146 陛下の指示
決められた時刻よりも早く行き過ぎてはならないのは、暗黙の了解だった。しかし、遅過ぎてもいけない。僕は一分前という絶妙なタイミングで、陛下の執務室のドアをノックした。すると中から、陛下の近衛兵が出てきて、僕を中に通してくれた。
「チェイスです、失礼します。」
陛下は何も答えずに、机のところに座ってPCの作業をしている。それが数分続き、キリのいいところで終わったのか、少し顔を上げて、僕を見ると笑った。太い眉毛で、眼光鋭い人が笑うと、ちょっと怖い。
「お前が誰なのかはよく知っているよ、そこに座れ。」
言われた通りに、僕は机の前に置いてある椅子に座った。この状況、何かされそうでとても怖い。陛下の隣にはシルヴァ様が立っていて、壁際にはヴァルガ騎士団長が腕を組みながら寄りかかっている。どうして僕だけが、陛下と対面する形で居なきゃならないんだ。
つい、最悪の事態を考えてしまった。椅子に縛られ、僕は苦痛を与えられるかもしれないと。そんなことはしないさ、どうにかお花畑の風景を想像して、その気を紛らせた。陛下はコーヒーを一度ゴクリと飲んでから、その苦い吐息を僕に吹きかけた。
「……ふん、レジスタンスと連合が手を組んだな。」
「はい、その様です。」
「ソーライ研究所のキルディアと言う女、どうやらギルバートだったらしい。俺も、彼が彼女だったことには気付かなかった。兵の名前やその背景など、知るに値しない、鎧の中身には何の興味がない。その鎧さえ、私に仕えてくれれば、それでいいのだから。」
「はい、私も城下に帰還してから、ギルバートの正体について、耳にしました。」
陛下は頭に両手を添えて、椅子に深く座り、僕をじっと見た。まるで蛇に睨まれたカエル。僕は震えて、動けなかった。
「……光の神殿での敗因は何だった?」
僕はドキッとした。思わず口ごもる。するとシルヴァ様とヴァルガ騎士団長が、同時にため息をついたのが聞こえた。
「どうした、言えないのか?原因が分からないのか?」
「……敗因は、」声が掠れてしまった。「私の作戦が敵に読まれていたことです。彼らを陥れていたつもりが、本当は私が、罠に嵌っておりました。迂闊にも、それが原因です。申し訳ございません。」
僕は頭を下げた。するとすぐに、シルヴァ様のキンキンとした怒鳴り声が聞こえた。
「全く、これしきの任務もまっとう出来ないで!何が元帥よ!あなたを仲間に迎え入れた価値が、微塵も感じられないじゃないの!」
本当にその通りだ。僕は対ジェーン用に雇われたと言うのに。黙っていると、ネビリス皇帝の怒る声が聞こえた。
「シルヴァ、黙れ。」
「……申し訳ございません、陛下。」
僕が恐る恐る頭を上げると、シルヴァ様が黙ったまま僕を睨んでいた。ネビリス皇帝は机の上で手を組んで、また僕のことをじっと見つめた。その目は何人も殺してきた様な、覇気のある視線だった。僕は体が寒くなった。
「チェイス、お前は初めての戦いだった。」
「はい。」
「これから、何度も戦いは起こるだろう。その中で慣れれば良い。だがしかし、これ以上の失態は無いと思え。他の街はどうでも良いが、ユークが連合の手にある以上、我らは次の一手を何としても決めねばならぬ。」
「はい、その通りでございます。」
「よく聞けチェイス、これから俺は、気が狂うだろう。」
突然の発言に、僕は頭の中が疑問で一杯になった。頭の中にハテナを生み続けている僕を尻目に、陛下は話し続けた。
「現状、帝都以外のエリアについて、何もかもが上手くいっていない。税や細かい規制など、それは順調だ。しかし重要なことが、何もかも、あいつらに邪魔されて上手くいっていないんだ。」
「はい。」
「お前は、この状況を上手く、道具のように使え。俺の言っている意味が分かるなら、お前は元帥を続けろ。」
どう言うことだろうか。この状況を上手く使う?それも道具のように?そんなことが出来たら、僕だって苦労はしない。僕の頭から冷や汗が垂れた。
でも、この何もかも上手くいかない状況を使うと言うのが、どう言うことなのか考えなければならない。そうしなければ、僕は元帥でなくなる。それはきっと人生が終わることを意味するだろう。元帥の座を降りて、無事に帰れる家など、もうこの世には存在しないのだ。
「チェイス」
「……。」
「チェイス?」
僕はハッとした。
「は!はい!申し訳ございません!考えておりました。」
「ふっ……、」目つき鋭いままに、陛下が笑った。「それで良い。真剣に考えてくれ。もう一つ、新光騎士団の騎士が投降している問題がある。そのおかげで騎士の数が減少している。そこでだ、ギルドの人間に協力するよう命令した。彼らは承諾してくれたよ。」
「そうでしたか……。」
「ああ、それも上手く使え。ギルドの連中は荒々しいが、戦力にはなる。それに、これからのお前にも期待しているよ。俺からは以上だ。」
「はい、失礼します。」
僕は椅子から立ち上がると、ちょっと急いで陛下の執務室を後にした。城内の通路を歩きながら、あそこにシルヴァ様とヴァルガ騎士団長がいた意味は何だったのだろうと思った。
僕に恥をかかせるため?しかしすぐにそれは彼らが、ヘマをした僕に不信感を抱いているのであろうと察しがついた。そこに居れば、説明する手間が省けるからだ。
僕は自分の執務室に戻ると、ソファに飛び込んで脱力した。ああ、大変なことになってきてしまった。兎に角、この状況を打開する方法を見つけなければならない。
幸い、僕には何個かアイデアがあった。それを早速ウォッフォンのメモ機能で色々と書きながら熟考した。少し経って、ソファにうつ伏せになったままの姿勢では体が痛くなってきたので、僕はソファに座った。
帝国のことから考えを逸らした一瞬の隙に、僕はギルバートのことを思い出してしまった。彼は彼女だった。あの時、船の上でキスをしてしまったこと、最期になるだろうからと、思い切った行動をとったことを、僕は後悔していない。
「いけない、いけない。」
僕は首を何度か振って雑念を消し、陛下に言われたことを考え続けた。




