6 宿までの道のり
「ちょっとー、ふたりとも早くしなさいよ」
「早く来ねば置いて行ってしまうぞ」
我先にと駆け出して行った2人がイセリア自治区の門前で急き立てる。
ハイハイと促されるままに足早に向かい合流。
一応は待っていてくれたようだ。
見渡せば西日が稜線に差し掛かり野犬の遠吠えがこだまする。
「はぁー、着いた」
俺は独り言を呟き安堵の息をついた。
気を抜くと2日分の疲れに押し潰されそうになる。
いやまだだ、目的地まではまだまだ距離があるからさっさと向かおう。
俺は首と両肩をぐりぐり回して疲れを振り払うと3人の前に立った。
「よーし、ほいじゃ行きますか。お前ら迷子になるなよー」
そわそわとせわしない2名と静かに佇む1名を前にわざとらしく気の抜けた掛け声を上げ4人で門を通過した。
「こうして見ると案外質素な門ね」
領内に入ったところでセシルに話しかけられる。
「ああ、今のは通用門だからな。この道をずっと真っすぐに進めば大通りに出るぞ」
俺は進行方向を指差しながら簡単に説明した。
大通りの街灯の明かりが微かに視界に感じられる。
通用門は道の両脇に石柱が2本立っているだけで衛兵は配置されていない。
そもそも境界を示す柵も簡素で容易にすり抜けられる訳であってカーネリアに収めた税金は従属国の都市防衛には殆ど費やされていないのが実によく分かる光景だ。
まあ、その代わりと言っては何だがイセリアは入場料が要らない。
都市の規模に反して非常に雑な施策だとつくづく実感する。
「ねえねえ、あれって花屋でしょ?」
きょろきょろとせわしなくセシルが指差した先には色とりどりの花が咲き誇っている。
「裏通りに花屋があるってなんか素敵よね。きっと外から帰ってきた旦那さんが奥さんに渡す花をこっそりと買う為にあそこに建てたに違いないわ」
「お、おう。そうかもな」
昨日徹夜だったもんな……。
俺は生暖かい目でほわほわしている妄想お花畑娘を見遣った。
というかこの花屋、自治領から外れた場所に勝手に畑を起こして収穫した花を売っているからあまり人目につかない町はずれに店を構えているだけである。
だが口には出さない。
いずれ社会の現実を知る日が来るだろうが今日は急いでいるのであの花屋が脱税してる話はいつか気が向いたらな。
よそ見に明け暮れる2人組を見張りつつ道を真っすぐに進むとイセリアを南北に貫く目抜き通りとぶつかった。
この通りは深夜になっても人通りが絶えることはない。
まだ夕暮れ時の大通りは活気と熱気に満ち溢れそこかしこから美味そうな匂いが漂ってくる。
「サムーーーぅぅぅ」
セシルとスカーレットが懇願するような目で見てくる。
大丈夫、予想してた。
「待て、目的が先だ。まあどうしても耐えられないなら構わないぞ」
「耐えられないのじゃ」
「だったら好きにしろ。貴様のような忍耐も知らぬ三下はそこらの安い露店で存分に腹を満たすがいい。俺は事が済んだら居酒屋で優雅にディナーを満喫する」
「ぐぬぬ、妾をこき下ろし惑わすとはとてつもない極悪人なのじゃ」
魔王様がギリギリと歯ぎしりをしている。
世界平和の為にもそのまま自慢の牙が削れてしまえばいい。
通りに出てから恨めしそうに2人が後ろをついてくる。
とはいえこの先目的地までずーっと露店が立ち並んでいるからなあ……。
どこかで挫けるに違いない。
いや、既に挫ける5秒前みたいな顔してやがる。
ったく、めんどくせえな……。
「少し待ってろ。いいか? 絶対に露店に近づくなよ」
きっちり釘を刺して傍にある小洒落たパブの暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
初老の店主から切れのいい声が掛かると俺は声の主にカウンター越しに尋ねた。
「いかにもお子ちゃまが好きそうなやつあるかい?」
「アルコールは?」
「ナシで」
「だったらパープルベリージュースがお勧めだね」
「いいね。それ持ち帰りで3つ頼む」
「毎度っ!」
軽いやり取りが済むと店主は手際よく大きめのグラスを並べ赤紫の液体をなみなみと注ぐ。
仕上げにパープルベリーを3粒添えてできあがり。
さわやかな甘い香りが辺りを包み込む。
俺は代金を支払うとジュースがこぼれないようにゆっくりと店を出た。
「それは何じゃ?」
店の扉を挟むように飢えた2人組が獲物を待ち構えていた。
不審者がグラスを澄んだ瞳でじーっと見つめてくる。
お前らその瞳の輝きは何なんだよ……。
「ホレ。飲みながらでいいから行くぞ」
長ったらしい説明は要らない。
獲物を1つずつ渡してクーリエの方に向かう。
「さっすがサムは気が利くのじゃ」
「さっすがサムは気が利くのじゃ」
スカーレットの言葉をセシルが真似る。
うぜえ……
「パープルベリージュースだ。甘いけどすっきりしてるからお前でも大丈夫だろ」
1人その場で待っていたクーリエに残りの1つを差し出す。
「わわ私もよろしいのですか!?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「は、はうー」
「こんなもん1つで顔綻ばせるなよ。ホレ、行くぞ」
強引に渡すと両手で大事そうに持ちながら艶やかな液体を見つめる。
翼が揺れているのだろう、マントがモゾモゾと不自然に動きだした。
なんてこった、これはこれでこいつも立派な不審者じゃないか。
3人にジュースを行き渡らせると少しだけ歩みを緩めながら大通りをまた歩き出す。
後ろから「ほわー」だの「はうー」だのとよく分からない感嘆の声が聞こえてくる。
もしかしたら露店で十分だったのかもしれない。
なんて安上がりな奴らなんだ。
サムは哀れみが1上がった。
北端までつながる目抜き通りをずんずんと北へ向かう。
それにしても視線を感じる。
スカーレットはチビッ子だから置いといて、原因はセシルとクーリエで間違いなかろう。
セシルを睨む。
目元がくりっとしたヒューマンの顔立ちでありながら僅かに受け継がれたエルフのしなやかな肌がきめ細かい栗色の髪の間から見せる姿はまだ穢れを知らぬ乙女そのものである。
対するクーリエはマントで体型は分からないがスラっとした外見にいかにもヴァンパイアロードらしい切れ長の目と性格が垣間見える柔和さが漆黒のロングヘアと相まってミステリアスな女性を醸し出している。
それにイセリアに来るのは初めてなこともあってか行き交う男どもが舐めるような視線を浴びせてくる。
「ねえ、なんかずっと見られてるんだけど」
「洗礼みたいなもんだ、あまり気にするな」
セシルの問い掛けにテキトーに受け答えた。
野郎どもが近付いてこないのは傍に俺がいるからだろう。
さすがにこの町で俺の仲間と知りながら気安く声を掛けてくる奴はいない。
エルバード商会の影響力万歳!
視線を浴び続けながらも通りを進むと東西を走るひときわ大きな道とぶつかった。
「これはイセリア縦横道の東西道だ。これをずっと東に行くと南北道と交わる所に中央噴水があってそこがイセリアの中心地だな。また時間があるときにゆっくり案内してやるよ」
果たして俺の声は届いているのだろうか、瀟洒な建物が連なる街並みを前にセシルが呆然としている。
東西道には先程までひっきりなしに立ち並んでいた露店は一軒も見当たらない。
喧噪も怒声もないが落ち着いた雰囲気の中に併せ持つ華やかさは実に優雅でありながらまた違った熱気が感じられる。
「ほら、もうすぐそこだ、行くぞ」
セシルの肩を軽く叩くと我に返ったように後についてきたところで俺は唐突に向きを変えると東西道の中でもひときわ上品な宿の扉を開き中へと進んだ。
中に半分入ったところで3人に手招きすると背後から声を掛けられる。
「おや坊っちゃん、どうしたんだい?」
「いきなりで悪いんだけど部屋4ついいかな」
「今なら3階に並んで4部屋空いているからそこでいいかい?」
「悪いね、恩に着る」
「坊っちゃんの頼みじゃ断れないよ。それよりお連れさんはあそこの3人で大丈夫かな?」
扉の方を振り向くと覗き込むようにこちらを見ている。
「ん? ああ、あの3人だ」
「おやおや綺麗どころが3人も。坊っちゃんも隅に置けないねえ」
「支配人から馬小屋の掃除夫か。5階級降格とはめでたいな」
「さあーて仕事仕事」
「鍵貰ってくぞ」
支配人は振り返ることもなく右手をヒラヒラさせながら上げるとそのまま勝手場に消えていった。
「ほら、早く入れよ」
「ちょっと、いきなりこんなとこ……。お金大丈夫なの?」
「お前変なところで現実的だな。此処はエルバード家所有の宿だから支払いは気にしなくていいぞ」
「はいっ!?」
セシルが奇声を上げてテンパる。
あのー、高級宿だから静かにしてほしいんですけど。
それに引き換えスカーレットとクーリエは落ち着いている。
これでも一応は王と側近としての礼儀は弁えているようだ。
俺達以外誰もいないロビーは掃除が行き渡り花瓶に生けられた花が気品ある香りを漂わす。
壁に掛けられた絵画にはエルバード商会の看板モチーフである天使が描かれており気品ある室内にその存在感を示している。
「3階に部屋をとったから少し休んでいてくれ。俺は少し用事があるからそれが済んだら晩御飯にしよう」
そう告げて1人1つずつ部屋番の書かれた鍵を渡した。
「じゃあまた後で」
3人に別れを告げ宿を出る。
さて、イセリアに来た目的を果たすとしますか。
俺は先程通過した露店の並ぶ大通りへ足早に向かった。