125 噛まれる私
勿論、ネビリスを倒す途中で、私自身が倒れることなど、あってはならない。気を引き締めながら、狩のように身を潜め、最適な機会を伺うのも、また一興。そう、私には優れた頭脳があるのだから。
「それは有り難いけど……ジェーン、やばい笑みを浮かべてるよ、大丈夫?最近リンに似てきたんじゃ無いの?」
「気味の悪い事を仰らないでください……確かに、少々考え事をしておりました。さて、長話にお付き合いして頂きありがとうございます。あと、もう一言だけ、伝えておきたい。」
「あと?なあに?」
キルディアの両頬を挟んだまま、私に綺麗な瞳を向けてくれる彼女に言った。
「私の前で、誰も愛さないでください。」
「……。」
キルディアが驚きで、無言でじっと私を見つめ、それからふっと笑ってこう答えた。
「そうねえ……うん、でも、そもそもモテないから、その心配も要らないと思うけど。」
「いえ、あなたはモテると思います。」
私が解放すると、キルディアは頬を押さえて、ベッドから立ち上がった。私も立ち上がり、両手を広げて、もう一度彼女に聞いた。
「キルディア」
「何?」
「もう一度、仲直りのハグしたいです。挨拶ですよ?」
「早速、挨拶を要望してきた、でも」キルディアは微笑んだ。「今日はもうしたから、この戦から帰ったら、その時にでも……ん?ちょっと待って。」
彼女の顔色が急に変化した。戦いに応じる時のような凛々しい目付きになったかと思うと、床に置いてあった剣を取り、テントの入り口を意識しながら、私を守るように剣を構えた。しかし物音など聞こえはしなかったが。
「どうしました?」
「誰か居る。一人、外から我々の様子を伺っている。」
だがすぐに犯人が分かった。「もしも~し」と、聞き覚えのありすぎる女性の声がしたのだ。明らかにリンのものだと分かると、キルディアは苦笑いして、剣を地面に置いて、テントの入り口を開けた。
やはりそこには彼女が立っていた。しかし何故か、防具を取り、ライダースーツの前ジップが、ヘソのところまで開いている謎の露出をしていた。つい見てしまった事を後悔して視線を逸らした。どうして私が、彼女の谷間を見なければならなかった……。
「ど、どうしたのリン、なんか凄い……その、露出度高いね。」
「あ、ジェーンも来てたんだ~!へえ~!」何だその挑発的な話し方は。私は目を細めて彼女を睨んだ。「ふうん、で?二人は仲直りしたの?」
ふと先程の抱擁を思い出して顔が熱くなった。キルディアはどうなのだろうか、彼女の方を見ると、紅く染まる頬を、笑うことで誤魔化していた。
「あはは、あは、まあ仲直りはしたよ。我々はとっても仲がいいからね、危ない程に。」
私は同意した。
「その通りです。我々の絆が、より一層深まりましたよ。さて、あなたは一体何しにここまで来たのでしょう?実は私、キルディアとは色々と積もる話がありますので、出来ればあなたには、すぐに立ち去ることを要求したい。」
「ジェーンはもう沢山話したんじゃないの?いつからここにいたの?交代してよね~」
何故かこの女、くねくねと肩を揺らしながら、気味悪くキルディアに近付いた。私は腕を組んでリンを睨んだ。怪しい、何を考えている?キルディアは後ずさりをしながら、リンに聞いた。
「ちょ、ちょっと何その仕草、初めて見たんだけど。その格好も何……?」
「ねえキリー、」リンは何故か、キルディアに対して、目をパチパチとさせている。「キリーってさあ、女の子のこと、どう思うの?」
「何それ。どうって……どうかな。何歳?」
何歳?その質問は何なのだ。私の考えが追い付かない。リンはチョンチョンと小さく拍手をして笑った。よく見れば化粧がいつもより濃い。
「えっとね~じゃあね、アラサーの女子はどう思う?その子はまあ、まだ二十代だけど、キリーよりは年上かな?ジェーンよりはかなり年下だから、歳近いと話が合うと思うんだ~。こんなおじ様より。」
……貴様、まさかキルディアを狙っているのか?どういうつもりでそんな言動を行なっている?もしやリンは両性愛者なのか?私は警戒心を抱きながらリンを睨んだ。だが、キルディアは純粋に考えた仕草を取った後に、答えた。
「年上の女性のことかぁ……そうだね、別に、いいんじゃないの?どうって聞かれても、別に、いいんじゃないの?としか思えない。確かに、友達にはなりやすいかもね、歳が近いと。」
「もう!分かるでしょ?友達じゃないよ、特別な人として、どう思うの?」
「ええ!?だから……」返答に困った様子のキルディアが、私をチラッと見た。助け舟を用意するしかあるまいと思ったが、キルディアが先に答えた。「どうって、ええ?れ、恋愛対象?ま、まあ可愛い人なら、可愛いよね。」
左様ですか、キルディア……!その現象は、リンにだけ当てはまるものではなかったのか?私は一瞬目を見開いたのを、自覚して隠した。リンはぴょんぴょんとウサギのように跳ねて、喜んでいる。
「そうなんだ!キリーも女性はアリってこと?ね!そうなんでしょう!?確かに元騎士なんだから、男女関係なくモテそうだもんね~ふふっ!」
そしてなんと、リンがキルディアに抱きついたのだ。やけに露出の激しいなりをしているのも理解した。此奴め、やはり彼女を狙っているか!更に奴は、私が奇跡と感じた抱擁を、いとも容易く手に入れている。
もう静観しておられず、私はキルディアからリンを引き剥がそうとした、その時であった。あろうことかリンが、まるでワニのように私の腕に噛み付いたのだ。
「痛っ……!こら、おやめなさい!愚か者め!」
「フガッ!うるさい!秘書は黙って見ていればいいのよ!おどき!」
「ちょっとリン何してんの!?ジェーンに噛み付かないでよ!それになんでこんな急にハグしてきたの?挨拶?」
「分かる」と言いながら、リンが彼女から離れてくれたのはいいが、余裕そうな体をしながら、じろりと粘っこい視線をキルディアに送った。
私は袖を捲り、噛み付かれた部分を確かめた。ライダースーツの上からだというに、腕にはくっきりとリンの歯型が残っていた。
この歳にもなって人間に噛み付かれるとは、私は何という人生を送っているのだろうか。気にしたキルディアが「大丈夫?」と私に聞いてくれたので、私は彼女に頷いた。リンは続けた。
「そんな強く噛んでないから大丈夫だよ。でさ、キリーは騎士だから、きっと色恋よりも鍛錬をしてきたのでしょう?だから恋愛にも疎い。そういうあなたには、私のような経験豊富な私がお似合いだよ。挨拶じゃないハグも教えてあげる。すごいよ?すごいから。ギルバート様。私、考えたんだけど、ほら、愛しいギル様が本当は同じ職場の上司だったんだけど、それでもいいかなって……私、真剣だから、こんな、こんな、所帯持ちと仲良くしないで、私と仲良くして!」
と、叫びながら私のことを指差してきたリンの手を、私は叩き落した。知ったようなふりをして、私を所帯持ちと称さないで頂きたい。だが確かに、彼女は騎士だった。それが恋愛経験と相互関係があるのは、あり得る話だ、と考えているとキルディアが戸惑った様子で言った。
「ま、まあ確かに、士官学校では恋愛禁制だし、それをした場合は退学だった。騎士になっても、一人の人間を愛するべきで、それが誠実さだと教えられたから、付き合う人イコール結婚する人って感じだったし、私もそうしたい。でもそれだと周りの人と付き合うにしても温度差がある。にしても、なんでリンが教えてくれるの?い、いいよ、私、別に……まだ一人で。挨拶じゃないハグも、リンじゃなくていい……。」
キルディアの返答に、私は大変満足した。先程も一度行ったが、挨拶ではないハグは、私と共にその正体を見つけるべきものなのである。しかし騎士はそれ程に、付き合いに対して真剣な価値観を持っていたか。私は今一度、この状況を難しいと感じた。リンは残念そうな表情で、キルディアの腕を掴んだ。
「ええ?私じゃなくてもいいって、そんなにストレートに言う?でもこの男は妻帯者ですよ?それってフリ……ルミネラの騎士道に反しますよね?ギル様!イッタァ!」
つい、私の戦闘用のブーツが、彼女のつま先を踏みつけてしまった。キルディアはそれに関しては何も反応せず、頭を傾げて答えた。
「それも色々話したところ、事情が違うと言うか……兎に角、リンの気持ちはありがたいけど「けど!」リンが叫んだ。「けど、私のことは好きになってくれないんでしょ!ギル様……あああああああ!」
リンがどさっと膝から崩れ落ちた。私は彼女の足の上から自分の足をそっと引いた。キルディアが苦笑いをしながら、地面に手をつくリンの肩に、手をそっと乗せた。
「ごめん。あと、ミドルで呼ばないで……」
「どうして!」急にリンが叫びながらキルディアに顔を向けたので、私達はビクッと驚いてしまった。「どうして私のような美人よりも……あ!そうだ」
次にリンは何かを閃いたのか、笑顔になって立ち上がった。繰り広げられる感情の激しい移り変わりが、常軌を逸している。リンは続けた。
「じゃあじゃあ、ここは発想の転換をして、この調査から帰ったら一緒に合コンに行こ!」
「なんでそうなるの……。」
ああ、そろそろ助け舟が必要か、私は再び腕を組んで、リンが話終わるのを待った。
「じゃあ、私を愛してくれないのなら、愛してくれる人を一緒に見つけてくださいまし……あっ!それに!ギル様が一緒だって言えば、普段来ない人も来るようになるだろう!私天才すぎる!うおおおお!」
「普段って」キルディアが呆れた声で言った。「どれだけの頻度で行ってんの……もうほら明日は大事なんだから、早く寝ないと。」
キルディアがリンの背中を押し始めたが、リンが私のことを指差しながら、やけに甘えた声でキルディアに訴えた。
「私だけ出て行くのはずるいと思います~!ジェーンにも出て行けと言って!」
「はいはい、ジェーンもほら。」
キルディアがアゴを使って、私に出て行くように合図をした。仕方あるまい、私はその場から去りながら、キルディアにさりげなくウィンクをした。するとキルディアがそれを見て、一瞬だけ微笑んでくれた。我々の間には、リンなどが到底及ばない強固な絆があるのだ。私は大変満足した。
テントの外に出た我々に向かい、キルディアは言った。
「話しに来てくれてありがとう。じゃあ二人とも、お休み。」
「おやすみなさい」「お休み~」
私とリンはクラースの待っているテントに向かい歩き始めた。こうまで、夜空は美しかっただろうか。だが、この胸には幾許の不安もある。しかし今夜は、満足なことが多かった。
「ねえジェーン」
「何でしょうか?」
「ああは言ったけど、これから抜け駆けしないでよ?」
「まあ、善処しますよ。」
「ちょっと何その余裕そうなやつ!ねえ!」
リンが私の腕を掴もうとしたので、私はそれを避けて、テントに向かって走った。先ほど、彼女が抱きしめてくれたこの身体が、また熱くなった。




