9 実家にて
「……ハッ!?」
明るい……。
ベッドに俯せに倒れ込んだまま一夜が明けたようだ。
首だけ起こして辺りをゆっくりと見回す。
柔らかい朝の光が部屋に優しく射し込み、起き掛けの身体を目覚めさせる。
俺は勢いよく飛び起きると通りに面した窓を開け、澄んだ空気と朝の賑わいを部屋に招き入れた。
イセリアの夜明けは早い。
窓から外を見渡すと既に東西道は市場に向かう荷馬車と人で混み合っていた。
まるで明るみと共に町に血が通い始めているようだ。
俺は手短にシャワーで残った眠気を洗い流すと身支度を整え、軽やかな足取りでロビーに向かった。
そこには既に先客が2名。
「おはよう」
「ウム、イセリアは温暖で過ごしやすいのう。実に良い目覚めじゃったわ」
「おはようございます、サム様」
朝からシャキシャキした魔王と朝からほんわりした側近。
まあこの2人は朝も晩も関係なさそうだ。
そんな両人とありきたりな挨拶を交わす。
ありきたりとはいえ朝きっちり起きて挨拶をするなんて何日振りだろう。
ぼんやり考えているとスカーレットが近付いてきた。
「のう、部屋に備わっておるシャワーはカーネリア大陸全般に広まっておるのか?」
「どうかな、北三国は判らないがカーネリアと属国は上下水道が整備されているから何処にもシャワーくらいはあると思うぞ」
「ふむ……、そうであるか」
ふとキャスバル大陸にはシャワーがないことを思い出した。
魔王城も湯浴みしかできないんだよな。
「生活水準はカーネリアが他のどの大陸よりも頭ひとつ抜けておるからの、折角の機会じゃ、いろいろと参考にさせてもらうぞ」
「ああ、そういうことなら俺もできる限りの支援をしよう」
キャスバル大陸……、力が支配する実力主義を敷いてはいるもののやはり明晰な頭脳が無ければ王にはなれない。
スカーレットを見ていると決して力だけで魔王に至ったのではないと思い知らされる。
だからこそカーネリアとキャスバルの断交が俺には納得できない。
「おはよー、みんな早いわね」
ボサボサ頭の幸薄そうな娘が階段から降りてきた。
なんだろう、この哀れみと悲しみと慈しみが織り成す不思議な感覚は……。
俺はフロントからブラシを持ち出し黙ってクーリエに手渡す。
クーリエは無言で受け取るとものぐさ娘の背後に回り込み丁寧に髪の毛を梳かし始めた。
間違いなく共有意識下における暗黙の連係プレーである。
「2人とも気が利くわね」
「そうだな、お前は無邪気でいいな」
「……」
多くを語る必要はないだろう。
朝っぱらからめんどくさいことはしたくない。
クーリエがセシルの髪を梳かす間に部屋の鍵を集めバックルームに向かう。
俺はコンコンコンとノックをして部屋を覗くと支配人がコーヒー片手に椅子に座りながらくつろいでいる最中だった。
ノックに気付いた支配人と目が合う。
「おはよう」
「おや坊っちゃん、おはようさん」
どちらともなく軽い挨拶を交わすと俺は小銀貨を指で弾いた。
パシッと音を立てて銀貨は支配人の手の中に納まる。
「済まないがベッドメイキング頼めるかい?」
「おやおや、人使いの荒いことで」
彼が素直にハイと言わないのは今に始まったことではない。
「じゃあ俺達もう行くから」
「あらあらお早いですな。今夜は戻られますかい?」
「いや、少し遠出するからまた帰って来たら寄らせてもらうよ」
「そうですか。世界樹より旅の加護があらんことを」
鍵をチェストの上に置くと支配人は顔も向けずに無言で銀貨を挟んだ2本指を頭上に持ち上げた。
相変わらず別れ際もあっさりした奴だ。
「待たせたな」
ロビーで待つ3人の元に近寄るとセシルの栗色の髪が絹糸のように艶めいている。
薄幸田舎娘の面影は何処にも見えない。
セシルは運気が16上がった。
「ダメじゃないか、そんな完璧に仕上げると毎日やらされるぞ……」
俺は不安を口にしながら玄関の扉を開くとセシルが後ろでむにゃむにゃ言っているのを無視して歩道に繋がる段差を降りた。
さあ、今日という1日が始まる。
ソロの時とは違う高揚感を胸に抱きながら俺達はエルバード亭へと歩き出した。
賑やかな東西道から露店の立ち並ぶ大通りに入る。
この道の目覚めは少し遅い。
朝から開いている店はまばらで道往く人々の地を踏みしめる音が静かに響き渡る。
大通りに入るとすぐの場所、エルバード亭の前にルシオンが立っていた。
何やら紙包みを胸元に抱えているようだ。
「あー、みんなおはよー」
俺達に気付いたルシオンが声を上げながらてくてくと近づいてくる。
何故か満面の笑み。
悩みの無い奴は朝から幸せそうだ。
「これ、みーちゃんがみんなに朝食だってさー」
そう言いながらルシオンは両手に抱えた包みを俺に向ける。
俺は包みを受け取り紐を解くと中には色とりどりのサンドイッチが折り重ねられていた。
「なんだ、ミシェルもいいとこあるじゃねえか」
口は悪いが細かいところに気が付くそのさりげない優しさにふと目を細める。
「違うよー、みーちゃんがにーさんが店に入らないようにって包みを持たせて私をお店から追い出したんだよー」
「とんだ外道じゃねえか!」
やはり簡単に人を信用してはならないのだ。
この先何があるか分からない。
この仕打ちを教訓として世知辛いご時世を乗り越えていこうと俺は強く心に誓った。
「まあいい、取り敢えずギルドに向かうぞ」
俺は外道サンドイッチをルシオンに渡し歩き出すと4人が後ろについてきた。
東西道に戻り中央噴水を目指し東へと進む。
どうやら後ろの4人がサンドイッチ片手にガールズトークを繰り広げていらっしゃるようだ。
セシル以外とてもガールと呼べた代物ではないが便宜上ガールの括りに入れておく。
むやみやたらと燃料を投下することもなかろう。
後ろから聞こえてくる声色は実に和やか。
一癖も二癖もあるメンバー構成だけど変に気にする必要は無かったようだ。
「ねえ、サムは食べないの? けっこう美味しいよ?」
ふとセシルにサンドイッチを勧められる。
特に断る理由も無いので受けとるとセシルはそのまま俺の横に並び歩幅を合わせた。
「そういえばパーティーって6人以内なんでしょ? 他に誰か入れるの?」
「メンバーはこれでいいだろ。俺以外前衛も後衛もヒーラーもソーサラーも務まるだろうからぶっちゃけ隊列すらも気にしてないが、何かあったか?」
「いやほら、サム、昨日祝福値のこと気にしてたじゃない……」
「そりゃまあ祝福値は高いに越したことはないけど加護が無いからと言っても即死トラップを誘引する訳でもないしな、まあどうしてもお望みならギルドでめぼしい奴捕まえるぞ」
「あたしは別に望んではいないけどね……」
はっきりしない物言いだがセシルなりに一応は気を遣っているようだ。
「大丈夫。なるようになるさ」
俺はセシルの背中をポンと叩いて彼女が背負い込む不安を払い落とした。
旅路での出会いなんて所詮は一期一会。
俺は決して強がりを言っている訳でもない。
ただこう答える以外に気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
◇
朝の涼しい空気が次第に暖まり、通りの店が続々と暖簾を掲げ出す頃合い、東西道を道なりに進んでいるとひと際大きな建物が視野に入った。
分かっていたが入ってしまった。
気が重い。
「うわぁ、すごい……、イセリアってこんな大きな道具屋があるんだ……」
「そうみたいだな」
セシルは目を丸くしてぽかーんと見上げている。
彼女の視線の先には巨大な倉庫のような道具屋が佇んでいた。
派手さはなく至って質素でありながらもきちんと手入れされた外装は建物でありながら機能美を感じさせる。
まあそんなことはどうでもいいのでさっさとギルドに向かおう。
「あれー、にーさん、お店に入らないの?」
「別に用無いだろ?」
何やらルシオンが入店を勧めてくるが残念、俺には別段用は無い。
「えー、暫くお出かけするんだからジルさんにきちんと挨拶しよーよぉ」
「ジルさん?」
「うん、ジルさん。にーさんのおとーさん」
「バカ! 要らんことを……」
即座に状況を理解したセシルがキッと睨んでくる。
変なところで鋭いな……。
「ちょっとアンタ、まさか何も言わずに町から出ていこうとしたんじゃないでしょうね!?」
セシルは俺の鼻先に人差し指を突き立てる。
「そんな食って掛かる事じゃねえだろ……」
「事よ! いい!? 家族ってのは会える時会っておかないといつか後悔するんだから!」
妙に力の込められた言葉には何かしらの感情が含まれているようだ。
そういえばいきなり追い出されたって言ってたもんな。
つい言葉が荒くなってしまう事情があるのかもしれない。
だからといって店の前で仁王立ちはどうかと思うぞ。
「分かった分かった、入りゃいいんだろ、入りゃ」
俺はめんどくさそうに親切心を受け取り店のドアノブに手を掛けると扉に取り付けられたベルが鳴らないようにゆっくりと開けた、つもりがキィと軋む音が店内に低く響き渡る。
するといい歳した中年にも拘らず無駄にサラサラの銀髪と無駄にムキムキの筋肉が特徴の店主が音に気付きこちらに顔を向けてきた。
暑苦しい店主と目が合う。
「おや、ルシオンじゃないか、朝からどうしたんだい?」
「ジルさんおはよー」
「待てやコラ、先に息子に声掛けろよな!」
真っ先に目が合ったのに軽くスルーするとは店番失格給料カットである。
「んんっ!? よく見たらどこぞの放蕩息子じゃないか!」
「……」
あまりのわざとらしさに思わず絶句してしまった。
実にウザいので正しい判断だと思う。
「それより何だ? お前がパーティーを組むなんて珍しいな」
いつの間にか他の3人も店に入っており親父はそれに反応したようだ。
「ああ、ちょっとな」
「ジル、久しぶりなのじゃ!」
スカーレットが唐突に挨拶を入れると親父は声の方へ顔を向けいきなり目を丸くする。
「あっ、あれぇ、魔王様じゃないですかい」
「うむ、妾のことは覚えているようじゃの」
「いやいや忘れるわけがありませんよ。もうかれこれ10年振りでしたかな? しかしまあどうやって此処まで……」
「我が力を以てすれば容易い事なのじゃ」
「いや、お前の力じゃないだろ……」
だが俺のツッコミも軽くスルーして親父はスカーレットの斜め後ろの人物に目を向けた。
「てー事は隣にいるのはもしかしてクーリエちゃんかい?」
「はい。叔父様、お久しぶりでございます」
クーリエはにっこりと微笑みながら親父に丁寧に挨拶を返す。
「そうかー嬉しいなぁ、やっとクーリエちゃんもお嫁に来てくれる気になったのかぁー」
「……ん? ……よめ?」
俺は咄嗟にスカーレットとクーリエの方に顔を向けた。
2人も俺の動きに応じてそっぽを向くように首を捻る。
なんて明快で模範的なやましい動きなんだろう。
「オイ貴様、嫁って何のことだ!」
目を合わせようとしないスカーレットを睨みつけながら問い質す。
「ん? お前、何も知らないのか?」
「知らねえよ」
「……」
「……」
スカーレットとクーリエは黙秘権を発動しているようだ。
それを察知してか親父が事情を説明しだした。
「いやな、お前クーリエちゃんと仲良かったじゃないか。それにクーリエちゃん見た目全く変わらないから目ぼしい相手がいないようならいつかお前と結婚してもらえるように頼んどいたんだよ」
「アンタ鬼ですかい」
「親の先見性と言え。実際お前今年22だろ。そろそろ身を固めてもいい歳だと思うぞ?」
「これだから店に入りたくなかったんだ……」
「それで挙式は何時にするんだい?」
「アンタ随分身勝手ですな!」
親子のしょーもない会話の間ずっと黙りこくっていたクーリエをちらりと見る。
クーリエさん、顔真っ赤なんですけど……。
「なあクーリエさんや、アンタスカーレットについてきたのかい? それとも俺についてきたのかい?」
「はわわわわわ」
俺はあわあわしながら目を泳がせるクーリエの横に立ち翼をぷにぷにしながら無表情に問い詰めると案の定の反応が返ってきた。
まあ訊きはしたものの具体的な答えは必要無い。
スカーレットを引き合いに出してもどっちつかずのリアクションを示す時点で何となく察するものがある。
だがこれでひとつ疑問が解けた。
妙にクーリエの好感度が最初から高かったという疑問が。
いや、もしかしたら現時点での好感度が最大値かもしれない。
今後急降下を辿るかもしれないし、暫く行動を共にするからまずは様子見といこう。
意味もなく嫁候補の翼をぷにぷにしているとスカーレットが俺の横に立った。
「すまんのう、縁談話は妾がお主について行くと決めた理由の1つなのじゃ」
「仲人気取りかよ! つか理由の1つって何だよ。他にあるのか?」
「それは今は言えないのじゃ」
スカーレットは一瞬セシルの方を気にしたようだが親父の唐突なざわめきで有耶無耶になってしまった。
「な、なあサム、ところであのお嬢ちゃんは誰なんだい?」
「あ? セシルの事か?」
親父は店内を興味深そうに見回す田舎娘に反応を示す。
「それ以外にいないだろ。あの封環はどう見ても四点結界じゃないか……」
そうか、よく考えれば俺が気付くのだから親父も気付くのは当然の事だ。
うーん、親父の性格を考えればセシルの正体は明かしておいた方が賢明だろう。
メリットはあるが強いデメリットは思い浮かばないし。
それにこの建物自体、商品の魔力暴走が起きても外に魔力が漏れ出さないように結界が張ってある。
この中なら覚醒しても察知はされない筈だ。
「親父、びっくり仰天転げまわれ。何を隠そうあいつはダークエルフだ」
「はっ!? 何言っているんだ!? ダークエルフってなあ……、お前それはちょっと冗談じゃ済まされんぞ!?」
「俺だって驚いたっての! だがこれは紛うことなき事実だ」
「いきなり事実と言われてもなあ……」
当然だがさすがにはいそうですか、とはいかないようだ。
仕方ないから証拠提出としよう。
「おいセシル」
「何よ」
豊富な品揃えに瞳を輝かせながら徘徊する挙動不審娘に声を掛ける。
「ちょっとダークエルフの証拠見せてくれないか?」
「何それ知らない」
「こちらに居られる店主様にちょろっと証拠を提示するだけでエルバード商会の様々な特典が無料で手に入りますが如何致しますか?」
「んもー、仕方ないわねえ」
「くれぐれも魔力波動は出さないようにな」
ホント、すぐ物に釣られる奴だな……。
「親父、普通に生きてたら一生に一度あるかないかの光景だ。よく目に焼き付けておけよ」
「あ、ああ」
セシルは入口の少し広まった場所に立つと左手の小指にはめられた禍々しいリングを外、さない。
「ねえ、あたし喉乾いた」
「よーし、店の在庫飲み放題だぞー」
「やったねー」
土壇場の交渉が飲み物ですかい。
嗚呼、なんて安上がりなんだ。
セシルはスポンサーの承諾を得るとゆっくりと小指のリングを外した。
ふわりと栗色の髪が宙に浮き上がり薄緑の光を滲ませる。
既に隣に立つ親父は口を半開きにして放心状態だ。
「サム、これ使ってもいい?」
「ああ、好きに使ってくれ」
セシルは棚に置かれた蓋の付いたガラス瓶を手に取り俺に尋ねてきたので快諾するとクーリエの方に目を向けた。
「ありがと。ねえクーリエ」
「何でございましょう」
「このガラス瓶、クーリエのありったけの魔力を込めて強化してくれない?」
「強化ですか、畏まりました」
「絶対に割れないやつよろしくー」
クーリエは受け取ったガラス瓶を両手で包み込むように持ちバリア系の詠唱を始めた。
詠唱が終わると瓶に向かってふうっと息を吹きかける。
「これで大丈夫だと思います」
見た目は何も変わっていないが恐ろしく強化されたのは間違いなさそうだ。
「ありがとー」
セシルはガラス瓶を受け取ると蓋を開けて床に置いた。
「いい? よく見てなさいよ」
彼女は自信ありげに言い放ち両手を広げる。
ゴニョゴニョと聞いたことのない詠唱。
一般教養に無い魔法とか、正直人んちで唱えないでほしいというのが本音だ。
ふと左手に真っ白い光、右手に真っ黒い闇が浮かんだ。
まだ詠唱は終わらない。
両手に浮かび上がる光と闇は徐々にその形を大きくすると詠唱に導かれるようにセシルの頭上で重なり合い視界からその姿を消す。
見えはしないが確かにそこに魔力が存在するのは俺にも感じられた。
まるで引力に引き込まれるように。
重なり合った光と闇は詠唱によって飴玉程度に小さく押し固められセシルの両手に包まれている。
詠唱が、止んだ。
「フンッ!!」
ドゴーーーーン!!
床を打ち付ける衝撃で棚がガタガタと揺れる。
セシルは気合と共に握り固めた魔力をガラス瓶に投げ込むと地響きをものともせず素早く蓋を閉めた。
耳がキンキンする。
「いっちょあがりー。ねえサム、それちょっと持ってみてよ」
リングをはめて覚醒状態から解放されたセシルが声を掛けてくる。
「ん、これか?」
俺は言われた通りに床に置かれたガラス瓶を拾い上げようとした。
「重っ! なんだこれ!」
なんてこった、瓶が重くて片手では持ち上がらないぞ。
両手で持ってなんとか膝で立ち上がれるくらいの重さだ。
「凄いでしょこれ。光と闇を合成させた最上位虚無魔法よ。炎と冷気で作る虚無魔法とはレベルが桁違いだから絶対蓋開けちゃダメだからね。間違えて開けたら町1つ飲み込まれちゃうから」
「バカヤロー! 人様の家でそんな危ない魔法唱えるな!」
俺は罵声を撒き散らすとガラス瓶をやっとのことでカウンターの上に置きじっと眺めた。
ただただ重いだけで何の変哲も無い見た目空っぽのガラス瓶だ。
特に何かの役に立ちそうにない。
ゴミにも出せそうもないしどうすんだコレ……。
「お前さあ、こんなもん作ってどうしろって言うんだよ」
「はっ、何言ってんの? 漬物石に決まってるでしょ! こんなに小さいのに凄くよく漬かるのよ」
……。
……漬物石、……だと!?
そんなもんでいいのか!?
この超絶技巧の結晶が漬物石!?
いや、ほら、もっと、こう、さあ……。
言葉にできない得も言われぬ不憫さに気が付けば俺の頬を一筋の涙が伝っていた。
「何? いきなりどうしたの!? あ、分かった、あたしの魔法に今頃感動したんでしょ」
「ああ、それでいい。それでいいんだ。それがいちばん幸せだ」
隣を見れば親父も涙を流していた。
理由は知らんが。
「セシルちゃん!」
「な、何ですか?」
「ウチの店で必要な物があったら気にしないで何でも持って行っていいからね」
「え……、何でも?」
セシルの瞳が色めき立つ。
いや親父、いくら相手が貧乏性とはいえ何でもは言い過ぎだろ……。
セシルが目をキラキラさせて店内を物色していると親父が俺の傍に寄って来た。
「まさか本当にダークエルフに出会えるとはな」
「ああ、やけに所帯じみてるけど間違いなく本物なんだよな」
「言われてみれば確かにな。ダークエルフというとミステリアスな破壊の使者みたいな言い伝えだけどすごくいい子じゃないか」
「絶望の種なんて誰が言い出したんだって話だな」
「全くその通りだ。なあサム、あの子、お前のお嫁さんにグフッ!」
突然親父の膝が折れ曲がった。
いつの間にか脇腹にルシオンの膝蹴りが刺さっている。
こいつ何処から一瞬でかっ飛んで来たんだよ……。
「ジルさん駄目だよー、にーさんにはくーちゃんがいるでしょー」
「や、やだなあルシオン……、おじさんの軽い、ジョークじゃないか……」
いやぁスゲェぜ親父、ルシオンの光速膝蹴りを肝臓にモロに受けて持ちこたえるとは道具屋の店主とは思えないタフさだわ。
「コラー、息子の目の前で父親に暴力振るうなよなー」
世間体が気になるので一応叱っておく。
「うわぁ、にーさんすんごい棒読みー」
「黙れ。それよりお前って翼隠さないの?」
「えー、めんどくさいから隠さないよー」
「でもそれじゃあ目立つだろ?」
「そーかなぁ、誰も気にしていないと思うよー」
「イセリア市民教育されすぎだろ……」
ふとルシオンの純白の翼を見てその存在が気になった。
普段から隠さないってことは要は慣れなのか。
周りにとっても、本人にとっても。
となると……。
俺はカウンターの横でぼーっとしているクーリエに手招きをした。
それを見て心なしか嬉しそうにてこてこと近寄って来る。
ウム、好感度は極めて高そうだ。
「時にクーリエ、その分厚いマントは何か特殊効果でもあるのですかな?」
「いえ、魔法効果は付与しておりません。こちらは防寒と直射日光避けと、翼を隠す為です……」
「分かりました。では今すぐ脱ぎなさい」
「え……、あ、はい」
クーリエは羽織っていた漆黒のマントを脱いだ。
内に纏うはノースリーブのタキシードドレス。
当然御多分に洩れず漆黒。
イメージを壊したくないのだろうか、ヴァンパイア業界も大変である。
「いやーん、くーちゃん肌しろーい」
突然外野が騒めきだす。
当然シカト。
「お前確か魔王城でマント着ていなかっただろ」
「それは、はい。やはり圧迫感から解放されますので城内では着用しません」
「よし分かった。ちょっと待ってろ」
そう言うと俺は倉庫になっている2階へ駆け上がった。
2階のいちばん奥の部屋、立ち並ぶ保管棚のこれまたいちばん奥の棚、この棚を力任せに右にずらすと……、壁に埋め込まれた貴重品保管棚が姿を現した。
「これだな」
俺は手のひらに収まる程度の青い宝石箱を掴み棚を元の位置に押し戻す。
部屋を出る際、木箱を1つ抱えて階段を1段飛ばしで駆け降り売り場に戻った。
「待たせたな」
「あっ! お前、その箱はっ……」
親父が宝石箱の存在に気付いたようだ。
「いいじゃねえか、どうせ売れもしないんだから」
「だからって金貨1600枚もする代物をやすやすと渡せるか!」
むむぅ、なんてケチ臭い親父だ。
俺が生まれた時には既にあそこにあったのに今更出し渋るとは。
「だったらこれと交換だ。ダークエルフの紡ぐ虚無魔法が封印されし奇跡の小瓶!」
「お前さっきそれゴミを見るような目で見てただろ……」
「ああ言えばこう言う。なんて嫌な店主だろう。きっと息子も嘆いているに違いない」
俺は深く息をつきながら首を左右に振った。
だが店主はお前にだけは言われたくないといった表情だ。
「大体そんな物持ち出してどうしようっていうんだ」
「どうするもこうするもクーリエに装備させるんだよ」
「だろうな。大方そんな所だと思ってたよ。まあクーリエちゃんなら安心だ。よし、特別に持っていってもいいぞ」
親父め、分かっていたなら素直によこせよ。
何はともあれ持ち出しの許可が下りたので早速クーリエに装備させるとしよう。
「クーリエ、そんな寝袋みたいなマントは下取りに出してこれを装備しなさい」
「え、マント……」
俺はクーリエから強引に分厚いマントを剥ぎ取ると引き換えに青い小箱を渡す。
クーリエは受け取った小箱を両手で丁寧に開くと中にはコバルトブルーの宝玉があしらわれたシルバーリングが収められていた。
指輪の内側には細かい文様が刻まれており、玄人の作品であることが窺える。
「綺麗な指輪……」
クーリエは繊細な造りの指輪を眺めながら息を漏らす。
「こいつは無駄に希少価値が高いネレイスの指輪だ。効果は……」
「炎無効、熱無効、光無効、盲目無効、ついでに水系のバリア効果が付くから紫外線も大幅カット。このマントの熱波と直射日光を凌ぐ役目は十分に果たせるよ」
親父が得意気に口を挟む。
そこは腐っても老舗道具屋の店主である。
「だそうだ。これで心置きなく自分をさらけ出せるな」
「はうー」
「オイオイ、そんなに喜ぶなよな。まあいざとなったら俺が傍にいるから舌戦なら任せろ。肉弾戦になったらルシオンの出番だ」
そう言いながら俺はクーリエの左手を取り小指にリングをはめた。
だがサイズが微妙に合わないので横の薬指に強引にねじ込むと指輪はピッタリと納まった。
掴んだ手を離すとクーリエははめられた指輪を光にかざしまじまじと見つめながら顔を赤らめている。
「なあ息子よ、いくらお前が鈍感でもさすがに左手の薬指に指輪をはめる意味は分かっているよな」
「あ……」
すまん、失念していた。
だが頬を染めて翼を揺らすクーリエを前に正面切って撤回するのは余りにも酷だ。
俺は誤魔化すように無言でクーリエの髪をわしゃわしゃするとついでに持ってきた木箱を手に取った。
「おーいスカーレットー」
「どうしたのじゃ? 夫婦水入らずの場に火急の用事かの?」
スカーレットに声を掛けたが少し離れた場所で俺達を観察していたようで近寄って来ない。
黙って人の失態を眺めているとはなんて趣味の悪い奴だのだろう。
しかし見渡すとルシオンはニヤニヤしておりセシルは顔を赤くして目を背けやがる。
こいつら友達いねーだろ……。
まあ来ないならいいやと俺は木箱の蓋を外した。
「飴玉なのじゃ」
木箱いっぱいに詰め込まれた色鮮やかな飴玉を見てスカーレットが飛んできた。
ほう、随分と安い火急の用事だな。
「赤い包みはマウントグレイブ、橙の包みはレモミキャン、緑の包みはグリンアプル、紫の包みはパープルベリー、水色の包みは魔王様の大好きなクリスタルハーブ。ホレ、ウチの販促物だから心置きなく食いなさい」
俺はそう言って水色の飴玉をかき集めてスカーレットに渡した。
「クーリエ、サムが選んでくれたのじゃ」
スカーレットはそれをクーリエに握らせると木箱の飴を口に放り込みバリバリと噛み砕く。
販促物と分かっていても取り上げたくなる光景だな。
さて、クサレ魔王様には飴玉があれば十分なのでこれで良しとしよう。
「あとは……、セシルとルシオンは何か必要な物はあるのか?」
「私コレ欲しいなー」
ルシオンは麦わら帽子を両手で持つと頭上に掲げてアピールしている。
「そんなもん欲しいだけ持ってけ」
「ありがとー。ねえねえ似合うかなぁー?」
ルシオンは礼を告げるとその場で麦わら帽子をかぶった。
全体的に白で統一されている金髪ゆるふわストレートのエセ天使に思った以上に良く似合う。
道中懐が寂しくなったら見世物小屋にでも売っぱらうのもいいかもしれん。
「あー、にーさん悪いこと考えてるー」
「何を言うか失敬な!」
ったく、恐ろしいほど勘の鋭い奴だ。
「あたしも別にこれくらいかな……」
ポーションが山積みにされている前でセシルは控えめに答える。
一通り商品を見回ってこの回答。
貧乏性かと思ったが単に物欲が無いだけみたいだ。
そのくせ物には釣られるのだから悲しい性分なのだろう。
「そうかい。だったらひとつおじさんがお節介焼いてもいいかな?」
親父はそう言うと引き出しからロック鳥の羽を一対取り出しセシルに手渡した。
「これをウイングブーツの網目に挟むように装着するんだ」
「あ、はい。えっと、こんな感じ?」
セシルは親父に言われるがままに脱いだブーツの踵にロック鳥の羽を取り付け再度履きなおした。
「凄い……、足が浮いているみたい……」
店の中で足踏みしたりピョンピョン跳ねたりして効果を実感しているセシルに親父が語り掛ける。
「この世には冒険に役立つ様々な道具があるんだよ。もちろんこの店にもたくさんあるけどセシルちゃんはその存在を知らないだけ。また必要な物があったら寄るといい。必ずや君の支えになることだろう」
「ありがとうおじさん」
セシルは軽い会釈をするとにっこりと微笑んだ。
あどけない笑顔からはその背負わされた運命を微塵にも感じさせない。
この笑顔を守るため、スカーレットの心配を杞憂に終わらせる為に今はまだ答えの見えない旅へと出掛けよう。
「ありがとな親父、じゃあ俺達そろそろ行くから」
ポーションと飴玉を道具袋にギュウギュウに詰め込みながら親父に告げる。
「どんな目的でも構わんが無理はするなよ。あとアゼルネアに寄ったらカチルの所にも顔出せよ」
「あ、ああ、善処するわ」
カチルか……、めんどくせえな。
「そうだ大事なことを思い出した! ギルドはこれから向かうんだろ?」
「そうだけど、何かあるのか?」
「こんな平和になっちまったら魔王様には少しばかり過ごしにくいのかもねえ」
そう言って親父からビラを受け取った。
1色刷りのビラにはスカーレットのイラストと詳細が記載されている。
「まあ行けば判るさ」
随分とイセリアのギルドには立ち寄っていなかったが何かあったのだろうか。
親父の謎の言葉を背中に俺は入口の扉に手を掛けた。
「ジルよ、また寄るのじゃ」
「おじさんありがとう」
「ジルさん行ってくるねー」
3人の元気な声が屋内に響く。
最後にクーリエが親父に深々と頭を下げて全員で店を出た。
空を見上げる。
太陽は高く昇り昼が近いことを教えてくれる。
随分と長居をしてしまったようだ。
さっさとギルドに向かおう。
俺は恥ずかしがるクーリエの手を掴んで前へ歩き出した。