124 私の衝動的な行い
「そうですか、」
笑顔で放たれた言葉は、私をまた苦しめた。結婚の契り、騎士にとって、それは重要な守るべき存在であり、妻帯者である私も対象に含まれるだろう。しかし、ならばこの胸の感情はどう捨てればいい?
「それでは、あなたの考えを、私は尊重します。ですが、一つ質問が。私は、ただの秘書でしょうか?」
この奇妙な感情、易々と川に投げ捨てることの出来るものではない。時間が必要だ。一度相手の意見を受け入れて懐柔し、彼女の概念を変える機会を見つけるしかないだろう。
私の胸に今もなお猛威を振るう激情、まるで彼女の笑顔を燃料としているようだ。危険を冒してでも、何としても彼女とその先へ進みたい。その様に考えられるほど、こんなにも、こんなにも私は危険な人物だったか?
キルディアは、戸惑った様子で答えた。
「いや、本当にそんなことはない。ジェーンは最高の秘書だと思う、何でもしてくれて、私がこうしたいと思ったら、全力で方法を考えてくれる。いつも助かっている。なのに、タマラの村では酷いことを言ってごめんなさい。」
「そうですか、それは良かった。しかし、私が聞きたいことはそういうことではありません。」
「え?」
「私はただの秘書でしょうか?ただの部下、友達でしょうか?」
「う、う~ん。ただの友達ではないよ?だから人としてなのかな、家族的な意味なのかな?クラースさんの理論で言えば、私はジェーンのことかなり好きだと思う。でもね流そうよ、それは。」
流すだと……?私は納得が行かない。私は、自分でもおかしいとは思いながらも、キルディアに、その先の関係を望む言葉を、それだけでいいから、その瑞々しい唇から放って欲しいのだ。
この時ばかり、安易に結婚をしてしまった自分を、憎んだことはない。だがあの状況、断れもしなかった。その上、今この世界に来て、こうしてキルディアと知り合えたのは、奇跡だったのだ。その奇跡に、私は胡座をかいて、欲を出しているだけだ。一体、私は何をしている?葛藤した。
「そうですね」彼女の言う通りだ、流すべき。「あなたと共におられるのなら、私は友人で結構です。それ以上は望みません。」
だが、彼女の表情は晴れなかった。私は慌てて彼女に言った。
「キルディア、どうも変な話をしました。どうか気にしないで、今まで通り、仲直りをして、それで……仲の良い関係を続けましょう?」
「うん、そうだね。ここ最近、ずっと」キルディアが、俯いたまま、話し始めた。「ジェーンが私と距離を置いたでしょう?それはとても寂しかった。それは私が嘘をついていた、黙っていたからだったんだけど、こんなに寂しい気持ちは、今まで感じたことが無かった。正直で……ありたい。正直言うと、私だって、ああ、陛下!私は罪人でしょうか!?」
「キルディア、落ち着いて、落ち着きを……。」
はい、はい、と彼女が胸に手を当てて、息を整えた。その赤く染まった頬が、何とも可愛らしい……今すぐ胸に抱き寄せたいと思うと、私は自分の中の、男性的な部分を感じてしまい、首を振って、その想いを祓った。
まるで綱渡りの様に、一歩踏み外せば彼女に触れそうになる、危険な自分に恐れを抱いた私は、手で胸を押さえて、その気持ちを鎮めた。本当に、私に何が起きている?
「だからジェーン、ただの仕事上のパートナーでも、ただの友達でもないよ、きっともっと、私にとってはもっと大切な存在。」
……光栄だが、あまり言われると、私の中の、男性的な凶暴さが、彼女を求めてしまう。歯を食いしばって堪えている私の目の前で、しかしキルディアはそれを見ているにも関わらず、話し続けた。
「でも、こんなに素敵な人が旦那様なのだから、カタリーナさんは幸せだ……。二人の間には色々と大変なこともあるでしょうけど。だから、私は、ジェーンの結婚も、ルミネラ皇帝から頂いた幸せに対する考えも、ど、どうか、守りたいッ……!」
彼女も今、般若のような顔で、歯を食いしばり始めた。それすら、微笑ましいが、我々は互いに歯を食いしばって、何をしているのだ?一体何に、ここまで苦しめられている?
「あなたも相当苦しそうですが……。」
「うん。」
チェイスのように、その先へ、私にだって、行く権利はある、のか?私にだって、大切に想う人に、愛情を示す権利はあるのか?あるはずだ。
ふと幼き頃、妹にせがまれて一度だけ観た恋愛映画で、盗賊が姫の手の甲に口づけをしている画が、脳裏に過った。それを私がキルディアにした場合、どうなるだろう?
通常ならリスクを考慮してから行動に移すはずの私が、それを考えた直後、衝動的に、彼女の膝の上に置かれていた左手を取り、その甲に唇を付けてしまった。私の頬が、燃えるように熱くなった。
「ジェーン……!」
「すみません、これは求愛行動のはずです。こうすることで、私はあなたに、好きと言う気持ちを表現しています。」
「だめ……って言ったでしょ!」
突然、酷く動揺した表情のキルディアが、さっと私の口元から手を引き抜いて立ち上がり、テントの外へと走って逃げてしまった。
私はすぐに後悔した。私の勝手な行いが、彼女を嫌な気持ちにさせてしまった、ああ、いけない。このまま、また喧嘩などしたくない。彼女に謝らなければならない、私は酷い行いをしたと。
私は彼女の後を追う為に、ベッドから立ち上がった。
「キルディア!ごめんなさい、待って!」
テントの入り口を片手で勢いよく開けて、外に一歩出た。どちらの方に走って行ったか、右も左も見た時だった。探していたキルディアが突然、前のテントの陰から飛び出してきて、私に向かって突進してきたのだ。胸を突き飛ばされた私は、後ろによろけて、再びテントの中に入った。
彼女の、眉間にしわを寄せた表情。言いたいことは分かっている。私を突き飛ばした理由も、きっと私を責めたいのだろう。そうしてくれていい、私は目を閉じ、身体を強張らせて、彼女の叱責に備えた。
思いもしない出来事だった。キルディアが胸元に飛び込んできて、私に抱きついてくれたのだ。息を忘れるほどに驚きながらも、この瞬間を逃すまいと、私は自分の胸の中にある彼女を、優しく、力を込めて抱きしめ返した。
私の背中にはライダースーツ越しに、彼女の指が食い込んでいる。ツールアームの方は痛い程だったが、それすらも愛おしかった。私の冷えきった心にとって、これは不意で、奇跡的で、温かすぎる。つい、目が熱くなる。
「ごめん、」私の胸の中で、キルディアが小声で言った。見れば、耳がとても赤かった。「離れたら、離れたくなくなった。」
何と、キルディアが私に甘えてくれた。いつもの凛々しい彼女からは想像できない、甘えた声、仕草に、私の心が、跡形も無く奪われてしまった。
「私こそ、離したくない。」
そっと、力を込めた。これが最後の抱擁になるやもしれない、これ以上、彼女から求めてはくれなくなるだろうと思うと、この感触を覚えていたくて、私は力を込めた。何たる安息感、この心地よさ、中毒性がある気がする。これが毎日手に入るのなら、そうか、結婚も良き儀式なのだろう。
せめて彼女には、いつ消えるかも分からない私よりも、他の誰かを……なんて考え、私は持てはしない。一度火を付けられた情念は、私を狂わせ、支配している。彼女は私のものだ。この柔らかな感触を、他の男に分け与えることは、絶対に許せない。何か方法を考えねばならない。キルディアは私のものだ。
「ジェーン、もう、もういい。終わろう。」
彼女が私から離れようとするのを、私は腕に力を入れて阻止した。
「いけません、続行します。」
「調子に乗ってごめん、でも、もういいって……。」
「いえ、私はこれを、気に入りました。」
私の胸に顔を埋めるキルディアに、もっと猛る想いをぶつけたいと思った私は、彼女の頭に頬ずりをした。すると彼女は急にしゃがんで、残念なことに私の抱擁から逃れてしまった。立ち上がって、私から後ずさりをする彼女は口を尖らせて、弁明した。
「ちょっと、調子に乗りすぎ!これは、別に、何ていうかちょっと突飛な行動だったけど……仲直りのハグだから!別に好き、とかじゃないよ?友達同士でも、ハグってするでしょ?挨拶的なやつ、それと一緒。きっとそれと一緒!」
「ほお、そうですか。友達同士で、このように情熱的な抱擁を行うとは、初めて知りました。」
「じょ、情熱的だったかな……?じゃあこれからは気を付けないと。」
それはいけない。しまった、今から軌道修正をせねばならぬ。
「いえ、その必要はありません。我々はまるで双子のような友です。双子はあのように、とても仲の良さ気なスキンシップを行います。実例は存じ上げておりませんが、我々がそうなのです。そういう、仲の良さもこの世に存在しますよ。」
キルディアがベッドに座ったので、私も彼女の隣に座った。ぴったりとふくらはぎがくっ付くような近さに座ると、彼女は一瞬、怪訝な表情をした。
「で、でも今度から、気を付けないと。今でさえ、私がカタリーナさんだったら、私やジェーンのことを、ボコボコにしてるよ。」
「はっはっは!……しかし、我々の友情は限りあるものです。近い将来、我々は永遠の別れを経験します。ご存知でしょうが、私もここまで誰かと親しくなったことはなく、どうも止められない。少々、大目に見て頂くしかございません。」
「そっか……限りある、確かにそうだね」キルディアが悲し気な目をした。「でも、」そして彼女は真っ直ぐ私を見た。「この戦の先に、もし青いパーツを手に入れたら、ジェーンはもう帰れるんだ。だから……どうか、そしたら帰ってほしい。これから戦いは激化すると思う。でもそれはこの世界での戦いだから、ジェーンは巻き込まれるべきではない。私は、もしかしたらジェーンを守れないかもしれない。だから、お願い。集めたら、時空間歪曲機を組み立てて、帰ってください。」
「それは出来ません。」
「え!?何で……!」
「私は、あなたが、ネビリスを倒すまで、付き合います。」
「そ、それはいけない!」
キルディアが大きく首を振ったので、私は彼女の両頬を両手で挟んで、止めさせた。タコのような顔になった彼女に、私は言った。
「あなたは確かに、私を守るために帰ってほしいと願っています。しかしこちらからすれば、私が帰ることで、あなたが敵の軍師にしてやられる可能性があります。それは避けたい。それに帰るのが少し遅れたぐらいで、結局帰る時間は変わりません。私はあなたに最後まで付き合います。あなたが平和に暮らせるのをこの目で確認してから、私は過去の世界に帰ります。そうさせてください、あなたは私にとって、掛け替えのない存在なのですから。」
本当に、私は帰れるだろうか。しかしそれ以外に方法は無いだろう。例えこの世界に残ったとしても、キルディアは私を妻帯者としてしか見てはくれないだろう。彼女の中にある騎士の誇りが、彼女が私を特別な存在としてくれるのを、黙って許すことは無いだろう。
だが、待てよ……。私は非凡である。ここで諦めるほど、私は凡愚では無い。このややこしい難題、何か方法があるはずだ、ネビリスを倒すまで、まだたんと時間はある。




