。
「どうしてここにいたの?偶然?」
「あなたがここに来るのを、ポータルを見ながらユークタワービルの前で待っていました。メールをしていた時点では、まだ研究所にいました。それもそうです、タージュの部屋を停電にさせたのも、卑猥な映像を流したのも、全て私の所業です。」
「はぁ!?」
私は立ち止まって、酔いの勢いでつい、ジェーンの胸ぐらを掴んだ。ジェーンは少しビクッとした。
「えっ!?あれはジェーンがやったの!?どうして!」
「……だって、あのままではあなた、確実にタージュに喰われていましたよ。寧ろ私に感謝して頂きたい。私はタージュのリビングのモニターをハックして、インカメであなた方の様子を見ていました。何ですか、あの厭らしい彼の目つきは。私が妨害しなければ、あなたは確実に酷い目にあっていました。」
それは言えているかもしれないが、やり方があるだろうが。はあ、私は彼のことを解放して、歩きを早めて、彼を置いて行こうとした。すると彼は急いで私の隣に、小走りで近寄ってきた。
「タージュ博士は狼狽えていた。明日、謝ってね。」
「……分かりました。すみません、キルディア。」
だが、彼には少しばかり感謝もしている。あのまま過ごしていたら、私には酔いの勢いがあったから、ジェーンと一緒にはいられないことにヤケになった私は、背中をひょいと押されたかもしれない。タージュ博士に飲み込まれていた可能性もあることを否めない。
少々恥ずかしくはあるが、私は隣で歩くジェーンの手を握った。温かかった。それで、色々と、わかって欲しかった。
「キ、キルディア……」
それくらいの反応の方が私にとって心地よい。それを気付かせてくれたのだから、タージュ博士にも感謝している。だが、彼はいずれ帰ってしまう。辛いものだ。
「これは、永遠ではない。」
「そうですね。」彼は答えた。「ですから、今だけはあなたに全力を注ぎたい。」
一緒にいるのを諦めないと言ったり、かと思えば、これは永遠ではないということを許容する。私はちょっと怒って手を離して先に歩いたが、すぐに追いつかれたジェーンに、また手を繋がれた。
「もう少し、あなたと手を、繋ぎたい。」
「……勝手にすれば。」
我々は手を繋いで、帰路に就いた。




