7 マイナス補正値カルテット
「さて、あいつはいるかなっと」
そそくさと宿を出て一直線に目的地に赴く。
東西道から露店の並ぶ大通りに入ってすぐ、目当てとする天使の看板が目印の居酒屋は今日も元気に営業中だ。
俺は裏手に回り勝手口から居酒屋に入った。
裏から忍び込んだ店内は酒樽と木箱が所狭しと積まれ、通路は2人がすれ違うのが精いっぱいだ。
「おっミシェルじゃねえか、元気にやってるか?」
気を付けて進むとふとネクタイを緩めた従業員と目が合い意気揚々と声を掛けた。
「ああ!? 誰かと思えば放蕩息子が何の用かしら!?」
「お前の時給を下げにきた」
「お帰りなさいませ若様。ご機嫌麗しゅうございます」
「いやいやそれ別れの挨拶だから」
「あら失礼。で? なんか用?」
挨拶がてらミシェルといつものやり取りを済ませる。
逆にミシェルから声が掛かるときもこの手のなじり合いが勃発する辺り完全になめられてる気がするが気のせいだろう、うん、きっと。
「ルシオンいるか?」
「いるよ、いつもの席」
「うい」
ミシェルとの会話を雑に切り上げホールに向かうとそこは夜の帳が下り1日の労をねぎらう客で大いに賑わっていた。
俺は忙しなくオーダーに応えるウエイトレスに仕草で挨拶を交わしカウンターのいちばん奥を目指す。
と、そこには純白の翼を纏った天使が喧噪の中に溶け込んでいた。
バンッ!!
俺は天使の右隣に立つと右手で勢いよくカウンターに手をついた。
天使の前にある皿がカタカタと音を立てて躍る。
「いよぉ、相も変わらずパンケーキかよ」
右手でカウンターに寄りかかり見下ろすように話しかけた。
もちろん威圧感も忘れない。
しかし天使は微塵にも動じることなくパンケーキを口に運び入れて幸せそうな顔をしている。
「あ、にーさん久しぶりー」
天使はパンケーキをはむはむしながらこちらに横目を向けると間の抜けたテンポで返事を返してきた。
うん、普通食べる前に返事するよね……。
ついでに言えば少しくらい驚いてほしいよね……。
そう思いつつも今に始まった事ではないので特に気に留めない。
それにしても天使の目の前には大量のパンケーキが並び甘いシロップの香りが食欲を引き立たせる。
俺もさっさと用を片付けてメシにありつくとしよう。
おっと、そうだ……。
「お前、天使に会えるのがウリの居酒屋なのに空気じゃねえか」
「えー、そんなの知らないよー」
「黙れ塩対応」
「にーさんきついなぁ」
要件の前に嫌味を1つ叩き込んでおく。
客寄せにならなきゃタダ飯食わせる意味がない。
イセリアに常駐している天使は俺のリサーチが正確ならこいつだけだ。
俺が生まれる遥か昔からエルバード家でタダ飯タダ宿の永久提供契約が交わされているから追い出す訳にはいかないが俺の記憶が正しければここ数十年、我がエルバード亭に新店ができたという話を耳にしていない。
詰まる所このダメ天使は店に不要!
イコール俺が連れ出しても問題ナシ!!
我ながら完璧な三段論法だ、惚れ惚れする。
「おいタダ飯食らい、パーティー組んでやるぞ。あと今すぐ世界樹に礼拝しろ。ホレ」
「いきなり過ぎるよぉー」
「平穏とはある日突然ガラガラと音を立てて崩れるものだ」
いきなりなのは重々承知だ。
だが客引きをサボり続けた貴様が悪い。
困った顔する暇があるならさっさと支度しろ。
「ねえにーさん、もしかしてパーティーって5人組?」
「おうそうだ。ちょいとばかし俺の手に負えなくてな……、って何故分かった!?」
「だってほらぁ、入り口から視線感じるよー」
バッと振り返る。
開けっ放しの店の扉の向こうからチラリとこちらを窺う3つの片影。
どうやら跡をつけられていたようだ。
まあ見られた以上仕方ない、俺は入り口の3人をチョイチョイっと手招きするとそのまま無人の丸テーブルを指差した。
「ルシオン、ちょっと席移ってもらっていいか?」
「えー、拒否権は?」
「ある訳ねーだろ」
「やっぱりー」
パンケーキが積まれた皿を奪い取りめんどくさがる天使を無理矢理丸テーブルに誘導する。
既にテーブルには3人が席についていた。
「お前ら休んでろって言ったじゃねえか」
「お主が心配だったのじゃ」
「俺から提供される晩メシの間違いじゃないのか?」
「失敬な、妾をセシルと一緒にするでないぞ」
「ちょっとまおー! アンタ何言ってんのよ!」
「分かった分かった、いいから少し静かにしろ」
取り敢えず外野を黙らせて俺とルシオンは空いている椅子に腰を下ろした。
「後で紹介しようと思ったんだがな、んまあ面倒だからここで紹介するわ。こいつはエルバード亭で日々無銭飲食に勤しむルシオンだ。俺から見れば害しか無いが一応天使だから犬のウンコ問題はこれで解決だな」
「ルシオンです。よろしくねー」
俺の嫌味交じりの紹介に何一つ苦言を呈さずルシオンはほんわりと笑顔を浮かべて名を名乗る。
アンタすげえよ、さすが長い間穀潰しやってるだけのことあるわ。
「よろしく、ルシオンね。私はセシル・セリシア、セシルでいいわ」
「クーリエ・アルジェニアと申します。私もクーリエとお呼び下さいませ」
「ムムム? ……天使?」
「どうしたスカーレット、トイレはあっちだぞ」
「あー、いや、何でもないのじゃ。妾は魔王スカーレットである。お主とは今後寝食を共にする仲じゃからな、好きに呼ぶがよいぞ」
「しーちゃんにくーちゃんにすーちゃんだねー、私も好きに呼んでいいよー」
”魔王”といういちばんのツッコミどころもあっさりとスルーしてマイペースを維持したルシオンの自己紹介が滞りなく終わる。
悩みがないというのは実に素晴らしい。
俺はこのメンバーでパーティーを組むのが目下の悩みだ。
「それにしてもルシオンとクーリエって色違いって感じだよな」
そう言いながら2人を見比べる。
ルシオンは純白の翼に純白のローブ。
髪は腰まで伸びる金髪ストレート。
対するクーリエは隠れて見えないが漆黒の翼に漆黒のマント。
髪も艶やかな黒髪が腰まで伸びている。
翼の質が違うだけで似たもの同士だからすぐに馴染むだろう。
「にーさん、今なんかくーちゃんと私に失礼なこと考えてなかった?」
「……」
「あ? 気のせいだろ。被害妄想はイカンぞ」
ったく、変なところで勘の鋭い奴だ。
きっとあのアホ毛が何かヤバいもんを受信しているに違いない。
いつか引っこ抜いてやるか……。
「あー、また失礼なこと考えてるー」
「うるせーな、それより大事なことが……。まあなにか飲みながらでもいいな。おい、好きなもの頼めよ」
テーブルの上は山積みパンケーキの皿があるだけ。
別に堅苦しい場でもないしなにか喉を潤すもののひとつもあった方がいいだろう。
「だったら、さっきのやつある?」
「さっきのってパープルベリーか?」
「そうそれそれ」
「多分あるだろ。他は?」
「酒を持ってくるのじゃ」
「エールでいいか?」
「美味ければ何でもいいのじゃ」
「私ホットミルク蜂蜜入りー」
「ハーブティーをよろしいでしょうか」
お前ら全員予想の範疇から外れない物頼むのな。
別にいいんだけど……。
「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか?」
程なくして注文の飲み物がテーブルに運び込まれた。
配膳を務めたミシェルが舐め回すように3人を見て厨房に消えていく。
「みーちゃん今すんごい見てたねー」
「ああ、客をガン見する有害ウエイトレスは即刻クビにしたほうがいいな」
俺は目の前に置かれたホットコーヒーのナッティーな香りに鼻孔をくすぐられながら従業員の質の悪さを嘆いた。
ダンッ!
「ジュースおかわり!」
グラスを勢いよく置く音が木製のテーブルに低く響く。
肘をテーブルに押し付け前のめりに顔を寄せおかわりを要求してくる。
何だその仕草は、オッサンかよ……。
つか俺まだコーヒーの香りを楽しんでいるところなんだけど……。
ダンッ!
「こっちもおかわりなのじゃ」
お前もか!
もういい、さっさと話しを進めよう。
「お前ら、グビグビいくのもいいがまずはこれだ。じゃじゃーん!」
俺は道具袋から水晶玉を取り出すとテーブルの中央に静かに置いた。
水晶玉は温かみのあるガス灯の光を纏いほのかに息づいているようだ。
「魔導水晶?」
「上級魔導水晶だ。こっちのは昼間のやつと違って色や熱で祝福値がかなり詳しく判るんだ」
「ふーん」
「よし、じゃあまた指先で触れてくれ」
妙に関心が薄いが気にせず触れさせるとルシオンが周りの動作に合わせて一拍遅れで水晶玉に指を添えた。
指先で触れると球体内部に波紋が走りまるで生き物のように光が揺らめく。
「よーしそのままな」
そう言いながら俺は左手で聖水をジャバジャバ振り掛けた。
「もう離してもいいだろ。後は変化を待つだけと……」
5人でじっと見つめる。
見つめてはいるもののセシルとスカーレットはその間もチビチビとグラスの中身をすすり、ルシオンはパンケーキをもさもさと頬張っている。
あんたら静かに待てんのか。
突然変化が起きた。
いきなり水晶玉が真っ黒に濁ると一面に亀裂が走り、噴水のように真上に鮮紅色の液体をピュッと1度だけ噴き出しサラサラと真っ白に燃え尽きた。
「怖っ!!」
セシルが短く悲鳴を上げながら後ろに仰け反る。
なにこれこわい。
俺はテーブルの中央にそびえ立つ亡骸の砂山を見下ろすとその不吉さに体中から嫌な汗が出てきた。
急いで取扱説明書のページをめくる。
あった。
※問 無惨な姿で割れました。
答 祝福値が極端にマイナスです。パーティーの解散を強くお勧めします。
「……なんで?」
何故こうなる?
理由だ、理由を探せ……。
頭の中がぐるぐる回って整理が追い付かない。
「のう、サムや」
「何だ! どうした!?」
「ちと疑問なんじゃがな。いや、その前に一旦落ち着くのじゃ」
スカーレットに動揺を見透かされていたようだ。
そうだ落ち着け、冷静になれ。
「すまない、もう大丈夫だ」
俺は静かに息を整えるとスカーレットに目を向けた。
「いやな、祝福値を上げたくば天使を加えねばならんじゃろうが」
「はっ? 何言ってんだ? それならここにいるだろ!?」
「はて、ルシオンの事か? こやつは堕天使じゃぞ」
「は……、い……??」
咄嗟に横にいるルシオンに首を向ける。
「そーだよー、にーさん知らなかったの?」
ルシオンは堕天使であることを否定しないどころか俺が知らなかったことを問い返してくる。
「そっ、そーだよーってお前……」
「そんなのジルさんもサイモンさんも知ってるよー」
「親父も爺さんも知ってる、だと……!?」
何故だろう、俺だけが知らなかったと聞いて一気に溜飲が下がった。
ぐつぐつと煮えたぎる血液が熱を失い視界が開ける。
そうか、知ってたのか。
どうりでエルバード亭が大して繁盛しなくても誰も原因を突き止めない訳だ。
いや、冷静になって考えてみればそんなことはこの際どうでもいい。
途端に疲労感が身体全体に襲い掛かる。
いてもたってもいられず俺は唐突に席を立った。
「すまない、少し外の空気を吸ってくる」
俺は開けっ放しの入り口の扉から表に出た。
4人が静かに後ろからついてくる。
俺は大通りの真ん中で通行人の往来も気にせず立ち止まった。
4人も同時に立ち止まる。
「なあ、分かるか? 俺は、何も持ってないんだよ」
振り向くことなく独り言のように呟きながら1歩踏み出す。
「魔法の素質もロクにない」
2歩。
「秀でた精霊の加護もない」
3歩。
「もちろん翼なんてありゃしない」
4歩。
「だがお前達は俺とは違って強い」
5歩。
「弱い俺は祝福値に縋るしかないんだ」
歩みを止める。
大通りの喧噪に瞬時に飲まれてしまいそうな声は誰にも届いてはいないだろう。
まあ所詮は持たざる者の泣き言、群衆にかき消されてこそ本望よ。
「じゃあな、マイナス補正値カルテット!!」
俺は捨て台詞を吐き猛ダッシュをかました。
「へっ、かけっこのさっちゃんとは俺様のことよ!」
1歩、2歩、地面を蹴る度に映る景色が過去に過ぎ去っていく。
俺は今、未来へ繋がる風となる。
3歩、脚をぐっと踏みだ……せない。
景色はピタリと止まり現実に引き戻される。
「どうしたのサム、お散歩?」
声がする方を見たら右腕ががっちりと掴まれている。
首を持ち上げる。
満面の笑みのダークエルフと目が合った。
ヤダ、コワイ……
「にーさんどうしたの? 忘れ物?」
顔をそむけると左腕もがっちりと掴まれていた。
首を持ち上げる。
満面の笑みの堕天使と目が合った。
ヤダ、コワイ……
「いきなりどうしたのじゃ? 妾もついて行くのじゃ」
陽気な声と共に背中に膝蹴りが入りそのまま背面に憑りつかれる。
コラ!
首を絞めるな!
刹那、両脇と背後を固められ身動きが取れない俺の眼前にしなやかに漆黒の翼が舞い降りた。
闇に溶け込む異形の翼と妖しく光る深紅の瞳に町の賑わいは瞬時に静寂と化す。
「サム様……」
しかし黒翼の主はその風貌とは裏腹に愁いの声音を奏でる。
「私は……、長い間祝福値に悩まされてきました。ヴァンパイアロードの宿命とはいえ世界樹の加護を得られぬ身体は知らず知らずに心を委縮させます」
クーリエは俯き、大きく広がっていた翼は弱々しく畳みこまれている。
「このような禍々しい翼も、私は望みませんでした。膨大な魔力も戦慄をもたらすだけの凶器に過ぎません。私は……、私は今でもこの器に相応しい魂を持ち得ているのか疑問を抱いております。そのような折にこの度皆様と同行する機会を頂きました」
大粒の涙を抱えながらそれでもクーリエは言葉を振り絞る。
「私は……、強くなりたいです。ですがサム様がそれを望まれないのでしたら私はお背中を見送ることしかできません」
堪え切れず頬に涙を伝わらせ背中を震わせるその姿はただただ切なく、しかしながら口を真一文字に結び背筋を伸ばし胸を張る姿は凛としてどこまでも美しい。
その研ぎ澄まされた精神に凶兆の象徴とされる黒翼ですらも愛おしい衝動に駆られる。
「クーリエ……いでででででで!!」
思わず手を伸ばそうとしたのだが激痛に阻止される。
「アンタなに女の子泣かしてんのよ!」
俺の右腕を掴む手が容赦なく二の腕をつまむ。
皮膚が張り裂けんばかりの力に顔が歪む。
「女の子には優しくしなきゃダメだよー」
左手を堕天使に両手で掴まれ雑巾のように絞られる。
肉がちぎれそうな痛みに俺まで涙が溢れてくる。
「お主のようなデリカシーのない男はハゲてしまえばいいのじゃ」
背中に憑りつく悪霊が髪の毛をグイグイ引っ張る。
貴様は後でシメる!
そうだ、考えてみればこいつらだって散々肩身の狭い思いをしてきたに違いない。
何故そこに俺は配慮できなかったのだろうか。
クーリエの涙と我が身に降りかかる痛みを目の当たりにして己の弱さに気付かされる。
「すまないクーリエ、お前の方がよっぽど辛いってのに俺ときたら……」
「クーリエ、サムが罪を認めたのじゃ」
背中の悪霊が俺の前髪をがっちり掴み上げ言葉を遮る。
「突撃あるのみじゃ!」
首を持ち上げられ俺の胸部ががら空きになる。
「はわわわわわー」
クーリエは驚きの声を上げながらも勢いよく俺の胸元に飛び込んできた。
漆黒の翼がゆらゆら揺れている。
てゆーかクーリエさん、結構胸あるのね……。
「いででででで」
「あらあらお熱いわねえ」
「にーさん今夜はお楽しみだねー」
両腕に再び激痛が襲う。
「さすが妾が認めた男はハゲ散らかしても男前なのじゃ」
悪霊はにこやかに俺の髪を引っ張り回す。
この野郎、俺の毛根が絶滅したら絶対に訴訟起こしてやるからな!
……
さて、なかなか離れないクーリエを何とか引っぺがし5人でエルバード亭に戻る最中、セシルが話しかけてきた。
「なんか吹っ切れた顔してるわね」
「ああ、俺はまだまだ未熟だったよ」
ソロプレイヤーでいたのも結局は単なる強がりに過ぎなかったのだ。
この仲間達なら祝福値なんて簡単に乗り越えられる。
今の俺にはそう言い切れる自信があった。
「もう絶対に離れないで下さいね」
クーリエが柔らかな笑顔を俺に向ける。
その顔にもう涙は見えない。
「いや、それは分からぬぞ。なんせかけっこのさっちゃんじゃからのう」
「それを言うな!」
「にーさんはイセリアのかけっこ王だもんねー」
「話を盛るな!」
少し冷たい夜の風が火照った身体に心地よい。
人混み溢れる街並みからぼんやりと星空を見上げ俺はなんとなく明日の幸せを願った。